第23話 最悪の事態
*
それから一週間が経過した。
あの日以来、二人は家に閉じこもっており、食事も
「なっ……このっ……」
「…………」
ミラムが焦燥の表情を見せる一方で、スミスは眉一つ動かさず、真顔でボタンを押している。画面にはミラムが操作するキャラの上部にあるHPゲージが赤、スミスが操作するキャラは無傷に近い緑を保っていた。
『K.O.』
そして、決着がつく。勝者は当然、スミスである。
「はぁっ⁉」
その結果に納得がいかないのか、ミラムは困惑の叫び声を上げた。
「……これで五連勝。俺の勝ちだ」
「ちょっ……な、なんでっ⁉ 前は私が全部勝ってたのにっ!」
ミラムが驚くのも当然。ちょうど四十八時間前に、同じゲームで対戦していたのだが、その時は彼女が全勝していた。とは言っても、ミラムのプレイ時間は通算三百時間に対して、スミスはまったくの初心者であったことから、仕方のない話ではあったのだが。
しかし、それだけの経験の差が僅か二日で逆転されてしまった。一体、これはどういうことなのか。
「お前が寝てる間に、練習しただけだ」
「れ、練習って……たった二日だぞ! 二日! その程度で負けるわけないじゃん!」
「だが、実際には俺が勝ってるぞ」
「んぐっ……」
認めたくない。認めたくはないが――スミスにはゲームの才能があるらしい。しかし、そこを認めてしまうと、ミラムはゲームという分野において、彼に劣るということになってしまう。
「ハ、ハゲのくせにセコいことすんな!」
「どこがセコいんだ。正攻法だろうが」
ハメ技やチートといった行為ならともかく、練習すらも許可されないというのは不平等だろうと、スミスは反論する。
「あームカつく! そもそも、こんなクソゲーで勝って嬉しいっ⁉ そもそも、そっちのキャラの方が性能は上なんだからね! っていうか、現実だと私の方が強いし! たかがゲームじゃん!」
ついには自分が愛用しているソフト。はたまたテレビゲームという概念まで否定してしまった。
つくづく、ミラムは
「こ、こうなったら……今度はこれ! これで勝負だ!」
そう言うと、ミラムは棚から別のゲームソフトを引っ張り出してきた。
「……いいだろう」
恐らく、拒否権はないだろう。仕方なく、スミスはその戯れにもう少しだけ付き合うことにした。
*
『K.O.』
そして、数分後――再び、決着の文字が画面上に現れる。勝者は――スミスだった。
「ちょっと待て。おかしいでしょ」
このゲームでスミスと対戦するのは初めてだったはず。つまり、彼はまったくの初心者。負けるはずがない。負けるはずがないのだ。
「……お前が、負けを認めないのは何となく読めていたからな。あらかじめ、このゲームも予習済みだ」
「ふざけんなあああああああああああああああああ‼‼‼‼‼」
ミラムの怒号が、室内に響き渡った。
「はいはい! 勝ててよかったでちゅね! 死ね! クソハゲ!」
そう言うと、ミラムは部屋を飛び出し、自室へと籠ってしまった。
「……やりすぎたか」
一人、残されたスミスは呟く。
いくら毎回ゲームに負け、コケにされているからと言って、ここまでコテンパンに叩きのめすこともなかっただろう。何しろ、相手はあのミラムだ。適当に手を抜いてやるべきだった。我ながら、大人げないことをしてしまったと、反省していた。
しかも、あの怒り方はかなり頭に来ているだろう。一週間は口を利かないつもりだ。別に、これといって困ることもないが、引きずられるのも気分が悪い。
「……はぁ。仕方ない」
スミスは立ち上がり、ミラムの部屋へと向かう。
こんこんと、部屋の扉をノックする。
「おい。今から買い出しに行くが、何かほしいものはあるか?」
『…………』
返事はない。
「あれからもう一週間だ。そろそろ、外に出ても問題ないだろう。冷蔵庫の中も切れているしな。何もないなら、そのまま行くが」
『……アイス。でかいバケツに入ってるやつ』
ようやく、ミラムが口を開いた。
「分かった。味は?」
『……チョコ』
やはり、食べ物で釣るのが一番効果的だ。つくづく単純な性格で、相手をする分には楽でいい。
「分かった。買ってくるぞ」
『……はよ買ってこい。今すぐ食べたいんだから』
アイス程度で機嫌が直るなら、安いものだ。軽い身支度を済ませ、スミスは夜の街へと踏み出した。
*
現在時刻は午前三時。周囲は宵闇に包まれており、数十メートル間隔で設置されている電灯が道しるべのように周囲を照らしている。
コンビニでミラムの注文の品のアイスを購入したスミスは既に帰路についている。アイスのついでに、ホットスナックの類も一緒に数点購入しておいた。これで、一晩越せば、すっかり機嫌を直していることだろう。いつもは難儀な性格だと思っていたが、こういう時には扱いやすいと言える。
こつこつ、こつこつと、人気が消えた通りにスミスの靴音だけが反響する。短気なミラムのことだ。早く帰宅しなければ、また大目玉を食らうことになるだろう。自然と、彼の足取りは速足になっていた。
こつこつ こつこつ
こつこつ こつこつ
「……ん?」
ここで、スミスはある違和感に気付いた。
いつの間にか、背後から、足音が一つ――増えているように聴こえる。
別に、特段気にすることでもないのは確かだ。いくら深夜といっても、通行人はいるだろう。しかし、どうも背中を取られているというのは気分が悪い。軽く、首を動かし、背後を確認する。
人影は――なかった。
「……気のせい、か」
音が反響し、重なって聴こえるというのはよくある話だ。再び歩を進める。
こつこつ こつこつ
こつこつ こつこつ
「…………」
今度は十メートルも歩かないうちに、また足音が増えた。一度ならともかく、二度は少し妙だろう。だが、まだ勘違いという線もあり得る。
疑惑を確信に帰るために、スミスは歩幅を変えて、歩き始めた。
こつこつ こつこつ
こつこつ こつこつ
背後から聴こえる足音は――スミスと同じ歩幅で歩いている。
「…………っ」
緊張が走る。やはり、勘違いではない。確実に、
姿を隠したところを見るに、ただの通行人というわけではないだろう。深夜で一人のところを狙った強盗か。それとも――最悪の事態は想定した方がいいだろう。
「…………ふう」
決心したスミスは――地面を蹴り、その場を駆け出した。
タッタッタ タッタッタ
タッタッタ タッタッタ
それなりの速度で走っているにもかかわらず、背後の足音は一定の距離を保ちながら、追いついていた。振り切るのは不可能だろう。このまま背を向けている状況は非常にまずい。
その時、人通りがなさそうな路地裏が視界に入った。ちょうどいい。あそこなら、騒ぎを起こしても、誰にも覗かれることはないだろう。スミスは路地裏に飛び込む。
路地裏はゴミが錯乱し、蠅が飛び回っていた。一本道なことから、どこにも隠れる場所はない。くるりと、スミスは振り返る。
そこには――一人の男が立っていた。肌は褐色、髪は金、頬の部分には生々しい傷跡が残っている。そして、その目元には――夜にもかかわらず、サングラスがかけられていた。
「……俺に、何か用か」
男に対して、スミスは問いかける。その目的はもう九十九パーセントは分かっている。しかし、残りの一パーセントが勘違いという可能性も捨てきれない。
「……フーッ」
サングラスの男は大きなため息を吐いた。
「まさか、自分から人気の少ない場所に移動してくれるとはな。こっちもやりやすくて助かるわ」
あぁ――もう――疑う余地もないだろう。疑惑は確信へと変わる。この男は――間違いなく――っ。
「しかし、まさかまだこの町に獲物が残っているとはな。組織的な犯罪かと疑っていたが、あのクソガキの言った通りだった。これも、神の思し召しってやつか?」
「……お前が、
「へぇ。おたく、俺らのこと知ってるのか。そいつは話が早いな。しかし、わざわざ確認してくるところを見ると、直接見るのは初めてってところか。違うかい?」
なれなれしく、サングラスの男はスミスに語り掛ける。その問いに、スミスが答えることはなかった。
「なら、参考までに教えておこうか。十パーセント。この数字が、何か分かるか?」
再び、男は問いかける。しかし、スミスはその挑発に乗ることはない。
「これはここ二十年で、俺らと戦った場合のアンタらの勝率だ。まあ、勝率とは言っても、ほとんどの場合は逃亡だがな。実際に返り討ちにしているのは一パーセントにも満たない」
逃亡率十パーセント。果たして、この数字は大きいのか小さいのか。スミスに計り知れるわけがない。
「で、自慢じゃないが……俺はこの仕事を十三の頃からやっているが、一度も獲物を逃がしたことはねェ。まっ、何が言いたいかっていうとだな……」
男はサングラスを外し、スミスと目線を合わせる。
「お前さんはここで終わりってことだ」
その眼光を視た瞬間――スミスの全身が、警戒信号を発した。
今まで見たどんな犯罪者よりも、その男の瞳は鋭く、殺意に溢れている、狩人の眼だった。逃げろ、勝てるわけがないと、脳が命令を与えてくる。恐らく、猫を前にしたネズミの心境に非常に近い。間違いなく、怪物という存在の天敵が、目の前にいる男だ。
最悪の事態を想定する――先程思い浮かんだ言葉ではあるが、それは「遭遇」ではなく、「死」なのではないだろうか。スミスは唇を嚙み締めた。
*
「……ん?」
同時刻、自室に籠り、ネットサーフィンをしていたミラムはふと何か違和感を抱く。
「……あれ。なんだろ。今……」
そして、周囲を見回す。
今、確かに――何か、感じた。
「……ハゲ。遅いな」
時計を確認すると、スミスが買い物に出かけてから、十五分が経過していた。ここから最寄りのコンビニまでは片道徒歩十分。まだ、帰路の最中なのだろうか。
「…………」
十秒程度、ミラムはその違和感の正体を探る。そして――
「……トイレ行こ」
尿意を感じていたことを思い出し、トイレへと向かった。
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