第12話 買い取り

 *


「そういやハゲ。お前、死んでからどれくらい経ったの?」

「ひと月と、少しになるな」

「へぇ。でも、まだ何にも思い出せないんだ」

「……あぁ」


 更に後日、再び店を訪れたミラムはスミスの記憶の件について触れた。


「何か、手掛かりとか探さないの? ずっとここにいるじゃん」

「……最初は探した。が、何も見つからなかった」


 実はスミスも、店番の傍ら、街を回り、記憶の断片にかかわるものを捜索していた。

 しかし、その成果はゼロ。どこに行っても、何も思い出せない。


「恐らく、この都市と俺はそこまでかかわりがなかったのだろうな。これ以上は探しても時間の無駄だと判断した。かと言って、他の都市に赴くほど、手持ちがあるわけでもない。だから、今は現状維持だ。そのうち、ある程度の蓄えができたら、旅でもして見つけるさ」

「なんか、お前って変だよな。まるで、何も思い出したくないように見えるぞ」

「……そうか?」


 そのスミスの行動に、ミラムは疑問を持った。


「もし、私が記憶喪失になったら……真っ先に、その記憶を取り戻すことを第一優先にする。だって、忘れたままとか気持ち悪いじゃん。そんな悠長に、ダラダラと過ごす気にはなれないよ」

「……それは個人によると思うが」

「ていうか、お前って誰かに殺されたんでしょ? そいつのことも気にならないの?」


 その問いに、スミスは一瞬、沈黙する。

 確かに、彼が第三者によって殺害された可能性は非常に高い。当時の衣服の乱れ、目覚めた現場、すべての状況証拠が物語っているだろう。しかし――


「……別に、それもあまり興味はないな」

「はぁ? なんで?」

「仮に、殺されたとしても、相応の理由があるはずだ。わざわざ、犯人捜しをするつもりはない」


 スミスは自分を殺害した相手についても、特に追及するつもりはなかった。

 もしも、私怨による犯行なら、それだけ恨みを買う行為をしていたということになる。突発的な、通り魔的な犯罪に巻き込まれたとしても、それは日頃の行い、または運命に近いものだろう。

 要するに、彼は死という結果は自分に返ってきたと解釈していた。決して、特定の宗教を信仰しているわけでもなく、神という曖昧な概念も認めていなかったが〝因果応報〟という言葉の存在は――なぜか、信じられる。


「変なの。私なら、自分を殺したやつなんて、絶対に仕返しするのに」

「……まあ、それが普通だろうな」


 自分はどこか、普通の感覚とはズレているというのは薄々スミスも気が付いてはいた。

 しかし、これが本来の性分だとするならば、今更直せるものでもないだろう。大人しく、彼は自分の直感フィーリングに従い、行動していた。

 その結果、もう二度と生前の記憶が戻らなかったとしても、仕方ないとさえ、割り切っているほどだ。


「……そういやさ、さっき旅でもするって言ってたけど、そのうちこの店から離れるつもりなの?」

「あぁ、いい歳した男女が同じ屋根の下で、いつまでも暮らすわけにもいかないからな。いや、正確には他の同居人もいるが」


 ちらりと、スミスは床へと視線を移す。


「僅かだが、ドロティアからも店番の給料は貰っている。アパートの頭金が揃い次第、すぐにでも出ていくつもりだ」

「へぇ~……ふ~ん……」


 じろじろと、ミラムはスミスの全身を舐め回すような視線で、彼を眺める。


「よし、決めた。今日はあの女、何時に帰ってくる?」

「……少し遅くなると言っていたが、それがどうかしたのか」

「じゃあいいや。こっちから電話するから」


 そう言うと、ミラムはスマートフォンを取り出し、ドロティアへ通話をかけ始めた。


『あっ、もしもし、私。突然だけど、ハゲは今日からうちで面倒みることにしたから。よろしくぅ』

「……は?」


 その突然の言葉に、スミスは目を丸くする。


『えっ? 急にそんなこと言われても困る? うるさいなぁ……ほら、口座確認しろ。これで、文句ないだろ』


 通話をしながら、ミラムはスマートフォンを操作する。会話を聞く限り、ドロティアへ金を送ったようだ。


「……んっ。ほら、代われって」


 スミスに向かって、ミラムは自分のスマートフォンを差し出す。


『もしもし? スミスくん? 突然だけど、明日からミラムちゃんの家で暮らしてね』

『……はぁっ⁉』


 普段は寡黙なスミスだが、この時ばかりは大声を出してしまった。


『お、おい。どういうことだ。まさか、お前……俺を売ったのか?』

『人聞きの悪い言い方はやめてよ。そもそも、スミスくんって居候だし、住む家が変わるだけだから、問題はないじゃない』

『待て。お前たちは俺をペットか何かだと勘違いしていないか? 人の承諾もなしに、勝手に話を進めるな』

『え? もしかして、そんなに私と離れたくないの? もう、それならそうと素直にそう言えば――』


 プツッ

 これ以上、話す価値はないだろう。一方的に、スミスは通話を切った。


「……この、蛇が」

「さっ。ってことで、今日から私の家に引っ越しな。荷物があるなら、まとめてくれば?」


 どうやら、本当にミラムはスミスを買い取ったらしい。その意味不明の行動に、スミスはただひたすら、困惑していた。


「……なぜ、俺を買ったんだ」

「あぁん?」

「あの女が二つ返事で納得した金額ということは……決して、安くない金額だったはずだ。そこまでする理由はなんだ」


 多少のはした金ではドロティアは動じないというのは経験上、確信を持って言える。つまり、ミラムはそれなりの金額を積んで、彼の所有権を得たことになる。

 スミスの視点ではその動機が一切不明、理解不能だった。確かに、現在の彼女との関係は友人と言える程度まで発展しているかもしれないが、それでも大金を払うほどの価値はないはず。よほど金銭感覚が麻痺しているとしか思えない行動だ。


「別にぃ、そろそろ新しい眷属が欲しいって思っただけ」

「眷属?」


「そっ。要するに、召使い。うちって広いから、掃除とか大変なんだよね。でも、人間を雇うわけにもいかないし、そんな時に暇そうなお前を見つけたってわけ。まあ、ハゲてるのはだいぶマイナスポイントだけど、そこは目を瞑ってやる」

「……召使い、か」

「なに。ここを離れるのがそんなに嫌なわけ?」

「……いや、そういうわけでもないが」


 むしろ、その逆だ。先ほどは自分を物のように扱うドロティアに対して反論してしまったスミスだが、できることなら、さっさとこの店から離れたいというのが本心だった。

 地下には大量の死体。たびたび訪れる不気味な人殺しども。どこか信用できない頭がピンクの女。それに比べたら、まだこのミラムという吸血鬼少女の家の方が多少はマシというものだ。


「じゃあ、別にいいじゃん。どこに悩む必要あるの」

「いいのか。その、勝手に俺を住まわせて。父親がいるんだろう」

「……それ、もしかしてあのビッチから聞いたの?」

「……あぁ」

「……ったく、あいつ、人の個人情報をペラペラ喋りやがって」


 ミラムの表情が一瞬、どこか曇る。


「いいよ。そんなこと気にしなくて」

「……しかしだな」

「あぁ、もう! しつこい! 優柔不断! 中途半端なのはその頭だけにしとけ! いいから、早く荷物まとめろや!」


 ミラムはスミスの背中を蹴る。


「わ、分かった。分かったから、蹴るな」


 結局、この大都会ニューヨークで、記憶も、戸籍も、手持ちもないスミスには最初から選択肢なんてものはなかったというわけだ。自分より二回り以上も下の少女と同居するのは忍びないが、背に腹は代えられない。

 そう結論付けた彼は大人しく、ミラムの家へと移住することを決めた。

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