第12話
弥生たちの家をこっそりと抜け出し、東方の閭門に向かった。
濃紺に染まった空には、ほっそりとした三日月が浮かび、星が点々と瞬いていた。その下にある地がどれだけ寂しく苦しくても、星はどこまでも無関心に魅力的な光を放つ。
丑一つの頃、明かりがついている家はなく、家畜の鳴き声もしない。音を潜めながら告と寧琅は道をゆき、閭門を抜けてたところで、寧琅は足を止めて静かな声で言った。
「村長の他にもうひとり、妙なやつがいた」
「弥生さんですか」
思い当たった名を口にすると、寧琅はちらりと告を見て「ああ」と頷いた。
告と寧琅が糾弾されていたとき、弥生だけがやけに熱心に庇ってくれていた。そのときは、大切な弟を救ってもらった恩義からかとも思った。だが、その後、帰宅してからの夕食の席で、彼女は少し挙動不審だった。告と目が合うと、何か言いたそうに唇を震わせて、しかしすぐに視線を逸らした。自然を装っていたが、その様子はどうしても引っ掛かっていた。
「弥生様は、なんというか……僕たちのことをどう思っているのでしょうか」
「俺はあの目を知っている。あれは、俺たちになにかを期待している目だ」
期待。寧琅が語ってくれた過去の傷の一部である、感情。
だが、弥生に限らずこの村の人々は寧琅が神であることを知らないようだった。
寧琅は未助にはすでに、神としての力をはっきりと披露していたが——未助は魔女だと思い込んでいるようだったが——村を散策している最中も村会議の場でも、寧琅だけを特別おそれたりはせず、あくまで告と同等に警戒している様子に思た。
とすれば、告と寧琅はただの旅人に過ぎないのだが、そんな存在に一体なにを期待するというのだろうか——。
「ここでなにをしている」
飛び込んできた声に、告の肩は思いきり跳ねあがる。音を潜めてここまできたと言うのに、誰かに見つかってしまったか。恐る恐る振り返るが、視線の高さにはなにも映らなかった。が、少し下に視線を傾けると——そこにはたった今脳裏に描いていた村人、未助の姿があった。
「未助様、どうしてここに」
未助はぱちっと瞬くと、どうしてか居心地悪そうに視線を彷徨わせた。
「……お前らが変なことしないか、見張ってた」
「命の恩人を監視か」
寧琅がふんと鼻を鳴らせば、未助はぱっと顔をあげ、瞳を見開いてゆびを指した。
「だ、だって、あやしいだろ! あんたの方は! 変な魔法使うし!」
「魔法は使ってない」
「見た目も変だし!」
「見た目も変じゃないと思いますが……」
思わず口を挟めば、未助はぶんぶんと首を横に振った。
「綺麗すぎる!」
「お褒めの言葉をどうも」
「綺麗すぎて気持ち悪い!」
「綺麗すぎて気持ち悪いか。はじめて言われたな」
寧琅は告を揶揄するときと同じ調子で鼻を鳴らし、飄々とした笑みを浮かべる。
「お前、村のやつらに俺のことは言わなかったんだな。いくら同胞主義でも、魔女が現れたなんて狂言は信じてもらえないか」
「……言ったら、あんたたち、絶対追い出されちゃうだろ」
唇を尖らせた未助がぼそぼそと言う。
「つうか、魔女じゃないっていうんなら、あんた、何者なんだよ」
「神だ」
一切の躊躇なく、寧琅は答えた。
未助が目をまあるく見開いた。
「馬鹿にするな」
「していない。事実だ」
寧琅の瞳が告に傾く。
「寧琅様は、本当に神様ですよ」
加勢するようにこくこくと頷いた告がそう言うと、なぜか寧琅は呆れたように肩を竦めた。未助の怪訝もまったく引いていない。
「顔だけははなやか! って感じするけど。でも、態度も、口も悪いし、ちっとも神様っぽくない」
「なるほど? お前が今まで会ってきた神は態度も口も悪くなかったと」
「屁理屈だ」
むっすりと頬を膨らませて未助は迎撃するが、寧琅はちっとも意に介した様子はない。
「だって……だって、神様がこの世にいるなら、なんで、どうして、今更……」
未助の体側で小さなこぶしが握りしめられ、ふるりと震えている。
「……俺たちの仲間が殺さられる前に、助けてくれなかったのに。俺たちが茗蓉のやつらに嫌がらせをされる前に助けてくれなかったのに」
俯いた未助が、低く唸るように言う。
「神様なんて、いない」
「神様はいます」
衝動のままについ反論を口にした告を、未助が見上げる。きゅっと力み厳しくなった瞳の中には、どうしようもない悲哀が滲んでいた。ともすれば、少しでも触れれば崩れ落ち雫が溢れ出しそうな気配があった。
「神様なんていらない、の間違いだろ。自分たちが苦しいときに手を差し伸べてくれない神様なんて、いらない」
寧琅が言った。
「だが、お前らのことを助けずとも、神は神だ。人間が生まれたときから人間であるように、神も生まれたときから神だからな」
不意に寧琅が屈んだかと思うと、足元に落ちていた枯葉を拾い上げた。
「人間には持ち得ない才能を、俺たちは持っている。幼い頃には、それを現界……人間たちが暮らす世界をよりよくするために使うようにと教育もされる。だが、実際に善いことに使うかは、人間のために使うかは神による。どれだけ祀られても人間に手を貸すことに興味を持たない神もいれば、どれだけ人間思いで慈悲深くてもすべてを救えない神もいる。神によってそれぞれ思考があり、意志がある。才能があっても、できることには限りがある」
寧琅が枯葉にふっと息を吹きかける。すると、枯葉は一気に瑞々しい緑色を取り戻す。
力を使ってしまって大丈夫なのかと思って見れば「この程度なら問題ない」と言って寧琅は緑になった葉を告に返した。
「そもそも、なんでもかんでもできるようなやつがいる方が嫌だろ。そいつの心が向いているときは幸福を享受できるかもしれないが、万一機嫌を損ねたら終わりだぞ」
「……神様は、機嫌を悪くしたりしない」
「そりゃあ、素晴らしい神だな」
ふんと鼻を鳴らす寧琅に、未助はなにかを返したいけれどその言葉を持たないように苦そうに唇を引き結び眉を寄せる。
「俺たちは目的のためにこの世界に来た。苦境に立たされているらしいお前らに手を差し伸べに来たわけじゃない。だから、この村を救済することはできないだろうし、してやろうとも思っていない。だが——俺の目的を果たすための通過点として、多少は良い状況にしてやれるかもしれない、とは思っている。そしてそれは、お前の協力があったら、より順調に進むかもしれない」
「……神様なのに人間に頼るのかよ」
「先に持っただろ。神にも出来ることと出来ないことがある。利用できるものがあるなら、大いに利用する」
寧琅はちっとも媚び諂うことをしない。言葉遣いは荒いし、煽ったり皮肉めいたこともすぐ口にするけれど、しかし外連も躊躇もない寧琅の言葉には、偽りを感じない。村会議のときも、寧琅が信頼を勝ち得たのはその身を切った大胆な行動だけでなく、堂々とした態度もあったからだろうと思う。
寧琅の態度は寧琅を見据える未助の瞳は、まだ困惑や躊躇を残しながらも、先よりもずっと眩く柔らかな光を滲ませているように見えた。
ふいに、寧琅は告の首元に掛けていた羅針盤を掴んだ。鎖がしゃらと音を立てる——想起する出来事があった。
「未助様は、花化症の治し方を、ご存知ですか」
村会議で村民や村長が花化症の治し方を知らないと口にしたとき、告は引っ掛かりを覚えていた。
——俺なら、花化症を治してやることができる。だから、代わりに、それを寄越せ。
森で出会った未助が持ちかけてきたその取引を思い出したからだ。
あの村会議以降、弥生についても未助についても、気になることがあったが、迂闊な言動をして寧琅がもぎ取った村長からの信頼を棒に振るわけにもいかない。
誰にどれだけの話を聞いていいものか、これからどう行動すべきかを迷っていた告の手を、寧琅はその晩早々に引いてくれた。
そうして東の森に向かおうとしているところを、未助に見つかってしまったわけだが、彼はこの怪しい旅人たちの行動を言いふらそうとする様子はなかった。むしろ、追い出さないようにしようとしてくれている。
未助たちが告たちに寄せる期待は分からない。だが、告たちも未助に期待を寄せている。それをもとに、取引ができるかもしれない。
「それは」
「あのときの言葉は、嘘だったのか?」
もごりと言い淀んだ未助に、寧琅が容赦なく突っ込む。もちろん、告から羅針盤を奪うための狂言だった可能性もあると踏んではいたが……。
「嘘じゃない、けど」
「本当に、ご存知なのですか!」
つい大きな声をあげそうになったのをぐっと堪えながら、告はしゃがみこむと未助の両手をきゅっと包んだ。
「どうか、教えていただくことはできませんか」
告の勢いに気圧されるように、未助は目を見開き眦をわずかに染める。
「ど、どうして、花化症の治し方を知りたいんだよ」
「僕たちは探し物をしていて、それが茗蓉にあるんですが……そう簡単に手にできる状態じゃなくて。茗蓉と縁が欲しいんです。花化症を治す方法があれば、それは茗蓉との縁にもなるかもしれません。芙佳の方々にとっては茗蓉との関係を変える策になるかもしれません」
未助はガラス玉の瞳をぱちぱちと瞬かせる。
「茗蓉と……」
むっすりとしたような、それでいて困惑したような顔で未助は瞬き、俯く。
少ししてから、未助はおもむろに顔を上げると、告と寧琅を交互に見た。
「……お前らは変だし、怪しいし、そっちの……神様もどきはムカつくけど……」
またしばらく黙り込んだ未助が、やがて、また首をぶんぶんと横に振った。
「分かった」
と、未助が顔を上げる。眦はきっと力み、瞳にははっきりとした光を浮かべた。
「俺が知っていることなら、なんでも教えてやる」
「本当ですか……!」
「だから、絶対、ぜーったい、俺たちの村をよくして」
「絶対ってのはこの世に存在しねぇ」
「少しは希望のあること言えないのかよ! やっぱり神様っぽくない!」
「お前らが神に夢を見過ぎているだけだ」
淡々と寧琅は言う。しれっと含まれた告は、しかし否定もしきれないので口は出さず、未助に尋ねた。
「それで、未助様がご存じの、花化症の治し方とはどのようなものなのでしょうか」
未助はひとつぱちりと瞬くと、くるりと背を向けた。
「……この森の中にある。ついてきて」
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