第8話 死者解剖

 *


 ドロティアの真相をスミスが知り、更に一週間が経過した。と言っても、彼の日常には劇的な変化は訪れていない。これまでと同じ。客が来ない古本屋の店番をするだけだった。

 唯一、変わった点と言えば……ベッドの下の地下室が気にかかり、少し寝付きが悪くなったくらいだろうか。彼自身も死んでいるとはいえ、あれだけ大量の死体の山と同居というのは気分がいいものではない。それ以外は平常運転、特に、何も問題はなかった。


「……ふぅ」


 一冊の本を読み終え、スミスは一息つく。ここ最近は毎日本を三冊は読む生活を送っていた。退屈しのぎとして始めた読書だが、中々どうして、この店にある本は興味深い。

 今、彼が読み終えた本は『死者解剖』というタイトル。著者は記載されておらず、匿名で自費出版されたものだと推測できる。その内容は――十数件の怪物として復活した死者を例に挙げ、その再生力がどれほどなのかを非人道的な人体実験を行い、記録したものだった。

 紙の劣化具合を確認する限り、最低でも出版されたのは半世紀前、下手をしたら数世紀前にまで遡る代物だろう。その年代に、ただでさえ数が希少な怪物のデータがなぜこれだけ残っているのか。


 一体、著者はどうやって彼らを捕らえられたのか。疑問は尽きることはないが、今はどうでもいい。とにかく、その本には貴重な同族モンスターの身体的特徴が記述されていた。今の自分にどれだけの力が眠っているのか。サンプルを知ることができる。スミスにとって、これ以上にない情報源になることは間違いない。


 『死者解剖』では写真や挿絵は使用されておらず、ただ淡々と、文章によって人体実験の結果が記述されている。その中でも、第三章にあった怪物の例が、スミスの目を引く内容だった。

 被験者は三十代後半の男性。スミスは過去に関する記憶をすべて失っていたため、自身の年齢すら不明だったが、三十代後半から四十代前半の中年だということは確かだ。つまり、この被験者とスミスは境遇が非常に近い。

 彼に施された人体実験は分解。要するに、どれだけ肉体を切り刻まれたら、生命活動を停止するのか、というものだ。そこには事細かに、怪物を細切れにする描写が記されていた。


 前提として、四肢の切断程度では怪物が死亡するということはないらしい。傷口は数十秒もあれば塞がり、大量出血で死に至るということもない。

 それどころか、切断面に再び四肢を合わせれば、自動的に傷が癒え、数分で神経が繋がり、正常な状態に戻るというのだ。トカゲも驚愕するほどの再生力だろう。

 そこで、著者は足の先から五センチ間隔でパーツを切り分け、どの段階で再生力が低下するのか、実験することにした。

 結果、被験者である怪物は……全長の約七割、一二五センチの段階で、再生が止まり、生命活動を停止し、医学的には死亡した。身長が一八〇センチだとすると、腸の上、肋骨辺りになるだろうか。


 この結果は驚異的としか言えない。たとえ、下半身を失ったとしても、怪物はまだ死なず、生命活動を維持できるというのだ。まさしく、怪物としか言いようがない。拳銃で数発撃った程度では掠り傷とそこまで変わらないだろう。

 しかし、いくら怪物と言っても、急所は人間と変わらないらしい。つまり、心臓と脳へのダメージはこの例ではない。他の被験者に対して、この二つの臓器をどれだけ刻めば死に至るのか実験したところ、両者ともに約四割程度の損傷で死亡してしまったそうだ。

 多少の個体差はあるだろうが、この結果から、怪物は胴体が三割、急所は六割程度が残っていれば、生命活動を維持することができるということになる。


「……馬鹿げているな」


 思わず、スミスは鼻で笑ってしまった。明らかに、人間という種の常識を超えている。しかも、怪物に備わっているのはそれだけではない。並々ならぬ身体能力。その件についても、記述が残されていた。

 拳を振るうだけで、人体を粉々に吹き飛ばした者。三階建ての家の高さを軽々と跳躍した者。牢屋の鉄格子を捻じ曲げ、脱獄した者。これも、常識外れとしか言いようがない。だが、間違いなく、スミスの中にも、この怪物の力は眠っている。


 ふと……僅かにだが、スミスは好奇心を覚えた。一体、自分の怪物としての能力はどれほどなのか、試してみたくなったのだ。

 しかし、どうすればいいのだろうか。物に当たるわけにもいかず、外で運動しようものなら、誰かに目撃される可能性がある。


「……はぁ」


 超人的な力を持っていても、それを誇示する場がなければ、ただの宝の持ち腐れ。軽く、スミスはため息を吐く。

 別に、彼には破壊衝動があるわけでも、人々に注目されたいという承認欲求があるわけでもない。まったく、これなら幽霊の方が幾分かマシというものだ。


 ――チリン


 その時、店の入り口から、来客者を知らせる鐘の音が鳴り響いた。

 とは言っても、このような僻地の古本屋にわざわざ足を運ぶ一般人なんてものはいない。十中八九、ドロティアの商売仲間ビジネスパートナーだろう。


 スミスは本棚の陰から、来訪者の姿を目で追う。


 そこまで興味があったというわけではない。ただ、あの時……ドロティアは少し、妙なことを言っていたのが気にかかっていた。

 それはスミスが死体袋を運んでくる者たちについて、尋ねた際の出来事だ。


『まあ一言で言うなら……アナタの同類、かしら。皆、一応はヒトの姿をしているけど、正体は人外の化け物よ』


 同族ではなく、同類。怪物ではなく、人外。この単語選択ワードチョイスが、スミスにとっては不自然に聴こえた。

 別に、特段気にする内容ではないと言われたらそうなのだが、見方を変えれば、こう捉えることも可能なのではないだろうか。 


 ――死者という存在以外にも、この業界には人間ではないモノがいる、と。


「…………ッ」


 その来訪者を視界に捉えたスミスは僅かに動揺した。これまで何人か彼女の商売仲間を見かけたことがあったが、現在、店に入ってきた者は異質としか言えない姿をしていた。


 それは確かに、少女の姿をしていた。

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