第25話 二度目の死

 二重爆発。怪物に効果がある超音波で攻撃したあと、時間差で閃光爆弾スタングレネードが発動するように仕掛けられていた。そして、今の会話は確実に目を潰すための時間稼ぎ。まんまとしてやられてしまった。

 今、スミスの視界は完全に白で覆われている。視力が戻るまで、最低でも数秒はかかるだろう。この状況で、数秒間も相手の姿を確認できないのは非常にまずい。どこから致命的な攻撃が飛んでくるか分からない。どうする。どうすればいい。


 グラッ


 突然、スミスの姿勢が崩れる。なんだ、何が起こった。思考が追い付かない。コンマ数秒遅れて、右膝の付近からまたあの痺れるような痛みが襲ってきた。


 足を――潰された。今度は逃げられないように。


 確実に、向こうはスミスに残された手を一手一手、潰しに来ている。このままではすぐに詰みチェックメイトだ。何とかしなければ、何とか――っ。


「クッ……オォ!」


 刹那、スミスは残された左膝を軸にして――跳躍した。まだ視界は元に戻らないが、一心不乱になって手を伸ばす。そして、掴んだ――壁を。

 そう、足が使えないのなら、這ってでも逃げるしかない。残された逃走経路は〝上〟だ。そう判断したスミスは路地裏の壁をロッククライミングの要領でよじ登ることを考えた。上にまでたどり着けば、人間では追跡は困難なはず。まだ、チャンスはある。


 ヒュンッ ヒュンッ


 地上から、彼を引きずり降ろそうと銃弾が放たれる。一発、二発、三発。だが、腕が無事な限り、支障はない。壁を掴みながら、スミスは最上階を目指す。


「……こいつは驚いたな。まるで蜘蛛スパイダーマンだ。なら、これを使うか」


 狩人の男は驚愕の声を漏らす。まさか、壁を使ってまで逃げるとは思わなかったのだろう。しかし、彼もまだ手がないというわけではない。

 男は懐から、瓶を取り出した。中には水のような透明な液体が入っている。そして、それをスミス目掛けて、投げた。

 現在、スミスは上空十メートル地点。あと五メートル登れば、屋根に到着する。視力も戻りつつある。だが、下を確認する余裕はない。つまり、投げられた瓶を避ける術はなかった。


 ビシャッ


 スミスに命中した瓶は砕け、中の液体が降りかかる。


「――ガッ!?」


 何か、液体をかけられた。それをスミスが皮膚で感じ取った瞬間、異変が起こった。

 肌が――焼け爛れるように、熱く、灼け、溶ける。強酸を浴びせられたかと錯覚するほどの熱さだ。皮膚が溶け、神経に染みわたり、骨を浸食する。とてもではないが、耐えられない。指の力が抜け、スミスは――手を離してしまった。


「しまっ――」


 上空十メートル地点から、スミスは地上へ叩き落される。この程度の落下ダメージは大したことはない。しかし、それ以外の傷が……深すぎる。


「さて、予想外に長引いたが、これが最終ラウンドだ。お祈りは済ませておけよ」


 狩人の男の手には折り畳み式斧タクティカルハチェットが持たれていた。

 恐らく、あの斧もこれまでの道具と同様に、怪物に致命傷を与えられるモノ。素手での防御は意味をなさないだろう。そして、抵抗ができなくなったところで、首を狙ってくる。


「――――ッ!」


 狩人の男は斧を構え、一気に距離を詰めてきた。

 一方で、スミスはまだ傷の回復が追い付いていない。銃弾と液体のダメージで、ろくに立つこともできない――はず。


「グッ――」


 しかし、彼は立ち上がった。

 狩人の男はその姿に、内心で賞賛の声を与えていた。驚異的な再生力という他ない。彼の二十年近くの経験でも、これほどまでにしぶとい怪物は存在しなかった。

 だが、それでもスミスが勝利する可能性は万に一つもない。既に、死刑執行の手順は着実に進んでいた。


「フッ!」


 斧の一撃を辛うじてスミスは回避する。しかし、今の彼の肉体では初撃を躱すだけで精一杯。続く第二撃で――斧はスミスの腹を抉った。


「グゥッ!?」


 スミスの強靭な肉体がチーズを削るように、容易く貫かれる。続く第三撃。これが、最後の攻撃だ。狩人の男は脳天に狙いを定め、斧を振り下げた。

 瞬間、スミスの視界に映る全ての光景が――スローモーションになった。そう、この一撃は確実に生死を左右する。脳からはエンドルフィンが分泌され、これまでの半年間の記憶が走馬灯のように頭の中で流れる。


 だが、スミスは――その記憶を、全て消し去った。今は感傷に浸っている場合ではない。そんなことをしている暇があるなら、コンマ一秒でも、生存に繋がる一手を探すべきだ。

 そして、導き出した。今、できる最善の方法。スミスは残された僅かな時間を使い、数センチだけ、首を右に動かす。


 グシュッ


「――ッ!?」


 スミスの脳天を狙っていた一撃はほんの少し、狙いが外れ、肩から肋骨を兜割りのように、縦に切り裂いた。狩人の男はその光景に、初めて驚愕の表情を浮かべる。

 これが、スミスが導き出した最後の反撃。肉を切らせて骨を切る。寸前のところで、頭だけは守った。あとは――この一撃に、全てを賭ける。

 スミスは拳を振る。狩人の男の両手は斧で塞がっている。この拳さえ当たれば、相手は致命傷のはず。当たりさえすれば――ッ!


 ブンッ


「――っ!」

「――ッ!?」


 スミスの拳が――。僅か一ミリの差。あと一ミリ、足りなかった。

 寸前のところで回避に成功した狩人の男はスミスから距離を取る。


「……っぶねー。ちょっと顎を掠ったぜ……」


 その額からは僅かに汗が漏れ出ている。先程のスミスと同様に、狩人の男もまた、全ての光景がスローモーションになる気分を味わっていた。それほどまでに、スミスの起死回生の一撃は彼にとって予想外であり、生命の危機を感じさせられるほどのものだった。


「まったく……あんた、大したやつだよ。まさか、リングを使わされるとは思わなかった」


 狩人の男の指には――先程まで見られなかった小さなリングが付けられていた。

 最初はその正体が分からなかったスミスであったが、ふと、足元を見て――全てを察した。


「遅えよ。これで、終わりだ」


 ピカッ――


 爆炎と轟音が、スミスを包み込んだ。

 狩人の男の指にあったリングの正体。それは手りゅう弾の安全ピンだった。先程の攻防で、離脱する瞬間――彼はスミスの足元に、手りゅう弾を仕掛けていたのだ。無論、この爆薬も怪物専用に作られた特殊なもの。至近距離で爆風に巻き込まれたら――まず命はない。爆発の影響により、周囲には砂埃と土煙が蔓延する。


「……ふう。まったく、手間をかけさせてくれる」


 狩人の男は懐から煙草を一本取り出し、火を点ける。

 まさか、こんな都会のど真ん中でリングを使わされるとは。いくら小規模の爆発とはいえ、さすがに誰かに爆破音は聴かれたとみて間違いない。警察にでも通報されたら面倒だ。さっさと撤収する必要がある。


「……ん?」


 徐々に、煙が晴れる。しかし、ここで狩人の男はある異変に気付いた。


「……死体が、ないだと」


 確かに、そこあるはずの死体が――ない。あの手りゅう弾の威力では木端微塵に吹き飛ぶとは思えない。肉塊程度は残るはず。ということは――


「……マジかよ。まだ生きてんのか」


 爆発に紛れて、また逃亡した。そうとしか考えられない。まったく、感服するほどの頑丈タフさだ。銃弾を数十発食らい、聖水を浴びせ、斧で両断し、爆弾で吹き飛ばしてもまだ息があるとは……まさしく、不死身に近いだろう。

 しかし、それもここまでだ。あの重傷に加えて、更に爆風のダメージがある。どう考えても、怪物の再生可能範囲を超えている。逃亡に成功しても、致命傷は避けられない。持って、あと数分の命だ。トドメを刺すまでもない。


「……あぁ、つっても死体を回収しないわけにはいかないか。本当に……手間をかけさせやがる」


 *


「ヴァッ……ガッ……」


 地面を這いながら、スミスは夜の闇を進んでいた。

 現在、彼は手りゅう弾の爆発により、肉体の約六割。頭部を三割失っている。この短期間で何度も再生を繰り返したことにより、治癒の速度は著しく落ちており、確実に、命の灯が消えようとしていた。


「グッ……アァッ……」


 もう自分は助からない。スミスもそれは分かっている。しかし、彼は――歩みを止めることはなかった。ミラム邸を目指し、地を這ってでも、彼女の元へと帰ろうとする。


「アッ……アッ」


 だが――ついに、その時がやってきた。スミスの動きが止まる。稼働限界を迎えてしまった。視界が死という闇に覆われていく。彼自身も、ここで悟った、自分の命は今、ここで尽きると。

 しかし――なぜだろうか。どこか、既視感デジャヴを覚える。以前も、このような経験をしたことがあるような。あぁ、そうだ。これは二度目の死。一度目も、同じような感覚に陥っていた。

 そう、あの時も、ボロきれのように、みじめな最期を迎えていた。結局、何も成し遂げることはできなかった。待て、これは一体、誰の記憶だ。


 刹那、スミスの脳内に、様々な声が流れ始めた。


『アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッっッッッッッ!!!!!!!!!!!!』


『怪物の特徴は幽霊と違って、実体があること。肉体と魂が分離していない死者のことを指すわ。主に他殺とか自殺とか、死を実感しながら亡くなると、怪物になるって言われてるわね』


『痛イッッッ!!!!!! 痛いいいいいいイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!!!!!!!!!!!!』


『ていうか、お前って誰かに殺されたんでしょ? そいつのことも気にならないの?』


『殺スッッッッッ!!!!!!!! 絶対に殺スウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウッッッッッ!!!!!!!!!!』


『なんか、お前って変だよな。まるで、何も思い出したくないように見えるぞ』


 ザザッ ザザザッ ザザザッ


 テレビの砂嵐スノーノイズを彷彿とさせる雑音が、頭の中で鳴り響く。


『――――せ』


 誰だろうか。男の声が、聴こえた。


『――ろせ』


 徐々に、声が鮮明になる。



『殺せ』



 あぁ、そうだ。この声は――ここで、スミスの意識は途絶えた。

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