第17話

 寧琅に手を引かれるようにしてひらけた丘を進むと、中央に聳える大樹を囲うようにして、一面に色とりどりの花が咲く壮観な景色に辿り着いた。

 絵物語で見たような賑やかで鮮やかな花畑のようでありながら、花畑には普通はなさそうな石碑が所々に立っていた。基本的には告の腰ほどまでの高さの縦長の直方体をしていたが、大樹の真下のものだけは平たい壇上に長方体が乗っており、それは他の石碑より一、二まわり大きかった。

 それぞれの石碑のふもとに、鈴のような形をした真紅の実を連ね垂らす植物が生えていた。

 花を踏んでしまわないように気をつけて石碑に近づき、しゃがみこんだ寧琅が実に指をそっと添える。目を瞑って黙り込んだ寧琅は、植物の声を聞いているのだろう。しばらく待っていると、寧琅はゆっくりと瞼を持ち上げた。

「あいつらの調べは当たっていたみたいだな。この実は芙佳の胞子に効く」

「本当ですか! じゃあ、これがあれば、茗蓉との取引ができるかも——」

 しかし、立ちはだかる壁はいくつもあることに気づく。

「……その前に、村の方々とまた話し合わないと駄目ですよね。それから、茗蓉の方々ともどうにか話し合いをする場を設けないと」

 あの村会議の様子や未助の話からするに、村の人たちは頑なに、茗蓉とのいざこざは茗蓉に圧倒的非があると思い込もうとし敵視している。

 そこに、芙佳の祖の賜物である実は花化症に効くだの、それをもとに茗蓉と取引をしてみないかだのと持ちかけたところで、受け入れてもらえるだろうか。そもそも禁足の地に踏み入ったことを咎められ一悶着起きてしまいそうな気もする。

 希薄だった希望がどんどんと膨らんでいる。告たちとしても芙佳としても、将来のために茗蓉と繋がりを持つことは不可欠だ。それを得られる大事な鍵となるだろう実がいまここにある。

 どうにか村人たちといい話し合いをしなくては——。

「ここが祖の塚? すごい、綺麗」

 後ろから聞こえた声に、寧琅と揃って振り向く。そこには森を下ったはずの未助だけでなく、弥生、そして村長の姿があった。

「告さんたち、あの狼やっつけんだな! すごい!」

「え、いや、やっつけたというか……それよりも、どうして、ここに皆様が」

 はしゃぐ未助に困惑して問えば、彼はとんと自身の胸を叩いて高らかに宣った。

「俺、やっぱり、このままじゃ駄目だって思ったんだ。俺たちの村のことをお前らに丸投げするなんておかしいと思った。だから、この場所を知っているふたりを叩き起こして連れてきた!」

 弥生はどこか緊張した面持ちを浮かべていたが、村長の方は相変わらず悠々と白い髭を撫でている。

「これほど早々に忠告が破られるとは思いませんでしたよ」

「あいにく時間がない身なんでな。だが、それはお前らも一緒だろ」

「……」

「富国に見放されてもなお立派に同胞主義を貫いているようだが、その結果はどうだ。あの干からびた村が長続きするとは、到底思えない」

 村長の髭を撫でる手が止まる。と、それまで黙っていた弥生が口を開いた。

「……かつて、私は村長に一度、訴えました。茗蓉と話し合い、和平を結ぶべきだと。村長は私におっしゃいました。私が茗蓉に肩入れするのは、そこに懸想相手がいるからだと。たしかに私は茗蓉に愛する人がいます。ですが、この村のことも心から愛しています。ヤオのことも、本当の家族のように思っています」

 胸の前できゅっと拳をにぎった弥生が体ごと村長の方を向く。

「それでも、だからこそ。あの出来事においてヤオにも非があったことを想像し、受け入れるべきではありませんか。私たちはヤオのことをよく知っていました。伝令できてくださった茗蓉の方々は誠実そうに見えました。同胞を大切に思う気持ちで、真実から、未来から、目を背けてよいとは思いません……!」

 村会議で告たちを庇ってくれたときのように、弥生の声は、眼差しはとても凛々しくまっすぐだった。

「村長も本当は、分かっていらっしゃるのではありませんか。だから、この方々を村に置くことを許してくれたのではないのですか。

 先にも、未助の呼びかけに応じてくださったのではありませんか」

 弥生が言葉を重ねていくごとに、村長は細い瞳をさらに細め、顔に皺を走らせた。

「村長も、停滞したこの村を動かしてくれる新しい風を、強い風を、待っていたのではありませんか」

「村長、俺、今しかないと思う。今、この人たちが差し伸べてくれている手に乗らなかったら、村はもうずっと、苦しいままになると思う」

 小さい体をいっぱいに動かして、未助も村長に訴えかける。その姿を捉えた村長は白い眉を下げると、石碑のふもとになる実に視線を落とした。

「同胞の土に咲く真紅の実、それだけが毒花の刃に錆を入れる——村書庫にある禁書の一節だ。一時期掻っ払われていたようだが」

 ちらりと村長に視線を向けられた弥生と未助が少し気まずそうに視線を泳がせる。

「私もそれを使っての取引を考えなかったわけではない。だが、もう何年も前からここいらは獰猛の獣が根を張り、近づくことすらままならない状態となっていた。交渉の種を手に入れるのにどれだけの犠牲が伴うか。それで本当に交渉が成立するか……私の生い先は長くない。希薄な可能性に無闇に手を出し、祖の頃から築き掲げてきた同胞主義に亀裂を入れるだけ入れて去るなど、そんな無責任を働くわけにはいかなかった」

 寧琅がいてくれたおかげで、狼に襲われず狼の主でありこの地を支配していた鳴李に謁見できたが、もし告一人だったら、あっという間に噛まれていたことだろう。

 それに——告は前世の自分を思い出していた。村の中で存在しないように扱われていた告は、しかし外の世界に出ることもまたできなかった。

 告が希薄でも可能性があるのならば手を伸ばそうと思えるようになったのは、一度死を経験してから。かつての告は、今いる場所も辛いけれど未知の道に進むことも怖くて動くことができなかった。ちっとも勇気を奮えなかった。

 生きてきた年月も立場もまるで違うこの村長も、似たような思いを抱えていたのかもしれない。

「だが、長の立場でありながら、この村の将来から目を背けてきたのも事実だ……不思議で逞しい旅の御仁。あなた方との出会いは、私たちが賭けるべき最初で最後のめぐりあわせなのかもしれない」

 村長は小さく息を吐き出すと、告の寧琅を仰いだ。

「お二方は、この実をどう扱う気ですかの」

「茗蓉王との取引に使う」

「茗蓉王と?」

「俺たちの探し物は王宮にある。お前らも国が相手に話し合わないと意味がないだろ」

「ふむ……それは確かにその通りですが。呪いを齎した民族が我々が王に謁見を申し込む、どころか、入国自体難しいでしょうな」

「実は僕たちも茗蓉には近づけない状態でして」

 おずと手をあげれば、芙佳の三人がきょとんと首を傾げる。訳をよく知っている寧琅は呆れたように肩を竦めた。

「俺たちが探しているのが茗蓉の国宝のひとつなんだが、それをこの馬鹿がうっかり大声で口にして目をつけられた」

「すみません……」

「なんで国宝なんて欲しがってるの?」

「茗蓉の国宝のひとつが、寧琅様がかつて所持していた、とても大切なものなんです」

「茗蓉のやつらが、かみさ……こいつから盗んだってこと?」

 未助を一瞥した寧琅が、溜め息を吐く。

「俺が自分で捨てた。だが、必要になったから取り戻さなくちゃいけない」

 しばらく白い顎髭を撫でつけていた村長が少し躊躇いがちに、口を開いた。

「……邪の道であれば、国王に会う方法はあります」

 村長は杖をつきながら、ゆったりとした足取りで村長は大樹の下の石碑に近づいた。

「これを横に押していただいてもよろしいですかの。なかなか重たいですが、お二方ほどの力があればどうにかなるでしょう」

 村長に視線を向けられた告と寧琅は顔を見合わせながらも、石碑の側面に並び立った。

 息を合わせて石碑をを横に押すと、石碑は重たい音を立てて壇の上をずれていく。するとそこに、ぽっかりと正方形の穴が出現した。穴の中には、地中へと続く階段があった。穴の中は暗く、階段も数段先からは闇に呑まれて視認することができない。

「な、なにこれ!」

 未助が仰天する。告と弥生も声こそは上げなかったものの、驚きに目を見開いた。

「はるか昔、茗蓉で戦があった頃、茗蓉と芙佳には強い協力関係がありました。その頃の名残、王宮からの脱出経路です」

「ここを通れば王宮に侵入できると?」

 腕を組んだ寧琅が穴の中を見下ろす。村長がこくりと頷く。

「王宮内の書庫につながっているようです。この経路を知っているのは、代々の芙佳の村長と国王のみ。今の若年王にも伝わっていたとしたら、絶交を機に塞がれているかもしれません」

「それでも、正面突破ができないのなら、ここを通る他ないってことですよね」

「……旅のお方なら、そうおっしゃると思いました」

 細い瞳が告の方に向く。

「ここから茗蓉王宮までとなると、そう近くはありません。ご両人はこのまま向かわれるおつもりで?」

「この道を使わせていただいてもよろしいのであれば、ぜひ」

「この中は真っ暗ですが、灯火の類はお持ちで?」

 告はぱちりと瞬いた。

「ここで火を起こしてから降りるとか……」

「途中で消えたらまさにお先真っ暗だ」

「ですよね……」

「火打金、火打石、それからある程度の火口が必要だろうな」

「火打金と火打石ならば、ここにございますよ」

 にやりと微笑んだ村長が懐を探り、黒い石と布に包まれたのこぎりの刃が出てくる。

「ずいぶと準備がいいな」

「年の瀬の大掃除で偶然にも、若き日の思い出を見つけていたんですよ。こういうこともあろうかと持ってきました」

「それで、ただで譲ってくれるのか」

「この階段を下ったところに灯火器もございますが、少し手順が必要となります。それを把握しているのは私だけでしょうね」

「連れて行けと?」

「彼女を、連れて行って欲しいのです」

 唐突に村長に水を向けられた弥生は、ぽかんと瞬いた。

「私、ですか?」

「先にも言ったが、私は生い先が長くない。直にこの村を導く後継を見繕わなくてはならない……そして今、村の安寧だけでなく、村の将来をきちんと案じることができているのはお前だろう」

「そ、そんな、私は」

「懸想相手がいるからではない、村の未来のために茗蓉との在り方を訴えてきたお前は、嘘だったのか」

 ぱっと目を見開いた弥生は、ちっとも惑いを見せることなく、まっすぐに村長を見つめた。

「嘘じゃないです」

 その回答に村長はやわらかく瞳を細め、空を仰いだ。

「外からの風はいずれは吹き抜ける。未来を築くためには、内からも新たな風を起こし、自分たちで考え、自分たちで歩めるようにならなくてはいけない。それは簡単なことではないが、信念と真心を持つお前ならばきっと大丈夫だろうと感じた」

 やわらかく吹いた夜風に揺れた髪をおさえるように、村長に倣うように、弥生も空を仰ぐ。先よりもいっそう白んだ空は夜明けがそう遠くないことを知らせているようだった。

「私も動けなくなるまでは、しっかりとお前を支えるつもりだ。引き受けてくれるか」

 村長から向けられた視線に、弥生は少しだけ緊張した面持ちで、けれどしっかりとした仕草で拱手した。

「謹んで、お引き受けいたします」

 信念と真心を持ち、凛とした彼女は、少しだけ、寧琅にいているような気がした。

 弥生の返答に満足げに微笑んだ村長は、首にかけていた木の飾り、弥生に託す。

「お前に外交を任せるからには、村民には私からきちんと話納得させる。これは芙佳長の証——芙佳の総意を示すものだ。それはこの階下にある灯火器を取り出すための鍵でもある。持っていきなさい」

 恭しく受け取った弥生は、早速それを首から掛ける。それから、寧琅を仰いだ。

「私も、同行させていただいてよろしいでしょうか」

「構わないが、無事に帰れる保証はしてやれねぇぞ」

「大丈夫です。覚悟しています」

 ちっとも臆せずそう言う弥生に、「なら好きにしろ」といら得た寧琅の口端はわずかに上がっているように見えた。

「姉ちゃんがいくなら、俺も行く!」

「お前は村に帰れ」

「なんで⁉︎」

 すげなく寧琅に断られた未助はぴんと眉を跳ねさせた。

「お前ら姉弟両方を連れて行くより、片方村に返した方が、怪しくないだろ」

「怪しくない?」

「察するに、芙佳はことあるごとに会議を開いて物事を決めていた村だろ。それを突然、村長の一存で行動したとなれば当然不安が生じる。例にない出来事に加え一家が丸ごと姿を消したとなったら、厄介ごとが起こりかねない。ただでさえ茗蓉に対して侵入での交渉を目論んでいるところで、暴動なんか起こされたらそれこそ道はなくなる」

 ぱち、ぱちと瞬きながら話を聞いていた未助の頭を、寧琅がぐしゃりと混ぜる。

「だから、お前はこいつの唯一無二の家族として、姉が自分の意思で交渉の場に行ったことを村のやつらに話せ。多少の抑止力にはなるだろ。あとはお前は幼いわりに無駄に口が回るからな。それで会議をかき回してこい」

 未助はむっと唇を突き出して、目を眇めた。けれど、反駁を口にすることはなかった。

「……それが今の俺が一番すべきこと?」

「そうだ。やれるか、クソガキ」

「クソガキじゃない! か……お前!」

「こら、未助。お前呼ばわりはやめなさい」

「だ、だって」

 弥生に窘められた未助は不服そうに頬を膨らませる。本当は〝神様もどき〟と呼びたいのだろうが、村長と弥生もいる手前、堪えているだろう。それでも寧琅と呼ぶことを選ばないのは、寧琅の方もまた頑なに〝ガキ〟と呼んでくることへの対抗なのかも知れない。その意地がなんだか微笑ましく感じられた。

「未助様。弥生様は僕たちがお守りします。だから、村の方のことは、お願いしてもよろしいでしょうか」

 膝を折り、未助の両手を握る。未助は、う、と瞳を細めて少し、「分かった」とこくりと頷いた。

「このガキ、お前にだけは甘いな」

 寧琅は呆れたように肩を竦めた。

 夜明けが迫っていることもあり、村長と未助には早速村へ向かってもらった。

 残った三人は、寧琅を先頭に、弥生、告の順に並んで四角い穴の中、階段を降りていった。

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