第10話

 村の中央に位置する一際大きく立派な邸宅、その広間に通されると、そこでは十人ほどの男女が車座になっていた。中には弥生の姿もあった。目が合うと、申し訳なさそうにわずかに頭を下げる。

 この中では弥生が一番年若く、未助など子どもの姿はなかった。

「そちらにおかけください」

 促されるままに、襖側の空いている空間に、告と寧琅は腰を下ろした。村長と副村長は車座の外側をぐるりと回って、最奥の空間に座る。

「改めまして。我が村へ、ようこそいらっしゃいました。旅の御仁」

 村長のかけた声に、車座になった人々の視線がこちらを向く。弥生以外のそれは、細い針でも刺してくるように、ちくちくと痛い。

「旅をされている方であれば、もしかしたらご存知かもしれませんが。村というのは寄り添い助け合いを重んじる小さな集落です。ですから、皆で協力し、安全に生活できる環境づくりを常にしていかなければなりません」

「まわりくどいな」

 この空間で誰よりも堂々と優雅に片足を立てて座っている寧琅が、わずかに頭を傾けた。

「俺らがお前らにとって危険分子かどうか見極めたいんだろ」

 棘のある視線が一気に寧琅の方に集まった。だが、寧琅は一切動じることはない。さすがは神様というべきか。いや、彼は神様でなくともこの性格だ、槍を持った人間に囲まれたところで、同じように平然とした態度を見せそうだ。

「あなた方が未助の恩人というのは伺っております。ですからこちらとしても、できうる限り丁重にもてなさせていただきたい気持ちもあります。ですが、この村は今、少し不安定な状況にあります」

 村長だけは、寧琅と同じくらい泰然としていた。笑みをちっとも崩さず、その奥底には誰よりも冷静に乾いた警戒がのぞいている。

「あなた方はどういった目的で旅をされているのですか」

「探し物をしているだけだ」

「探し物をしているだけの旅の方が、どうして、茗蓉と我が村について探っておられるのでしょうか」

 ふん、と寧琅が鼻を鳴らした。

「盗み聞きしてたのか。趣味が悪い」

「偶然ですよ。あなた方が散策していると言うので探しに出たら、たまたま、花化症について話していらっしゃるのが聞こえたのです」

 明らかによろしくない状況である今でも、寧琅の変わらない態度に告はずっと戸惑っていた。この方は本当にこの村に滞在し続ける気はあるのだろうかとさえ疑った。

だが——まわり道をする時間がないのも事実だった。

「あの、花化症とはなんなのでしょうか」

 告と寧琅はいつまでもこの村に居続けられるわけではない。気になる問題があるのならば、それが少しでも自分たちの試練に繋がるのであれば、積極的に立ち入っていくべきなのだ。

 車座になった人々の、いくつもの眼が自分を向く。

 その光景に、覚えがある。村会議で意見をしたわけではなく、決定事項を宣告されたとき。いざそのときが訪れて、鉄槌を下されるとき。

 少しだけ、胸が震える。

「もう少し調子よくやりとりできないのか。このちんちくりんの方がまだ打てば響く会話をするぞ。中身はさておき」

 と、ふいに告の肩に、寧琅が頭を乗せた。片方の瞳を細め、口端を持ち上げた意地の悪い、美しい顔。寧琅を見ている何人かが、ほうっと頬を染めている。

 堂々と振る舞う寧琅を見ているうちに、胸の震えはいつの間にか収まっていた。

 そうだ。今は、あの頃と違う。

(ひとりじゃない——寧琅様がそばにいる)

 告はひとつ深く呼吸をして、口を開いた。

「茗蓉では、花化症というものが流行っていると伺いました。それは、花のにおいを伴うもので、芙佳の村と関係があるものだと」

「芙佳の呪いだと?」

「……そう、仰っている方もいました。どうしてそう言われているのですか。どうして、茗蓉で花化症が流行したのか、ご存知ないですか」

「存じていたところで、余所者に教えるぎりなんざねぇな」

 そばかすの男がひとり荒い声で言った。

「こいつら、茗蓉からの密偵なんじゃないのかい? 何にもしらない旅人ふりして、花化症の治し方を聞き出そうとしているのさ。役者だねぇ」

 髪に白が入り混じった老女がそこに厳しい声を連ねる。

「違います。僕たちは茗蓉から来たわけではありません」

「じゃあ、どこから来たんだい」

「ここで正直に答えたら、「ああ、あそこの村の出でしたか」ってお前らは素直に納得するのか? しないだろ。この議論はするだけ無駄だ」

 告の肩に頭を置いたまま、寧琅はひらりと手を振ったため息混じりに言う。たしかに——とは思うが、この折にその発言は火に油でしかなかった。

「話をまぜっ返しよって」

「ますます怪しいわね」

「やっぱり余所もんを村においておくべきじゃない!」

 車座のあちこちから次々と声が上がる。それは、無理矢理にでもこの会議どころか村から引き摺り出され追い出されるのではないかと言うほど、みるみるうちに激しくなっていく。

「でも、彼らは未助の命の恩人です」

 その喧騒に石を投じ割ったのは、鈴のような声だった——弥生だ。

 きっと引き締まった顔つきで告げる彼女に、村人たちは一度口を止め、少し惑うように顔を見合わせる。

「それは、そうだけれど」

「でもそれだって、こいつらが襲ってこいつらが助けた可能性はないか?」

「そんなことしてこの方達に何の徳があるというのですか」

「そりゃあ、俺たちに取り入って花化症の治し方を聞き出すとかだろう」」

「ああ、たしかに! あり得ない話じゃないねぇ」

「最初に手を出した上に勝手に縁を切ってきたのは向こうだってのに、姑息なもんだ!」

「俺たちだってそんなもん知らねぇってのにな!」

「えっ」

 と、告が思わず声を上げれば、男は「口を滑らせた」と言わんばかりに肩を跳ねさせた。が、直後、告を指差した。

「や、やっぱりこいつら、花化症の治し方を知りたがっているじゃないか!」

 ——口を滑らせたのはお互い様だった。

「いや、あの、それには事情が」

「あんたら、未助ちゃんに手ぇだして!」

「とっとと追い出せ!」

「待って、話を聞いてください!」

「茗蓉のクソ野郎の言い分なんざ聞く必要ねえよ!」

 村人たちはついに腰を持ち上げると、告と寧琅を取り囲む。

「そんな、やめてください、落ち着いて!」

 弥生も立ち上がって制止の声をかけてくれるが、村人たちは引くことはない。このままでは追い出されるどころか、争いになりかねない。

 どうなったとしてもこの方だけは傷つけられないようにしなくては、と告が寧琅の前に出ようと腰を浮かせたとき。

「静粛に」

 村長の厳かな声が響いた。

 それに、村人たちが一斉に振り返り、皆の視線が尊重に集合する。

「ひとりの恩仇には皆で相応に報いよ。我らが祖の教えだ」

「茗蓉からの回し者ってだけでなく、未助ちゃんに手を出したってんなら、こいつらは完全に仇だろう」

 ふむとひとつ考え込むように頷いた村長は、それから告と寧琅をまっすぐに見据えた。

「旅の御仁。できることなら、これらは私たちの憶測であることを願い、恩を返したいと思っております……ですが、これだけの疑念のもと、無為に滞在を許すこともまた、難しい」

「そんな、村長、あんまりです。未助は……未助は、彼らに襲われたりなんかしていません。彼らは、善意の心で未助を助けてくださいました」

「それを保証するなにかがあるのか」

「それは……」

「未助はお前の唯一の家族。それを救われたことによる贔屓目がかかっていないと、言えるかい。それに、お前は」

 村長は何かを言いかけたが、口を閉じて顔を小さく横に振った。弥生は悔しそうに体側できゅっと拳を握った。

 熱心に弁護してくれる弥生に感謝の気持ちを抱きながらも、同時に不思議に思う——どうして彼女はここまで自分たちを庇ってくれるのだろう。

 彼女と未助の親はすでに他界していて、あの家では姉弟で暮らしていること、村の人たちからよくしてもらっていることは弥生から聞いていた。

 小さな村の同胞たちとは真逆を意見するというのは、のちの生活に響きかねない。

 村長が言ったように、唯一無二の家族を救ってもらった、恩義、なのだろうか。告がかつて神様に出会い、感謝したように。

「あの国の人を見る価値基準が一にお髪、二にかんばせ、三、四に心身……ってのは、この国にも伝わっているのか」

 寧琅が体を起こしながら言う。その言葉に覚えがあった——たしか、茗蓉で出会った古物屋が言ってたいことだ。

「俺の髪はどうやら、三寸で千耀は下らないらしい。千耀があれば、宝飾が十は余裕に買えるだとか」

 それほどの価値があったのか。寧琅は告よりもよっぽど周囲を観察していたらしい。

「俺はこの髪にさしたるこだわりはないがな」

 寧琅は自身の懐に手を突っ込むと、そこから楕円形の木の葉を取り出した。この村では見ない、みずみずしい緑色をしている。

 それから寧琅は、右頬に掛かる白銀の髪を手のひらでしっかり握ると、毛先から五寸ほどのところに切り付けるように木の葉の側面を当てがった。

 しゅ、と鋭い音が鳴る。はらりと、五寸の白銀の髪が寧琅から切れ離れる。瞬く間に左右非対称となった寧琅の髪型に、告はぽかんとした。村人たちも寧琅を見て呆然としていた。

「これだけじゃあ信じるに値しないというのなら、いくらだって頭髪を切ってやろう。彼の国に売り飛ばそうが、刷毛にしようが、焼いて薬にしようが、好きにすればいい」

 試すように、嘲るように、見惚れるほどに。寧琅は堂々と宣い、一束の髪を床に投げ置いた。

 村人たちは顔を見合わせる。その表情には、畏れのようなものが浮かんでいて、誰一人として言葉を発しはしなかった。

 それまでは泰然としていた尊重さえも、わずかに眉を顰め、寧琅を見た。

「……どうしてそこまでして、この村に滞在したいと仰る。見る限り、真に静養がいるように思えないが」

「茗蓉のためでも、この村のためでもない。俺たちには俺たちの本懐がある。この村に滞在したいのも、花化症とやらについて知りたいのも、そのための礎に過ぎない」

 村長はしばしまじまじと、寧琅を見つめた。少しして、その視線が告の方にも傾く。細く開かれたガラス玉のような瞳と視線が絡んで告はようやく、はっとした。

「お願いいたします。どうか、お力を貸していただけないでしょうか。絶対に、この村に不利益は齎したりはしません」

 寧琅が活路のひびを入れてくれた。その手段に対する衝撃は胸がじんじんと痺れるほどに尾を引いている。だが、だからこそ、それを泡にするわけにはいかない。告は床に、手と額を擦りつけて跪く。

「あなた方の本懐とはなんなのですか」

「失くしものを探しています」

「花化症が関係すると失くしものですか」

「実を言えば、それが失くしものに繋がるという保証はありません。ですが、今僕たちがつかんでいる、糸口になりうる可能性がある唯一でもあるんです」

「糸口になりうる可能性って……それだけ希薄な可能性のために、あなた方は髪を切り、跪くのですか」

「可能性がどれだけ希薄でも、手を伸ばさなければ、何も手に入れられません」

 後ろに道はなし。ならば、前を輝かせるための努力をせよ。

 かつての告は未来を畏れて、立ち止まることしかできなかった。けれど、今の告は進まなくてはいけないのだ。進むと決めたのだ。

 己の魂を失わないように。

 寧琅が再び神に戻れるように。

 自分たちのそばにある、少しでも悲しいことを、苦しいことを、やさしい希望にするためには、行動するほかないのだ。

「停滞に未来は非ず……されども、朋友の晩節は穢すべからず」

 何事かを低く呟いた村長は、やがて、深々と息を吐いた。

 足音が聞こえてわずかに顔を持ち上げてみると、それまで告たちを囲っていた村人たちがしおしおと元の席へと戻っていた。

「そちらの方々。名前を伺っても」

「……寧琅」

「告と申します」

「告様。どうぞ、お顔をあげてください」

 促され、顔を上げる。白い毛に覆われた村長の表情にはどこか諦念が浮かんでいるように見えた。それでいて、細い瞳には先よりもわずかな光が差しているように見えた。

「花化症とは、その身に花が咲く病のことです。芙佳の民もその身に花を咲かせますが、これは花化症ではなく、先天性の体質です」

 村長が自身の袖を捲ると、その腕には小ぶりの白い花がぽつぽつと咲いていた。見たことのない現象に告は思わず瞬く。

「生後七ヶ月も経てば、ひとつ目の花を咲かせます。以降はそれと同種の花を定期的にその身に咲かせるようになります。基本的には適度に間引きますが、間引かなくとも、多少の野暮ったさと気怠さを感じるだけで大した害はありません。ですが花化症は違います。咲いた花をそのままにしても間引いても、やがて生きながらに死んだような廃人状態と化します」

「え……」

「花化症で咲くのはとても稀有で美しい毒花。寄生先の精力を吸い育つのです。人の心身が弱るほどに、花は美しく咲き香る」

「花化症を発症する経緯は」

 寧琅の問いかけに、村長が答える。

「芙佳の民のたちの屍です」

 妙蓉の民は花化症のことを「芙佳の呪い」と言っていた。

 そしてそれを未助の前で口にしたとき、彼は憤慨していた。

 ——あいつらが悪いんだ! あいつらが、俺たちの同胞を、殺したからだ!

「我々は寿命以外で死を遂げると、その屍から胞子を撒きます。芙佳の民にはそれは効きませんが、他の民がそれを身に吸うと、花化症を患うことがあります。その患者と粘膜接触をすればさらに感染する」

「報復がてら自分で自分の手向花を作るのか」

「恩にも仇にも相応に報いるのが、我らが祖の教えです。感謝と、忠告のための花ですよ」

 村長がひとつ、息を吐く。

「これが花化症というものです。それを治す方法は現状、ございません」

「本当にないんですか」

「これが旅の御仁への意地悪だとしたら、あれは相当策士ということになりますが。生憎、愚直な部類です」

 村長は、先に花化症の治し方など知らないと口を滑らせた男に目を向けた。男は面映そうに俯く。

「まぁ、より正確にいうのであれば、私たちは知らない、というのが正しいですね。我々は患うことがないのですから、治療方法を探るわけもないでしょう?」

 あわい微笑みを浮かべて、村長は言う。たしかに、もっともな意見だと思った。だが、ひとりだけ。告と寧琅は術を知っていると口にしていた村民に会っていた。

「あなた方の失くしものの手がかりにはなりそうですかな」

「まだ、わからねぇな」

「さようですか。弥生と未助が許すと言うのであれば、村には好きに滞在してください」

「そ、村長。本当にいいのか」

 それまで黙って見守っていた村人の一人が声を上げる。

「彼の髪束に、彼の赤くなった額。それに、彼の木の実も。彼らは誠意を見せてくださった。同胞を救っていただいた上にここまでの誠意を見せてもらって、すげなく扱う方が恥というものだ」

 村長は重たそうな仕草でゆっくりと腰を上げる。

「会はこれにてお開きとする。くれぐれも、これ以上客人に無礼は働かぬように」

 村人たちはなんともいえない表情で顔を見合わせながらも、告たちに怪訝や嫌悪を向けることはもうなかった。

 解散の号令に伴い、部屋から次々と人が辞していく。

「旅の御仁」

 人の流れに告と寧琅も続こうとしたとき、村長に呼び止められた。

「ひとつだけ、伝えておかねばならないことを忘れておりました」

「なんでしょうか」

「滞在するにしても、ここから出立するにしても。茗蓉とは反対に位置する、東の閭門から出た森には近づかないでいただきたい」

 きょとんと告が首を傾げると、村長は続けた。

「祖の塚があるのです。村民も立ち入り禁止の場所となります」

「村民も立ち入り禁止なのですか」

「ええ。とても危険な場所ですし、祖の安らかな眠りを妨げらるわけにもいきませんからね。ご両人もどうか、ご承知おきください」

 村長は告と寧琅を順に見て、微笑んだ。

「失くしものとやらが無事見つかるとよいですね」

 繊月のように細んだ瞳には、種火のようなかそけくもたしかな光が宿っていた。

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