第13話

 未助に導かれ、東の森に踏み入る。生い茂る草木は萎びているが、それでも告よりもずっと高い背丈を持っていた。村中にいたときよりも月星の光が淡く感じられた。

 細い獣道を、未助は慣れた足取りで進んでいく。寧琅は危うげなくそれについて行っていたが、告は凹凸のある地面に何度も足を取られそうになった。挙句「こっちの方が早い」と寧琅に抱え上げられた。申し訳ないと抵抗したところで降ろしてもらえなかった。

「お前から花のにおいがするのは、神様もどきだからなのか」

 顔だけをこちらに振り向かせながら、未助は器用に獣道を行く。

「その妙ちくりんな呼び方やめろ」

「本当に花化症じゃないのか」

「俺から花のにおいがするのは、花に愛されてるからだ」

 しれっと宣う寧琅に、未助が半目になる。

「たしかに、神様もどきは気持ち悪いくらい美人だけれど。自分でそういうこと、言う?」

「芙佳の民の方々は、花化症ではなく、先天的な体質で花が生えているんですよね」

「うん」

 と応えた未助が、ぐ、と自身の衣装の袖を捲った。肩のあたりまで捲られると、細く白い二の腕に、青紫色の小ぶりで瑞々しい花が身を寄せ合うように咲いていた。

「森で逃げたこいつを探すために植物の声を聞いたとき、やけにこいつを庇おうとする声があった」

「なるほど、それであのとき未助様の居場所がすぐに分かったのですね」

「声?」と首を傾げながらも、未助は腕に生えた花をいくつかぷちっと抜いて懐にしまう。

「数時間放っておくとすぐには新しい花が咲くから、間引くのが面倒なんだよね。隣家のじいちゃんとか、村長とかの歳になると、一週間に二、三個しか花が咲かないみたいだけど」

「年代ごとに差があるんですね」

「俺たちの花は髪の毛とか爪みたいなものだ。花化症の花は腫瘍や膿みみたいなものなんだって。それでにおいも、俺たちの花よりずっ濃い」

 ふと、茗蓉の茶屋のそばで出会った女性のことを思い出す。

 彼女自身は元気そうだったが、花のにおいがした。祠に熱心に何事かを祈っていたから、家族が花化症を患ってしまっているのかもしれない。

「告さんも、神様なの?」

「僕は神様じゃないですよ。元々は未助様と同じく人間でした」

「今は違うの?」

「亡者、ですね」

「もうじゃ」

「もうすでに死んでいる、感じです」

「へ」

 未助はぽかんと目を丸くする。

 天界の面々は告が亡者であることを当然のように認識していた。だがここは現界。よくよく考えればともすれば神様よりも、一度死んだ人間が生きた人間の世界を彷徨いている方がずっと信じ難いものではないだろうか——と、告は話してから思った。

「人は死んだら、神様のお守りをするものなの?」

「え、いや、そうとは限らないと思います」

「こいつの場合は特殊事例だ」

「つうか、なんでもかんでも馬鹿正直に話すやつがあるか」と寧琅は肩を竦めた。

「まぁ、お前、嘘吐けなさそうだけど」

「それは、俺も思う」

 つい、さっき出会ったばかりの未助までも、ちょっぴり申し訳なさそうにしながらもそれに賛同した。

「死んだ後は、人はどうなるの?」

 未助からの問いかけに、ちらりと寧琅を見れば、好きにしろ言わんばかりに瞳を閉じられる。告は顎に手を当てて、死後に歩んだ道を脳裏でなぞった。

「まず、裁判にかけられます」

「裁判?」

「その結果次第で、天地のどちらに送られるかが決まるんです。悪いことをしていなければ天、悪いことをしていたら地、という感じでしょうか」

「……じゃあ、きっと、告さんはヤオ兄に会ってないね」

 未助はそっと眉を下げて微笑んだ。

「だって、告さんは、天に行ったでしょ」

「え」

「いい人だから」

「馬鹿がつくほどのお人よしなだけだ、これは」

「悪い人が神様もどきに連れ添ったりしなさそうだし」

「神様もどきって呼ぶくらいなら、名前で呼べ」

 いい人かは分からないが、たしかに告は天に行った。けれど。

「あの、ヤオ兄、様というのは」

「茗蓉のやつに殺された、俺たちの同胞」

 未助は正面に顔を戻す。

 告と寧琅も、変わらず、その後に続いていく。

 深掘りしてしまっていいのか、躊躇はあった。その人の名前を呼ぶ未助の声から、とても親しい間柄にあったように感じた。だが、茗蓉と芙佳の間にある因縁に触れるためにはきっと、知らなくてはいけないことだとも思った。

「その方は……天に行けないようなことをしてしまったのでしょうか」

 夜風による切ない葉擦れの音が降る。しばし黙り込んでいた未助が、正面を向いたまま言う。

「知りたい?」

「……もし、よければ」

「じゃあ、代わりに、教えてよ。告さんは、どうして天に行ったの——どうして、死んだの」

 その問いかける声は、少しだけ、冷たかった。

 ひとつ息を吸って、告は答えた。

「僕は、住んでいた村が旱魃……水不足で悩まされていたんです。だから、村の人たちは、神様に雨をこいねがうことにしました。その供物に選ばれたんです」

 前を行っていた、未助の足が止まった。彼の案内がなければ、告と寧琅も進めず、揃って足を止める。

「それって、神様に捧げるために村の人たちに殺されたってこと?」

「そうなります」

「同じ村に住んでいる、同胞だったのに?」

 こちらを振り向いた未助の顔には、困惑がいっぱいに浮かんでいた。

「僕は、村で唯一の孤独の身でしたから。それに、みんなからしてみたら、同胞と呼べない存在になってしまったんだと思います」

「どうして」

「僕の家族が、村の人たちにひどいことをしてしまったんです」

 未助の表情が一気に複雑になる。心当たりが、少し、あるように見えた。

 村社会は余所者に厳しいがそれはあくまで、未知の存在に対する警戒だ。彼らがなによりも厳しく見るのは禁忌を犯した身内、裏切り者だ。

「だから、仕方のないことなんです」

「仕方のないことではないと思うけどな」

 間もなく、寧琅が口を開く。

「それが村社会の性質だとしても。お前が蔑ろにされてもいい、仕方のない理由になんてならない」

 いつも通りの調子で、けれどほんの少し不機嫌な声で、寧琅は言う。

 告は少しの間、ぽかんとした。やがて、胸にじんわりと、なにかが満ち広がっていくのを感じた。

 感謝の言葉が脳裏に浮かんだが、しかし、喉元には出てこない。それは告の中にある思いを正しく伝えられる言葉ではない気がした。このあたたかくて切ない思いを表現する術が見つからなくて、もどかしかった。

「雨は」

 ぽつりと零した未助は、躊躇いがちに続けた。

「告さんの村に、雨は降ったの」

 ぽつりと、未助が尋ねてくる。

「降らなかったみたいですよ」

「告さんが犠牲になったのに……」

「どれだけ祀られても人間に手を貸すことに興味を持たない神もいれば、どれだけ人間思いで慈悲深くてもすべてを救えない神もいる」

 先にも語っていたことを寧琅が繰り返す。

「それに、人間を供物に捧げられて喜ぶ神なんて、滅多にいねぇ。その人間との間に特別な関係があれば、また別かもしれないがな」

「特別な関係?」

 首を傾げる告に、寧琅が答える。

「懸想しているとか」

 きょと、と告は瞬いた。

「へ……神様が、人間にですか」

「ない話じゃない。神隠しとか、聞いたことないのか」

「神隠し」

「……ああ、お前の村は元々信心が薄かったんだっけか」

「神様が気に入った子どもを隠すっていうやつだろ」

 ひょこっと未助が手を挙げる。

「へぇ、よく知ってんなガキ。そういえば、お前はやけに神ってものに関心を持っていそうだったな。ここいらに社や祠はないのに」

「別に興味ない! ……けど、茗蓉とまだ縁があった頃は、節目に茗蓉の神殿に参っていた。神様の話も、まなび処で聞かされてて……小さいときにはよく注意されてた」

「今も小せぇだろ」

「うっさい!」

 むきっと怒りながらも、未助は続けた。

「元気に遊びまわるのはいいことだけれど、くれぐれもひとりで神殿にだけは行っては駄目だって。神様はとってもやさしい存在だけれど、三歳までは神の子だから。気に入られてしまったら、間違って連れて帰られてしまうかもって……まぁ、実際には」

 すんと半目になった未助が寧琅を仰ぐ。

「神様はやさしくもなければ、子どもを馬鹿にするやつだったけど」

「誰のおかげで今も生きているかその胸に手を当ててよく考えてみろ、クソガキ」

(どうしてこの二人はすぐに言い合いになるんだろう……)

 そういえば、愁眠と霜天も顔を合わせればよく言い合っていた。言い合い、というよりかは、霜天に揶揄された愁眠が腹を立てて唸っている、という感じだったが。それを菁を「喧嘩するほど仲がいいというやつですよ」と言っていた——。

「お前今変なことを考えただろ」

「へ」

 なぜか寧琅の鋭い眼差しがぎんとこちらに向く。懐かしみはしていたものの、変なことは考えていなかった……いなかったと思うけれど。

「か、神隠しの話、でしたよね!」

 なんだか寧琅の顔が怖いので話の軌道を戻す。

「本当に下手くそ」

 呆れ切った表情でぼやいた寧琅は肩を竦める。

「神隠しについてはだいたいこいつの言ったとおりだ。実際は別に子どもじゃなくても気に入れば隠すときは隠すが、言い伝えは土地により、隠す相手は神による」

「え、じゃあ、あの神殿は近づかない方がいいってこと?」

「あれは、特定の人間に懸想するようなやつじゃねぇよ」

「知り合いなんですか?」

 思えば寧琅は前にもあの神殿で祀られている運気の神を〝あれ〟と称していた。もしかして、知己の仲なのだろうかと思って尋ねたのだが——寧琅は露骨な渋面を浮かべだ。

「……まぁ、そんな感じで、神が人間に懸想するってのはなくはない話だ」

 あ、話を戻された。寧琅も誤魔化すのがうまくはないと思う。

「お前のところは〝自主的な発想〟だったみたいだが、叶えたい願いがあるときに神への供物として生き物を捧げる、っつうのも一昔前に流行していた。それが生まれたのも、神の懸想絡みの逸話がきっかけだ。人間に恋をしたどこぞの神が村の苦難を救う代償にそいつを寄越せと夢枕に出たっつうな。天界も認知している、本当にあった出来事だ」

 神様と人間の恋愛。ちっとも想像がつかない——が、よくよく考えれば、恋愛というもの自体に縁がなかった。

 生きていた頃は他人とろくに関わらず、天界でも惚れた腫れたなんて当然なく、気にしたこともなかった。霜天から借りる本の物語にたまにそういった要素が少しあったから、そういう感情があることをぼんやり知っている程度だ。

「人間からしてみれば生贄の要求にしか聞こえないし、実際それで村は苦難を逃れた。成功談の口承で広まり、因習が生まれたってわけだ。人間は伝承好きだし、大都市から隔絶された村里ほどそれが上書きされづらい。世の中には心底信じている人間もいるんだろうが、〝人間にとって最も尊い人間の命までも捧げたのだからこの先の不運はすべて天のせい〟っつう大義名分を得て楽になりたいだけのやつが大抵だが」

 身も蓋もないことを言う……とは、思うけれど。

 告は、神様に思いを馳せる喜びを知っていた。神様に救われた命を無駄にしないために誰かの心を癒して死ねた方が素敵だと思ったし、供物を捧げて神様に祈ったという事実が彼らの心を少しでも楽にするのではないかと思った。だから、告は供物になることを受け入れた。

 結局その後雨が降らなかったあの村はどうなったのだろう、とふと思う。

 告以外にはちゃんと家族がいた。もし第二の供物が生まれていたとしたら、とても悲惨なことになっているかもしれない、けれど。

 未助は告のことを、いい人、と言ってくれた。だが、告の中に今、あの村が少しでも平和であれと膝をついて祈りを捧げる気持ちは起きなかった。

「……ごめんなさい。悲しいこと、聞いちゃって」

 ふいに、俯いた未助が、しょんもりと言った。

「ぜんぜん、大丈夫ですよ」

 本当にいい人なのは、未助の方だと思った。お人よしでもあるかもしれない・出会ったばかりの、彼の同胞からはあまりよく思われていない旅人に、ここまで心を寄せて、謝ってまでくれてしまうのだから。

「……告さんは、どうして、神様もどきと一緒にいるの? それが、告さんのお仕事? だとしても、嫌じゃないの。死ぬ前に、神様に助けてもらえなかったのに。死んでも、神様はなにもくれなかったのに」

「僕は、神様に感謝しています」

「感謝……?」

「助けてもらったことがあるんです」

「供物になって、死んじゃったのに?」

「それよりもっと前に、死んじゃいそうというか……消えてしまいたいって思ったことがあったんです。そんなときに、とある神様が僕の前に現れてくれて、願い事を叶えてくれたんです。だからもし、神様が困っていたら、僕も力になりたいと思ってるんです」

「困っているようには見えないけど」

 胡乱げな眼差しが寧琅に向く。寧琅はそれをちっとも意に介さず、くぁ、とあくびを零した。

 たしかに寧琅は困っているようには見えない。けれど、彼はたしかに、傷ついている。当初は試練を放棄しようとしていたし、先にも神様に戻りたいとは思っていないと言っていた。

 それでも、出会ったときと比べると寧琅はだいぶ明るく前向きになった。寧琅の告に対する関心がその一因であるらしいことを思い出すたびに、頬が緩みそうになる。

「困っていなくても力になりたいなと思っています」

「お節介野郎」

 呆れ顔で容赦なく突っ込むこの神様は今もなお、告をしっかりと抱えてくれている。

「告さんは神様になにを願ったの」

「お花の雨が見たいって願ったんです」

「お花の雨」

 復唱したのは、寧琅だった。

「僕が住んでいた村に、昔、一本だけ桜の花があったんですよ。春時期になると咲くそれが、強い風に吹かれて花を散らすところで、後手も綺麗だったんです。お花の雨みたいで」

 物心ついたばかりの頃に一度見たきり。それ以降は木が元気をなくし花をつけなくなってしまったから、見ることは叶わなくなった。けれど、いつまでも鮮烈に告の中に焼き付いていた光景だった。

「……」

 寧琅は瞳を伏せて少し思案顔になった——植物を司る神様としては、花びらが散るさまは美しいと言われるのは、いい気がしないもものだっただろうか。

「助けてって、言わなかったの。辛かったのに」

「言おうと思わなかったわけじゃないんですけど」

 痛い思いを口に出すと、もっと痛くなりそうで、怖かった。けれど、そこにあった感情は、それだけじゃなかった。

「見栄、みたいなのもあったんだと思います。その神様は顔を隠されていたのですが、それでも、とても美しくて……この美しい方を、困らせたりするのは、嫌だなって思ったんです」

 自分を認識してくれた、やさしくて特別なその存在に、少しでも笑ってほしかった。一緒に楽しんでほしかった。

「人生で一番綺麗だと思ったものを一緒に見たいと思ったんです。そうしたら、神様は色とりどりの花を降らしてくれて」

 答えながら、ちらりと寧琅を見れば、彼の顔にいっそう暗い影が差しているように見えた。

「あの、花の命が潰えていくのを楽しんでいた訳じゃなくて。純粋なこども心だったといいますか」

「何の弁明だ」

「寧琅様が難しい顔をされているので……その、嫌な気分にさせてしまったかと」

「別にお前が手を加えて手折ったわけじゃないだろ。それに、散る花を美しいと思う情緒は、別におかしなものでもない」

 じゃあなんでそんな顔をしているのか。

 告が再び尋ねるより先に、寧琅は告を一瞥して、顔を逸らした。

「別に、少し考えごとをしていただけだ。それより、ガキ」

「ガキじゃない!」

「こいつはこいつの死んだ理由を答えた。次はお前の方の話をしろ。お前んとこの同胞はなにをした。お前……お前たちは、俺たちに何を望んでいる」

 ぴしりと未助の表情が強張る。やがて眉根を悲しげに寄せた未助は俯くと、くるりと背を向けた。

「おい」

「ちゃんと話す、けど。もうすぐで着くから」

 そして未助はまた獣道を歩き出した。

「先に、案内する」

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