第2話 自己紹介

 翌日。

 今日からは通常通りの学校生活が始まる。

 俺はスマホのアラームをセットし、余裕をもって6時半には目を覚ました。

 リビングへ向かうと、そこに母さんの姿はなく、まだ眠っているようだった。


 7時に起こせばいいか……


 朝食をとる前に身支度を済ませようと俺は洗面所へ向かった。

 三面鏡に映る自分の寝ぼけた顔はまさに滑稽そのもの。なんと張り合いのない顔だろうか。

 冷水で顔を軽く洗う。

 歯磨きをしたのち、ぼさぼさの髪の毛をお湯で濡らしセットした。

 ドライヤーの音が朝の耳にはうるさいほど響く。髪を乾かしながら時間を確認する。時刻は6時50分。そろそろ母さんを起こしたほうがいい時間だ。


「よし」


 数十分前とは別人とも思えるほど生気のある顔になった。

 二階に上がり母さんを起こす。

 昨日は早く起きろ、とあれほどうるさく言っていたのに今日は自分が起きれていない。


 まったく、困った人だ。


 昨日よりも簡単な朝食をとり、制服に着替える。

 まだ慣れはしてないが、なんとなく体になじんできているような感覚がある。

 時刻は7時半。

 そろそろ家を出たほうがよさそうだ。


「行ってきます」


 家を出ると明るい日差しと心地の良い風が俺を出迎え、そっと背中を撫でられたようなそんな気がした。

 目の前に映る変わらない風景に安心感を覚え、今日という日が特別な日でないということを自分に言い聞かせる。


 すぅーっと深呼吸をする。


 数週間前のような鼻を刺す青い風は暖かさを孕んだ黄色い風へと変わっていた。

 入学祝ということで両親に買ってもらった新品のクロスバイクにまたがり、学校目指してペダルを踏んだ。

 家から学校まではほとんど直線だ。2,3回ほど曲がるポイントがあるが、本当に単純な道なのだ。

 新鮮な空気を感じていると、あっという間に学校についてしまった。信号に停まることもなかったため、8時前にはついてしまった。


 いくらなんでも早すぎる。


 表面上、そう思ってはいるが内面では安心しながら教室へ向かった。こんな時間だ。誰もいないだろうと思っていたが、すでに教室には男子が1名、女子が3名と、クラスメイトが席に座っていた。

 気まずさを覚えながら自分の席に座り、静かに本を開いた。


 謎の沈黙が教室を埋め尽くす。


 昨日で仲良くなった、という人も多少なりともいるのではあろうが少数だろう。そうだと信じたいものだ。

 今日は午前中授業で午後には帰れると聞いた。家に帰って「あれ」の続きをやることができる。それはうれしいのだが、なにやら胸騒ぎがする。

 おそらく今日はオリエンテーションが中心となるだろう。自己紹介をすることにもなるはずだ。できることなら名前だけを言って終わりにしたいが、どうやらそうもいかないらしい。廊下で聞こえる他クラスの人の話し声が聞こえてきた。


「自己紹介さ、趣味とか言うんだって!」


「えーほんと? 何言おうかなー」


 あくまで噂話だろう。だが、備えあれば患いなしという言葉もある。準備くらいはしておいて損はないはずだ。

 俺の趣味は今もしている通り、読書だ。漫画からラノベまでジャンルは幅広く読んでいる。外見からは文学青年だとは見えない、と蓮から言われたことがある。意外性という面で印象付けられるかもしれない。

 しばらくすると続々と教室に人が入ってきた。


 時間にして8時20分。

 やはり初日はみんな早く来るようだった。

 そのままチャイムが鳴り、担任の教師が入ってくる。


「おはようございます。今日は昨日連絡した通り、午前中授業で12時過ぎには放課です。このあと学年集会がありますので体育館履きをもって移動してください」


 よく通るはっきりとした声で話す目の前の女性は俺のクラスの担任、若林凛わかばやしりん先生だ。担当教科は歴史。この先生であれば眠くなるという心配はなさそうだ。


「学年集会が終わったら、クラスで簡単な自己紹介がてらオリエンテーションをしたいと思います。心の準備だけしといてください」


 俺たちの緊張を和らげようとしたのだろう。軽い笑みを浮かべてそう話した。

 その後、俺たちは体育館へ移動し学年集会が行われた。内容はいたってシンプルなもので、学年団の教師の紹介、高校の規則や注意事項、今後の予定が軽く説明された。40分程度で学年集会は終了した。

 教室に戻ると、朝連絡があった通り自己紹介が始まった。

 流れはわかりきっていたが、やはり名前順だった。つまり、俺がトップバッターというわけだ。


「蒼乃薫です。趣味は読書です。映画鑑賞なんかも好きです。よろしくお願いします」


 10秒もかからないほどの簡単な自己紹介を終え、俺の後ろに座っている女子の番になった。入学式で俺の隣に座っていた、あの女子だ。


飯塚由紀いいづかゆきです。趣味は…えっと、私も読書で、音楽とかも聴きます。よ、よろしくお願いします」


 丸眼鏡にポニーテール…大人しそうな子だ。

 その次の女子、男子、と自己紹介は流れるように進んでいった。この一瞬で名前を覚えられるほど俺の記憶力はよくない。名前と顔を一致させるのにも時間がかかりそうだった。

 自己紹介が一通り終わると、明日行われる部活動紹介の簡単な説明を受けた。昼食が必要だということを除いて特別な連絡もなかった。


 12時20分。

 今日の予定がすべて終了し、放課となった。

 蓮は今日から部活に参加するそうで、教室で昼食をとっていた。


「いやさ、サッカー部の顧問が中学の大会で知り合った人でさ、入る入らないは別として参加してみろって言われたんだよ」


「そりゃあ半分入れって言ってるようなもんだな、まあがんばれよ」


 半分笑いながら答える。蓮は高校でもかなり目立ちそうだ。

 教室で蓮と別れた後、駐輪場に向かい高校を出た。

 春風が心地よい。

 車通りの少ない裏道を使うことにした。

 小さな川が流れ、近くには公園もある。その公園は大きな桜の木が象徴的な遊具の少ない公園だった。

 何を思い立ったのか、少し立ち寄ってみる。満開の桜が見てみたくなったのだろう。自転車を邪魔にならないところに止め、桜の木の下で立ち止まる。公園には誰もいなかった。

 風に揺られ、花びらが舞う。


「きれいだなぁ」


 思わず声が出てしまった。

 その時、ただ一人、桜を見上げる俺の足元に何か柔らかいものが当たるのを制服越しに感じた。


「ん? なんだ?」


 桜から視線を外し見下ろすとそこには、美しい白いつやのある毛の子猫が一匹、俺の足元を歩いていた。

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