第7話 行方

 「いないか」


 一本目の桜の木のある場所にさくらの姿は見当たらなかった。

 ここは普段、小学生が登校する際によく集まっている場所だ。3人ほどが腰を掛けられるベンチがある。今は柴犬を連れた白髪のおばあさんが座っている。


 「すいません」


 「なんだい?」


 このまま無作為に探し回っても時間の無駄かもしれない。


 そう思い、俺は声をかけた。


 「ここら辺で子猫を見ませんでしたか?」


 「子猫?」


 「はい。これくらいの大きさの白い子猫」


 大体のさくらの大きさを手で作り、心当たりを聞く。


 「うーん……ここに30分くらいはいるけどそんな子猫は見てないなあ」


 30分。その時間に焦りが募る。

 もしかするとそれよりも前にさくらがここを通っているかもしれない。


 「わかりました。ありがとうございます」


 「その子猫は君の家族かい?」


 「いや、えっと……」


 俺は決してさくらの飼い主ではない。だが、無関係かと聞かれればそうではないだろう。さくらは俺にとってどんな存在なのか……今はよくわからない。


 「知り合いのペットなんです。いなくなったそうで」


 「そうかそうか。それなら急いだほうがいい。大切な存在は失って初めて気づくものだよ」


 「はい。ありがとうございます」


 俺はその場を離れ、もう少し先にある別の桜の木を目指した。

 最後にあのおばあさんが俺に言った言葉が頭から離れない。

 失って初めて気づく。なら、俺が今失わずに感じている、蓮や琴葉さん、さくらに対するこの感情は一体なんなのだろうか。

 自転車のスピードが上がる。シャツに汗が染み不快感を覚える。

 次の場所にもさくらはいなかった。

 川が流れている傍ではあるが、万が一落ちても溺れたり、流されたりすることはまずないだろう。


 「どこ行ったんだ?」


 一度戻ろうとしたとき、スマホが鳴った。琴葉さんからだ。


 「もしもし、どうしました?」


 「薫君、さくらのことなんだけど…」


 「心あたりのある桜の木まわってるんですけどいないですね。一度公園に戻ろうかと思ってるんですが…」


 「私今公園にいるんだけど、さくら、いるよ」


 「え?」


 そんなはずはない。

 3回は公園をくまなく探した。すれ違ったとしても気づくはずだ。それに桜の木は俺の知る限り、俺が今いる方向にしかない。さくらが反対方向に行く理由がないのだ。


 「私が公園に着いたときに、いつも通りの場所で横になってたよ」


 「そう、ですか…わかりました。今から公園に戻りますね」


 とりあえず見つかったことに安心した。どんな理由であれ、このまま見つからないよりかはましだ。

 自転車はさっきよりも重かった。なかなか進まない。

 ベンチに座っていたおばあさんもいなくなっていた。


 「まじだ」


 公園に戻り、さくらの姿を確認する。


 「薫君、本当にいなかったの?」


 「はい、本当ですって。3回は見たんです。お前、今までどこいたんだ?」


 人の気も知らないで平気でくつろいでいるさくらの背中をなでる。


 「まあどちらにしても見つかってよかったよ」


 琴葉さんが笑ってそう言う。


 「すいませんでした。琴葉さん、部活でしたよね? 大事な時期なのに……」


 琴葉さんがどれほど必死に練習に取り組んでいるかを知っているからこそ、その時間を奪ってしまったことに罪悪感を覚える。


 「私のことは大丈夫。さくらが心配だったから来たの。これで早く来ないでさくらに何かあったら、絶対後悔するもん。それに、さくらと薫君と一緒にいられる時間が増えたんだよ? だから気にしないで」


 琴葉さんが一緒に居たいと思う中に、さくらだけではなく俺も入っていた。

 そのことが何よりも嬉しかった。


 「薫君?」


 「えっあ、はい、それならよかったです」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 「薫君、部活はもう決まった?」


 しばらくさくらと遊んだ後、休憩中に琴葉さんは俺にそんなことを聞いた。


 「はい。一応は」


 「なんの部活?」


 「写真部です」


 「写真部? 薫君のやりたいことってカメラマンとか?」


 「いえ、俺のやりたいことと部活は関係ないです。活動日も少ないし、厳しくもなさそうなんで」


 「そっか……」


 少し暗い表情を浮かべる。


 以前、俺がさくらの世話のことで部活動を考えると話したときのことを思い出した。もしかすると負い目を感じているのかもしれない。


 「まあでも、コンテストは一応あるっぽいのでそれに向けた写真は集めないとなんですけど」


 「…そっか」


 俺がそう言うと琴葉さんは少しだけ微笑み、足を延ばしてそう言った。


 「琴葉さんってなんでバスケ部なんですか?」


 「え? ああ、それはね、私が唯一自分で決めたことだから」


 「唯一って……」


 「私は前も話した通り、親が絶対だったの。でもバスケだけは自分でやりたいって言って続けてる。好きだけじゃ了解もらえなくて、苦労したんだよー」


 両手を肩の後ろでベンチに置き、青葉が見え始めた桜の木を眺めてそう話す。


 「そんなに厳しかったんですか」


 「まあ一条だからね。しょうがないよ」


 「一条ってもしかして、あの一条ですか?」


 「うん、そうだよ。一条製薬の一条。話さなかったっけ?」


 「初耳ですよ」


 一条製薬といえば、日本の製薬会社で世界でも高い評価を得ており、その規模、技術、そして数々の功績はまさしく最高峰。一般的に薬局で手に入る薬は一条製薬が開発した薬であり、難病と指定されていた病に効力のある薬も一条製薬が開発した薬なのだ。世界から評価される点はそれだけでなく、製薬会社の心臓でもある開発の特許技術を一条製薬は世界に公表している。これにより世界で難病に苦しむ大勢の人が救われているのだ。


 「私はその一条の跡取り。男じゃない分会社からの反感も強いんだけどね」


 「琴葉さんにも夢ってあるんですか?」


 「夢?あるよー私の夢はね……」


 突然風が吹く。

 琴葉さんが目を閉じて歌うように語った「夢」に俺の時間は止まってしまった。

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