第16話
「——これが、有ヶ薙の乱の顛末だ」
話し終えた寧琅の顔は、ひどく青白かった。ただでさえここの雰囲気が合わないらしい上に、寧琅はまだ塞がっていない傷をえぐらされたのだ。
寧琅の過去は、ずっと気になっていたが、寧琅が語りたくないのならば聞こうと思っていなかった。
だから、寝所で大まかに語ってくれたときは驚いたし、喜びもあった。心を開いてくれたと思った。大まかな内容を知ったことで、細かな部分が気になる気持ちが生まれなかったわけではない。だが、それでもなお、告は、寧琅が語らないのならば聞く気はなかった。こんな形で聞きたくなかった。語らせたくなかった。
「想像からはみ出ない、それなりの話じゃの」
指でくるりと髪を巻きながら、鳴李が言った。
「稚拙な神が人間の機微に気付けず踊らされていた。まぁ、神楽鈴を得て成神した貴様がその道を辿ったのなら、そこそこ愉快ではあるか」
燃えるような怒りがまた告の中に噴き上がる。と、再び口が寧琅の手のひらに塞がれた。告は一瞬息を呑んだ——が、今度は告は寧琅の手に噛みついた。
目を見開いた寧琅が告の口から咄嗟に手を離した瞬間を逃さず、叫んだ。
「そんな言い方、しないでください。寧琅様に、ひどいことをしないでください」
鳴李がこてんと首を傾ける。豪奢な髪飾りがしゃらりと音を立てる。
「この短期間で、貴様には従うようには躾けていたのか?」
「もともとこういうやつだ」
「ならば、なかなか面白いのを手に入れたのう。見目も悪くないし、やはり——」
「約束は果たした」
鋭い声で寧琅が言い放つと、再び、寧琅と鳴李の足元に光の輪が生まれる。寧琅側に浮かんでいた文字のような模様が半分ほど消える。
「術も、申し分ないと判断している。次は其方の番だ」
「結んでしまったものは仕方がない」
鳴李はわざとらしく肩を竦めため息を吐き、ぱちんと指を鳴らした。
紫に揺れていた空がだんだんと濃紺に戻っていく。丘には変わらず短い草や白詰草が生えていた。鳴李のそばにはもう狼の姿はなかった。
「貴様らは揃いも揃って妾を怖ぁい顔で睨むが、もう少し幸運に感謝した方がいい。もし、ここを支配していたのがもし他の神だったら……たとえば、卦蘭だったら、こうはいくまい」
忌々しげに舌を打つ寧琅に、鳴李は満足げに笑う。それから、ぱしと扇子を畳み懐にしまうと、鳴李は片手をあげた。鳴李の足元に竜巻のような風が起こり、その体がふわりと浮かび上がる。
「約束反故の戒めを食らう前に、お暇するかのう。貴様らがもし試練を越えてまた会うことがあれば、今度は神楽舞でも見せてもらいたいところじゃ」
高い声で呵呵と笑いながら、鳴李は空高く浮かび上がり、風に運ばれるようにどこかへと去っていった。
空はすっかり濃紺を取り戻していた。一瞬の静寂ののち、強い夜風が草を薙ぐように吹いた。
と、視界が突然、がくんと低くなった。寧琅がしゃがみこんだのだ。
「寧琅様」
つい声をあげそうになるが、先にたまに響くと言われたのをすんでで思い出し、どうにか堪える。だが、その代わりのように告の眦から、ずっと我慢していた涙がぽろぽろと溢れた。
寧琅は俯きがちで呼吸も乱れている。青白くなった肌には汗がじっとりと滲んでいる。
明らかに憔悴している寧琅に負担をかけたくなかった。この情けない泣き顔も晒してしまいたくなかった。
鳴李は最初、実の対価として告を要していた。だが、寧琅はそれを庇ってくれて、結果、まだ塞がっていない深い傷を抉ることになった。
守ってもらったくせに泣くなんて、駄目だと思った。告が泣けば、このやさしい神様は慰めてくれてしまうと思った。寧琅の方がよっぽど辛いだろうに。
だから、告は彼の腕から降りて距離を取ろうとした。
しかし、寧琅はそれを許さなかった。
離れようとする告を、ぎゅうっと抱きしめた。
「少し、疲れた。しばらくこうさせろ」
「へ」
「嫌なのか」
むっすりとした声が耳元で囁かれる。嫌なわけではないが、疲れたからと告を抱きしめてなにになるのだろうか。告が知らないだけで、神守の肉体には多少神様を癒す効果でもあるのだろうか。
「嫌じゃ、ないです」
考えてみてもちっともぴんとこなかった。ただ、この状態だと泣き顔を見られてしまうこともないし、寧琅に求められて嫌なことなどひとつもないと思った。ぎゅうっと抱きしめながらも、寧琅は告の左の二の腕には触れないように気をつけてくれているのを感じた。
告も寧琅の背に手を回し、大きな体を抱きしめ返す。
やさしい神様。
まっすぐで、やさしすぎるから、とても傷ついてしまったのであろう神様。それなのに、まだ、告に、人間に、思いを分けてくれる神様。
思えば思うほど涙が溢れてきて、寧琅の衣を濡らしてしまう。ついに鼻水まで出てきてしまえば看過してもらえず、寧琅は「人の衣をちりかみにするな」とくすくす笑った。だが寧琅は告を抱きしめたまま離さなかった。
夜風が吹いて、葉が揺れて、その間に微かに絹が衣が擦れ合う音だけがする、静かな時間が過ぎていく。空がわずかに白みだす。
「村のやつらが起きる前に、帰らねぇとな」
そう言って寧琅が告を解放した頃には、告の涙も落ち着いた。
久々に対峙した寧琅の顔は、先よりかは色を取り戻しているようだったが、それでも憔悴は引き切っていない。
「……あの、寧琅様」
「なんだ」
「接吻のひとつでもしたら、元気、でますか」
現界に降りたばかりの頃、寧琅が告に言った冗談のひとつだった。
告は特別な術も使えなければ口も達者じゃない。寧琅を元気づける術をろくに持っていないけれど、それでもどうにか、少しくらいは元気を出してもらいたくて、そう言ってみた。
寧琅はきょとんと目を丸くした。いつもは毅然としている彼のそんな表情が珍しかった。
やがて、寧琅は深々とため息を吐いた。それに告は間違ってしまったのかと思ったが、寧琅は続いて小さく鼻を鳴らした。
「お前は本当に馬鹿」
寧琅はくしゃりと告の頭を混ぜる。
「告」
久々に呼ばれた名前に告の心臓がつい高く鳴る。
「なんでしょうか」
寧琅は何か言いたげに唇を震わせた。だが、少しして彼は首を浅く横に振ると、腰を上げる。それから、告の手を掴んで、引き立たせた。
「さっさと試練こなすぞ」
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