第7話 その感情の、成れの果て




 東雲四乃という少女にとって、つい今しがた教室で巻き起こった出来事は、あまりに理解し難いものであった。

 いきなり、教室に珍妙過ぎる格好の不審者が現れた……というのも勿論そうであるが、何より驚愕したのは、その不審者が、自身に憑いている『守り神様』を認識していたという事。そして────その上で、『守り神様』に襲い掛かったという事についてである。


 そもそも、これまでの四乃の人生において『守り神様』の本体を見る事が出来た人間は、四乃自身を除いて、一人たりとも居なかった。


 幼い頃に『守り神様』に憑かれた四乃ではあるが、絶望の未来を明示されたとはいえ、初めから人生の全てを諦めてしまっていた訳ではない。

 対策を……具体的に言うのであれば、自身を苛む災厄を祓う事が出来る存在を探した事は、当然有る。

 高名とされる霊能力者や、有名な寺社に教会。新興宗教の教主から、果ては自称霊感持ちの動画配信者等に至るまで。


『霊能力で悪霊と対峙できる』と。

『信仰の力で悪魔を祓う事が出来る』と。

『神の力で邪悪を退ける事が出来る』と。


その様な事を謳う人間の元を、四乃は幾度も訪れた。


 当時の四乃は期待していた。

 『異形の存在に苦しめられているのが、この世界で自分だけという事は無い筈だ。だから、幽霊や妖怪の専門家であれば。人々から尊敬を集める宗教者であれば。霊が見える事をビジネスとし、商材として利用出来る程に化物を恐れない者であれば、自身を助ける事が出来るのではないか』と。

 今の孤独という名の地獄から救い出してくれるのであれば、何を捧げても構わないと、そんな悲壮な覚悟すらも持って四乃は彼らを頼り……


……しかし、それらの試みは全てが失敗に終わった。


 殆どの霊能力者は、動物霊だ先祖の祟りだ、などと見当はずれの言葉を吐いて金を要求しようとする詐欺師まがいの連中であり、何の役にも立たなかった。


 一部の者は霊感のようなものを持ち合わせているようであったが、モリガミサマを視認する事すらも出来ず、しかしその悍ましい気配だけは感じとれてしまい、何も分からないままに恐怖に襲われ、悲鳴を上げて逃げ出してしまった。


 信仰宗教の教祖や自称霊感持ちの動画配信者に至っては、除霊の名目で訪れた四乃を信者や仲間達と一緒に襲おうとし……結果、四乃の目の前で、彼らは『守り神様』に四肢の幾つか、或いはその臓器を喰らわれる事となった。


『守り神様』が彼らの命を奪わなかったのは、恐らく、四乃に彼らの末路を見せつけ、理解させる為だったのであろう。


 どんな抵抗も無駄であると。

 誰かを頼れば、助けを求めれば、その者達もこうなるのだと。


 ────お前のせいでこうなるのだ、と。


『守り神様』は誰にも視えない。だが確かに存在する。

 だから四乃は誰にも理解してもらえず、誰かを頼り、助けて貰う事も出来ない。

 死ぬまで……『守り神様』に憑り殺されるまで、ずっと孤独なのだと。その時に、四乃はそう理解させられた。理解させられ、絶望した。


 ……だというのに。


 突然現れた不審者は、そんな四乃の考えを吹き飛ばした。

 彼は、明らかに恐怖に震えた声で、なにやら呪文めいた言葉を吐きながら……逃げずに『守り神様』へと襲い掛かったのである。


 当初、四乃はその不審者が何をしたかったのか、全く分からなかった。

 突然現れて、『守り神様』に襲い掛かり、けれど何も通じず外に投げ捨てられ、殺された。

 その事実だけが頭に残り、混乱するしかなかった。

 だが、時間の経過と共に────徐々に、四乃の思考は一つの回答を導いていく。



 彼は何のために、何故、恐ろしい『守り神様』に挑んだのだろうか? 


 どうして

 なぜ


 ……。


 ひょっとして

 或いは

 まさか

 あの不審者は



「……私を……助けようと、した……?」



 救おうとした。助けようとした。

『守り神様』から。東雲四乃を。


 そう思い至った直後、あり得ない、と四乃の理性が即座にその可能性を否定する。

 頭を横に振り、浮かびかけた感情を拒絶する。

 だって、これまでの人生で、『守り神様』から四乃を救おうとしてくれた人など、誰一人として居なかったのだから。

 実の両親や、優しかった祖父母ですら、『守り神様』の恐怖に負けた。

 恐怖に負けて────東雲四乃という少女を、見捨て、その存在を『無い』ものとした。


 だから、こんなに唐突に、四乃を助けようとする人間が現れる筈が無い。

 名前も顔も知らない他人が、無条件で手を差し伸べてくれるなど、あり得ない。

 漫画や小説のような救いが東雲四乃に訪れる事は、決して無い筈なのである。


 そうだ。四乃の人生は……その『守り神様』に歪められた人生においては、自分に都合の良い未来を思い描けば、それは必ず裏切られてきた。

 地獄の罪人カンダタに下ろされた蜘蛛の糸のように、希望は必ず途中で途切れてしまった。

 ずっとそうだった。あらゆる未来への希望の糸は、助けを求めて伸ばした腕は、その全てが『守り神様』に食われて途絶えた。


『 るぁ え  くと   える  ぐ  は す  ち い あ  』


 視界の中の『守り神様』が、葛藤する四乃を見て歪んだ笑みを浮かべる。

 その姿を目にした四乃は、幾度となく味わった絶望を思い出し、濁った瞳で見出しかけた希望を切り捨てる。

 あれは、きっと白昼夢であったのだと。『守り神様』という恐怖から逃げだそうと、自身の心が生み出した幻影なのだと。自分にそう言い聞かせ、強く目を瞑る。


 ……それに。


 もしも、現れた不審者が幻影ではなく現実の存在であったとしても、既に彼はこの世には居ないだろうと、四乃はそう考える。

 何故ならば、彼は3階の窓の外……自分が命を断とうとした高さから落下したのだから。

 だから、普通であれば間違いなく死んでいる筈だ。


「……確かめる……確かめないと」


 崩れた椅子と机の山から立ち上がった四乃は、無表情に窓へと歩を進める。

 そして、窓枠を手で掴むと、再び目を瞑り……数十秒の間を葛藤した後、ゆっくりとその目を開いていく。


 現実であって欲しいと、そう願った。

 白昼夢であって欲しいと、そう思った。


 そして、四乃の左目が捉えたその結末は



「……何も、無い」



 見下ろした地面には、何も存在していなかった。

 倒れ伏す人の影は無く、石畳には血液で出来た花も咲いてはいなかった。


(……やっぱり、幻覚だった。居る筈ない……私を助けようとする人なんて)


 やはり先ほどの出来事は、弱い自分が見た白昼夢に過ぎなかったのだと、四乃はそう認識する。そして、その直後に四乃の胸の内に去来したのは……安堵と、諦観。そして、かつてなく強い絶望の感情。


 ……希望の光を見てから与えられる絶望。それは致死性の毒に近い。

 期待しないよう努めていたとはいえ、それでも東雲四乃という少女は、僅かに願わずにはいられなかったのだ。助けを。救いを。人の温かさを。

 だからこそ、自死による恐怖からの逃避。その失敗から始まる、この一連の出来事は、四乃の心に僅かに残っていた気力をすらも全て奪い去った。

 四乃の体から力が抜け、窓枠に沿う形で教室の床に膝を付く。


「……は」


 涙は出ない。四乃の涙は、とうの昔に枯れ果てている。その代わりに出てきたのは、歪で小さな笑み。人との関わりを奪われ続けた結果、表情を動かす方法すらも忘れてしまった少女。その感情の、成れの果て。


「……どうして、私だけが」


 そして、四乃の心に空いた隙間に暗闇が湧き上がる。

 これまで四乃は、自身の置かれた状況を嘆く事はあれども、憎しみの感情を理不尽に誰かにぶつける事だけはしなかった。

 もしもそれを……自分自身の為だけに他人を傷付けるような事をしてしまえば、『守り神様』と同じになってしまう。心が人でなくなってしまうと、そう思っていたからだ。


 だからこそ四乃は、初めから気が付いていた、その『選択肢』を選ぶ事をしてこなかった。


「……辛い……寂しい……苦しい……」


 けれど、強い絶望が今、四乃の心の箍を外そうとしていた。


 

 ……『守り神様』は、東雲四乃に関わろうとする者、強い感情を向け接する者を、殺す。だが、四乃自身を殺す事は無い。

 つまり、四乃は相手が死ぬことを気にさえしなければ、人と関わる事が出来る。人と話す事が出来る。人の温もりを得る事が出来るのだ。

 自分の為だけに誰かを使い捨てる。その『選択肢』を選ぶ事さえ出来れば、四乃は自分の手で、自分の為だけの救いを得る事が出来るのである。


 例えば────『原作』の、東雲四乃のように。


 そんな四乃の様子に気付いた『守り神様』は、外に逃げた不審者を探す事すら忘れ、中空に浮かぶ口と目を三日月の様に歪ませ、じっと四乃の様子を観察し始める。

 しかし、もはやそれを気に掛ける事すらなく、四乃はその口から致命的な言葉を発しようとし



「──────おおおおおい!!!! 眼帯のアンタ、聞こえてっかぁ!!!!?」



 その時、グラウンドで練習をする運動部の声すらもかき消す程に、大きな声が響いた。


「……!?」


 そのあまりの声量に、四乃は反射的に丸めていた背筋を逸らしてしまい、次いで気付く。聞こえてきたその馬鹿でかい声は────先ほど、教室に突貫を決めてきた不審者の声と。同じものであるという事に。


「……っ」


 四乃は、混乱しながらも、力の抜けた足をばたばたと動かし、窓枠を掴んで再び外の景色を覗き見る。

 すると、その視線の先────街路樹から、何やらスプレーのボトルの様な物を持った学生服の左腕が生えているのに気付いた。四乃はそれに対して反応を示そうとして、しかしそれよりも先に、先ほどの声の主は続ける。


「────いいか!? バケモノになんざ負けんな!! 絶対に諦めんじゃねェ! アンタは助かる!! アンタを救うアンタの主人公ヒーローは居る!!!!! だから俺を信じて――――生きて戦ってくれ!!!!!!」


 それは、粗雑で単純な、何の技巧も込められていない、ただただ大きいだけの声であった。子供でも紡げるような言葉であった。この言葉が響く人間など、きっとこの世界には存在しないだろう。


「……う、あ」


 東雲四乃という少女、ただ一人を除いて。


 白昼夢などではなかった。自分を助けてくれようと動いてくれた人は、確かに此処に居るのだ。そう認識した瞬間、四乃の喉からうめき声があがる。


「……私、は」


 まともに働かない思考で、正体不明の男性に対して何とか返答を返そうと四乃が口を開きかける。だが、その瞬間に動いた影が2つあった。



『 ち  りお あ  る  き   ぎ  いを   』


 四乃の間近に浮かんでいた『守り神様』が、先ほどまでの不気味な笑みを消し、中空を滑るようにして、人影の方へと向かう。

 四乃を勇気づけるような言葉を掛けたその人影を、排除しようと考えたのだろう。


「うおらぁ!! 陸上部の生徒から不審者の通報があったぞ!! 何組の誰だお前は!! 何を馬鹿でかい声を出してやがる!!!!」


 そして、もう一つは生活指導の体育教師。怪しい物品を身に纏い、デカい声で騒ぐ不審者を確保すべく、元陸上部国体選手という肩書を生かし、全力で人影の方へと向かっている。


「うげえああっ!!? こ、こっち来んな!!! ひいいぃぃっ!!!?」


 黙っていれば安全であったろうに、わざわざバカの様に大きな声を出して自身の危機を招いたバカは、二つの脅威の接近に気付くと、情けない悲鳴を上げて木の陰から飛び出して、脱兎のように駆け出した。

 彼は、身体技術だけで学校の周囲を囲む外壁を乗り越え、民家の庭を突っ切り、やがて四乃の視界の外へと消えていく。


「……」


 夕暮れの教室に取り残された四乃は、そんな名前も顔も知らない男の無事を願いつつ、男が消えて行った方向をずっと……夕日が沈むまで見つめていた。



 東雲四乃の口からは、先ほどの言葉の続きは、ついぞ出てこなかった。

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