序章2 地球の少女の死

美人薄命というのは本当かもしれない。美人だと何かと苦労する。

あたしのママは美人で有名だった。そりゃもう学校で話題になっちゃうくらい自慢の。テスト範囲のプリントを詰め込んだファイルの一番上に入れてある、色褪せた家族写真と鏡を見比べ、あたしは母さんと重なる部分を探した。

栗色の毛、猫みたいにまんまるで色素の薄い目、通った鼻筋、輪郭......表札に刻まれた苗字は今違っても、あたしの中に母さんの遺伝子はしっかり残っている。あたしは母さんが生んでくれた自分自身が大好きだ。


ずきりとみぞおちが痛んだ。セーラー服の裾をまくると、生々しい痣が現れる。

ああ、帰りたい。でもどこに帰るっていうんだろう......あたしは思った。なぜなら母さんも父さんもいないし、家族写真の背景になった一軒家ももう無いのだ。

あたしには居場所がなかった。

最近の非行少女は新宿あたりの、夜の街に繰り出すと言うけれど、あたしはいたって普通に過ごしたいだけだし、誰に利用されるのもごめんだ。なにより繁華街は遠かった。自由に使えるお金もない。


平穏な人生とか居心地のいい場所ってかけがえないものだ。そう、物事は一転する。

泣いちゃダメ。あたしは涙を堪えた。もう中学生だし、寒空の下で涙を流すと余計に寒いし。

住宅街の一角にある公園のブランコの上で、ため息をついた。時刻は夜二十時にさしかかる。これ以上時間を潰すのは限界かもしれない。

はらはらと雪の舞う中、今帰るべき場所へ戻る。


表向きには広々とした大きな家。遺産で建てたからまだ外観なんかは新しい。表札には浦野と書いてある。

あたしの母方の姓である。と言ってもこの家は仮に住んでる場所って感じだ。通ってる中学を卒業したらすぐにでも出ていくつもり。


――どこ行ってたんだ、食わせてもらってる身で。

――帰ったら掃除しろっていったろ!


眉を吊り上げた醜いおばさんが、あたしの髪を掴んだ。そのまま風呂場に連行され、制服の上からバケツの水をかけられる。この人が四六時中あたしをいじめてくるので、あたしは家で予習復習をする時間もない。


育てる気がないなら、然るべきところに行くだけだ。養護施設に入れてくれればいいものをと思ったが目当てはあたしに残された莫大な遺産らしい。

あたしの父さんは天涯孤独ながら、努力家でそれなりのお金を稼いでたとても立派な人だったから。

そしてこの人は母さんの妹である。つまり叔母。まるで母さんと血が繋がっているとは思えない人だけど。その面影を宿す義妹はずぶぬれのあたしを見てにやにや笑うと、くっさ、と鼻をつまんだ。

「その汚い服、洗濯機に入れないでよね」

あたしが先ほどかけられた水はどうやら床拭きに使ったもののようで、ひどい匂いがしていた。雫が頬を伝い、滴り落ちていく。まるであたし自身が雑巾みたいに思えて、なんだか笑えてしまった。


掃除も含めた家事全般をすごい勢いで終わらせたあたしは、晩御飯を食べ、朝までに乾くようお祈りしながら洗った制服を干す。あたしは父さんのように賢くないけど、立派な勤め人になって真っ当に生きると決めている。だからこんな嫌がらせになど屈することはないのだ!


残り湯にささっと使って身体を清めた後、廊下を通り過ぎると、義妹と叔母の談笑が聞こえた。こちらが忙しなく動いている間にもあいつらは娯楽を楽しんでいるのだろう。でもあたしは強いので、まるで古いドラマみたいな自分の運命を呪ったりしない。


疲労が滲んで頭が働かなくなってきたので、今日できなかった勉強は朝早く学校に行って取り返すことにしよう。そう決めて自室に戻り、布団にもぐりこむ。暖房の効いていない部屋はクソ寒いけれど、眠りに落ちるのは早かった。


どれくらい経ったろうか、急にドアノブが回る音がして、あたしは目が覚めた。


強いあたしにも耐えられないものがひとつある。

「星南。いるか?」

潜むような低い声が尋ねて、誰かが中に入ってくるのがわかった。あたしが身を起こすと、暗がりの中でこちらを見る青年の輪郭が浮かび上がった。

彼が入ってくる前にあたしはすぐ窓を開け、2階から飛び降り、屋根を伝って外へ出た。


人生こんなことばっかりだ。美人の娘だとマジで苦労する。好きでもない従兄弟に執拗に想われたりとか。

ママも美人でさらに気立てが良いばっかりに、ストーカーに車で追いまわされて、そいつのせいでパパともども事故にあって死んでしまったのだ。


裸足でアスファルトの上を駆けてきたせいで足の裏の感覚が麻痺しそうだ。あたしは誰も歩いていない真夜中の住宅街をしばらく走って、息が切れたところで立ち止まり、空を見上げた。

雪は大嫌い。事故のあった日を思い出すから。

「――星南、待てって! ただおしゃべりしたかっただけなんだよ」

すると背後から義兄の声がした。わざわざ追いかけてきたらしい。

絶対嘘だね、この前は抱き着いてきたくせに。あたしを弱者扱いするからそうして軽く触れてくるんだろうな。

「帰ろう。母さんと琉花には、優しくするよう俺から言っておくからさ。な?」

でも、和璃は一度もあたしを庇ってくれたことないよね。

そう言うと、彼の顔色は怒りを帯びた気がした。行くぞ、と吐き捨てられた後、あたしの腕が乱暴に掴まれるが、振り切ろうともがく。

嫌だ。

「お前に行く当てなんかないだろうが!」

ああそうだ。わかり切っているのにそのままじゃいられなかった。確かにこんなのあたしらしくない行動かもしれない。


父さんも母さんもどこにもいない。ここから逃げたとして、どこへ行く?

答えのない問いがよぎった時、遠くに流れ星が見えた気がした。

「なんだ?」

無数の流星群めいたものが空を覆いつくしたかと思うと、突然異様な音が聞こえた。和璃が動揺している。その音はどんどんこちらに近づくみたいに煩くなっていって、かと思えばあたしたちの頭上が急に眩くなった。

《ここだよ》

燃え盛る炎に包まれた岩みたいなものが空を覆いつくしている。

「え?」

問いに応える声が聞こえて、あたしが目を丸くしていると、和璃は悲鳴を上げて走り出した。その様子で只事じゃない異変が起きていることだけ理解できた。

甲高く鳴り響く警報。まるで世界が終わるような轟音、赤い光に包まれた次の瞬間、すべてが焼け焦げて目の前が真っ白になる。

そこであたしの意識は途切れた。

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