第16話

 迂闊だった。

 確かに、その可能性についてはただの一度も考えやしなかった。疑わずに付いてきてくれた、などとは言うが実際にはそれは良いカモだ。どんなことを言っても疑わないのだから、詐欺師にとってみればこれ以上好都合な存在は居ないだろう。


「……ただ、その可能性は薄いだろうと思うよ? 無論、敢えて泳がせている可能性も否定しないけれど」

「敢えて……泳がせている、か」


 もしそうだとしたら、わたしの評価も地に落ちたものだな。

 伊達に警察に所属している訳ではない。そういったハニートラップ――と言って良いのかは置いておくとして。似たようなケースだから別に良いだろう――には引っかかる訳がない。


「まあ、きみがそれに引っかかるなんてぶっちゃけ想像できないけれどね。というか、それを出来るって相当頭が切れる人間だと思うし」


 ドクターは本気で言っているのか冗談で言っているのか、さっぱり分からない時がある。

 それが今、だ。


「ところで、何をしに来たのかな? 流石にこうやって世間話をするためだけに来た——そんな訳でもあるまい? 幾らヒューマニティが浸透したとはいえ、警察機関は今だって長時間労働のランキング上位だ。こんなところで油を売っていること自体が珍しいと思うけれどね?」

「……わたしは成果を上げているから良いんだ」


 確かに、ドクターの言うとおりだ。

 わたしはこんな世間話をしたいがためにここに来たんじゃない。

 歴とした、理由があるのだ。


「——ネオワールドについて、知っている情報を教えて欲しい」


 それを聞いたドクターの目が、ちょっとだけ大きく開いたような気がした。


「ネオ、ワールド……か。あそこは秘匿性が非常に高くてねえ。公開されている情報もそれなりに多いはずなのに、何故だか如何して尻尾を掴ませてくれない。まあ、そうでなければ警察や政府から逃げおおせることは出来やしないのだろうけれど」

「……それじゃあ、ドクターも知っている情報は少ない、のか?」


 新規の情報、一つや二つでもあれば良いと思ったのだが……。


「ないとは一言も言っていないだろう?」


 ドクターはニヒルな笑みを浮かべ、話を続ける。


「ネオワールドはその秘匿性が故になかなか尻尾を出さない特徴がある。しかしながら、だ。社会で活動をしている以上、絶対に表に出ている場所が一つでもあるはずだ。当たり前であって、この世界において全く他と交流せずに生きていくことは不可能に近しい。それこそ、何から何まで自分で生産していれば、それはまた別の話だけれども」

「ネオワールドと接触し、話を聞きたい」

「何故?」

「クロサキ——彼女に会うべきだと、思ったからだ」

「きみが追い続けているという、謎の女か」


 端的にドクターは説明した。


「裏社会に秀でていて、反ヒューマニティ勢力を裏で操っているとさえ言われている、闇のブローカー……政府や警察が喉から手が出るほど捕まえたい存在であるとは思うけれど、反面それに出逢うことは叶わないと思うけれど?」

「ネオワールド」


 わたしは、単語だけを述べた。


「最後に接触したと言われる組織——それがネオワールドだ。ネオワールドに接触さえ出来れば、彼女へのルートが開かれる。そして、彼女に会って——」

「——何をするつもりだい?」

「何を……」

「そりゃあ、そうだろう。どんな些細なものであったって、理由は何かしら存在するはずだ。大なり小なり、優先順位は違うかもしれないけれど、だ。そして、ネオワールドと接触するということは、間違ってしまったら命を落としかねない。ゲーム感覚でやって良いことではないんだよ。分かるか? つまりは、それに見合った理由を聞いておく必要がある」

「……似ている」

「ほう?」


 わたしは、言った。

 きっと言ったところで、誰にも到底理解してもらえるはずのない——妄想に近しい理由を。


「イブが……似ているんだよ。所々、彼女に。うり二つとは言いづらい。長く離れていたからね……。けれど、長く離れていてもなお、彼女に似ていると思わせる——それが世界唯一の自己思考型ロボット。そして、モデルとなっているのがその対極に存在する。だから、わたしは会いたい。会って、話をしたい。そう思った——おかしいか?」

「別に」


 ドクターは立ち上がる。


「良い理由だと思うよ。命を賭ける程度には」

「それじゃあ……」

「協力はしよう。尤も、きみが欲しい情報を持っているかどうかは、また別の話だがね」

「それでも構わない」


 わたしは、真っ直ぐドクターを見て、そう言った。

 新しい情報が手に入ることが、勿論一番良い。

 けれども、手に入らなかったにしても——ここでドクターと話しておくことは間違いではない。そう思っている。


「……何処からその絶対的自信が出てくるのか、分からないけれど。まあ、いいや。さっきも言ったけれど、協力は惜しまない。まあ、待っていたまえ。今資料を持ってこよう」


 そう言ってドクターは足早に部屋を出て行った。


「……信頼して、良いのですか?」


 ドクターが出て行ったのを見計らって、イブがわたしに質問した。

 心なしか声のトーンも少し下げているような気がする。


「如何してそう思った?」

「……いや、何となく」


 何となく、か。

 ロボットにもそんな考えを持ち合わせているとは、感心する。


「安心して良い。ドクターは確かに怪しい要素がてんこ盛りだから、初見で信じ込めと言うのはなかなか難しい話だし、そこについては否定しないよ。でも、不安になるのは致し方ないかな……。たまに、何を考えているのかさっぱり分からないことがある。それが自分の意思なのか誰かの意思なのか分からないけれど……」

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