第19話
「階段がある」
長らく歩いてきて、はじめての異変だった。寧琅の声に弥生が灯火器を壁際に向けた。そこには上へと続く階段があったが、同時に寧琅より向こうにまだ道が続いているのも見えた。
「この地下経路は書庫以外の部屋にも繋がっているのでしょうか?」
「そうだったら、村長は教えてくれると思いますが……」
「この階段か向こうの道のどちらかは偽装だろうな。まぁ、のぼってたしかめるしかない。お前らはここで待っててもいいが」
「いけます!」
告と弥生が揃って声を上げれば、寧琅はふっと笑った。
「王宮下に入っている可能性があるんだから、声はひそめろ」
長い階段を並んで登っていく。祖の塚の石碑から降りてきたときも、先まで道を歩いていたときもそうだったが、どれだけ進んでも先には闇広がっていて、一体どこまで続いているのだろうと思う。それでも、慣れてきたのかはたまた会話をしていたおかげか、心細さはもう感じなかった。
「あたりみたいだな」
先頭歩いていた寧琅が立ち止まっり、弥生を振り返ってちょいと手招いた。灯火器をそばに寄せてもらった寧琅がなにかを操作すると、重たい音がした。
そうしてまた寧琅が歩き出したのに続くと、薄暗く広々とした部屋に出た。
四方の壁に大きな棚が設置されている。その中には所狭しと本が詰められていてる様は壮観だ。
王宮の書庫とはこう言うものなのだろうか。霜天からたまに借りて読むくらいには本が好きだったから、つい感動して辺りを見回してしまう。
「設えからして、ちゃんと王宮内の書庫っぽいな。さて、ここからどうやって王様に謁見するか——」
寧琅が小声で言うと同時、がちゃりと音がした。暗かった部屋に光が差し込む。
声をあげそうになるのは堪えたが、しかし、階段へと繋がる戸は塞いでいて、書庫には窓などはなく、壁際に本棚中央に長椅子と机がある見通しのいい作りになっている。とっさに逃げ出したり隠れられそうな場所を見つけられない。
次第に広がっていく光に、心臓がぎゅっと絞られるのを感じながら、弥生の前に立つ。
「誰かいるの」
部屋に入ってきた人物の背丈は低かった。王宮で暮らしている子どもだろうか。侵入者だと間もなく声をあげられるかもしれない、と注意深く見つめていた告が目を見開くと同時、男の子も大きな黒い瞳を丸くした。
「告さん?」
「蓮樹様ですか……⁉︎ どうしてここに」
「どうしてって」
蓮樹が何かを答えようとしたとき、その後ろに大きな影が立った。
「王子、こんなところで立ち止まってどうなさったのですか」
「王子?」
「あ、えっと——」
きょろきょろとする蓮樹から顔を上げたその女性は、書庫内にある告たちを認めるなり、眦を決した。
「侵入者です! 兵士を呼んできてください!」
途端に賑やかな声や足音があちこちに響き渡り、従者と思しき人たちが集まり、間もなくして武器を手に持った兵士も書庫へと駆けつけてきた。
「お前たち、どこから侵入した!」
「どこからの刺客だ!」
剣を構えた男たちが怒号をあげる。逃げ場のない告たちは壁際の方へじりじりと追い詰められる。
「どうしましょう」
「なんでしょこなんかと毛色を結んでいるのかと思っていたが、万一ここから誰かが侵入してきた場合にこうして八方塞がりにするためだったのかもな」
「なるほど……って感心している場合ですか!」
「今一番感心していたのはお前だろ」
「ま、待って!」
従者たちによって保護されていた蓮樹が身を捩らせながら、書庫ないに戻ってきて、兵士たちの前に立つ。
「王子、お下がりください!」
「この人たちは、悪い人じゃないよ!」
「この者たちになにをいわれたのですか……いいえ、何を言われていたとしても、侵入者が唆し以外口にするわけがありません——ん?」
あらためて告たちに向き直った男は眉を顰めた。
「お前ら、どこかで見たと思ったら……神楽鈴を探していたやつらだな⁉︎」
どうやらあのときの騒動にいた兵の一人らしい。
「性懲りもなく泥棒に来たのか、面妖な奇術師どもめ! 王子にまで手を出しよって! 覚悟!」
男が告に向かって剣を振り上げる。
「駄目!」
その間に蓮樹が入ろうとしてきた。
心臓が弾けるようだった。その感覚に押されるように、なにを思うよりも先に体が動き、蓮樹に覆い被さった。
そして訪れる衝撃に構えた。だがいつまで立っても、痛みや熱は走らない。かわりに、かん、と甲高い音がした。顔を上げれば、すぐ近くまで来ていた兵士の剣に木の葉が衝突していた。
普通の木の葉であれば両断されるところだろうが、それは寧琅が村会議の場で自身の髪を切るのに使っていたもののようだった。あのときも気にはなっていたが、寧琅が髪を切った衝撃がそれに勝っていた。
そういう道具をもともと持っていたのか、それとも木の葉に術をかけたのかはわからないが、硬く鋭利な木の葉は剣と衝突し火花を散らすと美しい弧を描きながら、寧琅の手元に戻っていく。
「本気で略奪する気ならとっくにしている。俺たちは、話し合うためにきた」
「兇徒とする話し合いなどない!」
「不躾な訪問、失礼致します!」
弥生が大きな声をあげ、拱手する。蓮樹、兵士、廊下から様子を伺ってくるものたちの視線が、息に彼女に集まる。
「このような形の訪問となってしまったこと、謹んで謝罪申し上げます。どうしても王様にご相談したいことがあり謁見したかったのですが、立場上、私たちは正面から訪問することが叶わない状態でした。彼らは謂れのない容疑をかけら得れたためです。私は……芙佳の民だからです」
「芙佳の民だと⁉︎」
「ただでさえ穢れた村民が、盗賊と手を組むなんて! 恥知らずにもほどがあるわ!」
「これ以上我が国にどんな災いをもたらしたいと言うんだ」
「なにもいわずに殺すのよ!」
「待て、殺したらこいつからまた胞子が出るんだろ⁉︎」
その声に王宮内の人々が心なしが引いた気がする。だがすぐに、蓮樹が告の胸の中にいることに気づいた兵士が顔を強張らせ再び剣を構えた。
「貴様、王子を離せ!」
「離せもなにも、こいつはお前の剣からガキを守ったんだろうが。二つもついているのその目は節穴なのか? 目が悪いやつに兵は向いていない、とっととやめちまえ」
キレッキレの悪態に、男は顔を真っ赤にして、再び剣を振り上げる。
「き、貴様……‼︎ 王子はお前らの奇術で操られているんだろ!」
「そんなことされてないよ!」
身を捩らせた蓮樹が告の胸から出て、告を庇うように立つ。王子を切るわけにいかない男は男は、ぐ、と柄握る手を堪えさせた。
「王子、そこをどいてください」
「この人たちは、僕の友達なの。友達のこと、いじめないで」
「このような者たちが貴方様の友達なわけがないでしょう!」
「こいつの友達はこいつが決めるもんだろうが」
ふいに寧琅が告に近づいたかと思うと、腕を掴んで立たせて自身の背後に放るように下げた。それから寧琅は蓮樹と視線を合わせるように膝を折った。
「お前、この国の王子なのか」
「うん」
「じゃあ、あのときのお前の兄貴が王様か。会わせてもらうことは、できるか」
「うん! 兄上様も、告さんと寧琅さんにまた会ってみたいって、言ってた!」
「そりゃよかった。呼んできてもらえるか」
こくりと頷いた蓮樹が寧琅のそばを離れて、すぐだった。銀の刃が閃くのを見た。
「寧琅様!」
男が剣を振りかぶる。寧琅は片手でそれを掴みとめた。
手のひらで、刃を掴み止めた。当然の如く、銀の刃には、寧琅の白い手には、赤い液体が滲み溢れ、雫となって落ちていく。
告は呆然とする。駆け出そうとしていた蓮樹も立ち止まり、芽を丸くしていた。
刃を掴まれた男は、その表情に明らかに警戒を浮かべた。寧琅に刃を取られたから、反撃されると思ったのかもしれない。だが、寧琅はすぐに刃を離した。
「さっきも言った通り、話し合いに来た。お前たちを害す気はない」
「っ、そんな言い分が罷り通るわけ——」
「朝っぱらから一体なんの騒ぎだ」
新しい声の登場に顔を上げれば、廊下の人だかりが左右に割れていく。そこに現れたのは、艶やかな赤毛を束ねた男だった。男は氷雪を彷彿とする冷淡な表情をしている。
「兄上様!」
嬉々とした声で呼ぶ蓮樹に芽を向けた男は、ついで、告たちを捉え、葉っぱ色の瞳をきょとんと丸くした。
「あなた方は」
そのわずかに気の抜けた姿に、ようやく彼が街中で出会った蓮樹の兄であることに気づく。
表情も声音もあのときと比べると、ずいぶん厳かになっていた。格好もまるで違っていた。頭や耳には煌びやかで華やかな飾りをつけ、纏う衣装は上質な布に丁寧な蔦模様が金糸で施されている。やんごとなき身分であることが一目で分かる。
怒涛の展開に告は頭がすっかり追いついていなかったが——周囲の態度やこれまでのやりとりからして、街で白い外套を着て隠密に行動していたこの二人が、実はこの国の王と王子だったのか。
「どうしてこんなところいにいらっしゃるのですか」
「兄上様に会いに来たんだって」
「私に?」
蓮樹の兄はわずかに怪訝に眉を顰め、それから、弥生に視線を結んだ。
「その首飾りは……芙佳の村長は代替わりなされたのですか」
「今回の話し合いのために、引き継ぎました」
「話し合い?」
「茗蓉国と和平のための取引がしたいのです」
「どの立場でものを言ってんだ!」
「お前らのせいで、多くの民が苦しんでいるのよ!」
「その件も含めて、取引させていただきたいのです」
緊張に上擦った声で、しかし、弥生はしっかりと告げた。
蓮樹の兄は葉っぱ色の瞳を細める。それから、また、告と寧琅にも視線を向けた。
「
「必要ない」
「へ」
兵士が間抜けた声をあげる。ほかの臣下も、驚いた様子で蓮樹の兄——蓮生王を見た。
「こちらの男性二人に、私と蓮樹は以前世話になっている。そしてそちらの女性の言う取引にも関心はある。私が直に話を聞こう」
「で、ですが」
「相手が知人というだけで、私が国への利害勘定を鈍らせ悪意を寛容すると。お前はそう思っているのか」
蓮生王にすっと冷えた瞳を向けられた男は、肩を跳ね上げさせた。
「め、滅相もございません!」
「知人といえど、この国に有害と判断すれば相応の処分を下す。判決まで、お前らは元の仕事に戻れ」
臣下たちは一才の躊躇なくしっかりと返事をし、蜘蛛の子を散らすように去っていく。書庫には告、寧琅、弥生、蓮樹、蓮生王だけが残った。
「街でのことには恩義を感じております。あのときに、私はあなた方が善人であるとも思いました。ですが、先に臣下に告げた言葉にも偽りはございません」
そう告げる蓮生王の表情、声は、やわらかなものになっていた。それでいて、先に臣下に向けていたかそれ以上の威圧がそこにはあった。
蓮生王は瞳を細めて微笑む。
「どうか、私が一度でもあなた方を信じたことを、後悔させないでください」
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