第4話 薫る夢
その日を境に俺は琴葉さんの連絡があろうとなかろうと公園に通った。
学校も本格的に授業が始まり、なかなか昼の時間に行くことはできない。放課後の時間を使ってさくらに会いに行っていた。
日を増すごとに地面に落ちている桜の量は増えている。さくらの視線も下を向き気味だ。琴葉さんはというと、部活が相当忙しいようであの日からほとんど会えていない。連絡すらよこさないというのは感心しないが、鷹ノ宮であれば仕方がないだろう。
「よ、さくら。今日も来たぞー」
今日は木曜日。この日も俺は公園に来た。
日差しが強く、ワイシャツの袖をめくっている。ネクタイも軽くほどき、片手にはブレザーを抱えていた。
「にゃー …」
どこか元気のない声をさくらはしている。
「琴葉さんに会えてないから元気ないか……来てくれるといいんだけどなあ…」
いくら俺でも週末にはここに来ることができない。
寂しそうなさくらを見ていると、なんだか申し訳ないような気分になってくる。
「そうだ、今日はさくらに良い物もってきたぞ」
リュックサックから取り出したのはペットショップで買った猫用のおもちゃとミルク、細かい網目状の餌だ。なんでも最近はこういうタイプの餌が人気らしい。おもちゃは充電式の自動回転ボールで色はピンクだ。桜と色が同じという安直な理由だが、さくらの興味が少しでも向いてほしかったのだ。学校近くのショッピングモールにペットショップがあって助かった。
俺がおもちゃを取り出すとさくらの視線がおもちゃに向き、まじまじと見つめていた。初めて見る物に興味があるようだった。
早速電源を入れ転がしてみる。
日ごろから持ち歩いていたモバイルバッテリ―がここで役に立った。
ボールが動き出すとさくらは怯えた様子で俺に近寄ってくる。危険なものではないと教えてあげなければならない。ボールに手を伸ばし、軽く触る。さくらの近くに寄せて、一緒に遊ぶ。次第にさくらは自分からボールに向かって行くようになった。触ると向きが変わり、ボールはころころと移動していく。遠くに行きすぎないように近寄りながらその光景を眺めていた。
「よかった。楽しんでくれてるな」
10分ほど遊んだ後、もう飽きたのかさくらは俺のもとに近寄ってきた。
「にゃー」
「さくら、疲れたか。ミルクでも飲むか? 水がいいか?」
小さな皿を2つ取り出し、ミルクと水を入れる。さくらはミルクのほうに向かった。
おそらく昼もなにも食べていないのだろう。ミルクはあっという間になくなった。
「腹減ってるのか、よし」
小分けになった餌から一つ取り出し、封を開ける。軽く握ると先端から茶色い餌が出てきた。さくらが目の色を変える。
「これ、食べて平気かな…」
生後半年を目安に、と書いてある。さくらは一体、何歳なのだろうか。
「こんなときに琴葉さんがいればなあ…」
はあ、とため息をつく。
「多分大丈夫よ」
あの日と同じだった。
背後から彼女の声が聞こえ、振り返る。さくらも走って彼女のもとへ駆け寄っていった。
「さくらぁ、ごめんねー最近来れなくてー」
「にゃー!」
ワイシャツの上からベストを着て袖をめくった琴葉さんがさくらを抱いて立っている。さくらもさっきまでとは全く違う、明るい元気な声で琴葉さんに甘えていた。
「琴葉さん、今日は来れたんですね」
「薫君、ごめんねえ、連絡もできなくて」
「いえ、大丈夫ですよ。琴葉さん、忙しいでしょうから」
「うん、ここ最近は特に。新入部員に色々と教えないといけないし、行事とかも多くて」
「行事って琴葉さん、なにか委員会でも入ってるんですか?」
新学期の行事というと学校によっても異なるのだろうが、新入生歓迎会や部活動紹介、生徒会紹介など多くてもそんなところだ。
「んーまあ一応? 生徒会だからね」
「生徒会なんですか? でも大した役職じゃなきゃそんな忙しくは…」
「そうね、私、こう見えても会長だから」
「会長?!」
伝統ある鷹ノ宮高校の生徒会、それも会長といえば例年学年主席が就任するという規則があるそうだ。
「じゃあ、琴葉さんって超頭いいんですね」
「まあね、意外?」
笑って俺に尋ねる。
「いえいえ、すごいな、と」
「まあ半分は親のせいだけどね」
「親ですか…」
「そ。私の親は二人とも私なんかよりずっと頭も良くていい大学出てるの。会社もあんなところだし……だから小さいころから勉強勉強ってずっと机に向かわされてた。そのおかげというか、そのせいというか、他の子に比べたらテストの点は高かった。それだけよ」
琴葉さんの目線はさくらに向いている。
さくらは笑顔で彼女を見つめているが、彼女の眼はどうだろうか。俺にはどこかなにかを隠しているような、そんな気がする。気のせいだといいんだが……
「ところで薫君、部活はどうするの?」
ぎくりとした。
リュックの中の「あのプリント」に意識が向く。
琴葉さんと初めて会った翌日のことだ。その日は部活動紹介があり、初めて高校で1日を過ごした。運動部から文化部まで次々と紹介をしていった。どれも3年生の部長であろう。運動部は体格もしっかりしていて、表情には自信という名の存在感があった。
そんな中で俺が興味を持った部活はというと……実は一切なかった。
運動部は論外としても、文化部は何か一つくらい興味を持つものがあるだろうと思っていた。ところがふたを開けてみるとそんなことは全くなく、会が終わってみると無駄な時間を過ごした、という感想だけが残っていた。蓮はどうやらサッカー部に入部するらしい。
「……そうですね、どうしましょうかね、あはは」
苦笑いで必死だった。
「なにかやってみたいこととかないの? 相談くらいは乗るよ」
「ありがとうございます。やりたいことは、一応はあります。でも部活にはさすがに…」
「そっか……ねえ、やりたいことってなんなの? 教えてよ」
「え、い、いやそれはさすがに、むりっす」
「えーいいじゃん。聞かせてよ」
「むりっすよ。さすがに」
やりたいこと、というかなりたい者なら俺にもある。
それは漫画家だ。
中学時代、とあることがきっかけで心がつぶれてしまった俺は、一日をただ過ごすという生活を送っていた。生きがいなどなく、目標も夢もない。そんなときに偶然出会ったのが漫画の世界だった。はじめは辛い現実から逃げるために漫画を読んでいた。だがしだいにそれは俺の中で勉強となり、漫画以外にもいろいろなジャンルの小説や文章を読むようになっていった。
小さい頃から俺には、他の人には話せない妄想の世界があった。花は空を飛び、音楽は音符や楽譜、音色が踊っている。動物と心は通じ合い、映画の主人公を思い描く。厨二病と言われればそれまでだが、確かにそこは自分にとって大切な存在だった。そんな世界で俺は0から1を生み出し、自分は間違いなく幸せで、心地よくて、自由だった。
自分の小遣いをためて、漫画を描き始めた。
あの世界を一つ、また一つと描き上げていく。
それが何よりも楽しく、いつしか俺は生きがいを見つけていた。
その生きがいはしばらくすると夢となり、漫画家を志すようになっていたのだ。
「ふーん…教えてくれないんだ。それもそっか、知り合ったばかりの人にそんなこと話せないよね。ごめんね」
拗ねてしまっただろうか。
どこか不満げな琴葉さんの表情で俺はそう思った。
「い、いえ、別に琴葉さんを警戒してるとか、そういうことじゃないです。ただ……」
「ただ?」
「まだ、自分に自信がない、と言いますか、その…」
言葉が詰まる。
何を言いたいのか、なぜ俺はこんなにも動揺しているのか、自分で自分がわからない。
「いつか、ちゃんと教えますから」
「……!」
結局こんな言葉しか思いつかなかった。
俺の言葉に琴葉さんは驚いた表情を一瞬見せ、すぐに視線をずらしさくらを自分の顔近くにまで持ち上げていた。
「ならその日を楽しみにしているのにゃ!」
声色を変え、地声よりも低くしている。
「もっとさくらは可愛い声をしていると思いますよ」
「…それもそうね」
そんなことを言い合い、目が合うとお互い笑いあっていた。
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