第15話 死の間際まで覚えている




「守り神様の3日間の罠……か」

「……あなた。この子の言ってる事は、本当なのかしら」


 額から流れる血をガーゼで止血して貰ったそのうえで、両頬に紅葉を作って床に正座している間宮二郷。

 そして、その二郷の正面に集まっているのは、拘束を解かれた四乃の家族。

 未だ気絶している次女を除いた彼等は、二郷の口から聞かされたモリガミサマの情報について議論をしていた。


「……そもそも、いきなり我が家を襲撃してきたうえに、拘束して脅迫して殴ってくるような異常な子供の言う事など信用出来る筈が無い」


 表情を歪め、殴られた自分の腹を擦りながら二郷を睨むのは四乃の父。

 彼の言葉を受けた二郷は、ビクリと体を震わせる。

 それは、四乃の父の言葉が全て真っ当なものであり、先程までの自分の行為が行き過ぎたものであった事を自覚しているが故だ。


 どうしても、東雲家に協力して貰う必要があった。

 どうしても、四乃へと関わらせる訳にはいかなかった。

 どうしても、原作のような結末を迎えさせたくなかった。

 だから……判り易く確実な方法に手を伸ばしてしまった。


 赤い人影が齎した心の傷が冷静な判断力を奪った。この世界に堕ちて来てからずっと化物相手に気を張り続け、まともに眠る事すらも出来ずに精神が疲弊していた。片手の指の数よりも近くに迫った絶望の日が、焦燥を募らせていた……浮かべる事の出来る言い訳は幾らでもある。だが


(鵺野先生なら、蒼月君なら、花岡隊長なら、明さんなら、夏目君なら、横島さんなら、花子君なら、九段先生なら、リクオさんなら、六氷執行人なら、四月一日君なら、ラギ先輩なら……本物の主人公ヒーローなら。他に取れる方法があるってのに楽に流されて、苦しんでる被害者の家族を監禁して殴って脅して従わせるなんて、そんな無様な真似は絶対にしねぇ。だから────悪いのは、俺の弱さだ)


 そんな言い訳は、他の誰でもない間宮二郷自身が許さない。

 故に、二郷はただ誠意を持って謝り、説得する事のみを是とし己に課す。


「すまねぇが────」


 その為に。言葉を尽くす為に、口を開こうとする二郷。

 だが……その前に、二郷の頭に四乃の祖母の手が優しく置かれた。

 四乃の祖母は、二郷の頭を撫でて微笑を見せた後、四乃の父へと向き直る。


「あまり若い子にいじわるを言うものじゃありませんよ。貴方は昔から素直じゃないんですから」

「母さん。悪いのはその子だろう。それに素直もなにも、私は信用出来ないと事実を言ってるだけで……」


 実母にかけられた言葉に、バツが悪そうな表情を作りながらもそう返す四乃の父。

 だが、その反論を受けても四乃の祖母は首を振る。


「信用は出来ないけれど、嘘だとも思っていないのでしょう? もし嘘だと思ってるなら、六花ちゃんに手を出したこの子を、貴方が2回叩く位で許す筈がありません」

「むっ……」


 図星を突かれたのか、思わず口をつぐむ四乃の父。

 それを見た東雲家の他の面々も、次々に同調の言葉を吐く。


「……確かに。あなた、前に六花に懸想していた同級生の男の子を。凄い剣幕で脅していましたものね」

「ぐっ!? ……あ、あれは性質の悪そうな不良だったからで」

「だからといって、手を出される前に実家に乗り込んで、結婚する気が無いのに手を出すなら社会的に抹殺するぞ、なんて宣言は儂でもせんわ」

「ぐ、ぐぐっ……!」


 味方である筈の家族からの思わぬ攻撃に、頬に汗を流し言葉を詰まらせる四乃の父。

 それでも少しの間、何か返す言葉を考えていたが……やがて諦めたのか、誤魔化すように大きな咳払いをしてから口を開く。


「……オッホン!! まあ、うん……そうだな。君の事は信用は出来ない。出来ないが……正直、言っている事に思い当たる節は有る。少し待っていなさい」


 そう言うと、四乃の父は部屋を出て行き、暫くしてから一枚の紙を持って戻って来た。


「これを見なさい」


 そういって四乃の父が広げた紙に書かれていたのは……


「これは、家系図……?」


 眺め見た二郷が呟いた通り、それは江戸時代から遡り記載されている、東雲家の家系図であった。ただし……その家系図には所々名前が黒く塗り潰され、死亡日だけが記載されている人物が幾つか存在している。


「その黒塗りは、『記載ミス』を訂正したものだ」

(記載ミス……そりゃあ、つまり……今までにモリガミサマに憑かれて、『無かった事にされた』人達の事か……?)


 二郷が四乃の父の目を見ると、四乃の父は頷き、続きの言葉を口にする。


「見て欲しいのは、その『記載ミス』の近くに書かれている親族でね……不思議な事に、我々の家系には『記載ミス』の人物の横に書かれている死亡日と同日に死亡している者が、何名も存在しているのだよ」

「……っ!」


 その言葉だけで、二郷は察した。

 その人物達は、モリガミサマの罠に掛かった人物なのだろうと。

 彼等は愛する家族がモリガミサマから解放されたと信じ、喜び、抱き締め合い────呪われ、死んだのだ。

 誰にも救われる事がなかった命の数を現実として突きつけられ、思わず拳を握る二郷。

 そんな二郷を尻目に、四乃の父は言葉を続ける。


「その死亡した者達は一様に、家系図に名前が残されていない、とても親しい身内が居たと……そんな『嘘』を言っていたらしい。つまり」

「────その事とこの子の話を照らし合わせてを考えると、信用するしかない……とでも言いたいんじゃろう。すまんのう、話が長いんじゃこのバカ息子は」

「なっ……親父! 俺はあくまで統計を基にした説明だな……」


 言いかけた言葉を更に手で遮り制する四乃の祖父。


「厳重に秘匿しておる我が家の情報を掴んでいて、守り神様について、儂等が知っている物と同じ情報を、そして儂等も知らなかった情報も持っておる。それでいて『儂等の知らない誰か』を助ける為に、夜中に他人の家に身一つで討ち入りしてきた子供……そんな馬鹿者を疑っていたら、世の中全てを疑わねばならんわ」

「む、う……」

「そもそも、さっきも言ったじゃろう。儂等は今、不審人物に脅されておるんじゃ。安全の為に、命惜しさに、この子の言葉に従うしかない。どうあっても、今の儂等には『それしか出来ない』んじゃよ」

「……!」


 四乃の父が黙り込んだ事を確認した祖父は、二郷へと近づき……気合を入れるかの様に、その背中を力を込めて平手で叩いた。

 そして、大きく声を張り上げる。


「────さあて、儂等は真夜中に襲ってきた強盗から逃げる為に、家族で一週間程身を隠さないとのう!! 帰ってきて安全が確認できたら……その時は、苺の乗った大きなケーキでも食べたいのう!!」


 ワザとらしいその言葉を聞いた四乃の家族達は、溜息や苦笑などで各々の気持ちを表すが、それでもその言葉を否定する者は一人も居なかった。


「はぁ……分かったよ。全く、親父はいつも自分勝手に物事を決めて……仕方ない。こうなれば逃げる準備をしなければな。さて、着替えは何処にあったか」

「怖い強盗さんに捕まらないように、色々と準備しないとねぇ。お金も下ろさないと」

「ケーキといえば、昔、ケーキが好きな『知らない子』がいた気がするわ。誰だかは忘れてしまったけど、また会いたいわね」


「っ……!」


 彼等のその言葉に。光景に、二郷は言葉を詰まらせる。


(……すまねぇ。本当は、娘の最期は見送ってやりてぇと、そう思ってるよな。せめて最後は近くに居てやりてぇよな。それなのに、アンタ達はあの子を助ける為に……最後になるかもしれない時間を捨ててまで、俺みてぇな馬鹿が見せた可能性に賭けてくれるんだ。賭けざるを得ないまでに、追いつめられてて……その気持ちを利用しちまって、本当にすまねぇ)


 込み上げかけた涙を元凶であるモリガミサマへの怒りと変えて拳を握り直すと、二郷は外出の準備を始めた四乃の家族の背中に向けて口を開く。



「あの子……東雲四乃は、助かる。俺が、何があってもあの子を日の当たる場所に連れ戻す。だから、戻って来たその時には――――あの子を、力いっぱい抱き締めてやってください」


 正座のまま、再び頭を下げた二郷。

 四乃の家族がそれに返事を返す事は無い……出来ない。モリガミサマへの恐怖はそれ程までに彼等を強く暗く縛っている。


 けれど、返事を返さず外出の準備をする家族達の頬に流れる涙は、どんな言葉よりも雄弁に彼らの答えを示していた。






 最後まで気絶したままであった東雲六花を乗せ終えてから、走り去っていくワゴン車。

 出がけに渡された東雲家の玄関の鍵を手に、二郷はそれを黙って見送っていたが、車の姿が完全に見えなくなったところで渋面を作りつつ口を開いた。


「……おい、ジロジロ覗いてんじゃねぇ。隠れてンのは判ってんだよ『スイガラ』」


 すると、二郷の言葉から十数秒後。東雲家の入口の門の上から、黒い塊が落下してきた。


「――――どうもこんばんは、二郷君。いつも貴方のすぐ側に、都合の良い女の五辻レイです。親しみを込めてレイちゃんと呼んでくれても良いですよ」


 華麗に着地に失敗して、ビタンと地面に叩きつけられたにも関わらず、苦痛の色など一切見せずに砂埃を払いながら立ち上がったのは、一部が欠けている笑顔を模した仮面を被った少女。

 夜の沼地を彷彿とさせるその少女は……二郷が通う四ツ辻中学校に巣食う化物である『スイガラ』。その一個体である五辻レイであった。


「世間様に誤解されるような言い回しはやめろって言っただろうが……つか、やっぱし居やがったか」


 額を抑え溜息を吐く二郷に対して、五辻レイは小首を傾げる。


「おや?先程の言い様から、何かしらの方法で僕の存在を感知しているものだと思っていたんですが……」

「ンな訳ねぇだろうが。俺は、幽霊族の生き残りみてぇに髪で妖気の感知なんか出来ねぇんだよ。単に、テメェら『スイガラ』が教室での話だけで俺を信用仕切る訳がねぇ。約束を守るか必ず監視してるって、そう予想してヤマ張っただけだ」

「……成程。それはそれで、人外じみた予測力ですね」


 そう言ってから、五辻レイは歩を進めて二郷の真正面へ立つ。そして、欠けた仮面の隙間から見える目を細めると、白い指で二郷の額に張られたガーゼに触れ、ゆっくりとその表面をなぞる。


「さて、どうにも名誉の負傷が有ったようですが、先程の車を見るに、此処での二郷君の目的は果たされたと考えて良いんでしょうか?」

「ハッ……なんだ、見張ってた割には家の中は覗かなかったのかよ。随分プライバシーに配慮してんじゃねぇか」


 ガーゼをなぞる五辻レイの手を掴んで引き離しつつ、皮肉気に言い放つ二郷に対し、五辻レイは芝居がかった様子で肩を竦める。


「罠を張っている最中に姿を見せないだろうとはいえ、僕がモリガミサマの巣に無防備に入って、無事に済む保証はありませんので……ああ、モリガミサマに畏怖を抱いて化生が近づかないという意味では、アレはある意味守り神様をやっていると言えるのかもしれませんねぇ」

「……おい」


 そう言った五辻レイのセーラー服の首元を、二郷が掴む。そして引き寄せて至近距離で睨み付ける。


「アレが守り神だなんてふざけた事は、二度と言うんじゃねぇバケモノ」

「……失言でしたか。他意は無いので、見逃してくれると嬉しいんですが」


 心無い言葉に対して嵐の様な怒気を向けた二郷であるが、柳に風とばかりに動揺の色すら見せない五辻レイの態度に、やがて呆れたように服を掴んでいた手を離し解放した。


「チッ……ああ、説得は済んだよ。あの子の家族は1週間は帰ってこねぇ。これで、この家の人間が犠牲になる事も、その犠牲でモリガミサマが肥え太る事もねェよ。だから次は」

「それでは次は、僕の番という訳ですね。ええ、二郷君との約束は守りますよ。東雲四乃さんが登校しても、学校の人間達には不干渉と無視をするよう、微力を尽くしましょう」


 黒色のセーラー服の襟を直しながら、事も無げにそう言ってのける五辻レイ。

 その余りの胡散臭さに、二郷は眉を潜めて暫く沈黙したが……


「……分かった。信じる。よろしく頼む」


 小さな声で、けれど確かにそう言った。

 それを聞いた五辻レイは、少し目を見開くが、彼女が何かを言うよりも先に二郷は動きだし、東雲邸の門を再び潜っていた。

 閉じていく扉。その先に見える二郷の背中に向けて、五辻レイは声を掛ける。


「二郷君。邸宅に戻って何をするつもりですか?」


 二郷はその声に振り向くことはせず、それでも律儀に言葉を返す。


「もうすぐ夜が明けるからな────いろいろ準備して、体調崩して休んでるクラスメイトを迎えに行くんだよ。一緒に登校する為にな」


 そして扉が閉まる。

 時計の針は夜明けを示し、東の空には朝日が見え始めていた。










 その日。東雲四乃が目を覚ますと、彼女の世界は激変していた。

 幼い頃から、例え目を瞑っていても四乃にその姿を見せつけてきた存在────守り神様と呼ばれる化物が、視えなくなっていたのだ。


 その事実に対して、四乃が始めに抱いた感情は、戸惑い。

 何故、どうして……どんな手段を用いても、決して逃れる事が無かった恐るべき化物が消え去ってしまったのか。どれだけ考えても、その理由が見当たらなかったからだ。

 故に、その混乱への対応として、四乃は何時もの通り身支度を続ける事で精神の安定を図った。

 シャワーを浴び、髪を乾かし、鏡を見て。

 

 そして……鏡に写る自身の右目が。

 モリガミサマの醜悪な容貌が刻まれていた右目が、普通の人間のものに戻っている事を確認して。


 混乱は喜びへと変化した。


 原因は解らないが、自分は助かったのだと。モリガミサマから解放されたのだと――――普通を取り戻したのだと。喜びの感情が、四乃の全身を支配した。


 ……『さかさネジ』原作に描かれた東雲四乃は。

 彼女は、その喜びを共有する為……もう安心だと。助かったのだと報告する為に、そのまま家族の下へと駆けだした。

 そして、その言葉を信じた家族と泣きながら喜び合い、今までの孤独な日々を埋め合わせるかのように、登校した学校の同級生達とも積極的に交流をした。

 他人と語らう事が出来る。触れる事が出来る。そんなありふれた喜びを、全身全霊で味わい尽くした。


 ……心の隅で自身の理性が叫ぶ『理由なくモリガミサマから解放される筈が無い』という声に対して、耳を塞ぎながら。


 他人が犠牲になる可能性から目を背けたその楽観的で愚かな選択は、けれど彼女の境遇を考えれば仕方の無い事であったと言えるだろう。

 何故ならば、原作の東雲四乃には、絶望しかなかったのだから。

 自死すらも許されず、誰からも救いの手が差し伸べられる事は無く、心折れたその先に見せられた、最後の、唯一の希望だったのだから。


 ────だからこそ。


「……ダメ。冷静になろう」


『今の東雲四乃』は、圧倒的な喜びを前にして尚、踏みとどまった。

 それは彼女が、目の前にぶら下げられた偽りの希望とは別の希望の存在を知っていたからだ。


『────いいか!? バケモノになんざ負けんな!! 絶対に諦めんじゃねェ! アンタは助かる!! アンタを救うアンタの主人公は居る!!!!! だから俺を信じて、生きて戦え!!!!!!』


 きっと、死の間際まで覚えているであろう言葉。

 あの日の夕方。この世界でただ一人、自分を助けようとしてくれた見知らぬ少年の姿────心の底に焼き付けられた、鮮烈な思い出が有ったから。

 だから今の東雲四乃は、希望を冠した絶望に踊らされる事は無かったのである。



 そして



「……え?」



 四乃が住んでいる離れの建物。

 今までにただの一度も鳴らされた事が無かった、玄関のチャイムが鳴った。



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