天然ブリと殺し屋

 今日も成功した。報酬も悪くなかったし中々に良い仕事だった。1つ難点があるとすれば、服が汚れてしまったことだな。返り血で。上からロングコートを羽織ってマフラーをすれば周りから見えてしまう事もない。幸い今は真冬の夜中だ。服を着こんでいても怪しまれない。それにしても腹が減ったなぁ。仕事終わりにはやっぱり外食だろう。普通なら服に血をつけた状態で店に入るなんて考えられやしないが、俺の向かう場所はそんなこと気にしなくていいのだ。

「よっ、こんばんは大将」

「いらっしゃい、まぁ今日も派手にやって来ましたねぇ」

「仕事だからな。今日のお勧めは?」

「良い寒ブリが入りましたよ、時間貰ったら何でもできます」

「ブリか…いいな。じゃあ造りとぶり大根もらおうかな。あとはいつも通りで」

「かしこまりました」

 この店は、魚に特化した料理屋。もちろん肉料理も無くはないのだが、大将の作る魚料理は絶品なのだ。仕事終わりにはやっぱり外食だろうとは言ったが、自炊をしない俺は遠出をしていないときの食事は昼夜問わずここなのだ。

「お待たせしました。瓶ビールと、寒ブリの造りです。天然のブリは炙りが旨いんですよ、生と食べ比べてみてください」

「うぉ…いただきます」

 炙ったばかりで脂がテリテリとしている寒ブリの造り。わさびを少し多めにつけて頬張る。仕事終わりは瓶ビールと決めているので、ツンとした刺激と旨い脂を一緒に流し込む。

「…美味い。染みるな。天然ものでここまで脂があるもんなんだ」

「羅臼産なんで、北海道の寒さを生き抜いた脂ですね。はい、こちらがいつものですね~。ぶり大根はからしが合いますよっ」

 俺がいつものと言って注文しているのは、鯛めしと赤だし。そして小鉢に入った肉のしぐれ煮だ。

「ん~…大根がやばいな、旨味の塊になってる。ここの魚料理は絶品だけど、このしぐれ煮が溜息出るんだよ。いい加減真空パックでも売りに出してほしいくらいだよ」

「毎度嬉しいお言葉ありがとうございます。まぁ、こんな商売なんでね、静かにひっそりとが1番お客様の信頼にもなりますから」

「それもそうだな。今日は特にヤバい奴多いみたいだし…あれ、フジさんもいたんですね?ブリがうますぎて気づかなかった…こんなんじゃ仕事失敗しちゃうなぁ」

「食事の時くらい気抜いたっていいじゃないっすかマツさん。ねぇ大将?」

「えぇ」

 俺のいるカウンター席から少し離れた奥のテーブル席に、フジさんは居た。テーブルに残っていたビールのジョッキときゅうりの漬物をもって隣へ来た。

 「えらく派手にやったっすね。血の色からしてやったのは1時間前くらいですかね?」

「相変わらずすぐに勘の働く人だなぁ…あんまり詮索すんなよ、」

「この店の中では世間話みたいなものっすから気にしない気にしない。今は仕事の重圧から解放されてうまい飯を楽しむ時間っす」

 そういうとフジさんはしぐれ煮を注文していた。酒の肴がなくなったみたいだ。彼も仕事終わりのようで、ゆるゆるのスーツを着ている。俺よりも幾分か年下のはずなのだが、緩い恰好のせいで同じくらいの歳に感じる。

「今日はどんな奴を殺めて来たんです?」

「ド直球も相変わらずで…有名な企業の会長だよ。注文が色々多かったんだが悪い話じゃなかったんでな。後処理は任せて飯を食いに来たわけだ」

「仕事の直後によくご飯なんて食べられるっすね。毎回思いますが」

「お前も仕事終わりに来てるじゃないか」

「俺は殺し屋じゃないです。探偵なんで。今日は不倫女のホテルまでの道のりをついていっただけで、血生臭い現場見てないんっす」

 そう、フジさんは探偵だ。そして俺は殺し屋。


 ここは東京都内のどこかの地下にある『ナカマ食堂』。殺し屋である俺が仕事終わりに気兼ねなく食事に来られるのは、この食堂の客が『殺し屋』と『探偵』だけだからだ。完全紹介制で、秘密主義。そして出入りする姿は全く外から分からないようになっているという徹底ぶりは、こういう仕事をしている俺達にとってとてもありがたいのだ。なぜ『探偵』と『殺し屋』という正反対で敵対するような職業のみを集める食堂を作ったのかは分からないが、かなり前からこの場所に存在しているようだ。俺が常連になったのは10年ほど前だったか…


 紹介されたときは、師匠に連れて来てもらった。その時は大将もまだまだ若く、彼もまた隣に上司がいた。初めてこの店の空気を吸ったときは息が詰まるかと思った。空気が悪いわけではなく、その場にいる人間からあふれ出す雰囲気の重圧が凄まじかった。その時食べたのは確か、アジフライだったかなぁ…仕事終わりの身体に染み渡る旨さで涙が出そうだったのを覚えている。どこを食べてもふわふわで小骨すらなくて、ソースをかけなくても十分美味かった。蓄えがしっかりできた頃から、俺の食事の基本はもっぱら『ナカマ食堂』なのだ。

「浮気調査とは、世の中も暇な奴が多いんだな」

「本当っすよ。調査で色んな人見てると、生活のために一生懸命働いてんのが馬鹿らしくなりますよ。お、あざっす」

 しぐれ煮が届いて上機嫌なフジさん。ここの客でしぐれ煮を頼まない奴はいないんじゃないかというくらい、とにかくうまい。大将に何を使っているのかを聞いても

「企業秘密なんでね、先代から口止めされてるんですよ」

 と、何の肉を使っているかすら知らない謎の料理なのだ。まぁ、美味いから何でもいい。

「最近新しいお客さん増えましたね。今日も知らない顔が多い」

「ジョーさんのところで、ブランクのある人たちをたくさん雇ったと聞いています。そこの人達がうちを気に入ってくださったみたいで」

「ジョーさんか…俺の商売敵が増えちまった訳だな」

 ジョーさんは、俺と同じ殺し屋。それなりに大きな組織になっているみたいで、殺しから死体処理まで自分のところで完結しているらしい。増員したとなると、俺みたいに少人数で稼働している奴らには強敵なのだ。

「フジさんのところは最近どうなんだい?1人で事務所やるのも大変だろう」

「そっすねぇ、最近はお金持ちの浮気調査が増えて安定してきてはいますよ。忙しいけど生活できてるから特に文句はないっす。まっ、ドラマや映画みたいに殺人現場を嗅ぎまわるようなことはほとんどないんで、刺激が欲しくなる時はありますけどね」

 にぃっといたずらっ子のような笑みでこちらを見る。こんな舐めた調子の奴だが、仕事の腕は確からしい。俺のことは嗅ぎまわらないようにと念を押しているが、何かの縁で俺の殺したターゲットにつながる事だけは止めて欲しい。面倒なことになる気がする。

「まっ、仕事終わりにここの食事とビールが飲めればいやなことも全部流れます。うっわ、マツさんの食べてる造りブリっすか?美味そうっすね…」

「炙りがヤバいぞ」

「んじゃ俺も貰って良いっすか?」

「あいよっ」

 ブリを炙るパチパチという脂のはじける音が何とも心地いい。もう炙ってしまえば何でも美味くなるんじゃないかと思うような音だ。

「…っくぅ~、これは美味すぎる。ビールとわさびと魚の脂ってある意味麻薬っすよね」

「確かに、合法麻薬で1番極上の気分になれそうだな…いかんいかん、気づけば物騒な話にそれてしまう。明日の仕事に響かない程度に、酒はこれくらいにしておくか」

「早くないっすか?殺し屋の仕事なんて夜中なものなんじゃないんすか?」

「ただ殺すだけじゃないんだよ。色々と調べたりリスクを考えたりとか、こう見えても難しいんだよ」

「一度見学させてほしいものですね、探偵の勉強がてら」

「やめてくれよ、お前さんが来たら警察が付いて来るんじゃないかって不安を抱えながら任務に当たらないといけないじゃないか。大将、これで足りるかい?」

「はいっ、えぇ600円お釣りです。いつもありがとうございます」

「ご馳走様」

 まだしぐれ煮と生ビールを啜っているフジさんがひらひらと手を振ってくる。俺もあと1本くらいビール行きたかったなぁ…と後ろ髪を引かれる思いで店を出た。しばらく地下道を歩いて暗いビル街に出た。ここから数分歩いたところに俺の住むマンションがある。ちなみにこの地下道には出口がいくつもあり、知っていれば色んなところから入ることができ、知らなければ一生知ることのないであろう不思議な造りになっている。これまで大規模な経路を作るにはかなりの時間と、隠し切る術が必要だったはずなのだが、それが色んな謎に包まれているナカマ食堂の歴史なのだろうと気にしないようにしている。

「ただいま」

 セキュリティの堅いロックを3つ解除して家に入ると、足元に擦り寄ってくる毛玉を抱え上げた。飼い猫のタマだ。毛玉のようにモフモフしているので『タマ』。猫っぽい名前でちょうどいい。俺の家族はタマだけだ。

 俺の率いる組織の人間はみな独り身の者だけだ。そして、全員がペットを飼っている。これは俺の師匠の教えだ。

『食事と癒しは大切にしろ』

 というのが彼のモットーだった。私生活の安定は仕事の安定にもつながる。食事と癒しが充実していれば、大抵のことはどうにかなると良く分からない教えを叩き込まれたが、結局今上手く行っているのであながち間違いじゃなかったのだ。

「はいはい飯だよな、ちょっと待ってくれ」

 帰ってくるのが遅かったからか、腹が減ったぞとにゃーにゃーずっと泣かれている…いや、血の匂いに反応していたのか。

「待てよ…いいぞ」

 タマは他の猫より賢い。犬と同じくらいに鼻も利くので番犬のような役割もある。

「明日から3日くらい仕事で家を空けるから、またリリが来るからな」

 リリという名前を出した途端分かりやすく嬉しそうな鳴き声を上げた。リリはうちの組織の世話係みたいなものだ。仕事で家を長く開けるときは生活感が消えて万が一疑われるようなことがないように、彼女に家とペットの管理を任せているのだ。

「んじゃ俺は風呂に行ってくるから」

 のんびりと猫缶をなめ続けるタマを置いてシャワーを浴びに行く。首元に着いた血痕が中々取れない…あぁ、あのシャツに着いた血痕も取れにくそうだな。リリに後でぐちぐち言われそう…

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