第19話 半年後

 *


「……もう半年か」


 シャワーを浴びながら、スミスはこの半年間の出来事を振り返る。

 相変わらず、記憶は戻る気配がない。しかし、今となってはどうでもいいとさえ感じていた。

 現状、生活に不自由はしておらず、私生活も充実している。どうせ、死んだ命だ。前の記憶を引きずるより、この第二の人生を謳歌した方が建設的だとも言えるだろう。


「……そろそろ出るか」


 必要以上に長風呂をしてしまった。シャワーのバルブを捻り、バスルームから退室する。


「出たぞ」

「ん~」


 リビングに戻ると、ミラムはピザを頬張りながらゲームをしていた。


「めっちゃ風呂長かったな。何してたの」

「……別に。何も」

「あ、もしかして育毛運動でも――」

「してない」


 相も変わらず、隙あらば彼女はスミスの頭を弄ってくる。よくも飽きないなと感心するほどだ。


「俺はもう寝るぞ。もう何度も言っているが、寝る時は部屋の照明を消して、ソファではなく自分の部屋で寝ろ。前も点けっぱなしだったぞ」

「へいへい。わあーってるって」

「……本当に分かっているのか」


 どう見ても理解しているとは思えない返事をしながら、ミラムはゲームを続けている。やはり、何度注意しても無駄だろう。呆れながら、スミスは寝室へ戻り、就寝した。


 *


「……やはり、な」

 翌朝、リビングの光景を見たスミスはため息を吐く。

 案の定、ミラムは寝室に戻らず、ソファで寝落ちしていた。ゲームの画面と部屋の照明は点けっぱなしのおまけつき。ここまで予想通りだと、呆れを通り越して笑える。


「まったく……仕方のないやつだ」


 ミラムを持ち上げ、寝室へと運ぶ。

 どうせ、寝ているんだ。雑に扱っても構わないだろうと思い、スミスは乱暴にミラムをベッドへと投げ捨てた。


「――Zzz」

「……これでも、起きないのか」


 一応、彼女も裏の世界の暗殺者。それなのに、この体たらくはいかがなものか。このままではミラムはろくな大人にはならないことは確信できた。


 *


 昼頃、スミスはドロティアの店を訪れていた。

 実はあれからも、店番自体は続けていたのだ。何しろ、陽が昇っているうちは何も仕事がないため、あまりにも時間を持て余す。ミラムのように、ぐうたらと家で無駄に時間を消費するのも性に合わない。

 ということで、昼間は古本屋で店番をしながら、商品の本を読み漁っていた。彼も裏の世界の住人に属してしまったこともあり、その界隈を勉強するのも悪くない。


「スミスくんって、いつもうちの本読んでるけど、飽きない?」

「……あぁ。飽きないな」


 本日分の死体を溶かし終わったのか、地下室から出てきたドロティアが話しかけてきた。


「ふぅん。どうせなら、もっと楽しいことしない?」


 スミスの肩にドロティアがもたれかかる。その豊満なバストが彼の背中に密着していた。


「しない。邪魔だ」

「相変わらず、つれないんだから」


 いつものように、彼女の誘惑を躱す。


「でも、スミスくんも素直じゃないわよねぇ。まだうちで働いてるなんて。そんなに私に会いたいのかしら」


 くすりと、ドロティアは笑みを見せる。


「……戸籍もない俺を雇う店が他にあるなら、そこで働くんだがな。あるなら是非教えてほしい」

「もう、素直じゃないわねぇ。せっかくだし、お茶でも淹れようかしら。スミスくんも飲む?」

「……いや、俺はいい」


 何を入れられるか分かったもんじゃないと、スミスは断る。


「遠慮しなくていいわよ。美味しいお茶菓子もあるから、一緒に食べましょう」

「……はぁ」


 どうやら、今日は断れない日らしい。仕方なく、スミスはドロティアのお茶会に付き合うことにした。


 *


「こうやって、スミスくんと二人きりで食事するのも久しぶりね。最近はずっと、ミラムちゃんに取られてたし」

「……そうか?」


 お茶を飲みながら、二人は談笑する。

 茶菓子として出されたクッキーは確かに美味であり、ドロティアが勧めるだけはある。もっとも、彼女が差し出したものという前提がないなら、もっと美味に感じただろうが。


「……一つ、聞きたいことがあるんだが」

「あら、何かしら」


 これも、いい機会だろう。ふと、スミスは以前から気がかりになっていた疑問を尋ねることにした。


「なぜ、ここまで大量に殺しているのに……警察は何も動かないんだ?」

「いきなり仕事の話ね。急にどうしたの」


 スミスが暗殺稼業を始めた半年近くが経過していた。その期間、殺害した犯罪者の数は優に両手の数を超える。

 彼個人だけでもこれだけの規模だ。この店に訪れている他の暗殺者も考慮すると、更にこの四、五倍はある。半年でこの数ということは年換算では更に倍。ざっと、一年で三桁近くの人間が殺されているということになる。


「おかしくないか? あれだけの規模の殺人を繰り返しているのに、警察が勘付いている様子も、報道も見られないというのは。年に百人近くの犯罪者が失踪扱いになっていたら、どんな馬鹿でも気付くはずだ。誰かが犯罪者を消していると」

「うーん。まあ、そう言われると、不自然よねぇ。スミスくんはどう考えているわけ?」


 白々しく、ドロティアは質問を質問で返す。


「……お前が警察と繋がっていて、事件をもみ消しているんじゃないか」

「ぷっ!」


 そのスミスの返答に、ドロティアは噴き出してしまった。


「……何がおかしい」

「だ、だって……そんな真剣な顔で言うもんだから……ふふっ」


 どうやら、ツボに嵌ったらしい。笑いを抑えながら、ぷるぷると、全身が揺れていた。


「残念だけど、私は何もしてないわよ。警察から情報を得ているのは否定しないけどね」

「……では、なぜ発覚しないんだ」

「うーん。そうねぇ。考えられる可能性は三つ。本当に気付いてないか、気付いているけど、追えないのか、黙認しているか。ってところかしら」

「……黙認、だと?」


 警察が犯罪を黙認している。あまりに馬鹿げた話に、スミスは我が耳を疑った。


「まず、本当に気付いてないパターン。そうなると、この国の警察はよっぽどマヌケってことになるけど、あり得ない話でもないわ。こっちは人ならざる者の力を借りてるんだし、死体も含めて、証拠は何も残らない。おまけに、消えている人たち自体が社会の厄介者なんですもん。行方不明届が出されていなくても、何も不思議はないと思うわ」


 ニューヨーク州の人口は二千万人近くにも上る。NYCニューヨークシティに限っても、八百万人以上。確かに、これだけの人の波の前では百人という数は矮小なものだろう。現在進行形で犯罪行為をしているものたちなら、尚更だ。


 しかし、それにしては疑問が残る。この国では性犯罪等の前科者にはGPS装置を付けられている場合がある。実際に、標的がそれらしき器具を装着しているのをスミスも見かけた。

 発見した場合はその場に廃棄するように指示を受けているが、確実に、GPS反応が消えたことは警察に伝わるはず。果たして、それすらも見過ごしている可能性は――あるのだろうか。


「二つ目は把握してるけど、追えない説ね。まあ、これが一番現実的なんじゃないかしら。いくら科学捜査が進歩したって言っても、それは人間相手の話。監視カメラに映らない存在や、証拠を一つも残さない者たちには無力ってこと」

「……まあ、それなら理解できるが」


 彼女の言う通り、これが最も可能性が高い説だろう。

 この半年間、ミラムの力の一端を傍で見続けたスミスでも、まだ吸血鬼という存在の力の底は見えない。よほどのヘマをしない限りは捕まることはないのは確かだ。


「そして最後に……殺しが黙認されているって説。要は超常的存在が関わっているから、警察が手出しできないんじゃない? 公に死者や吸血鬼の存在なんて発表できるわけないし。それで、未解決事件として片付けているとか」

「……馬鹿馬鹿しい。出来の悪い陰謀論だな」


 その主張をスミスは一蹴する。


「あら? どうして? 割とあり得ない話でもないと思うのだけれど」

「逆に考えてみろ。仮に、俺たちのような人外が関わっているだけで、警察が手出しできないというのなら……誰が、その無法者たちを裁くんだ」


 ドロティアの説が事実だとするなら――この社会は完全に歪んでいる。

 人ならざる者たちが関与しているだけで、警察という組織が役に立たないなら、その者たちが一般市民に危害を加えた場合はどうなるのか。まさか、それも見逃すというのか。

 この国の司法がそんな殺人許可証を認めているとは思いたくない。想像するだけで、虫酸が走る。


「誰がって、そりゃあ――」


 ここで、ドロティアは不自然に言葉を切った。


「……あら、裁いてくれる人なら、いるじゃない」

「誰だ。それは」

「神様♪」

「…………」


 本気で言っているのか。この女は。

 十秒程度、スミスはドロティアを奇異の目で眺めていた。


「……アホらしい。お前も店にいることだし、今日はもう帰るぞ」

「あら、もう帰っちゃうの? じゃあ、ミラムちゃんに伝言頼まれてくれる?」

「伝言?」

「えぇ。できれば、今日もお仕事お願いできる? ってね」


 その言葉に、スミスは僅かに反応する。


「……今日もか? つい先日、四人殺してきたばかりだぞ」

「えぇ。実は緊急の案件が入っちゃってね。なるはやでお願いしたいのよ」

「……分かった。伝えておく」


 経験上、二日連続で依頼があった前例はない。

 緊急の案件。それは一体……どういうものなのだろうか。

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