第12話 クラスメイトの、化物です



 心臓が五月蠅い程に過剰に動いているにも関わらず、呼吸は浅くなり、肺は空気の遣り取りすらも覚束ない。指先は冷えて細かく震え、口内は急速に乾いていく。



「おや、どうしたんですか二郷君。そんなに驚いた顔をして」

「っ……来るな。俺に近付くんじゃねぇ」


 絞り出した二郷の言葉など聞こえていないかのように、黒いセーラー服を揺らしながら少女は近づいてくる。

 ……否。少女ではない。近付いてくるのは化物。仮面を被り人を模した【スイガラ】だ。

 笑顔を描いた仮面を被ったスイガラは、まるで影が伸びる様にゆっくり、ゆっくりと二郷との距離を縮めていく。それに対して二郷は、震える足で僅かに後退する事しか出来ない。


(糞がっ! 最悪だ────最悪だ最悪だ最悪だっ!! なんで、こいつが此処に居やがる……いや、何でこいつに俺が呼び出される状況になっちまってんだよ!?)


 突然の事態に追いつめられている二郷の脳裏では、恐怖と疑念が渦巻いている。

 それは、スイガラと遭遇してしまった事に対して────ではない。

 スイガラという化物に『目を付けらてしまった』という、その事実に対して、二郷は激しい焦燥を覚えていた。


『さかさネジ』という作品に対する知識を有している二郷は、当然の事ながら【スイガラ】という化物についても知っている。

 ストーリーの流れも、そこで描写されたスイガラという化物の特性も、作者が巻末で記載していた情報に至るまで。

 それら全てを知っていて、だからこそ二郷は、今の時点でのスイガラは『対処不能な存在ではあるが、今は自分を襲う事は無い』と、そう踏んで、モリガミサマの対処に時間を割いていたのだ。にも関わらず



「同年代の少女が。僕が、勇気を出してラブレタアをしたためたんです。それを、奥ゆかしくも貴方の知人を介して渡したんです。受け取った二郷君は、もっと喜んで良い筈ですよ。それなのに、そんな反応を見せられては」

「……ヒッ!」


 そんな二郷の想定など無視して、スイガラはこうして目の前に現れてしまった。

 明確に二郷を認識し、呼び出してきたのである。


 スイガラと二郷との距離は、いよいよ半歩分まで近づいてしまっている。

 至近まで近づいた【スイガラ】は、恐怖によっていよいよ蒼白となった二郷の左頬に右手で触れると、息が掛かる直前────唇が触れる寸前の距離までその仮面の顔を近付け




「────それじゃあまるで、二郷君には、僕が『僕』に視えているようじゃないですか」



「っ、があああああああああ!!!!!」


 二郷は、咆哮する事によってその身体を縛る恐怖という感情を力づくで振り払う。

 ダンと床を踏み鳴らし後ろに跳躍すると、そのまま【スイガラ】に背を向け、一目散に視聴覚室の出口へと向けて駆けだす。

 背後から足音は聞こえず【スイガラ】が追いかけてくる様子は無い。


(っし! 大丈夫! 大丈夫だ! このまま行けば逃げ切れる! 一旦体勢を整えて────)


 視聴覚室の扉を勢いよく開き、廊下へと飛び出す二郷。

 そのまま最短距離で校舎の外を目指そうとしたが


「ん?」

「んなっ────ぐべあっ!!?」


 眼前に唐突に現れた、学生服を着た人影。

 それを認識した二郷は慌てて回避をしようとしたが、失敗し、盛大に転んで慣性のままに廊下の壁に背中を打ちつけてしまう。


「痛……てえッ……!」

「うわああっ!? ええ!? なんでいきなり走ってきたのさ間宮君!?  というか、凄い音がしたけど大丈夫!?」


 廊下に立っていた人影。それは、先刻まで二郷が教室で話をしていた少年。手紙を受け渡してきたクラスメイトの佐藤であった。


「うゲホッ! ゲホッ! ……だ、大丈夫だ……けど大丈夫じゃねぇ! 佐藤、お前何でこんな所にいんだよ!? 危ねぇから今すぐ此処から逃げろ!!」

「え? はい? 何? 危ないって……いやいや、何を言ってるのさ間宮君」


 突然の佐藤の登場に驚愕しつつも、現状で呑気な会話をする余裕などない二郷は、咳込みながら立ち上がり、佐藤を【スイガラ】から避難させようと声を掛ける。

 だが、状況が掴めていないのか、佐藤は困惑した表情で首を傾げ、走り去ろうとする二郷の腕を掴むと


「危ないも何も────間宮君。五辻さんから逃げちゃダメだよ。ちゃんと彼女の話を聞いてあげよう」


 まるで、仮面を張り付けたような笑顔でそう言った。


「……は?」


 佐藤の表情を見て、異常を感じた二郷は、即座にその腕を振り払おうとする。

 だが、佐藤の腕には尋常ではない────まるで、肉体のリミッターが外れているかのような強い力が込められており、二郷の技術を以てしても振り解く事が出来ない。

 やむを得ず、佐藤の手の関節を外して無理矢理抜け出そうと試みる二郷であったが


「おいおい間宮! 理由は分かんねーけど、こんなところで喧嘩なんてよくないぜ! いいじゃねぇか、五辻さんの話を聞くくらいさ!」

「ぐえっ!!?」


 背後から声が掛けられ、直後に丸太の様に太い腕が二郷を羽交い絞めにする。

 二郷が首だけを動かし振り向けば、そこには佐藤と同じように仮面じみた笑顔を浮かべる筋骨隆々の生徒……クラスメイトの、柔道部に所属している男子の姿があった。


「て、テメェ…………ら……?」


 柔道部の男子生徒の顔に頭を叩きつけて脱出する事を思案する二郷であったが────その背後の廊下を見て、驚愕に目を見開き絶句する事となる。



「そうだよ! みんな仲良くだよ! 五辻さんと間宮くんも仲よく話し合うべきだよ!」

「俺もそう思うな。五辻さんは君と話したいだけなんだからさ、視聴覚室に戻ろうよ」

「別に良いじゃねぇか。五辻さんと話すくらいさ。減るもんじゃねぇんだし」

「だよねー。ていうか、男なんだから女の子の話聞いてあげなよ。五辻さんが可哀そうじゃん」

「ああ、だりいなぁ。良いから、五辻さんと話せよ間宮」

「五辻さんがあんたに何かした? いきなり逃げるなんて酷くない?」

「そうだよ間宮」

「しっかり話した方が良いよ五辻さんと」

「間宮」

「五辻さんと話そう」

「話そう」

「話すべきだよ」


「五辻さんはそこに居るよ」


 廊下には、学生服と黒いセーラー服を着た生徒達────間宮二郷のクラスメイト達が、仮面のように同じ笑顔を張り付けて立っていた。












 視聴覚室に連れ戻された二郷は、紐で後ろ手に縛られ、中央の席の椅子に座らされている。

 そして、その眼前の机には【スイガラ】が腰掛け、二郷へと仮面に描かれた笑顔を向けている。

 スイガラは、無抵抗の二郷の髪を右手で弄りつつ、語り掛ける


「いやはや。友達というものはありがたいものです。困った時に、こうして力を貸してくれるんですから」

「────はっ。ふざけろ何が友達だ。うしとら読んで友情の定義を学び直しやがれ」


 二郷は縛られたまま拳を強く握り、恐怖から来る震えを隠しながらそう吐き捨て、視線を視聴覚室の廊下側の壁へと向ける。

 そこでは……二郷のクラスメイト達が、一様に同じ笑顔を浮かべて起立していた。

 彼等、彼女等は……何もしない。笑顔を浮かべているだけで、話す事も動く事もしない。

 多くの人間が居る教室で響く声は2人のものだけというのは、あまりに異様な光景である。


「友情を定義付けしてはいけません。多様性ですよ多様性」


 スイガラは机から立ち上がると、ゆっくりと歩き、二郷の背後へと立つ。


「それに、もしも彼等との友情がなければ────二郷君は、僕に襲い掛かっているでしょう? 水面の雑霊を滅したように。黒板の怪人を祓ったように。赤頭の魔物に立ち向かったように。もしくは……あの【モリガミサマ】に勇敢に襲い掛かった時の様に」


「っ……テメェ」

「『何を知ってやがる』ですか? それとも『いつから見てやがった』でしょうか?」


 自身の学内での行動を補足されていたという事実を知らされ、頬に冷たい汗を流す二郷に対し、スイガラは背後から二郷の頭を撫で始めながら続ける。


「答えは、『ずっと見ていたから、見ていた内容を知っている』です。二郷君、どうしてか君は、不登校をやめてから急に勇猛になって……加えて人間には見えない筈の存在が見えるようになっている」


 頭を撫でる手を止めて、スイガラは続ける。


「初めは『同類』なのかと思って観察をしていましたが……あのモリガミサマと敵対したのを見て、そうでない事を確信しました」

「ハッ────だから学校の生徒連中の『脳みそを乗っ取って俺を監視』したってか? 俺一人に警戒してそんな目立つ行動に出るなんざ、腐れ『脳みそスライム』様はご苦労なこったなぁ!!」


 恐怖と、それを上回る怒りを込めて言葉を叩きつける二郷。

 だが、それは感情に任せた自暴自棄故の言葉ではない。

 スイガラの正体。その核心を突く事により生まれる隙を期待した、逆転の一手を打つ為の布石だ。


「……二郷君。それをどこで」


 案の定、二郷の想定外の言葉を耳にしたスイガラの動きは驚きで一瞬止まり────そして、それを予見していた二郷は行動に出た。

 二郷は、自身の手首の関節を外す事で、手を縛っているロープから無理矢理に抜け出す。

 そうして背後に居るスイガラへと振り向きつつ、その勢いを利用して腕を大きく振るい、遠心力で関節を嵌め直すと、そのまま真正面の位置に来たスイガラの体を左腕で締め付ける様にして拘束する。

 更に、右手の指先に薄く光る塩を産み出すと、そのまま指をスイガラの仮面へと押し当てた。


「動くんじゃねぇ! 今すぐ連中を開放────」

「自殺準備」


 だが、二郷が恫喝をしたその直後。

 スイガラが放った言葉によって、逆に二郷の動きが停止する事となった。


「な……あっ! て、テメェ……!」


 周囲へと視線を動かし、状況を確認した二郷の手が震える。

 目は血走り、食いしばった歯が音を鳴らす。


「危ない危ない。二郷君、話し合いの最中に暴力はいけませんね」


 二郷が動けなくなった原因は単純だ。

 それは、スイガラが言葉を放った直後に、制止していたクラスメイト達が動き出したから。

 彼等全員が手にカッターナイフを持ち、その刃を笑顔のまま自分達の喉に当てていたからである。

 恐らくは、二郷が僅かでも動けば、彼らの首は鮮血の花を咲かすだろう。


「とっさの判断は見事です。ですが、『人殺し』になりたくなければ、ここまでにして置いた方が良いと思いますよ」

「……ぐッ!!」


 怒りを押し殺しながらも、スイガラへと向き直した二郷だが……そこで更なる驚愕に目を見開く事となる。


「────は?」


 それは、二郷にとって今日経験した出来事の中で最大の驚きであったかもしれない。

 二郷がスイガラの頭部へと視線を向けると……塩を生成した二郷の指。それに僅かに触れていたスイガラの仮面。その一部が、溶解していたのだ。


 そして、その奥から覗いているのは────人間の少女の顔だった。


 瞳孔が存在せず、瞳が黒い絵の具で塗り潰したようになっている事以外は、何の変哲もない人間の少女の顔だったのである。


(なん、だ……なんでだ。どうなってやがる)


 混乱する二郷。

 それは……スイガラの仮面の向こうの素顔が、二郷の知るものとあまりに違っていたから。

 二郷が知る逆さネジという作品において、スイガラの仮面の奥に在ったのは人間の顔などではなかったからである。


 鼻の上からくり抜かれた頭蓋骨の上に、透明な水で出来たような脳が乗っている。そんな容貌の怪物が『さかさネジ』に登場したスイガラだ。

 それなのに、どういう訳か眼前のスイガラの顔は人間の形を保っている。

 原作との明白な相違に二郷が戸惑っている中、スイガラは再度口を開く。


「さて、そもそもの話として……二郷君は何か誤解をしているようですが、僕が二郷君をラブレタアで呼び出したのは、二郷君を傷付ける為ではないんですよ」

「何……?」


 光の無い瞳を二郷に向けるスイガラは、先程まで仮面に触れていた二郷の指を押すようにして顔を近付ける。

 このタイミングで塩を出せばスイガラにダメージを与えられるだろうが……クラスメイトの命を人質に取られている以上、二郷にはそれを行う事は出来ない。

 その事を理解したうえで、スイガラは続ける。


「逆です。僕は二郷君が傷つかないように、警告と交渉をしに来ました」

「警告と、交渉だぁ? ……は、はは! バカかテメェは! クラスの連中人質に取るような奴の言葉を、俺に信じろってか!?」


 絞り出すような二郷の嘲笑に、スイガラが答える事はない。

 代わりに、スイガラは問いかけを行う。


「二郷君は、東雲四乃さんに憑いているあの厄介な怪異────モリガミサマを祓おうとしているのでしょう?」

「……だとしたら、どうしたよ。それがテメェと何の関係があんだ」

「色々と画策しているようですが、アレは有象無象の化物とは異なります。二郷君には祓えません。挑んでも、無駄死にするだけです。ですから……」


 数秒の沈黙の後、スイガラは再度口を開く。


「東雲四乃さんを助けようとせずに、何もせずに見殺しにしてください。そうしたら、彼女以外に誰も犠牲を出さず、僕がモリガミサマを滅してあげます」


 背伸びをし、間宮二郷の肩に顎を乗せる姿勢を取ったスイガラ。



「……ああ。そういえば挨拶がまだでしたね」

「愛の告白ではなくすみません。僕の名前は五辻レイ。君のクラスメイトの、化物です」


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