第3話

 あたりが真っ暗になる。何も捉えられず告がきょろきょろとしていると、肩を掴まれた。

「告」

 呼ぶ声は、菁のものだった。

「菁様。えっと、これはいったい」

「霜天様が転移術を使ったんですよ。いわゆる、瞬間移動ですね。ここは中天です」

「……霜天様って、実はとんでもなくすごい方だったりしますか? 実は妖精の王様とか、どこぞの神様とか……」

「聞かれてますよ。霜天様」

 霜天はくすくすと笑うだけで、応えてはくれない。

「どうしてここに」と尋ねる愁眠の声がする。

 たしかにどうして霜天は告たちを中天に連れてきたのだろうか。そしてここは中天のどこなのだろうか。

「この先に、君にお守りを任せたい神がいる」

 こんな暗いところに、神様が。こういう場所が好みの神様なのだろうか。

 菁に手を引いてもらいながら、足音しか響かない暗い道を歩き出す彼らについてく。

 だんだん目が慣れていくと、あたりがごつごつとした石に囲われているのが見えた。空気はひんやりとしている。

「洞窟みたい」

 思ったことをつい、そのまま口に出すと。

「まぁ、そんなところだな」

 と愁眠が答えた。

「ここは罪や禁忌を犯した神様——落神を閉じ込めるための洞窟だ」

 告が目を丸くしたとき、一団の歩みが止まった。目の前に大きな石壁が現れたのだ。霜天が手のひらを翳すと、それはゆっくりと上下左右に分かれて開かれた。

 天井に灯火がつき、照らし出されたそこは長方形の空間になっており、壁際にあぐらをかいて座り込んでいる男がいた。

 少し癖のある白銀の長髪は切なく萎びている。薄汚れた着物に包まれた肉体は菁に勝るとも劣らないほどに逞しい。両手首は黒く重たそうな錠が嵌められていて、その鎖は壁に繋がっている。胸が妙に漣立つのは先に聞いた話による恐れなのだろうか。この方が、罪や禁忌を犯した、落神なのか。

 と、俯いていた男がそっと面を持ち上げた。

 川水よりも、空よりもずっと深い、青の瞳をしていた。その鋭さに、告の心臓がどきりと跳ねた。

「また来たのか。あんたも諦めが悪いな」

 低く掠れた声で、男は吐き捨てるように言った。

「君が処刑されるのは惜しいからな」

「処刑されるのは、ね」

 男は嘲るように笑う。

「俺は今すぐ殺してくれても構わないと何度も言っている。俺は一刻も早く消えたい」

「どうして」

 つい呆然を口にした告に、男の目が、ぎょろりと傾いた。

「なんだ、お前……亡者か」

「神守だよ」

「どっからどう見ても亡者だろうが。神守と呼ぶにはちんちくりんがすぎる」

「ち、ちんちくりん……」

「ちんちくりんにちんちくりんと言ってなにが悪い」

 たしかに、愁眠や菁と比べたら体は小さく痩せっぽっちで、ずっと幼いとは思うけれども。だが、彼らにちんちくりんなどと揶揄されたことはない。それに、下天に遊びに来ているのを見かけた神様や、前世で会ったことがある神様も、尊大な者はいても、これほど口が悪い者はいなかった。

「口の悪さも神様の世界では罪に当たるのかな」

「あ?」

 ドスの聞いた声で凄まれて、自分がうっかり、思っていたことをそのまま口に出してしまっていたことに気づく。さすがに不敬だったと慌てて口を塞げば、菁は額に手を当てて「手遅れですよ」と正論を言った。愁眠と霜天はくすくすと笑っていた。

「まぁ、たしかに、訳ありの身ではあるがな」

 霜天が手を振り上げると、からからんと金属が落ちる音が響いた。男の手錠が外れていた。

 男はそれにわずかに驚いたように、そして怪訝そうに、霜天を仰いだ。はじめて、その顔がしっかりと、こちらを向いた。

「今度は何を企んでやがる」

 告は息を呑んだ。

 白雪のような澄んだ肌に、秀麗な眉目。

 告がこれまで見たことがないほどに、男は美しい顔立ちをしていた。

「彼の名前は寧琅ねいろう。今は元は自然を司り中でも花・水・木に愛された非常に優秀な神のひとりだったが、故あって今は落神になってしまった。それで、この子は告だ。君が試練を果たすまでの間、君のお守りを担当してもらう神守だ」

 紹介を受けた告はすっかり見惚れていた意識をはっと取り戻し、お辞儀をした。寧琅はちらりと告を見て、ふんと鼻を鳴らし、また霜天を睨んだ。

「試練を受ける気がないと何度も言ったはずだ」

 それににこりと微笑んだ霜天が、ふいに、手をぱんと叩いた。

 すると、寧琅の首に、告の手首に、白い光の輪が生まれた。眩く煌めいたそれは肌に溶け込むように収縮するとゆっくりと消えていく。

「今のは、いったい」

「君と寧琅の間に契約を作った」

「契約?」

「寧琅は今、多少の実感しているだろう」

 不思議に思いながら寧琅の方を見れば、変わらず厳しい顔をしている。

「君は寧琅の居場所を直観的に把握することができ、寧琅は君との間に生じた物理的距離に応じてその身に痛みを覚えるというものだ」

「えっ、なんでそんなことを!?」

「神守は神のお世話係とされているが、幼い神に対してはお守り役でもある。お守り役の言うことを聞かない子には、きちんと、教育をする必要がある」

「おい、いつ誰が幼い神になった」

「どれだけ長く生きようと、どんな経歴があろうと、他の諭しを聞かずいつまでも拗ねて試練に赴かないようなやつはクソガキ以外のなんだと言うのかな」

 にっこり笑顔のままとっても穏やかな声で霜天が言った。

 告は呆然としていた。今まで見たことがない一面に驚いたというのもあったが、それよりも、今、霜天が放った威圧感が凄まじくて、足が震えるほどだった。それは寧琅も同じだったのか、表情をぎこちなくして、閉口した。

「なぁ、霜天。そもそも、この神様の使命ってのはなんなんだよ」

 たったひとりだけ、そんな霜天に一切恐れることなくそう問いかけられる者がいた。我が配達屋店主、愁眠だ。

「神器の回収」

「回収って……まさか、失くしたのか⁉︎ 自分の神器を失くす神様なんているのか」

 信じられないといったような表情を浮かべた愁眠が、寧琅を見た。寧琅は顔を背けて舌打ちをする。

「子どもだからなぁ」

「たしかに遊びに使った神器をどこぞに置いてっちまう幼神はいるけどよ……」

「だから誰が幼神だ、この落ちぶれ野郎」

 この神様本当に口がよろしくないなと思いつつ、告は菁の袖をちょいと引いた。

「あの」

「神器はその神が持つ別才を十分に発揮するのに欠かせない専用の宝具です。それを失うことは神様としての資格を失うのと同義です」

 さすがは配達屋を支える愁眠の右腕。それだけで告の疑問を察してくれて、説明してくれた。

 それほどかけがえがないものを、どうしてこの神様は失くしてしまったのだろう。失くしてしまったからこんなにやさぐれたり、落神になってしまったのか。

「それを無事取り戻すことができれば寧琅様は罪も免れ、本来の力を取り戻し、神様としてまた活動できるということでしょうか」

「俺がいつ、罪を免れたいと、力を取り戻したいと、神様としてまた活動したいと言った? そんなこと、一寸たりとも思っちゃいないな」

 ひとつ漏らさずきっぱり拒まれ、告は眉を顰める。

「どうしてですか。寧琅様は消えるのが怖くないんですか」

「ちっとも怖くない。むしろ、喜ばしいことだ。嫌悪も憎悪も、全て捨て去れるのだから」

 告を仰いだ寧琅は瞳を眇めると鼻を鳴らした。

「まぁ、能天気ヅラしたお前にはそういった感情分からないだろうが」

 告は反駁を口にしかえたが、ぐっと飲み込んだ。それを見た寧琅は鼻白んだように肩を竦めた。

「現界の北西にある国のあたりから、寧琅の神器の気配が出ている。君たちにはこれからそこに行ってもらう」

「え、現界に行くんですか。というか、行けるんですか……?」

「神様や神守は人間界に結構赴いてますよ。大抵は現界に干渉できない霊体で赴くことが多いですが、現地の方々に聞き取りなどの調査をしたい際や物の回収をする際は人間のふりをして顕現することもあります。時と場合によっては、人ならざるものとして姿を見せることもありますが」

 言われて、たしかに告も前世の現界で神様に会ったことがあるなと思い出した。

 人生で一度だけ神様に出会えた奇跡を、告は誰にも話したことがない。それは天界に来てからも、ずっとだ。誰かに見てもらえた、話を聞いてもらえただけでない、叶えてくれたときの驚きと喜びは途方もないものだった。その熱を、上手く表現できる気もしなかったし、外に出してしまうこともなんだかもったいない気がした。いつまでも褪せることがない鮮烈な思い出を、ずっと胸に秘めている。そしてまたどこかで偶然会えたら、感謝を伝えたいと思っている。

 ……偶然出会った、告の縁であるあのやさしい神様と比べると、やはり、目の前のやさぐれた神様になんとも言えない気持ちになる。本当に同じ神様なのか、と。

 だが、神様だって多種多様だ。下天にしかない店に興味を示して冷やかしに来る神様を遠目に見たことは何度かあるが、いろんな見目、喋り方、性格の神様がいた。転んで泣いている幼神様も見た。神様にも感情があって、痛みがあるのだと驚くと同時に、遠く尊いと思っていた存在が、ほんの少しだけ、近くに感じられて嬉しくもあった。

 寧琅には彼なりの事情があって、こうなってしまったのだろう——嫌悪や憎悪を全て捨て去りたい、そう思うに至る瑕疵が、きっと。

 告にも痛い思い出はあった。それを味わったところへ戻りたくない気持ちもある。それでも、誰とも関われない存在にはなりたくない。だって、それは、とても寂しい。そして、神様という存在への感謝がある。

 だから、寧琅が傷ついているのなら。彼が寂しいところを望まなくても済むように、少しでも前を向けるように、力になれたらと思う。

「寧琅の神器の気配がする国は、茗蓉みょうようという国だ」

「茗蓉というと、運気を司る卦蘭からん様の領地ですか」

 菁の言葉に、霜天がこくりと頷く。

「訪問許可はあっさり出してくれたよ。あそこは豊かな国で、美しいものを愛す。それゆえに、もし王族の手にその美しさに魅了され、国宝として保管している可能性が高い。そこからどうやって取り戻すか、手段は君たち次第だが、どうするにしても現界に干渉しないといけないからね。人間のふりをして顕現してもらうことになる」

 霜天はそう告げると、寧琅の前で手をさっと振った。すると、先まで萎びていた寧琅の白銀の髪がみるみるうちに艶めき、纏う着物からも汚れが消え新品のように綺麗になる。そして今度は告の方を向くと、頭の先からつま先までを観察するようにじっと見た。

「君の身なりはこのままで大丈夫そうだな。くれぐれも天界から来たとバレないように気をつけなさい」

「そ、それも罪に問われると言うことでしょうか」

「天界側から罪に問われることはありませんが、天界から来た者を人々は放っておかないでしょう。怪しまれるか、崇められるか。どちらにしても、試練どころではなくなるでしょうね」

 言われてみれば、たしかに。神様に出会った話をする相手なんていなかったしする気もなかった。だが、もししていたところで、信じた人はどれくらいいただろうか。特に告がかつて住んでいた村はかなり信心薄く、干魃による雨乞いを決意するまで村外れに建てられた社はそれはもう廃れ寂れていた。そこにいるのに相手にされない仲間のような親近感を覚えて、告はよく訪れていたし、神様と出会ったのもそこだった。

「あとはこれを持っていきなさい」

 懐から取り出したものを告の首にかけた。細い鎖がついた、丸いもの。薄い蓋を開ければ、四等分に丸が刻まれた盤と赤い針。

「羅針盤のようなものだ。寧琅の神器に反応するように設定してある。現界に着いたら、これを頼りに神器を探し出しなさい」

 ぱちん、と霜天が指を鳴らすと、やわらかな風が横から吹いてきた。

 瞬いた告がそちらに目を向けると、先まであった石壁が、青々とした景色に変わっていた——まるで、空のように澄んでいる。

「現界の日数にして、残り七日——それが、君たちに残された猶予だ。偶然にも、君たちの処刑日は同時に訪れる。まさに、一蓮托生だ」

 霜天が寧琅と告の手を繋ぎ合わせる。と、告の体に突然強い引力が働いた。

「えっ」

 抗えないまま、空のような景色が眼前に来て、そして——。

「うあああああああああああああ!?」

 告と寧琅はその景色の中に、突き落とされた。

「君たちが少しでも長生き伸びられることを、そして君たちの未来が明るいものになることを、私は祈っているよ」

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