第10話 ミラム・アレクサンドラ・V・グーテンベルグ
*
「……ということがあったんだが」
「あぁ、それはミラムちゃんね」
夕食の時間、スミスは一連の出来事をドロティアに伝えた。
「ま、あの子なら別にいいわよ。お得意様だし、どうせ、大した本は置いてないしね」
どうやら、窃盗の件はドロティアにとってはどうでもいいらしい。特に気にしていない様子で、彼女は料理を口に運ぶ。
「その……ミラムという子は何者なんだ。ずいぶんと若いようだが」
「
「……は?」
その予想外の単語に、思わずスミスは反射的に困惑の声を漏らす。
「だから、吸血鬼。人間の血を啜るアレ」
「……俺を、からかっているのか?」
さすがのスミスも、素直にその言葉を信じることはできなかった。
吸血鬼――そのような伝承の生物が実在しているとは到底信じられない。まだ、歩く死者の方が受け入れられるというものだ。加えて、その正体があの子どもだと? いくら何でも、真実としては受け入れがたい内容である。
「嘘じゃないわよ。本名はミラム・アレクサンドラ・
「……何か、証拠はないのか」
「って言われても、ねぇ。そもそも、死体だって蘇って歩く世界なんだし、吸血鬼が実在しても何もおかしくはないと思うのだけれど」
「…………まあ、それもそうか」
それを言われると、返す言葉もない。常識的な話をするなら、今のスミスの存在こそ、矛盾の塊のようなものだ。
以前にもドロティアは人外の存在について仄めかしていた。それがあのミラムという少女のような者たちだと仮定するならば、合点がいく。
「
「……いいのか。あのような子どもが人を殺しているのは」
「子ども、って言ってもねぇ。確かに年齢的にはそうだけど、ミラムちゃんは人間とは別の種族、血を糧に生きている吸血鬼なんだから、別にそこまで気にすることでもないんじゃない? 養豚場の跡取り息子が幼少期から屠殺を経験したとして、それを問題視する人はいるのかしら。私たちとは命の価値観が違うのよ」
「……価値観、か」
殺人という言葉の意味を改めて考えさせられる。
なぜ、人を殺すことは最も重い罪なのか。なぜ、人の命は尊いものだと教えられるのか。社会は平等だの何だのきれいごとを謳ってはいるが、過去から現代に至るまで、この世界には確実に、一方的な人類の価値観によって決められた命の値札がある。
それも当然だ。ヒトという種族は自分たちを地球の支配者であるということを疑わずに、繁殖と殺戮を繰り返してきた。強者は弱者の命を自由に値踏みできるという特権を所持している。
そして、その権利はつい近年まで、同じヒトにも行使されていた――いや、これはまだ、続いているのかもしれない。
だが、果たしてその支配者の特権を行使しているのは本当に人類だけなのだろうか。もしも、人類よりも上位の種族が存在するならば……ヒトは大人しく、その価値観に従わなければいけないということになってしまうのではないか。
「それに、ミラムちゃんはあれでも結構良識はある方よ。一般人には手出してないし、殺してるのはちゃんと犯罪者だけ。これなら、スミスくんも文句ないんでしょ?」
「……まあ、そうだが」
「なら、何も問題ないじゃない」
「……あぁ」
半ば強引に、言い負かされる形になってしまった。
確かに、ドロティアの意見は正しい。あのミラムという少女が吸血鬼なら、人間社会の常識に当て嵌まる存在ではない。こちらの価値観を一方的にぶつけることになってしまう。
しかし、どうしてもスミスは――あのような年端のいかない少女が、この血なまぐさい世界の住民になっていることに、納得することができなかった。
*
「でなー。そいつ、死に際にこう言ったんだよ。「か、金だけはやるから助けてくれっ!」って。テメェは三人も殺してるのに、みっともないやつだよね。結局、犯罪者なんて自己中の小物なんだよ」
「…………」
「やっぱ、人間程度じゃ私の相手にすらならないんだよね。元プロボクサーだって粋がってたやつもいたけど、瞬殺してやったわ」
「……おい」
「ん? なに?」
「……なぜ、今日もここにいる。そしてなぜ、三時間も居座っているんだ」
「別にいいじゃん。暇でしょ。お前」
翌日、なぜか吸血鬼少女ミラムは――再び、古本屋を訪れていた。しかも、奇妙なことに、どうやらドロティアに用があるというわけではないらしい。
来店するなり、一直線にスミスの元へと駆け寄り、ただひたすらこれまでどのような犯罪者を殺してきたのかを自慢していた。
実に三時間、スミスは彼女の武勇伝を一方的に聞かされ続け、そろそろ鬱陶しく感じていた頃合いだった。
「暇じゃない。俺には店番という仕事がある」
「はぁ? 客なんて来ないだろ。この店」
「…………」
核心を突かれてしまった。
「と、とにかく……仕事の邪魔だ。帰ってくれ」
「仕事って言っても、どうせ一人で掃除とか本の整理ぐらいしかしないんでしょ。せっかく面白い話をしてやってるのに」
「……誰も、そんなこと頼んでないんだが」
「うるせぇ! お堅いのはこのハゲ頭だけにしとけ!」
そう言うと、ミラムはスミスの頭部を平手打ちした。
パシンッ――と、軽快な音が店に鳴り響く。
「あー気持ちいい! めっちゃいい音出たね! 一度、この頭にビンタしてみたかったんだ! やっぱり、叩き心地最高!」
一発、更にもう一発、ミラムは心の底から楽しんでいるように、笑みを浮かべながら、平手打ちを続ける。
一方でスミスは――無言でその攻撃を耐えていた。
さすがの彼も、ミラムの無礼千万、傍若無人のふるまいに苛立ちを覚えていた。しかし、ここで怒りを露わにするわけのはあまりにも大人げない。いくら吸血鬼といっても、相手はまだ
「あ、ハゲ。ちょっとそこの本、取って」
突然、ミラムは攻撃を止め、頭上にある本棚を指差す。
視線を向けると、大体二メートル五十センチほどの高さの位置にある一冊の本に、彼女の指先が向けられていた。
「……自分で取ればいいだろ」
「どう見たって届かないでしょ。ほら、早く、客を待たせるな」
「……はぁ。これでいいんだな」
購入する気など、さらさらないだろうが、このまま彼女を無視するわけにもいかない。仕方なく、スミスは腕を伸ばし、本を手に取る。
「……ん?」
その時、スミスは掌に違和感を覚えた。何か――粘着性のある物体に触れたような、不快な感触がする。
一度、本を離し、掌を確認すると……なぜか、皮膚が真っ黒に汚れていた。頭に疑問符を浮かべながら、鼻先で匂いを確認する。
「……インク?」
「ぷっ……くくくっ……引っかかってやんの」
困惑するスミスの背後で、ミラムは腹を抱えて笑っていた。
「その本、表紙の塗料が溶けてて、触ったらべったりとくっつくんだよ! しかも、洗っても中々落ちない! ぷぷぷっ!」
どうやら――ミラムのいたずらに、引っかかってしまったらしい。
さすがのスミスも、耐えるのは限度がある。彼の中で、何かが切れる音がした。
「……いい加減にしろ。大人をからかうな」
「はぁ? 子ども扱いしないでくれる? ハゲのくせに」
「そうやって、身体的特徴をバカにするのはやめろ。コンプレックスを抱えてる人だっているんだぞ」
「え? ハゲなの気にしてるの?」
「………………」
そのミラムの一言で、一瞬の静寂が発生する。
「と、とにかく、だ。子ども扱いされたくないのなら、年相応の振る舞いをしろ。少なくとも、少なくなくとも、お前と同年代の人間の子はこの程度のいたずらなんてものはとっくに卒業してるぞ」
「……いや、同年代の人間なんて知らんし」
年齢の話になった途端、急にミラムはしおらしくなってしまった。
しかし、同年代の人間を知らないとはどういうことだろうか。てっきり、スミスはミラムが社会に溶け込み、生活を送っていると思っていた。彼女の年齢は十五。普通の人間なら、ハイスクールに通っている年齢のはず。
「……学校に行ったことはないのか?」
「はぁ? 行けるわけないじゃん。私を誰だと思ってんの。吸血鬼を若い男女が大量にいる施設に入れるなんて、豚小屋にライオン入れるのと同じでしょ」
「……そう、なのか」
少し、スミスはミラムに同情してしまった。
察するに、彼女はこれまでまともにコミュニケーションを取る機会に恵まれなかったのだろう。ドロティアの話によると、彼女が摂取しているのは犯罪者の血のみ。一般人は襲わないという最低限の善性を持っている。
その種族の特性から、人目を避けた結果、同世代の少年少女と比べ、性格が幼稚になってしまったというのは納得がいく。何というか……哀れみさえ感じてしまう。
「お前、もしかして……寂しい、のか」
「は、はぁっ⁉」
そのスミスの一言で、ミラムは動揺する。
「なっ……な、何言ってんの⁉ んなわけないでしょ! し、死ね! クソハゲ!」
ミラムは顔を真っ赤にし、そのまま店を飛び出してしまった。
「……なんだ。あいつは」
スミスはその姿を困惑の表情で眺めていた。
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