第5話 不気味な客

「……ここの棚は、この本か」


 あれから、二週間が過ぎた。相変わらず、スミスの記憶は戻ることはなく『ジョン・スミス』として、彼は第二の人生を歩むことにした。

 住居を提供する条件として、ドロティアが要求したのは彼女が経営するこの古本屋の整理と家事手伝い。居候の都合上、あまり文句は言えないため、スミスはドロティアにいいようにこき使われていた。


「……ふむ」


 しかし、スミス自身も、この生活に関しては案外悪くないと思っていた。その理由は……この古本屋に並んでいる商品にある。

 実はここに並んでいる本は市販で流れている物ではない。奥付を確認する限り、出版をしているのは企業ではなく個人、自費出版に近い形だろう。しかも、その全てが幽霊や呪い、怪現象といった胡散臭いオカルト関係のものだった。

 だが、くだらないと一蹴できる内容ではない。恐らく、ここに記されている内容は――実在する。その証拠に、ドロティアが語っていた死者の分類に関する記述が一言一句、その通りに記されていた。


 生前の彼ならば、とてもではないが信じていなかっただろう。しかし、自分がその生き証人、いや――死に証人となってしまったからにはそうは言っていられない。それにしても、調べれば調べるほど、死者というのは興味深い存在だとスミスは感じていた。

 主に、死者は二種類に分類される。それが、幽霊と怪物。ここまではドロティアが言っていた通りだ。だが、この両者の特性は正反対。便宜上は同じ死者という扱いだが、まったく別のモノと扱っていいだろう。


 所詮、肉体がある怪物の特性は人間の延長に過ぎない。尋常ではない怪力も、異常な回復力も、驚異的ではあるが、そこまでだ。魂を肉体に留めるためには睡眠と食事は欠かせず、戦闘能力も武装した人間の集団を正面から相手にするのは厳しいだろう。しかし、実体がない幽霊はこの限りではない。

 霊感と言われる力を持つ一部の人間には姿を捉えられるようだが、大多数の者には感知すらされず、おまけに食事や睡眠も必要ない。まさしく、干渉不可の無敵の存在だろう。幽霊に比べたら、怪物というのはなんと不便か。もし、どちらか選択できる自由があるなら、圧倒的に幽霊が多数派のはずだ。


「……他殺、または自殺か」


 ふと、スミスは手元の本にある怪物に関する説明の文章を読み上げた。これもドロティアが語っていた通り、確かに怪物になりやすい条件の一つとして、死亡時の状況が挙げられる。

 幽霊は主に病死や事故死といった意識外の突然死によって引き起こされるらしい。自分が死んだことに気付かず、魂だけがこの世に定着してしまった――と、解釈できるだろうか。それに対して、怪物は他殺や自殺といった死を意識している状態だと発生するのが多い傾向にあるという。

 これに関しては……未練や恨みといった感情による影響が大きいのだろうか。生前に残した強い感情が起因となり、死後も魂が肉体を離れず、そのまま生ける死者になってしまった。書籍によると、怪物は何かしら性格に問題があるらしい。それだけ、執念深い者が多いというわけだ。


「……他人事、ではないか」


 自嘲気味に、ふと乾いた笑みが漏れてしまった。そう、怪物であるスミス自身も、これらの条件に当て嵌まる可能性は非常に高い。

 実際、彼が目を覚ましたのは路地裏のゴミ捨て場。しかも、上着は何かしら外傷により、破れていた。これらの状況証拠から察するに、ほぼ確実に、スミスは何者かに殺されたのだ。

 一体、自分は誰から恨みを買っていたのか。それとも、通り魔にでも遭遇したのだろうか。疑問が尽きることはない。しかし――現時点では、スミスは自分を殺した犯人を捜し出そうなどという考えはなかった。


 物理的に犯人を特定するのが困難というのも理由の一つだが、もしも、何らかの私怨によって殺害されたのなら……それは仕方のないことだと、彼は割り切っていた。

 もしかしたら、記憶を失う前の自分は極悪人だったのかもしれない。ならば、死んで当然の人間。罰が当たったというやつだろう。何も情報がない以上、無条件に自分を殺した相手に憎悪を抱くことはできなかった。


 だからこそ、スミスの第一目標は生前の記憶を取り戻すことにある。過去を思い出さない限りは何も始まらない。犯人の捜索も、それからで遅くはないだろう。

 悠長な考えかもしれないが、少なくとも、彼はそう焦らずとも、近いうちに記憶に関する何かきっかけが訪れると考えていた。


 ――チリン。


 そんなことを考えていた時、店の扉にある鐘が鳴り響く。それは来客を知らせる合図だった。

 客へ挨拶をすることもなく、スミスは無言で本の整理を続ける。ドロティアからは特に接客時の対応は指示されていなかった。

 一応、レジの使い方だけは習ったが――二週間で本を買った客はゼロ。ほぼ店番をしているだけの状態と言っても差し支えないだろう。これでよく、経営ができているものだと感心するほどだ。


 ――いや、違う。この店の本業は別のものにあるのかもしれない。既に、スミスはその正体に心当たりがあった。

 いつも通り、来客は本には目もくれず、店の奥へと入っていった。その部屋は居候の身であるスミスですらも侵入を許可されていない。しかし、なぜかこの店の来客は必ず、あの部屋へと足を踏み入れる。と共に。


 そして、数分にも満たない滞在時間で、退室し、店を去る。その手元は――何もない。そう、来店時にあった荷物が綺麗さっぱり、消えているのだ。

 スミスの中で抱いていた疑念が確信に変わりつつある。

 しかし、果たしてドロティア本人にこのことを問いただすべきだろうか。今の自分の立場を考慮すると、見て見ぬふりをする方が賢明なのでないだろうか。


「……いや」


 すぐに、彼はその思考を訂正する。

 やはり、追及するべきだろう。事実を知ってしまった以上、傍観者ではいられない。スミスは――そんな星の下で生まれた


 *


「ただいまっと。ふぅ、疲れた」


 帰宅するなり、ドロティアは店内の椅子にもたれかかる。まだ営業中ではあるが、当然、客なんてものは見当たらない。


「今日は早かったな」

「まあねぇ。あ、もう店閉めていいわよ。どうせお客なんて来ないし」


 ドロティアはほぼ毎日、昼間は店を開けて外出9していた。一体、どこに放浪しているのか。その件も気にはなるが――プライベートにかかわるということで、詮索はしないことにした。


「もうご飯できてる? 先にいただこうかしら」

「あぁ、できている」


 スミスが居候を始めてから、基本的に食事に関しては彼が用意することになっていた。生前は自炊を中心に暮らしていたのか、一通りの料理のレシピはスミスの頭に残っており、特に苦はない。むしろ、いい気分転換だった。

 あらかじめ、用意しておいたシチューを温め直し、パンとサラダを添えてドロティアに差し出す。彼女はなぜか肉を嫌うので、すべてのメニューから肉を抜いていた。


「うーん」


 数回、シチューを口に運び、ドロティアは不満そうな溜め息を漏らした。


「なんだ」

「スミスくんさぁ。前から言おうと思ってたけど、料理下手よねぇ」

「…………」


 ドロティアの愚痴に、スミスは黙り込む。


「いや、別にそこまでまずいってわけじゃないのよ。でも、何か味付けが変なのよね」

「……どう変なんだ」

「くどいっていうか、しつこいっていうか。とにかく味が濃いのよね。最初の数回はこれはこれで悪くないって味なんだけど、食べ進むごとに食欲が失せるっていうか。これ、ちゃんと味見してる?」

「……しているが」

「じゃあ、味覚が変なのね。これからはもっと薄くしていいわよ」

「…………」


 ここまで真正面から味覚が狂っていると指摘されると、さすがに少し自信を失ってしまう。再びシチューにスプーンを運び、味を確認する。

 別に、なんてことはない、スミスにとっては普通のシチューだ。おかしいのは彼女の味覚ではないのだろうか。そう反論しようかと迷ったが――やめておくことにした。

 この家の主人はドロティアだ。彼女がそう言うなら、大人しく聞き入れるしかない。それが、居候という身分だということは彼もよく分かっていた。


「……では、俺からも一つだけ、質問がある」

「ん? 何かしら」

「ここはいつから、になったんだ?」


 そのスミスの言葉に、ぴくりと、ドロティアのスプーンを持つ手が止まった。

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