第17話 初食人

 *


「ねぇ、マジでやるの?」

「……あぁ」

「いくら血を抜いてるからって、それでも人間の肉って何十キロもあるんだけど。本当に食べられる?」

「……多分、行ける気がする」


 場所を移し、ミラムとスミス。そして、既に物言わぬ死骸となったディランは風呂場に集まっていた。

 スミスの提案。それは怪物である自分が、小柄であるディランを食すことで、体積を減らせば、死体袋に隙間スペースを作ることができるのではないかといったものだった。


 普通なら、あまりに荒唐無稽。常軌を逸しているとしか言えない行為だ。それだけの量を腹に詰め込めるわけがない。そもそも、人の肉を食すこと自体が不可能。

 しかし、スミスは――自信があった。恐らく、今の自分は人肉食に対して、抵抗がない。ハンバーガーを貪るように、人間の肉も食せるという自信が。


 最初に、その違和感を覚えたのはドロティアに地下室の真相を告げられた時だった。おびただしいほどの死体の量。常人ならば、吐き気がする空間で、スミスはどこか――空腹感を覚えていた。

 その時は直前に夕食を取っていたため、まだ腹が空いているだけだと解釈したスミスだが――それにしても、死体を見たあとで、食欲が湧くというのも奇妙。だが、本日、死体を目の当たりにしたことで、彼の疑惑は確信へと変わった。


 怪物へと変貌した彼の肉体は……好物が人肉へと変貌したのだろう。散々指摘された味覚の変化も、これに伴ったものだと思われる。

 どうしても、死体を前にすると、唾液の分泌量が多くなり、食欲が湧く。

 朝食、昼食を抜き、仕事終わりに立ち寄ったレストランで、たっぷりバーベキューソースがかけられたステーキが運ばれてきた気分とでも言えばいいのだろうか。その食欲には抗えない。


「では……食うぞ」

「お、おう」


 まず、スミスは二の腕から食すことにした。チキンで言うところの手羽先Wings、部位の中では柔らかく、食べやすいはずだ。

大きく口を開け、皮膚に歯を立てる。そして――力いっぱい。噛み千切った。


ブチッ


 ディランの肉は容易く千切ることができた。何回か咀嚼をし、ごくんと、呑み込む。


「…………っ」


 スミスはその味に、感銘を覚えた。これまで食したいかなる料理もこの肉には敵わない。舌から脳へと旨味が直接伝わり、口を動かすのが止まらない。

 人間の肉は――うまい。



「……終わったぞ」


 五分後、スミスは驚異的な速度で食べ進め、ディランの肉をほぼ完食してしまった。残ったのは骨と頭のみ。これなら、ブローカーの男も死体袋に入るだろう。


「え、えぇ……マジで食べたの」


 その様子を見て、ミラムは顔を歪ませていた。


「いやぁ……血を吸う私が言うのもなんだけどさぁ……ドン引きだわぁ」

「……おい、早くそっちの男を袋に入れろ」

「だってさぁ……いくら怪物になって、嗜好が変わったからって、人間を食べる? 普通、倫理観とか、自制心とか、道徳的に止まるだろ……というか、なんで人間丸ごと食ったのに、体型が変わってないわけ? めっちゃキモくない? どうなってんの、その身体」

「……吸血鬼おまえにだけは言われたくない」


 散々貶してくるミラムに対して、スミスは皮肉交じりに呟いた。



「ってことで、ちょっと依頼とは違うけど、まあいいよね」

「……それ、本当?」


 依頼を終え、死体袋を運んできたミラムは事の経緯をドロティアに説明する。

 確かに、見知らぬ死体とディランの首が袋に収められていることから、予想外の事故があったのは事実だろう。しかし、スミスが自ら手を汚したというのは――耳を疑う。

 彼は少し前まで、ただの人間だったはず。それが自ら犯罪者を殺したいと志願し、一秒を争う咄嗟の状況で相手の首を折るという最適解の行動を導き出し、挙句の果てには食人に手を染めたというのだ。


「……尋常じゃないわね」

「なー。さすがに人喰うのはないわぁ」


 一方で、ミラムはそこまで深刻には考えていないようである。


「で、そのスミスくんはどこ行ったの?」

「あぁ、あいつの食いっぷり見てたらフライドチキン食べたくなったから、買いに行かせた」

「そ、そう……って、あら? この男……」


 スミスが殺害したブローカーの男の遺体を観察していた時、ドロティアはその顔がどこか見覚えがあることに気付く。

 スマートフォンのAIによる顔認証システムを利用し、保存されている犯罪者のデータベースから人物の特定できないか試みる。


「あっ、出たわ。やっぱりこの男、マフィアお抱えのブローカーじゃない」

「え? マジで? じゃあ、やっぱ殺してもよかったんだ」


 男の名はデヴィット・マンソン。このニューヨークを支配している五大マフィアの一つであるバッファロー一家の下っ端構成員の一人であり、過去に麻薬取引の前科があった。


「まあ、そうね。でも、ちょっとまずいわねぇ……マフィアに手出しちゃうのは」

「まずいって、何が?」

「向こうはメンツで生きてる人たちよ。自分たちの組織の人間が部外者に殺されたって知ったら……血眼になって犯人を捜すわよ」


 ドロティアの経験上、マフィアに所属する人物の暗殺依頼というのは請けたことがない。それはなぜか。依頼者の安全が保証できないためである。

 彼らの組織の情報網ネットワークを舐めてはいけない。いくら人外の者たちの力を借りていると言っても、あちらも裏社会には精通している。この稼業自体は嗅ぎつけられない自信はあったが、一般人である依頼者の身辺はそうもいかない。万が一にも、特定されてしまったら――本人だけではなく、一族郎党、悲惨な拷問の末の処刑が待ち受けている。


「……なにそれ。どうせ、相手はただの人間だろ。なら、敵じゃないよ。〝女神の猟犬部隊アルテミス・ハウンド〟ならともかく、そんな連中に私が後れを取ると思ってんの?」

「そりゃ、ミラムちゃんは大丈夫でしょうけど、問題はスミスくんよ」

「……っ」


 その瞬間、ミラムの表情が曇る。


「吸血鬼なら、被写体の対象になることがないけど、あの場にはスミスくんもいたんでしょ? なら……彼の身に危険が及ぶ可能性も、ゼロじゃないわ。むしろ、バレるとしたら絶対に彼よ」

「で、でも……あいつも怪物じゃん。なら……」

「そりゃ、そうだけど、限度はあるわ。拳銃程度なら何とかなっても、機関銃ならそうはいかない。実際、私ですら、スミスくんを無力化させる方法はいくらでも思いつくし」


 物理攻撃が通用しない吸血鬼や幽霊と比較すると、怪物は所詮、人間の延長線に過ぎない。武装集団相手では――限度というものがあるのだ。


「これからスミスくんと一緒に仕事をするつもりなら、パートナーのことも気遣ってあげなさいよ。アナタはもう、一人じゃないのよ?」

「……チッ」


 ぐうの音の出ない正論。露骨にミラムは不機嫌な態度を見せていた。今回は全面的にドロティアが正しい。正しいからこそ、腹が立つ。


「……はぁ。ちょっと、言い過ぎたわね。ほら、これ、今日の報酬。スミスくんの初仕事ってことで、ちょっと上乗せしといたわ」

「……ふん」


 札束が入った封筒を受け取るなり、ミラムはすぐに退店しようとする。その姿はどこか、逃げるようにさえ感じられた。


「ちょっと、ミラムちゃん。スミスくんに、今後もこの仕事を続けるのか、聞いておいてね。あと、最後に一つ、ちょっと


 ぴくりと、ミラムの足が止まる。


「記憶を失っていても、スミスくんはスミスくんよ。それ以上の何物でもないわ。もし、アナタが彼に対して、それ以上を求めるなら……あとがつらいことになるわよ」


「……何言ってるか、全然分からないんですけど」


 そう言うと、ミラムは扉を乱暴に開け、出て行ってしまった。


「もう……素直じゃない年頃なんだから」

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