第11話 夜は怖い
夜は怖い。
静寂も。暗闇も。孤独も。ともすれば死も。
全てを持っているから。何も持っていないから。だから夜は怖い。
人は、夜が怖いのだ。
「……っ……あ……」
そして少女────東雲四乃も夜に怯えている。
東雲邸は、周辺地域でも一際目立つ家屋である。
その庭園には、綺麗に剪定された黒松や楓といった木々が植えられ、砂利には美しい枯山水が描かれている。また、西側には小さな人工の川と池も作られ、流れる水の音が和の空気を纏っている。
母屋は木造の二階建てで、一般的な民家であれば6棟ほどは易々と収まるであろう広さを誇っており、屋根を飾る瓦や外壁も、定期的に整備されているのであろう。罅ひとつ見当たらない。
見る者に歴史の重みを感じさせ。それでいて、凋落を感じさせないその佇まいは、まさに豪邸と言って差し支えない。
そんな東雲亭であるが、その敷地の北側────入口の門と真逆の位置には、何故か、邸宅との調和がまるで出来ていない、真新しい洋風の建物が立っている。
その離れの建物は、上等な木材や石材、その他にも一般に高級と呼ばれる資材を惜しみなく使った母屋とは異なり、芸術性よりも建築速度を求めたかのように、近代的な素材が多く使われている。
内装もこれと言った特色が無い一般的な物であり、例えるなら……建売の家屋をそのまま移築したかのような。その中で生活の全てが完結するように造られたかのような、そんな建物であった。
そして……その離れの建物の一室に、東雲四乃は居た。
ベッドの中。掛布団にその身を包んだ状態で、四乃はうめき声を上げている。
入院着のような寝間着を纏い、白磁のような肌に珠の汗を浮かび上がらせ、美しい長い黒髪を白い敷布団の上に散らしているその姿は、一種の色気を感じさせる程に美しく……けれど同時に、あまりに痛々しい。
「…………ごめんなさい……ごめんなさい……」
呻くように、震える小さな声で延々と何かに向けて謝り続ける四乃。
けれど、不思議な事に彼女の周囲には何も居ない。
有象無象の怪異も、彼女に憑いているモリガミサマの姿も見えない。
では、四乃は何に怯え、何に謝っているのか。
その答えは、瞼の中────目を瞑った時の暗闇にあった。
「……ごめんなさい……許してください……ごめんなさい……」
四乃が目を閉じる度、その右瞼の裏側に、巨大な目と鼻と口……モリガミサマの姿が映るのだ。
モリガミサマが、じっと四乃を見つめ続けているのだ。
希望を持つ事は許さないというように、自由などはないのだというように。
四乃は目を閉じる度に、右目に巣食うモリガミサマの姿と声を、無理矢理に与えられているのである。
それだけではない。モリガミサマの姿を認識する度に、四乃の眼球には激痛が走っている。それは生半可な痛みではない。例えるのであれば……目玉を少しずつ剃刀で切り取られているかのような、叫ぶ事すら出来ない激痛だ。
視界に写るモリガミサマの悍ましい姿と、脳に直接響くような意味不明な言葉。加えて齎され続ける激痛に、四乃は眠る事さえ許されない。
そうだ、夜は怖い。
静寂は。暗闇は。孤独は、怖い。
けれど、今の四乃には夜の闇よりも、目を閉じた時の闇が最も恐ろしい。
与えられる恐怖に対して、四乃に出来る事は何もない。
だから彼女は、一刻も早く夜が明け……朝が来る事を願い続ける。
(…………助、けて)
夕日の先に確かに居た、見知らぬ誰かに向けた彼女の祈りは────今は届かない。
――――――――――――
────ん
「んぐぐ……じ……れ……そ…………ゅつ……」
──さい──くん──みや────い
「ざん……る……ルヴ……わ……る……ぐぅ……」
「────いい加減に起きてくださいっ!! 間宮二郷君っ!!!!!」
「まほうりっあっ!!!?」
突如として耳元で炸裂した大音量は、二郷の意識よりも先に、その肉体を反応させた。
意味の解らない声を上げつつカッと目を見開いた二郷は、椅子を蹴倒しながら立ち上がると、机を足場にして後方に大きく跳躍し、そのままロッカーの上へと飛び乗った。
「何!? な、なんだ!? 何かの襲撃……あ……?」
そして────そこでようやく意識の覚醒が追い付き、二郷は慌てて周囲を見渡す。
その視線は、まず初めに自身の事を驚愕と不審の目で見ている教室の生徒達の姿を捉え、次いで、15時過ぎを指している壁掛けの時計を認識し、最後に……自身の席の横に立っている、腕を組んで眉尻を上げた三塚女史を捉えた。
強烈に嫌な予感を覚えている二郷ではあるが、それでも念の為……もしくは一縷の可能性に賭けて三塚女史へと声を掛ける。
「あ、あの……先生、どうしたんすか? ひょっとして、吸血鬼の襲撃とかが起きたりでもしました?」
枕代わりにしていた学生服の右袖の模様を頬に付けたまま、そんな戯けた事をのたまう二郷に対し、三塚女史は先ほどまでの険しい顔を笑顔に変え……額に青筋を浮かべながら返事を返す。
「大丈夫ですよ、襲撃じゃありません。今から行うのは────私の授業中に堂々と居眠りをしていた間宮君への、愛の有るお説教ですっ!!!!」
「ですよねぇ!? すいませんっしたああああ!!!!!」
授業終了後、若干不機嫌な様子を遺しつつも退出をしていく三塚女史を見送ってから、二郷は崩れるように机に突っ伏した。
そんな二郷に対し、一人の少年が近づき、苦笑を浮かべながら声をかける。
「や。お疲れ様、随分と絞られたな間宮君」
「うっせぇよ…………えーと……」
突っ伏した姿勢のままで顔だけを動かした二郷は、声をかけてきた少年の顔を見て、彼が自身の登校初日に自分に声を掛けてきた相手である事を思い出す。
だが、どうしても名前を思い出す事が出来ず、暫く考えて……諦めた。
「……吉岡?」
「佐藤だよ!? 覚えてないのはまだしも、せめて一文字くらい掠れよ!!」
「知らねぇよ。会話すんの2回目だぞ。むしろ存在を覚えてた事を誉めてくれ」
「人の名前忘れてたのに偉そうだなぁ……君、そんな感じの性格だったっけ?」
ふてぶてしい二郷の態度に若干引きつつも、一度咳払いをしてから佐藤は言葉を続ける。
「それで、実際の所どうしたのさ。昨日は真面目に授業を受けてたじゃないか。それが、今日になったら突然豪快に居眠りなんて」
「あー……それはまあ、アレだよ。寝不足だ寝不足。昨日の夜に家を抜け出して森を散策してたんだけどよ、今になって体力が尽きたみてぇで、意識が落ちちまった。三塚先生には申し訳ねぇ事したぜ」
「はい?」
言われた言葉の意味が理解出来ず、一瞬、佐藤の動きが止まる。
それでも、暫しの間思考を続け……最終的に、誤魔化されたのだという結論に達した佐藤は、眉間に皺を寄せる。
「いやいや、夜の森を散策って……あのさぁ、間宮君。嘘で誤魔化すにしても、せめてもう少し現実味のある作り話をした方が良いと思うよ?」
「嘘じゃねぇんだよなぁ……つか、佐藤。お前、そもそも何で俺にそんな事聞くんだよ?」
「え?」
二郷から逆に問いかけられ、佐藤は視線を泳がせる。
「あー。いや、それはアレさ。俺は学級委員長だからね。クラスメイトを気遣うのは当然の責務で……」
「……ああ。なんだ、要するに俺を心配してくれてたって訳か。お前良い奴だな。ありがとよ」
言い訳のような言葉を並べていたところで唐突に感謝の意を示された佐藤は、予想外の二郷の反応に驚き、照れから若干頬を赤らめ、思わず二郷から視線を逸らしてしまう。
「べ、別に礼なんて言わなくていいよ。学級委員長の責務だって言っただろ。そもそも、俺が良い奴なら学校に来てない君を迎えにでも行ってたよ」
「そうかい。素直になれねぇ男は割と好きだぜ、俺」
「……その反応は割と普通に気持ち悪いぞ、間宮君」
二郷が、記憶の中のホラーアクション漫画のライバルキャラと佐藤の反応を照らし合わせて気味の悪い笑みを浮かべると、佐藤は表情を引き終らせ一歩後ろに下がり……けれど、そこで何かを思い出した様子で踏みとどまった。
「っと……バカな言い合いをしてる場合じゃなかった。ほら、コレ。間宮君宛の預かり物だよ」
「あン? なんだこりゃ……手紙か?」
佐藤がポケットから取り出し、二郷に差し出したのは一通の封筒だった。
それを受け取った二郷は、手紙を日光に透かして異物が入っていないかを確認するが、特段異常は見当たらない。次いで、カッターナイフを取り出すと封筒の『中心』に刃を入れようとして
「待て待て!? 何をしようとしてるんだ間宮君!」
「何って……そりゃあ勿論、何か仕込まれてないかを確かめんだよ」
「何も仕込まれてないよ! どう生きてきたら学校で渡される手紙に対して何か仕込まれてるって発想に至るのさ!?」
「いやいや、むしろ学校で渡される手紙なんて基本的に厄ネタの塊じゃねぇか。ありがちなのだと不幸の手紙とか、変わり所だと手紙の中に奇妙な生物が居るとか」
「想像力がマイナスの方向に豊か過ぎるよ! というか、封筒にハートのシールが張ってある時点で察しなよ! そういう事だよ! 間宮君に渡すように頼んできたのも、名前は知らないけど同学年の女子!」
「お、おう……?」
二郷の奇行に対する突っ込みを一息で言い切って、肩で息をする佐藤。
佐藤の全力の突っ込みを受けた二郷は、イマイチ納得してはいないものの、その助言に従って渋々ながらも普通に手紙を開ける事にした。
『────間宮二郷君へ。今日の放課後、視聴覚室に来てください。待ってます』
可愛らしい動物が描かれているデザインの便箋には、丸みを帯びた文字でその一文だけが書かれていた。
「……それで、内容はどうだった? 言った通り不幸の手紙でも変な生き物でもなかっただろ?」
「ああ。放課後に会いたいって内容だったな」
手紙を覗かないように気を使って視線を逸らした佐藤に対して、二郷は視線を手紙の文章に向けたまま淡々と返事を返す。
そうして、何度も何度も文章を読み返した後、ゆっくりと視線を上げた二郷は、何処となく緊張した様子で視線を佐藤へと戻し
「……なあ、教室で殺人鬼が待ち伏せしてたりする可能性ってあると思うか?」
「────君、手紙の女の子に会ったら土下座で謝った方がいいよ」
授業終わりの教室は忙しなく、そんな二人の間抜けなやりとりを見ている者は居なかった。
間宮二郷と関わりのある生徒────不良達は昼から授業をサボって学校を抜け出しており、
東雲四乃は……学校を休んでいた。
――――――――――――――――
「ここが視聴覚室か……」
四ツ辻中学校の視聴覚室は、校舎2階の西側に有る。
不機嫌な様子の三塚女史に謝り宥めつつ補習を終えた二郷は、その足で真っ直ぐに視聴覚室へと向かった。
女生徒からの放課後の呼び出しというのは、本来、思春期の男子であれば喜び勇んで向かうところであるのだが……二郷に喜色はまるでない。むしろ、警戒の色が強く浮かんでいる。
「普通に考えりゃあ、登校再開して3日目の不登校児を呼び出す女子生徒なんて居る訳ねぇんだよなぁ……嘘告白でからかおうって連中ならまだマシなんだがよ」
面倒そうにそう呟いて、頬を掻く二郷。
二郷は自身を呼び出した誰かに告白される未来など、端から考えていなかった。
当然だろう。独り言の通り、間宮二郷少年は進学から半年もの間不登校であったのだ。それに加え、厄介な不良生徒達に目を付けられてもいたのである。
そんな相手に、誰が恋を抱き、誰が告白をするというのか。
むしろ、何かの悪戯と考える方がまだ理解が出来る。
……最も、その事に思い至りつつも、わざわざ視聴覚室を訪れるあたり。
万が一、何かの気の迷いで二郷を呼び出した相手が居たとすれば、その相手を放課後の教室に一人きりには出来ないと。そう考えてしまうあたり、大概なお人よしであるのだが。
「失礼しゃーっす」
丁寧なのか雑なのかわからない挨拶をして、視聴覚室のドアを開ける二郷。
彼が視聴覚室の中を眺め見ると……その瞳が、夕日の中に人影を捉えた。
身長は140センチ後半といった所だろう。
服装は学校指定の黒いセーラー服で、スカート丈は校則通りの膝下。
髪を肩口で切り揃えている少女が、後ろ手を組み、窓の外を眺めながら……二郷に背を向ける形で教室の窓辺に佇んでいた。
「あー……アンタが、あの手紙で俺を呼んだのか?」
「ええ────はい。そうですよ。来てくださってありがとうございます間宮二郷君。僕、ずっと二郷君とこうしてお話をしたかったんですよ」
声を掛けた二郷に対して、背を向けたままそう答える少女。
視聴覚室の中程まで歩を進めた二郷は、そこで足を止め、目を細める。
「そうかいそうかい。そいつぁ光栄だ。けど、悪ぃが俺はアンタの事を知らねぇんだよ。すまねぇが、こっちを向いて名前とか教えてくれねぇか?」
二郷は、何故か自身の掌に汗が滲むのを感じた。
眼前に立っているのはただの女生徒である筈なのに、どういう訳か直感が、二郷の生存本能が強い警鐘を鳴らしている。
「もちろんですよ、間宮二郷君。ただ……二郷君は僕の事を知っている筈ですよ。だって」
音も無くゆっくりと振り向く女生徒。
その顔を認識した瞬間、二郷の顔は引きつり、喉がヒュッと空気が抜けるような音を鳴らした。
「──────だって、僕と二郷君はクラスメイトなんですから」
振り返った少女の顔に掛けられていたのは、『笑顔を模した白い仮面』。
それは、間宮二郷の教室に巣食う3体の化物の内の1体。
『さかさネジ』第6話において語られる、恐るべき怪異。
【スイガラ】が、夕日の中で立っていた。
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