第18話

 左の壁に手を這わせてたどりながらいけば、道中に明らかな窪みが出てくる。そこに芙佳長の証である飾りを嵌めれば、壁の石の一部が動き、そこの青銅の灯火器がある——村長にそう聞いていた通りに弥生は壁に手を這わせて歩き、青い点に見えるほど入り口が遠くなったところで窪みを見つけた。

 弥生が村長の証を嵌めてれば、鈍い音が響き、四角くくり抜かれた石壁が浮き上がり、横にずれた。

 ぽっかりと空いた空洞に弥生が手を伸ばし、何度か空振りながらも青銅の灯火器を取り出す。そこに、村長から預かった火打ち金と火打ち石で寧琅が火をつければ、ふんわりとあたたかなあかりが灯った。

 先頭に立つ寧琅に灯とを灯してもらいながら、先を進んでいく。階段を下り終える頃には、青い点すら見えないほどに外の気配は無くなっていた。階段よりも幅が細い、人一人が通るのがやっとの細い道を、縦に並んで歩く。

 四方が石壁に囲まれていることもあり、三人の足音がやけに響いた。天井が寧琅には少し低いらしく、わずかに腰を屈めている。

 歩いても歩いても景色は変わることない。獣も障害も現れないが、山も谷もなくどれだけ進んだのか、どれだけ時間が経過したのかがちっとも分からないのが少し心細くなる。

「……茗蓉の王族は、一体どういう方々なんでしょうか」

 尋ねてみると、弥生がわずかにこちらを向いて答えてくれた。

「私も謁見したことはありませんが、数年前に王が急逝し、代替りがあったと聞いています。王様の実子である兄弟がそれぞれ第一、第二王子だったのですが、第一王子そのまま王になったと聞いています」

「若年王って言ってたな」

「ええ、たしか、王様は即位されたときは十七、八ぐらいでしたね」

「王宮内外で舐められていたりしてな」

 ふんと寧琅が鼻を鳴らす。告はきょとんとした。

「そんな、王様が舐められるなんてこと、あるんですか」

「わりとある話だぜ。若い王に失敗をさせて芽を摘もうとする輩もいれば、摂政……幼い王が即位したときにまだそいつに判断力がないと見なされた場合、身内が国事を代行するっつう手法がある。それを利用して権利を横取りし欲望のままに暴威を振るう輩は歴史上に何人もいる」

 告は村の中でしか暮らしたことがないから王様というものにあったことは当然なかった。王様はその国で最も偉い人、というぼんやりとした想像しかなく、だがそれ故に、その国で最も偉い人が舐められているという状況が考えられなかった。

「まぁ、何歳を成人とみなすか、年功を重んじるかは国によって様々

 だし、個人や親世代の人望とかも絡んでくるが」

「茗蓉は二十歳を成人としています。人望は、すみません。特に耳にしたことはないです」

「微妙な線だな。まぁ、なんにせよ、俺たちの立場は侵入者だ。若年王だろうが、人間性がどうだろうが、用心する他ない」

「……若くして長になる、というのはどういう気分なんでしょう」

 ぽつりと弥生が言った。

「正直、まだ現実味がわかないんです。私はまだまだ若輩で、私より頭がよくしっかり大人も、力がありたくましい大人も、たくさんいます。自分が村長になる未来なんて、考えたこともありませんでした」

「頭も力もあるに越したことはないが、それを基準に後継を選択したわけじゃねぇだろ、あれは。それに、若くして長になったときの気持ちなんて、それこそ環境や個人による。先とは逆で幼い王を全力で支えようとする国もあれば、若くても上に立つ能力に長けた王もいる——俺が、かつて最も親しくしていた国主も、二十あまりの歳だったな」

 国主。その言葉に、告の脳裏には寧琅が鳴李に語っていた過去の話を思い出す。指先がちりちりと痺れる感触が蘇る。

「あれは民と上手くやっていた類だ。あれは国も民もを愛していたし、民もまたあれを慕っていた。あの国は常に共通の意思を持っていた」

「立派な方だったんですね」

「その国民からしてみれば、そうだっただろうな。だが、その国は滅んだ」

 告は妙にもどかしい落ち着かない気持ちでその会話に耳を傾けていた。細い道に縦に三人並んでいる状況で、最後尾の告には先頭に立つ寧琅の顔を見ることはできない。寧琅が今、どういう表情を浮かべて、傷をなぞっているのか分からない。唯一分かる声だけは平生通りに聞こえた。

「この世は往々にして不平等で理不尽なものだ。よいことをした先によい未来があるとは限らない。やさしさや努力が報われないことなんて五万とある。ならせめてと後悔のない道を選んだところで、本当に一切後悔しない保証はない」

「なんだか……希望がないですね」

「この世には自分と異なるものしか存在しない。意識、思想、価値観は摩擦を生み、争いや痛みを呼ぶものだ。それでも、そんな中で、自分だけの希望の光を見つけ求め続けられる人間は強い。なにがあっても、曲がらず屈せず信念を持ち貫ける人間は強い。前に進むことをやめない人間は、強い。その強さはときに異なるものを巻き込み、魅了する」

 かすかに寧琅が笑ったような気配がした。

「お前も、村のあり方に対する主張を曲げなかったんだろ」

「でも、声に出して意見し続けることはできませんでした」

「それでも、お前は思考も心も凍結させなかった。村のあり方に疑問を抱き続け、危機感を抱き続け、声なき声はあげ続けていたんだろ。年齢やらなんやらはさておき、そういう立ち止まらない強さがあの村の先頭には必要だと、あの村長は判断した」

「……」

「と、俺は思うが。実際の推薦理由が気になるなら、帰った後にあの村長に聞くことだな」

 最後にはそっけない言葉でしめるがに、なんだか寧琅らしいなと感じた。告の気持ちも少し落ち着いてきたころ、弥生がわずかにこちらに振り返った。

「寧琅様は、なんだか神様みたいなお方ですね」

「えっ」

 言葉に詰まったのは他でもない、その方が紛れもなく神様であることを告は知っていたから。

「どこか俯瞰的で、言葉にはとても説得力があって……もしかして、お二方は僧だったりしますか。修行のために旅をなさっている、とか」

「僧ではありませんが……」

 告は少し思案して、けれど自分にとって間違いのないことを言いたいと思った。

「僕にとって寧琅様は、神様です」

 ほんわりとしたあかりに照らされた弥生がわずかに目を見開いた。

「いいですね、それ」

 弥生が、そっと微笑む。

「神様ってとても遠い存在だと思っていました。けれど、もしかしたら、自分にとってはただの隣人も、誰かにとっては神様なのかもしれませんね」

 絶望の淵に立っていたとき、一人の神様が告に希望を与えてくれた。その神様の正体が分からない代わりに、告はすべての神様に感謝を抱いていたし、もちろん魂を失いたくなかったのもあったが神様という存在に報いたい気持ちから臨時神森を躊躇なく引き受けた。

 そして寧琅のことも、神様のひとりとして見ていた。

 寧琅は実際、神様のひとりだ。でも、例えばもし、寧琅が神様に戻らなくても、告にとって寧琅は神様であり続けるだろうと思う。

 叶うならば、ずっとそばにいたい、力になりたい、大切な存在。

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