第2話 クソビッチ
少女を先に自宅に送り届けたあと、男はとある古本屋の前で車を停めた。
店は明らかに年季があるといった風貌であり、独特の存在感から、とても初見で入る客はいないだろう。
トランクに入っている死体袋を肩に担ぎ、店内に入る。僅かなカビの匂いが男の鼻孔を通り抜けた。一般人にとっては不快感を覚えるものだろうが、不思議と男はその香りが嫌いではなかった。
本棚を抜けると、レジには――視界に入れるだけで視力が低下しそうな、目に悪いローズピンク色の髪の女が優雅に椅子に座りながら、本を読んでいる姿があった。
露出度が高く、胸元を大胆にさらけ出しているその姿はとてもではないが、古臭い店にはふさわしくない。
「あら、スミスくんじゃない。もう終わったの?」
「……あぁ、確認してくれ」
スミスと呼ばれた男はテーブルの上に死体袋を置き、チャックを開ける。
「ふむふむ……全員、
死体を確認した女はレジから札束を出し、スミスに差し出す。
「で、どう? そろそろ、この仕事も慣れた?」
「……特に、不自由はしていないな」
「ミラムちゃんとの生活も大丈夫? 相手は
「……そちらも特に、問題はない」
スミスは金額を確認することもなく、胸ポケットへ乱暴に札束を押し込めながら、女の問いに答える。
店に長居をする様子はないようであり、女に向かって既に背を向けていた。
「じゃあ、記憶の方は?」
その問いに、僅かにスミスの動きがぴくりと止まる。
「……いや、まだ何も思い出せない」
「ふーん。絶賛、記憶喪失は継続中ってことねぇ」
退屈そうに、女は欠伸をしながら、頭を傾げてスミスを眺める。
「前例があるのか? 記憶を失って、蘇る死者など」
「まあ、珍しいことでもないけど、ここまで長期間も思い出せないのはちょっと変かもしれないわね。もう半年でしょ?」
「……あぁ」
彼が思い出せる最古の記憶は――半年前で止まっていた。
「……ただ、ひとつ。この生活を続けて、分かったことがある」
「ん? 何が?」
「俺は……前にも、今と似たような仕事をしていた気がする」
「……へぇ?」
女は興味深そうに、スミスの顔を覗いた。
「まあ、あり得ない話じゃないかもしれないわねぇ。やけに手際がいいし、人を殺しているのに、気を病んでいる様子もない。この手の仕事は先天的な素質がないとできないわ。そうなると、生前にも同じようなマフィアのヒットマンをやっていても、おかしくはないわね」
人殺しの素質――それは後天的に身に着くものではない。いくら訓練を重ねても、素質がない者は必ず心身ともに限界が来る。しかし、スミスはそのような様子は見られない。つまり彼は――何らかの事情で、人の死に慣れている可能性があった。
「まっ、また何か思い出したら相談に来なさいな。お金次第では色々情報を探してあげてもいいわよ?」
「……検討しておこう。では、これで失礼する」
「あ、ちょい待ち」
スミスの上着の袖が、女に掴まれる。
「ねぇ。スミスくん。今……時間ある?」
「……ピザを買う予定がある」
「少し、遊んでいかない? 最近、溜まってるのよねぇ」
女は人差し指で胸元を広げ、スミスに向かって自らの豊満な肉体を見せつけた。
数秒、その胸を睨んだあと――スミスはくるりと背を向ける。
「俺は死人だ。死体と寝る趣味があるなら、墓場にでも行け」
そして、振り返ることもなく、店を後にしてしまった。
「……もう。お堅いんだから」
*
「帰ったぞ」
「遅いんじゃハゲェ‼‼‼」
帰宅したスミスを待ち受けていたのは――吸血鬼少女ミラムによる怒号だった。
「いつまで待たせてんだ! こちとらお腹ぺこぺこだぞ!」
ミラムは壁時計を指差す。時刻は午後十一時を指していた。
「……店が混んでいたんだ。ほら、注文の品だ」
スミスはピザが入った袋を手渡す。
そこにはミラムの大好物である二十四時間営業の大手ピザチェーン店『ピザーニバル』の看板メニュー『ポーク&ビーフ&チキンピザ チーズガーリック120%増量』が収められていた。
「ん~! やっと食える! これからダッシュで帰って来いよな!」
スミスから袋を奪うなり、ミラムはリビングへ移動し、さっそく包みを開けてピザを頬張り始めた。
その姿をスミスは冷ややかな目で眺めながら、冷蔵庫に入っているミルクを取り出し、コップに注ぐ。
「はぁ~! やっぱりピザはうまい! 最高の食べ物だな! 二十代後半の健康的な女の血くらいうまい!」
「……少し前に、あれだけ血をたらふく飲んだのに、よく胃に入るな」
「ばーか。食べ物と血は吸収器官が違うっての。正確に言えばあれは飲んでるんじゃなくて、取り込んでるんだから。つーか、お前も人のこと言えんだろ。四人も食って、よく動けるな」
「……まあ、確かに」
スミスは自身の腹へと視線を移す。
彼が一時間前にその口で食した人肉の量は軽く数十キロはある。常人では考えられない食事量であるということは間違いない。しかし、運動能力に特に支障はなく、体型の変化も見られない。一体――彼が食べた肉はどこに消えたのだろうか。
「……これも〝
「んで、今日の報酬はどんだけあったの」
「あぁ、これだ」
スミスは胸ポケットに収納していた札束を取り出し、ミラムに手渡す。
「ひーふぅーみぃー……っと」
ピザを片手で持ちながら、もう片方の腕でテーブルに札束を広げ、ミラムは今回の報酬分の金額を数える。
「はぁっ⁉ こんだけぇ⁉」
「……少ないのか」
「四人殺して、たったの二千ドルってなんだよ! どう考えても少なすぎ! ドロティアの野郎、どんだけピンハネしてんだよ!」
「……二千、か」
確かに、いくら楽な仕事だったとはいえ、一人頭五百ドルというのは些か少ない。実行役という以上、こちらはある程度のリスクを抱えている。万が一にも、反撃を喰らうという可能性はないだろうが――それにしても、これでは雑用のパシリだろう。
そうなると、あの仲介役の古本屋の女、ドロティアが報酬を中抜きしているということになるが――あり得ない話でもない、というのがスミスの見解だった。
「ったく、あのクソビッチめ。今度会ったらただじゃおかないからな」
「……あまり、そういう汚い言葉を使うな」
「はぁ? どう見てもビッチじゃん。なんだ、あの恰好。まだ散歩中の犬の方がまともな服着てるわ。歩くポルノじゃん」
「……まあ、そうだな」
それについては――否定はしない。
「というか、お前、今日はやけに帰りが遅かったな……っ⁉ まさか、あの女と⁉」
「お前がピザを頼むからだろうが」
あらぬ疑惑に対して、即座にスミスは否定をする。
「いいか! あんまりあいつとベタベタするなよな! ドロティアは人間のくせに私たちとかかわってるヤバいやつなんだから!」
「……それは心得ているつもりだ」
わざわざ警告を受けなくとも、毒の有無くらいは判別できる。
ドロティアに借りはあるが、彼の本能も、あの女に何らかの警鐘を鳴らしていた。ビジネスパートナー以上の関係になることはまずないだろう。
「あの女の話はやめだ。飯がマズくなる。あとハゲ。お前もそろそろ風呂入って来い。臭うぞ」
「……そうか? 夕方に入ったばかりだが」
スミスは自らの襟元を広げ、体臭を確認する。
「自分で嗅いでも分かんないでしょ。いいから、早く行ってこい。ピザが腐る」
「……あぁ」
「そうそう、そういえば、お前がちんたらピザ買ってる間に『Gary Collection』見たわ」
「……あのDVDか」
スナッフフィルム――実際には彼も視聴したことはないが、そのような映像の中身というのは容易に想像がつく。
悪趣味な連中の性的欲求を満たすために、善良な人々の命が散らされる光景。まさしく、人間の底なしの悪意を具象化したものだろう。そんなものが存在し、好んで見る人間がいるというだけで、スミスは吐き気を感じていた。
「……それで、どうだったんだ」
「あんなグロ動画に大金出すやつの気が知れないわ。何も面白くなかったな」
「……そうか」
スミスは心の奥底で安堵した。少なくとも、ミラムは今晩始末したやつらと同類ではない。
いや、種族的に言えば、人間ですらないのだが――それは自分も同じ。だが、たとえ人間ではなくとも、越えてはならない境界というのがある。それを越えてしまったら――この世に存在する価値はないというのが、彼の持論だった。
「早く、風呂入って。くさい。ハゲが
「……あぁ」
渋々と、スミスはバスルームに移動する。体感ではまだそこまでの臭いではないと思うが――同居人の意見には従うべきだろう。
服を洗濯機に放り込み、一糸纏わぬ姿になり、シャワーのハンドルを捻る。
「…………不便だな」
熱湯を浴びながら、スミスは呟く。死体として蘇ってから半年、一日に三度はシャワーを浴びないと、異臭が漂う身体になってしまった。肉体そのものが腐っているのか、新陳代謝の関係か、どちらにしても、不便極まりない。
一時期、体臭をごまかすために香水を使用したこともあったが――ミラムに散々茶化され、やめてしまった。
「……ん?」
身体を洗っている最中に、スミスはある異変に気がついた。
腹筋、腸の付近に――何か、しこりのようなものができているのだ。大きさはコイン程度。だが、自然に体内で生成されたものにしてはやけに硬い。
少し、考えたのちに――スミスはそれを摘出することにした。おおよその位置を指で探り、場所の目星をつけ、力を込めて肉を抉る。
「…………ッ」
ぐちゅり、と生々しい音が響く。痛みはほとんどないが、自分の腹を弄るという行為は気分がいいものではない。しこりらしきものを掴み、体外へと引きずり出す。
やはり、何らかの金属らしい。明らかに強度が鉄製のそれだ。血をシャワーで洗い流し、正体を確認する。
「……これは、弾か?」
体内に埋まっていたのは――弾丸だった。恐らく、分類は九ミリパラべラム弾。しかし、なぜこんなものがるのか。
今まで何度か実銃で撃たれたことはあったが、その際に貫通せずに残ってしまったのだろうか。それにしても、今の今まで、よく気づかなかったものだ。一体、どれほどの期間、この弾丸と共に生活していたのだろうか。
「……どうでもいいか」
考えるだけ時間の無駄。弾丸をボディソープの横に置き、すぐにスミスはシャワーを続行する。
先程、抉った腹の傷口は既に塞がりかけている。こういう時には便利な肉体だ。大抵の傷は数分も経てば、完治してしまう。
そういえば、この再生力を初めて目の当たりした日も、腹に弾丸を撃ち込まれていた。あれは半年前――彼が死体として目覚めた日の出来事だった。
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