1章 流れる春

第1話 入学式

 「かおる、さっさと起きなさい!」


 母親の聞きなれた不愉快な大声で目を覚ます。

 枕元のスマホを手に取り、時間を確認する。

 スマホの時計は8時を示していた。


 「はいはい。起きますよ、ったく……」


 むくっと体を起こし、青いカーテンに手を伸ばす。

 シャーッ、という音を立て勢いよくカーテンが開くと、まぶしい朝の陽ざしが俺の目に入ってきた。


 「あー眩しっ」


 ベッドから降り、固まってしまった体を伸ばす。ポキポキと骨の音が鳴り、少しずつ体がほぐれてきた。

 昨日まで春休みだったという現実と名残惜しさから抜け出るように、そして今日から高校生であるという事実を噛みしめるように部屋のドアを開け、リビングを目指し階段を下りる。


 「ふぁあ~おはよう~」


 「おはよう! もう8時だよ、早く起きなきゃ。あんた今日から高校生なんだからね。あたし、毎日あんたを起こすの嫌だからね、自分で起きなさい」


 朝から元気な母親だ。

 今日は高校の入学式ということもあっていつも以上に気合が入っているのだろう。まったく、勘弁してほしいものだ。


 「はいはい」


 眠そうに返事をする。


 「ちゃっちゃと朝ごはん食べて。12時には家出るよ」


 「うーい」


 テーブルに置かれた朝食に目が行く。

 ご飯に味噌汁、納豆に目玉焼き、ソーセージ、ヨーグルト。

 和食なのか洋食なのかわからないラインナップだが、贅沢な朝食であることに変わりはない。


 「いただきます」

 


 俺の名前は蒼乃薫あおのかおる

 散々自分でも飽きるほど感じたが、母親から言われている通り、今日から高校生のしがない男だ。

 埼玉県の南部に生まれた俺は、住んでいる地区の小学校、中学校と通い、家から自転車で30分ほどの高校に入学が決まった。中学時代はテニス部に所属。副部長として部長を支えながらチームを鼓舞して県大会を目標に練習に明け暮れていた……と言いたいところだが、実際は市内でも最弱の学校で、半分諦めながら活動していた。そのほかに俺は中学で生徒会に所属していた。会長でこそなかったが、そこそこに真面目に働いていた。

 


 「ご馳走様でした」


 あっという間に朝食を食べ終わり、食器を片付けに向かう。


 シンクに置かれた水の張ってある銀色の桶に食器を軽くゆすいで入れる。


 「薫、ここにあったあたしの鏡知らない?」


 「知らん」

 

 自分で置いた場所も忘れてしまうこの人は俺の母親、蒼乃麗華あおのれいか。47歳。

 性格は普段は温厚であるが、こういった行事やイベントになると性格が変わってしまう。さっぱりとしていて、俺のやることに基本口は出さない。それだけ俺に任せているのだ。

 

 正午12時。


 着なれない高校の制服に袖を通し、真新しい大きめのリュックサックを背負い俺と母は高校に向かった。

 車内は4月だというのに暑すぎた。ブレザーを脱ぎ、ネクタイを緩める。

 本来は高校まで自転車で行くのだが、今日は入学式ということもあり車で行くことにした。学校に駐車スペースはないため、近隣の大型ショッピングモールにこっそりと駐車する。予定されていた集合時間よりも30分ほど早く到着してしまった。


 「薫、忘れ物ない?」


 「うん、ないよ」


 今更聞かれたところで遅い。

 車内には、正面から流れるテレビの音声が沈黙を遮るように淡々とニュースを伝えていた。

 

 入学式は特別な緊張感に包まれて執り行われた。

 前方に俺たち新入生、後方には保護者、正面から見て右端には教師、左端には来賓と厳粛な空気が体育館には流れていた。

 俺は名前が「あ」から始まることもあり、出席番号は1番だった。これから1年間同じクラスで学ぶ仲間となる左隣の女子からは緊張の色がうかがえた。一方で右側感じる視線。入学式程度で緊張など今更しないが、俺は緊張の顔をさりげなく作った。


 入学式は1時間ほどで終了した。一人ひとりの呼名があったため想像よりも長く時間がかかっていた。その後は各教室へ行き、担任の簡単な紹介と明日の日程やその他諸々のプリントが渡され、あっという間にこの日は終了した。


 昇降口で母さんを待つ。


 PTAの会議があるとかで時間がかかるから待っているように、と連絡があった。昇降口には俺と同じ立場であろう同期が何十人と親を待っているようだった。


「ふう、今日は終わったか……」


 肩の力が抜ける。

 緊張はしないが、さすがに疲れた。


「よっ、薫」


 不意に後ろから肩をたたかれ、俺を呼ぶ声に視線を向けるとそこには馴染みのある顔があった。


「おう、れんか。お前も親待ち?」


「そうだよ。面倒くさいって言いながら行ってたよ」



 彼の名前は和泉蓮いずみれん

 小学校から付き合いのある友人で同じ高校に進学したのだ。地頭もよく、俺なんかより偏差値も高い。もっといい学校に行こうと思えば行けたはずだ。中学ではサッカー部に所属。チームを引っ張る部長、そしてエースとして大活躍だった。



「うちも。まったく、こっちは早く帰りたいってのになあ」


「まあね。今日だけだよ、こんな日は」


「そうだといいけどね」


 軽く談笑したのち、蓮の母親がやってきた。挨拶をした後、蓮は先に帰ってしまった。少しずつ昇降口から人が減っていく。20分しか経っていないというのに、俺はもう1時間以上待っているような気分になっていた。


「やっと来たよ」


 あれから5分後、ようやく母さんが昇降口にやってきた。


「いやー参ったよ、文化祭の係になっちゃってさ…ってあれ、蓮君は?」


「もう先に帰ったよ。ほら、俺たちも早く帰ろう」


「はいはい」


 正門を抜け、ショッピングモールの駐車場を目指す。

 夕飯だけ買って帰るということで施設内の食品売り場へ向かい、惣菜を購入した。

 ものの10分ほどで買い物は終わり、車に戻った。車内にはもさっとした暑苦しい空気が籠っていた。車に乗り込み、窓を開ける。ブレザーを脱ぎ、ネクタイをほどいた。


 俺は今日から高校生である。


 よくアニメや漫画、ラノベで描かれるような高校生活なんて期待していない。

 俺が期待していることがあるとすれば、それは俺の悩みと「夢」の手がかりが掴めるかもしれないということだけだ。


 窓の外にはっきりと映る美しい夕焼けを眺めながら空の風を受け、俺は車に揺られながら家に帰った。


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