第9話

 朝食後、告は寧琅と表に出た。

 全方位が森に囲まれ、村内には薄緑と枯れ色が入り混じった細長い猫背の草がまばらに生えた草原が広がっている。草原との境目が少し曖昧な広い砂利道が一本うねっていて、それを挟むようにして切妻屋根の木造家屋、畑や田んぼ、小さな牧場が点々とある。

 日中というのもあり農耕や家畜の世話に励んでいる者が少なからずいたが、人々も、動植物も、あまり元気はなさそうだ。

 告と寧琅は弥生たちの家からさほど離れていない、村の西側に位置する閭門のそばに来ていた。門の向こうには鬱屈とした気配を漂わせた森が広がっていて、中へと続く獣道が一本伸びている。

 弥生たちへの賄賂……もとい滞在させてもらうための差し入れを採りに行った際に、寧琅は先んじて村まわりや各方面の森の様子もざっくりと見てきていたらしい。

 今目の前にある景色からしても分かるように、未助や弥生が言っていた通り、寧琅が力を使って活力を与えた場所以外は、暗く萎れていたという。

「日光や雨水が足りていないわけじゃない。そこらで萎れている草葉を調べたが、枯死を促す性質のある病菌が多分に含まれていた」

「花・水・木を司る神様は、そういうのも分かるものなのですか」

「力を使えばな。それに、本人から聞いたから」

「本人?」

 こてんと告は首を傾げる。

「植物から直接、話を聞いた」

「植物から直接⁉︎」

 寧琅があまりにも当たり前の調子で言うから、告が知らないだけで世の植物というのは実は喋るものなのだろうか、とつい一瞬思いかける。

「それも、神様の力のひとつですか」

 植物に声があるのか、喋るのか。どんな声なのだろう、どんな話し方をするのだろう。未知の世界に触れ、告は驚きと感心に瞳を煌めせる。

「神様のっつうか、どっちも俺の別才だ。運の神が運をばらまけるように、花・水・木の神である俺はそれに通ずる力が使える。だから、植物と意思の疎通がはかれる」

「すごい……」

 感嘆の声を漏らせば、寧琅は少し居心地が悪そうに肩を竦めた。

「そんなに感心するほどのことか」

「あっ、じゃあ、森で隠れた未助様を見つけられたのも」

「ああ。あのときも植物の声を聞いたが」

 それから寧琅は少しの間、思案げに顎に手を当ててから「……まぁ、あとでいいか」と呟いた。

「人間と同じであいつらにも性格や調子がある。枯れて生命力が衰えている、死にかけのやつからはなにも汲み取ることができない。ここの植物はまだそこまではいっていなかったが……やつらから聞けたのは今の状態と、どういう経緯でその状態になったか——それまではここらは養分豊かで緑も豊かだったのに、あるとき突然、地面からおかしな成分が流れ込んできたらしい」

 寧琅はわずかに瞳を細め、閭門の傍で項垂れている虎杖の葉に触れた。

「植物たちは流れ込んでくる養分に対して、取捨選択なんてできない。必ずそれを摂取することになる。そして、だんだんと具合を落としていった。生き延びることも、人間や動物の食料として摂取することもできないほどに。腐敗していった」

 苦色に染まる寧琅の表情に、植物たちがそう語る様を浮かべた妄想に、告は胸がきゅっと痛くなる。寧琅はきっと、自身が司るものに愛されているだけでなく、愛している神様なのだろう。

「……茗蓉の方が、やったのでしょうか」

 激昂した未助が言っていた——あいつらは俺たちの村に、食べ物や衣服が行き渡らないようにした。川の水も濁らせて、草木も枯らして、嫌がらせをしてきた、と。

「病菌の量に、あるとき突然って話からして、作為によるものではあるだろうが、誰が犯人かは定かではないな。誰かが何かを撒くところを見た植物には出会わなかった。まぁ、見た植物がいたとしたら、そいつは一番最初に被害を浴びたことになる。とうに枯れているだろうな」

「あの……寧琅様の力で、みんなを元気にしてあげることは、できないのでしょうか」

「完全に死んだやつを甦らせることはできない。まだ息があるやつは、余地がある。こいつもな。だが」

 寧琅はしばし虎杖を見つめてから、そっとその手を離した。

「先にも言ったが、花・水・木にまつわる力は、俺の別才だ。神器がない状態で、別才を使う場合、俺の中に残っている力を使うが、それにも底がある」

 神器はその神が持つ別才を十分に発揮するのに欠かせない専用の宝具——菁から受けていたその説明を告はすっかり忘れてしまっていた。

「神器がなければ力は回復できない。今こいつらを救うのに力を使ったら、いざというときに困る。それこそ、神器を取り戻せなくなるかもしれない」

「まぁ、今だって取り戻すことが困難な状況だけどな」と寧琅は肩を竦めた。

 活力を失った植物たちのために、この村の人々のために、そして寧琅が神であり続けるために、少しでも早く神器を取り戻さなくてはいけないと思う。

 そのためなら——本当に盗賊になることも、視野に入れるべきなのだろうか。

 未助の言い分が本当なら、茗蓉の民のせいでこの地の植物たちは苦しめられた。だから多少禍根を残すことになっても、荒れたとしても、それは然るべき報いなのではないか——いや、そんなわけ、ない。

 本当に茗蓉の民がやったことかはまだ定かではない。もしやっていたとしても、茗蓉のみんながみんな悪いわけじゃない。それなのに、彼らの生活を脅かし引っ掻き回すのは、駄目だ。

 じゃあ、どうすればいいのだろう。どうしたら、寧琅の神器を少しでも早く、取り戻すことが——。

「馬鹿面」

「ふが」

 突然、寧琅は告の鼻をきゅっと摘んだ。いきなりのことに驚き瞬くと、寧琅はくつくつと喉を鳴らした。

「馬鹿面するにしても、そっちの馬鹿面の方がお前に似合っている」

「はなしてください」

「お前の鼻はなかなか摘み心地がいい」

「摘み心地がいい鼻ってなんですか」

「こうしていると声も馬鹿っぽくなるな」

「寧琅様!」

 もう一度「はなしてください」と訴えてようやく、寧琅は告の鼻から手を話してくれた。なかなかな力で摘まれていたから、ちょっぴりひりひりする。

「もう、なにするんですか」

「たしかに現状は困難だ。だが、手札がひとつもないわけじゃない」

 ふと、獣道から人の姿が現れた。

 だんだん近づいてくるそれは、細身の青年だった。

 芙佳の村人たちはそう言った性質の民族なのか、すれ違う人皆、多少の色さはあれどガラス玉のような澄んだ瞳をしている。

 男も同じような瞳をしていたから、この村の民なのだろう。

「狩猟帰りみたいだな。結果は芳しくなさそうだが」

 寧琅は男が片手に掴んでいる膨らみが貧相な麻袋を見て囁く。

 俯き気味に歩いていた男は、閭門のそばでふと顔を上げた。告と寧琅を捉えると、その瞳に警戒の色が滲んだ。

 集落というのは仲間意識が強いほど、余所者を警戒するものだ。告がかつて暮らしていた村もそうだった。未助の話からして、この村も同胞の存在を大切にしているようだ。

 近隣の大国と不和を抱いている村に、突然現れた旅人。村に滞在したい気持ちはあるが、しかし、こんな自分たちを家に置いておいて大丈夫かと、念のため弥生に尋ねていた。

「大丈夫です。お二方が旅の恩人であることは、未助がみんなに知らせてしますので。それに、寧琅様から食料をの差し入れもいただきましたから」

 寧琅が差し入れた木の実の類を、弥生はすぐに村全体に配ったらしい。この村ではそれが普通のことなのだそうだ。住んでいる家は個別にあれど、村全体が家族、衣食のあらゆるをなるたけ平等に共有しているのだという。

「ただ……この村に客人が訪れること自体が珍しく、皆不慣れで少し快くない態度をとってしまうかもしれません。本来は、親のいない私たちのことも家族のように気にかけてくださる、とてもやさしい方々なんです。なので、どうか、多少の非礼がありましても、ご容赦いただけたらと思います」

 彼女は申し訳なさそうにそう言った。

 そして実際、これまで村内ですれ違ったり、目が合った人々は皆、告と寧琅に軽い挨拶や礼を口にはしながらも、あまり関わり合いになりたくない雰囲気を醸し出していた。

 目の前の男も、例に漏れず。浅く礼をすると、足早に告と寧琅の前を通り過ぎていく。

「花のにおい」

 男が通り過ぎるとき。ふんわりと、花のにおいがした。

 未助からも、弥生からも——これまでに遭遇した村人たちからも、花のにおいがした。

「この村に咲いている花といえば、萎れた蒲公英や銀盃草くらい。だがこの村のやつらからは、少なくとも俺たちが出会ったやつからは皆、花のにおいがした」

「芙佳の村の方々も花化症……じゃないですよね」

 芙佳には花の類があまり咲いていないし、民は顔つきや肌の色や肉の薄さから栄養不足の傾向は見られても、問題なく身動きができている。茗蓉では花化症の流行で商いが苦しい状況になっていると聞いた。

「体制やら体質が違うんだろうな。茗蓉に花化症が流行したのはそう昔のことじゃなく、あのガキの言っていたことが偏向的な被害妄想じゃなけりゃあ、それは、茗蓉と芙佳間のいざこざ——芙佳の誰かが殺されたことを発端に生じたものだ」

 茗蓉と芙佳の間になにがあったのか。

 知れたところで、それが寧琅の神器を取り戻すことにつながるとは限らないが、茗蓉に軽率に訪ねられなくなった告たちが持っている貴重な手札ではある。

 ただ、事件の全貌なんてものは、告たちがいくら頭を捻らせたところで分かりっこない。未助や弥生に聞いたら、もっと詳しく知れるだろうか。そもそも、教えてくれるだろうか、話したいものでもないだろうか——。

 告はぱしっと自身の頬を叩く。

「後ろに道はなし」

「いきなりどうした。気でも違えたか」

 露骨に引いた様子で寧琅が言う。失礼である。

「霜天様に借りた物語の、好きな言葉です。後ろに道はない、ならば前を輝かせる努力をせよって。とにもかくにも行動しないとどうにもならないですよね。僕らには他に道はないんですから」

 きゅっとこぶしを握り、告は寧琅を仰いだ。

「さっそく、未助様たちのところに戻りましょう——」

「それより先に、俺たちに用があるやつがいるみたいだが」

「え」

 寧琅が首だけで背後を向いた。告もくるりと振り返れば、そこにはふたりの男がいた。

 手前に立つのは、首に木でできた飾りを提げ、左手に杖を持った腰の曲がった老爺。白い髪や髭、ほそくやわらかくもどこか隙のない雰囲気がある瞳が、どことなく霜天に似ている。

 その後ろには、この村で見た中では背も肉付きもいっとう良い壮年の男がいた。

「旅の御仁ですな」

 老爺は髭を撫でて、ゆったりと視線を動かし、告と寧琅を交互に見る。それから、老爺は細い瞳をさらに細めた。

「私はこの村で長をつとめております、石蕗つわぶきと申します。彼は、副村長の岩藻いわもです」

 副村長というより用心棒といった風情のする男が浅くお辞儀をする。

「養生の身と聞いていたから、遠慮していたのですが。動けるのなら、一言ご挨拶させてもらいたかったところですな」

 告も村社会の出身で、弥生からこの村も余所者をあまり快く思っていない旨も聞いていた……から、ここに歓迎がないことは、これが咎めであることは、なんとなく感じ取れた。

「す、すみません」

「嫌味に謝るな」

「ね、寧琅様⁉︎」

 下げたばかりの告の頭はびゅんっと持ち上がる。しれっと爆弾を放り上げた寧琅は一切悪びれもせず平然としていた。

 おずおずと向かいの男たちを見れば、壮年の男の方は少しばかり表情を厳しくしていた。老爺は変わらず穏やかな笑みを浮かべているが、なんとなく、こちらの方が恐ろしさを感じるのはなぜだろうか。

「とても元気なご友人様ですね」

「友人ではないのですが」

「……これも嫌味だ」

 寧琅はまた容赦なく言う。

「こんなところではなんですから。私の家までご足労いただいてもよろしいでしょうか」

 芙佳にとどまりたければ、この流れで断るわけにはいかなかった。それに、彼らが村の重鎮だというのならば、それこそ茗蓉との間のいざこざについて詳しいのではないだろうか。

「はい、ぜひ。ご挨拶させてください」

 なんとか笑顔を作ってそう受け答えたのに。

「下手くそ」

 寧琅は肩をすくめて鼻を鳴らした。


 

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