2章 夢の跡

第6話 青葉

 公園の桜も残りわずかとなり、小さな青葉が顔を出し始めている。

 高校生活が始まり早1か月。高校生という響きにもすっかり慣れ、クラスにも馴染めてきた。

 俺の高校生活は少しばかり変わっているかもしれない。だがそれがまた何とも言えない高揚感を俺に与えてくれている。1か月前、あの日琴葉さんとさくらに出会ったことは間違いなく俺の心を明るくいい方向に変えている。なんとなくではあるがそう感じるのだ。


 「蒼乃、ちょっといい?」


 今日は金曜日。帰りのホームルームが終わり、この後はさくらの所に行こうと思っていた矢先、若林先生に呼び止められた。


 「なんですか?」


 「そろそろ二者面談を始めようと思っててね。来週の月曜日の朝、少しだけ早く来てくれない?」


 そういえば蓮もそろそろ二者面談が始まるみたいなことを話していた。


 「わかりました」


 「それから、蒼乃の後に飯塚もやっときたいから早く来るように伝えといてくれる?」


 「はい。8時前にはいたほうがいいですかね?」


 「そうだね。それでよろしく」


 「わかりました」


 なんとも面倒くさい仕事を任されてしまった。

 飯塚とは席が近いだけあって、授業中の班活動で少し話すがそれ以外では全く話さない。授業中も声が小さく、目も合わない。コミュニケーションが苦手なのかもしれない。


 「飯塚さん」


 「はい」


 掃除中であった教室で飯塚を見つけ出し、声をかける。


 「来週の月曜日、二者面談やるから8時前には学校に来といてだって。若林先生から」


 「わかりました。ありがとうございます」


 会話がぎこちない。仕事をしているかのようだ。


 「進路のことですかね?」


 その場を離れようとしたとき、声をかけてきたのは飯塚だった。


 「そうだねーさすがにまだ早いって感じはするけどね。学校生活のこととかも聞かれるんじゃないかな」


 「そうですね……蒼乃君は進路のこととかもう考えてるんですか?」


 話をしている中で、飯塚はこんなにも話すタイプなのだろうかと疑問に思った。自己紹介での印象が強く残っているからだ。意外と言っては失礼かもしれないが、俺が想像していたような人ではないらしい。


 「進路かーまあ推薦もらって文系に進むってくらいかな」


 「文系ですか。では文学系の学科ですか?」


 「いやーそこまではまだ考えてないかな。飯塚さんは?」


 「私は文学部に進むつもりです。本、好きなので」


 自己紹介の時にも言っていた。

 読書好きに悪い奴はいない。


 「文学か……いいね。俺も少し考えてみようかな」


 「いいと思います! 文学でもいろいろな分野がありますが、私のおすすめは文学史なんです。平安時代から近代にかけて、様々な文豪が時代に残した文学に触れることで当時の価値観や表現、その背景に至るまで学べるんです。特に清少納言が書いた枕草子の背後関係なんかがおもしろくて、当時清少納言が仕えていた中宮定子に向けて書かれたのが枕草子と言われているんです。兄弟の起こした事件をきっかけに出家つまり髪を切ってしまった定子に向けて清少納言が元気づけようと書いたそうです。だからこそ枕草子は定子を慰めるためにも暗い表現が少ないのだとか。それにですね……」


 「い、飯塚?」


 「……はっ! す、すいません……」


 何とか戻ってきたようだ。顔を真っ赤にしてうつむいている。

 周囲の人も何人かがこちらを物珍しそうに見ている。

 なるほど、飯塚は好きなものに対してスイッチが入ると止まらなくなるタイプのようだ。


 「謝んないでいいよ。好きなものを話すのは楽しいからね」


 「前から一度話すと止まらなくなるので、気を付けてはいたんですけど……」


 飯塚が普段、声を小さくしてなるべく話さないようにしているのは、こういうことが原因で過去に何かがあったからなのかもしれない。俺はこのときそう思った。


「別に大丈夫だよ。俺も自分の好きなことを話すときはテンション上がっちゃうから」


 笑いながらそう答える。

 飯塚はどこか嬉しそうな表情を浮かべてにこっと微笑んだ。


 飯塚と別れた後、俺は自転車を漕ぎさくらのもとに向かった。


 「さくらぁ……あれっいないのかな」


 さくらはいつも決まって大きな桜の木の下にいる。だが白いさくらの姿はどこにも見えない。


 「おーい、さくらー?」


 耳を澄ますが声も聞こえない。

 琴葉さんに聞いた話だが、さくらはかなり臆病だそうで公園の敷地から出ることは滅多にしないそうだ。この時間、公園には誰もいない。もっと早い時間でも来るのは高齢の老人ばかりだ。


 「いないなぁ……なんかあったのかな」


 なんとなく胸騒ぎがする。


 「一応琴葉さんに連絡しておこう」


 俺はスマホを取り出し、琴葉さんにメッセージを送る。



 「「今公園にいるんですがさくらの姿が見当たりません。なにか知りませんか?」」



 「これでよし。早く見てくれるといいんだけどな……」


 いくら鷹ノ宮とはいえ、この時間ならさすがに放課後であろう。琴葉さんの部活動が何時に始まるかは知らないがなるべく早めに連絡を欲しいものだ。


 ピロン


 琴葉さんに連絡してから数分後、返信が来た。



 「「いない? ちょっと待って」」



 「ちょっと待ってってなんだ?」


 なんのことかと思った瞬間、スマホの画面が着信画面に切り替わった。琴葉さんにからだ。


 「はい、もしもし。薫です」


 「薫君、さくらがいないって本当?!」


 電話越しの声からも琴葉さんが焦っているのが伝わる。どうやら彼女は何も知らないようだ。


 「はい、そうなんです。公園中探したんですが見当たらなくて」


 「それは一大事ね……私もなるべく早くそっちに行くから、薫君はさくらのことを引き続き探しておいてもらえる?もしかするとあの子、公園の外の桜を見に行ったかもしれない」


 「公園の外ですか……わかりました心当たりを探してみます」


 「お願いね」


 そこで電話は切れた。

 公園の外、とは言ってもたかが知れている。

 この道で桜の木は5本しかない。それもさくらの体で行くにも限界があるだろう。

 俺は再び自転車にまたがり、桜の木に向かってペダルを踏んだ。

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