第2話

 警察は、ヒューマニティの導入によりその仕事内容を大きく変えるに至った。

 ヒューマニティから発せられるアラームを第一として、行動する。

 ヒューマニティの行動は絶対だ。だから、それを拒否することも捻じ曲げることも敵わない。


「……随分と息苦しい世界になったものだよ、シキガワくん。そう思わないかな?」


 警察署に設置されている休憩部屋、そこではヒューマニティを取り外しても問題ないこととなっている。それ以外の場所でヒューマニティを取り外すと、常にインターネットに接続されているそれから、違法に取り外しが行われたとのアラームが発せられる。最早ヒューマニティは、二十四時間常に取り外さずに生活出来る代物となっているのだ。

 我々警察官のような一部の人間だけがヒューマニティを取り外すことが出来る——それを表沙汰にされてしまうと色々と面倒ではあるけれども、しかしながらこれを享受出来るならしてしまった方が良い。

 ヒューマニティに聞かれたくない話は、山ほどあるのだから。


「……そうですね。ですが、警察官にとっては、やりやすい世の中になったと言えるのではありませんか?」


 わたしに質問を投げかけたのは、署長のアラヤだ。


「そう思うのも致し方ないがね。けれども、それは欺瞞だ。人々の自由を奪っているだけに過ぎない」


 テレビでは、アメリカの大統領選挙の演説が行われていた。


「——人工知能は確かに優れています。けれども、そればかりに頼ってはいけません。わたくし、ウィリアムズ・レイク・ニアーは、人類と人工知能の建設的な共存をテーマに——」

「下らない話だよな。傍から見れば、人工知能との建設的な話題を持ち寄っているように見えるけれども、しかしそれは人工知能の顔色を窺っているだけに過ぎないのだから」

「相変わらず、署長は手厳しい。いつか粛清される日がやって来るのでは?」


 わたしの言葉に、アラヤ署長は乾いた笑いを浮かべる。


「人ならざる物が人を支配する……、何とも滑稽な話ではないか。人間が生み出したはずなのに、今や人間を支配しているのだから。逆転現象が起きていると言って良い」

「逆転現象、ですか」


 まあ、間違ってはいない。

 科学はどんどん発達している。人々の予想や理想を軽々と乗り越えていくぐらいには。

 技術的特異点シンギュラリティを優に突破している今の世界は、アイザック・アシモフはどう考えるのだろうか?

 高度に発達した科学技術は、魔術と区別が付かない——SF作家アーサー・C・クラークが言ったその言葉は、最早現実味を帯びてきていると言って良いだろう。

 しかしその結末が、こんな監視社会ではあまりにも情けない。


「……面白い話を、たまにはしようじゃないか」

「切り出したのは貴方ではありませんか……。でもまあ、陰気な話ばかり続ける気もありませんから、どうぞ」

「——人工知能は、あくまでも人間が作り出した『基礎』がある。だからこそ物事を考えていくことが出来る。それは知っているね?」


 それほど話のテーマが変わっていない気がするが、さっきの話よりはマシだと思い、わたしは頷く。


「まあ、そうでしょうね。人間がプログラミングしなければ、そのように行動しない……。それが人工知能の最初であったと思います。けれども、今はそれをベースに自ら考えている。だから、このような世界となっているのでは?」

「……では、一から何もかも考えることが出来るロボットがあるとしたら?」


 にやりと笑みを浮かべて、署長は言った。

 一から考えることが出来る——それはつまり、人間が作り出したルールも基礎も存在しない、ということか。

 しかし、そんなこと有り得るのだろうか?


「イデア社は知っているね」

「有名過ぎて別の会社かと疑ってしまいますが。ヒューマニティを開発した会社でしたね。今は、それを元手にして全世界を股に掛けるコングロマリットになっていましたか」

「イデア社は、全世界を管理する人工知能を作り上げた。それは確かに素晴らしい実績だった。しかしながら、会社というのは目標を一つクリアしたからと言って、終わりを迎える訳ではない。未来永劫に営業活動を続けていく以上、次の目標を並行して考えて行動していかねばならなかった」

「そうでしょうね。我々のように終わることのない治安維持に腐ることもありませんから」


 相変わらず自己肯定感が低いねえ、と署長は言ってさらに話を続ける。


「次の目標というのは、人間に最も近づいたロボットの存在だよ」

「……人間に最も近づいた?」

「人間は考える葦である、とは誰が言ったのかな? まあ、そこについて言及することは置いておくとして……。人間は自ら考えることが出来る。ゼロから一を作り出すことが出来る、唯一の存在であると言っても良い。それは、エデンの園に居たアダムとイブが、知恵の木の実フォービデンフルーツを食べてしまったことによって得た対価と言っても良いだろう」

「……そろそろ結論を言っていただいても?」


 署長の話は、いつも良く分からない。雲を掴むような話だ。まあ、署長になるぐらいなのだから、それなりに頭が良いのだろうし、わたしなんかじゃ理解出来ない話になったとしても、それは別に問題ないのだけれど。

 署長は咳払い一つして、言った。


「——イデア社は考えたのだよ。人工知能に出来なくて人間に出来ること。それは、ゼロから一を生み出すことではないか、と。だからそう開発を進めた、秘密裏にね」

「何故署長はそれをご存知なのですか?」

「数日前、大事にしたくないと言っていたが、イデア社の社長が警察の上層部に通報をしてきた。……イデア社が開発した、世界初の自己思考型ロボット『イブ』が何者かに掠われた、とね」

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