第26話 飢餓
「……どうなってやがる」
残された血痕を追跡していた狩人の男はその痕跡が不自然に途切れていることに気付く。ここまで、あの怪物は立てないほどの重傷を負っていたはず。しかし、彼が這っていた跡がある地点で、止まっていた。
まさか、完全に傷を塞いだ? いや、それだけは絶対にありえない。血痕の量から、怪物の再生可能範囲を超える致命傷のはず。
ならば、第三者が彼をどこかに運んだというのはどうだ。いや、それもない。一体、どこの誰が全身を爆弾で吹き飛ばされ、蠢く芋虫と化した者を介抱するというのか。あの状態では顔見知りですら判別はつかないだろう。考えれば考えるほど、謎は深まる。
カランッ
「――っ」
その時、背後から缶が転がる音が聴こえた。咄嗟に、狩人の男は振り向く。
「……………………」
「なんだよ。いるじゃねえか」
路地裏に、あの怪物の姿が見えた。
驚いた。まさか本当に、立てるまで回復しているとは。つくづく、規格外という他ない。再生力だけで見るなら、
だが、徐々に闇の中から姿を現す怪物の輪郭がはっきりするにつれて、狩人の男は――彼が異様な姿へと変貌していることに気付く。
……身長が、伸びている?
そう、なぜか怪物の身長が、五十センチ近く伸びていたのだ。先程まで、彼の身長は自身より少し上、大体一九〇センチ前後だったはず。しかし、現在では明らかに二メートルを超える巨人と化している。
体型も変化していた。そのやや筋肉質だった肉体は拒食症一歩手前、餓死寸前と呼べるほどにやせ細っており、立っているのもやっとといったバランスを保っている。とてもではないが、同一人物とは思えない。
まさか、再生能力をすべて使い切り、何とか立っていられる状態にまで回復したというのか。それにしても、あれではただのでくの坊。まともに動くことさえままならないはず。
瞳も虚ろで、焦点が合っておらず、意識があるのかさえも分からない。一体、この数分で、彼に何が起きたのか。不審に思い、その姿を観察していた瞬間――彼の姿がふっと消え失せた。
「――なっ⁉」
瞬きをするにも満たない、その僅かな時間で、彼は目の前から消えた。
狩人の男も、動体視力に関しては自信がある。大抵の速度なら、見逃すわけがない。一体、どんな
その時、ふと、男は姿勢を低くし、屈みこむ姿勢を取る。別に、何か意図があったというわけではない。無意識だ。今すぐ、回避しろと、彼の狩人としての本能が脳に命令を出したのだ。
ブンッ
刹那、頭の上で空気が振動する音が響く。その正体は――〝腕〟だ。振り上げた腕が空を切る音。驚愕の表情を浮かべながら、狩人の男は背後を確認する。
そこには消えた怪物が――いた。咄嗟に、拳銃を構えて、撃ち込む。しかし、着弾するより前に、彼はまた姿を消した。
「くそっ……次はどこだ……!」
周囲を警戒すると、二時の方向に、怪物は立っていた。今度は攻撃はしてこず、ただじっと、こちらを観察している。
確信した。今の移動は奇術でも幻術でもない。純粋な身体能力だ。僅かだが、視界の端に残像を捉えた。
驚異的な身体能力という他ない。怪物の中でも、ここまでの速度を出せる者は初めてお目にかかった。だが、なぜ急にここまで飛躍的に身体能力が向上したのか。一体、何が変わったのか。
「……っ。そ、そういう、ことか」
先ほどまでとは何が違うか。そんなものは決まっている。あの異様な姿の他ない。ここで狩人の男は一つの仮説を立てた。
あの病的にまでやせ細った肉体は無理な再生の副作用ではない。極限にまで脂肪を燃焼させ、体重を減らし、最低限の筋肉を維持する形態へと変貌させたのだ。それによって得たのは超高速と言えるほどのスピード。身長の変化も、それに伴ったものだろう。
確かに、怪物の中には自身の肉体を戦闘に特化した形に作り変える者も存在する。だが、ここまで劇的に変わった者は見たことがない。常識外れもいいところだ。本来ならあの一撃で、こちらがやられていた。
ここは〝奥の手〟を使うべきだろうか──いや、それはないと、狩人の男は脳内の選択肢を否定する。結局、あの速度に対応できなければ意味がない。数を増やしたところで無駄だ。
このまま戦闘を続行するしかない。幸いにも、二度目では何とか残像を追える程度には目が慣れていた。完全に手も足も出ない相手というわけではない。これまでも、素早い怪物とは何度も対峙している。勝機はある。
拳銃を握る手に力が入る。次に、あの怪物が消えた時が好機。その攻撃に対して、ありったけの銃弾を浴びせる。筋肉をそぎ落とし、機動力に特化させたということは防御面に関しては
「……………………」
シュンッ
そして――怪物がまた消えた。さぁ、次はどこから攻撃してくる。 狩人の男は全神経を尖らせ、反撃に備える。
一秒経過。まだ怪物は姿を現さない。二秒経過、三秒経過、四秒経過。まだ、怪物は姿を現さなかった。
なぜだ。なぜ、やつは姿を現さない。狩人の男の中で、焦燥感が沸き上がる。
まさか……逃げた? いや、それはない。一時の逃走では根本的な解決にならないというのは向こうも分かっているはず。狩人は必ず追跡してくる。どちらかが死ぬまで、この殺し合いは終わることはない。
しかし、この空白の時間はなんだ。やつは一体、どこに行った。時間差、攻撃、速度――っ。瞬間、天啓を授かったように、彼は上空を見上げた。
そこには拳を振り上げ、こちらに向かって落下してくる怪物の姿があった。
「――
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