第6話 死体安置所
「……どういう、意味かしら」
「そのままの意味だ。まさか、俺が気付かないとでも思っていたのか。俺も死体だ。同族の臭いは嗅ぎ分けられる。ここに来る客は死体を捨てている。何か、間違っているか?」
本には目もくれない客。手元にある大きな荷物。謎の部屋。そして、退室の際に消えた荷物。これらの証拠から、スミスが導き出したのは――この店は死体を管理している、という推測だ。
怪物になった影響か、どうやら嗅覚も少し変化したらしい。あの来客が運んでくる荷物には独特の奇妙な香りが漂っていた。
それが、死体から発せられる死臭だと分かったのは三日前、自分の洗濯物を整理していた時のことだった。
自分の体臭と類似した匂い。そんなものは死体以外考えられない。
つまり、あの客は――何らかの形で殺人を犯し、この店に死体を遺棄している可能性が非常に高い。そして、間違いなく、ドロティアもその犯罪行為に一枚噛んでいる。スミスはこう結論付けた。
「つまり、スミスくんは……この店は死体を大量に管理してて、何らかの組織犯罪にかかわっている。こう言いたいのかしら」
「……あぁ」
スミスの心中を代弁するように、ドロティアは肘をつきながら彼に目線を合わせて、語り掛ける。その眼差しはどこか、獲物を品定めするような、蛇の瞳に近いものを感じさせた。
だが、スミスは臆せず、ドロティアを睨む。
「だいせいか~い。よく分かったわね」
手を掲げ、ドロティアは――笑顔で言い放った。
「……は?」
その予想だにしない反応に、スミスは思わず困惑の声を漏らす。
「ちょっと、スミスくんのことを甘く見てたわ。結構、頭が切れるじゃない。それに度胸もある。ついてきなさい。真相を教えてあげるわ」
そう言うと、ドロティアは立ち上がり、例の開かずの間へと歩を進めた。一手遅れて、スミスもその背中を追おうとしたが――ある可能性が思い浮かび、足が止まる。
「どうしたの? 来ないの?」
「…………」
「安心しなさいよ。真実を知ってしまった者には口封じ……なんて、古典的なことしないわ」
まるで、スミスの思考を言い当てるように、ドロティアはくすりと笑い、振り返る。
全てお見通し、ということだろう。観念するように、スミスはドロティアの背中を追い、開かずの間へと向かった。
*
「ここ階段になってるから、足元気を付けてね」
「……地下室か」
想定外の光景に、スミスは一驚する。開かずの間だと思っていた部屋は――地下室に繋がる階段への入口だった。まさか、こんな古本屋に、こんな空間があろうとは誰も思うまい。
こつん、こつんと、一歩ずつ階段を降りて、地下へと進む。十段ほど降りた辺りで、スミスはある異変に気が付いた。
死臭が、濃くなっている。
ぼんやりとだが、部屋の前には既に若干の死臭が漏れていた。だが、階段を一段ずつ降りていくたびに、更に臭いがはっきりと、濃度が上がっている。その事実が意味することは一つ。
死体の数は一体や二体ではない。
二十段ほど降りた辺りで、ようやく階段が終わった。目の前には重厚な金属の扉が立ち塞がっており、その様子はまるで門番である。既に、扉からは吐き気を催すほどの死臭が漂っていた。
ドロティアは金属扉に設置されている電子錠にパスコードを打ち込む。ピッと甲高い機械音が鳴り、鍵が外れるような音が響いた。
「入る前に一つ。ちょっとショッキングな光景かもしれないから、覚悟はしておいてね」
「……もう大体の想像はつく。さっさと開けろ」
そのおびただしい腐敗臭から、大方の内装は予想できる。そして、ドロティアはゆっくりと扉を開けた。
「……っ」
スミスは言葉を失う。目の前の広がっていたのは――まさに、阿鼻叫喚の地獄だった。
まず、視界に入ってきたのは巨大な水槽のような物体だ。中にはどう見ても人体に悪影響を及ぼす色と香りがする化学薬品と思わしき謎の液体がたっぷりと満たされており、鼻孔を刺激臭が突き抜ける。
次に、水槽の周囲にはいくつもの台が並んでおり、そこには損壊の激しい死体が寝転がっていた。手足が欠損している者、首が不自然な方向に折れ曲がっている者、この世の者とは思えぬ苦悶の表情を浮かべて絶命している者。万国死体博覧会と名付けるにふさわしい。常人ならば、卒倒してもおかしくないだろう。
スミスもある程度の想定はしていたが、それでも動揺を隠しきれなかった。呑気に本を整理していた裏で、こんな場所が地下に広がっていたとは……自分のあまりの間抜けさに、呆れてさえいたほどだ。
「……おい、これはどういうことだ。お前は、ここで一体何をしている。こんな場所が世間に漏れたら……逮捕どころの話じゃないぞ」
あまり動揺を悟れないように、なるべく平静を装い、スミスはドロティアに問い掛ける。
いくら何でも、これだけの死体の山は常軌を逸しているほかない。最悪最凶最高のサイコキラーとして、ドロティアの名は歴史に残るだろう。なぜ、彼女がこのような行為を平然と行えるのか、どうしてもスミスは理解できなかった。
「うーん。一から説明するのはちょっと面倒ねぇ。じゃあ、スミスくん、この顔に、見覚えはあるかしら」
そう言うと、ドロティアは一番手前にある死体を指差す。
「……そいつ、顔の下半分がないぞ」
スミスは苦い顔をしながら、返答する。
確かに、その死体は顎が引きちぎられたかのように変形しており、ムンクの叫びを彷彿とさせるおぞましい顔で死んでいた。これではたとえ生前の身内だったとしても、判別するのは不可能だろう。
「あら、本当? あー……じゃあ、こっちは?」
今度は比較的に原型を留めいている死体をドロティアは指差した。
「……記憶を失っている俺が、誰かの顔を覚えていると思うのか」
半ば呆れたような口調で、スミスは答える。
それも当然だ。現在の彼は記憶喪失の真っ最中。二週間以上前の出来事はきれいさっぱり抜け落ちている。そして、彼がその期間の最中に出会った人間はドロティアのみ。目の前の死体の顔など、知っているはずがなかった。
「へぇ、知らないんだ。スミスくん。もうちょっとニュースは見た方がいいわよ。ほら」
そう言うと、ドロティアは懐からスマートフォンを取り出し、何かを検索するように文字を打ち込み、スミスに差し出す。
その画面にはあるニュースサイトの記事が掲載されていた。どうやら、とあるインターネット配信者が動画サイトの生配信の最中に、散歩中の老人を射殺したらしい。現在も犯人は逃亡中であり、突然の出来事に、遺族は悲しみに暮れている……という痛ましい殺人事件だった。
「……ん?」
記事を最後までスクロールした時点で、スミスはある異変に気が付いた。
記事の最後には現在も逃亡中である犯人の顔写真が記載されていた。白人男性で、年齢は二十代前半。どこにでもいる普通の若者のように見えるが、どこかその面影は――見覚えがあった。
視線を画面から目の前にある死体へと移し、その顔をよく観察する。
「……おい、こいつは」
「そう。その事件の犯人よ」
やはり、そうだった。ニュースサイトの顔写真と目の前の死体は同一人物。つまり、彼女は――何らかの目的で犯罪者を殺害し、その死体を蒐集しているということになる。
いや、その目的も、おおよそではあるが、推測することができる。
「……これは、復讐か」
「おっ。だいせいか~い。さすがスミスくん。勘がいいわね」
スミスの直感は正しかった。
一人や二人ならともかく、これだけの組織的な大規模殺人は個人的感情が絡んでいるとは考えにくい。つまり、彼女は利益を得るために、殺人をビジネスとして利用し、殺し屋の元締めのような立場になっている可能性が非常に高い。
そして、そのような人間に依頼する立場の人間は――犯罪に巻き込まれた被害者の親族か友人、または恋人だろう。
「スミスくんの考えている通りよ。この古本屋はあくまで仮の姿。その正体は犯罪者を専門にした殺し屋稼業の本部ってわけ。あそこにいるのが婦女暴行の常習犯、こっちは麻薬の売人。で、そこの奥にいるのが出所したばかりの殺人犯だったかしら」
ドロティアは丁寧に、ひとりひとりの死体を解説する。その様子はまるで自らのコレクションを披露するコレクターのようであり、どこか自慢げにさえ思っている節がある。
「まるでクズの博覧会よね。標本にしたらお金取れると思うわ」
「……あの死体を運んでいたやつらは何者だ」
「あれ? そっちの方が気になる感じ? まあ一言で言うなら……アナタの同類、かしら。皆、一応はヒトの姿をしているけど、正体は人外の化け物よ」
「……やはり、か」
これで、合点がいった。通りで妙な気配がするわけだ。彼らもヒトではない何かだったというのなら、これだけの規模の大量殺人が世間に漏洩しないのも頷ける。
すべての謎が解け、スミスはどこか爽快感を覚えるような、すっきりとした気分になったが――それもすぐに、地下に蔓延する死臭によってかき消された。
「……はぁ」
そして、スミスは巨大な溜め息を吐いた。
「一体、なんなんだ。記憶喪失になったと思ったら、わけの分からない女に死んでいると告げられ、今度は居候先が殺し屋で大量の死体と同じ屋根の下で寝ていただと? そろそろ頭が
頭を抱えながら、スミスは呟く。本心から出た言葉だった。
ただでさえ、自分がまだ怪物だということに受け入れられていない状況。そこから更に、知り合った女が殺し屋という要素が加わると――とてもではないが、思考が追い付かないだろう。
「……その、水槽みたいなものはなんだ。まさか、死体を溶かす鍋とでも言うんじゃないだろうな」
ふと、スミスは目の前の問題から逃げるように、謎の水槽の用途を尋ねる。
「あら、ご名答」
ドロティアは傍にある死体から千切れかけていた指をもぎ取り、水槽に放り込んだ。
すると、フライドチキンを揚げるような音が鳴り、瞬く間に指は――この世界から消滅してしまった。
「これは私が調合した死体を溶かす特別な液体。細胞一つすら残すことなく、その人間がこの世にいた痕跡を抹消させる。死体さえ見つからなきゃ、殺人は実証できないって言うでしょ?」
「……はぁ。またもや的中か」
ぼそりと、スミスは呟く。彼もまた、ドロティアと同じ結論を辿っていた。
死体というのは証拠の塊だ。DNA情報、犯行時刻、殺害方法、怨恨による犯行なのか、抵抗はあったのか。それらすべての情報が詰まっている。一世紀前ならいざ知らず、現在の科学捜査は侮れない。
完全犯罪を目指すなら、死体の抹消は必要不可欠だろう。その証拠に、各国の犯罪者は焼却、溶解、水没、埋葬など、あらゆる手を使って、人間一人をこの世から抹消しようと努めてきた。
まったく、こんな女と同じ思考回路を持っていると思うと、スミスはため息を吐かずにはいられなかった。この光景も、ドロティアも、狂っているとしか言いようがない。
いくら相手が犯罪者とはいえ、その罪を裁く権利は彼女にはない。罪人には司法という人間の作り出した法典によって、しかるべき裁きを与えるというのが、紀元前から定められている掟だ。私刑を許してしまっては……社会は崩壊する。
彼女もまた、この死体と変わらない犯罪者だ。決して許されるべきではない。
「それで、スミスくんはどうするのかしら? 私は殺し屋。この店は死体安置所……警察にでも、通報する?」
「…………俺は」
そう、許されるべきではない。ないのだが――っ。
「好きにしろ。俺は……何もしない」
「……え?」
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