第6話 出鱈目の嘘である



 間宮二郷が『青年』であった頃。

 彼は、その『視える』力を活用して、物語の主人公気取りで様々なバケモノと対峙してきた。

 幽霊と呼ばれるもの。妖怪と呼ばれるもの。或いは、悪魔と呼ばれる様相のものとすら相対した事もあった。

 そして、その数多の経験の中で『青年』が学んだことが一つ有る。


 それは────世間一般に伝わる退魔法や除霊法は、信用できないという事だ。


 効果が無いという訳ではない。

 出鱈目の嘘であるという訳でもない。

 有効に用いる事が出来れば、一般人でも化物を退ける事が出来る。それは事実だ。

 では、何故『青年』はそれを知ったうえで信用できない等と断じたのか。


 それは、ただ単純に……それらの手法を効果的に運用する事が、極めて困難だったからである。

 例えば、一般人の認識では、悪魔は聖水や聖書で退けられ、妖怪は破魔矢や護符で打ち倒す事が出来、幽霊は経文で成仏させる事が出来る。それは常識であろう。

 そして、それらの考えは間違いではない。


 だが、少なくとも『青年』の体験では、その常識を実戦の中で活かす事は、殆どの場合において出来なかった。

 悪魔は聖水に嫌な顔をする程度で、妖怪は破魔矢を空中で掴みとって見せ、幽霊はそもそも経文を聞く事すらしなかったのである。


 何故なのか。

 それは、つまるところ……【化物は、見た目すらも嘘を付く】からだ。


 伝承になる程に正体を知られた固有名を持つバケモノであれば別なのかもしれないが、名も知られていない────もしくは正体を知った人間がこの世にいないバケモノ達は、想像の枠などに囚われない。

 妖怪の姿をした悪魔、幽霊の姿をした妖怪、妖怪の姿をした幽霊。むしろ、そんなモノ達の方が多数なのである。

 そして、間違った対策は時として最悪の結果を生む事となる。

 ナトリウム火災に対して水を掛けて消化をしようとすると被害が広がってしまう様に、存在の根幹が異なるバケモノに誤った対応策を用いれば、バケモノを刺激してしまい、より甚大な被害へと至るのは自明である。

 それが故に、『信用できない』と『青年』は判断したのだ。


 ……であれば、どうするべきか。弱点が不明瞭なバケモノ達にどう対策をすれば良いのか。

 当時の『青年』は必死に考えた。

 青年には、憧れた主人公達の様に、あらゆる化物と対峙する事が出来る武器はなかった。

 退魔の槍もなければ、鬼がその左手に宿っている訳でもなく、値段で効果が変わる霊符もなければ、素敵なお兄様に守られている訳でもない。


 多くの宗教体系に組み込まれている酒や塩はある程度万能に効果が有るが、決め手としての強い効果は持たない。

 かといって、道具を適切に使おうにも、相手の正体を即座に看破できるような魔眼じみた力がある筈も無い。

 何もない。青年には、『視る』力以外に何もなかった。

 それでも、青年は主人公達のように在りたいと考え……彼等のように誰か助けたいと考え、無い知恵を絞った。



「なんでっ!!! 窓がっ!! 開いてんだよおおお!!!? ぬうおああああああああああああああ!!!?」



 そして、その結果として産み出されたのが、現在進行形で地面へと落下中の二郷が纏っている────ハイレベル不審者フォームである。


『どの道具が効果があるのか判らない……あ! なら全部装備すれば解決じゃねぇか!!』


 脳筋極まりない発想のもとで編み出された戦法。

 町を歩けば不審者情報が流れ、森を歩けば新種のUMA、もしくは異常者扱いをされる変態衣装。

 けれどそれは、当時の『青年』にとって唯一の武器であったのだ。


 それに────実際、妖怪は十字架で殴れば霧散し、幽霊はニンニクを投げたら成仏し、悪魔はアルコール入り除菌消臭スプレーで滅びた。


 下手に実績を積んだからこそ、この異様な装備は『青年』が間宮二郷となった現在でも、当然のように流用される事となったのである。

 二郷は、来たるであろう『さかさネジ』の化物たちとの邂逅の時に怯えながらも、それに備える為、登校の前日に除霊道具として使えそうな物品を買い集めた。

 町の仏具店や寺、神社、100円ショップに至るまで。それこそ手当たり次第に駆け回り、『青年』だった頃には量も質も及ばないものの、目当ての品物を集め切ってしまったのである。

 ……尚、その財源は二郷少年が貯めていた小遣いである事は明記しておく。


「やべえっ!? 死ぬ! 死ぬ! 物理的にいいいいい!!!!」


 結果として、その準備は無駄にならず、登校即日に活用される事となった。

 夕日に染められた教室、崩れた机と椅子の山の中で倒れ込み絶望する少女と、それを嗤うモリガミサマ。

『さかさネジ』に描かれたその1コマを完全に記憶していた二郷は、この学校にモリガミサマとそれに憑かれた少女が居ると知った直後から、別のコマの記憶も掘り起し、描写されていたカレンダーから日時が今日である事。そして、背景に書かれたグラウンドの角度から事件が起きるであろう教室を割り出して見せた。

 ……本当に、ことオカルト漫画については気持ちの悪い記憶力と洞察力を発する男である。


 とにかく、そうして見事予想を的中させた二郷は、漫画の後半の展開に差し掛かる前に、あわよくば不意打ちでモリガミサマを討ち払えるかもしれないと考え、突貫をかけたという次第であった。



 だが……実の所、間宮二郷は知っていた。

 確実な奇襲を狙うのであれば、時間の経過を待って、少女が衰弱し、モリガミサマが増長したタイミングを狙う方が良いという事を。

 そもそも、モリガミサマの本体は其の口の中である事から、奇襲をしても成功率は高くは無いであろう事を。

 感情に流されて、自身の身を危険に晒すのが愚かである事も、二郷は当然知っていた。

 それでも二郷が動いたのは



 目の前で絶望している少女を、自分の都合で見捨てる主人公ヒーローなんて、知らなかったから。




 そうして動いたが、結果はこの自由落下である。

 結局、凡人の覚悟一つでは、訪れる現実は変えられない。

 身に纏った有象無象の魔除けの品々はモリガミサマを怯ませる事はしたが、僅かのダメージを与える事も出来なかった。

 逆に二郷は、通りすがりにモリガミサマに服を噛まれ、走る勢いのまま窓から外に放り投げられる始末である。


 ……当然の事ながら、二郷が身に纏う数多の道具達は、窓からの自由落下と言う物理法則の前には何の役にも立たない。

 むしろ体の動きを制限する分、普通に邪魔である。

 そして、二郷は無情にもコンクリートに叩きつけられ、哀れ赤色の染みに



 ────ならない。



「おっらあぁぁ!!!! 南ぁ無────っ!!」


 繰り返し述べるが、此処に居る間宮二郷という少年は、ホラー漫画の主人公達に心を焼かれている男である。

 故に、不良達から向けられた悪意を暴の力で叩き折ったように、漫画作品で良く発生する『高所から落下する』という事態の対処法も予習している。

 二郷はその右腕を振るい、ジャラジャラと巻かれていた長い数珠を器用にロープ代わりに伸ばすと、校舎の排水管に引っ掛ける。

 無論、それで落下する人間一人分の重量が支えられる筈は無い。数珠の紐は質量に負け、直ぐに切れてしまう。

 落下という結末は変える事は出来ない────しかしその行為によって、二郷は落下速度を僅かに減衰し、何より落下軌道を変える事に成功していた。


「明さんならああああっッッ!!!! このくらいで、死なねええええええっっ!!!!」


 そして、数珠によって校舎の壁に接近した二郷は、何かの作品の主人公の名前を叫びながら、渾身の力で校舎の壁を蹴った。



 ────直線落下と、鋭角での落下。

 同じ距離の落下であっても、この2つが肉体に齎すダメージ量は大きく違う。

 直線の落下が落下エネルギーを全身で受け止めてしまうのに対し、角度を付けての落下は、精密なタイミングで正しい姿勢で大地を転がる事が出来れば、受ける落下エネルギーを大きく分散できるからだ。


「げふうっ!!?」


 砂埃を巻き上げながら、石畳の上を何メートルも激しく転がった二郷。

 彼は、自身の体が落下運動エネルギーを放出しきって静止したのを確認してから、ゆっくりと起き上がる。


「…………へ、へ。やったな。やるじゃねぇか。やれるじゃねぇか、俺!! ……ってやべぇ!!」


 そして、奇跡的に生存────細かな擦過傷以外はほぼ無傷で生還出来た事に対して、ガッツポーズを作る。

 だがその直後。何かを思い出したのか慌てた様子で、二郷は道の横に生えている木の幹にその身を隠した。


「……ヨシ、見失ってんな。危ねぇ所だったぜ」


 二郷がそのまま隠れつつ校舎の様子を伺うと、教室に居た黒髪の少女────東雲四乃が、3階の窓枠に手を掛け、何かを探すように地面へ向けて視線を動かしていた。

 当然、その探している相手は、目の前で落下していった二郷であろう。むしろ、あれだけの珍事に遭遇して気にならない方が異常である。

 そして、二郷の姿を探しているのは少女だけではない。モリガミサマも同じであった。

 少女の頭上では、宙に浮いた眼球がギョロギョロと動いている。

 その瞳からは人間じみた感情は何も伝わってはこないが……そうであるが故に、何を考えているか分からないからこそ恐ろしい。

 モリガミサマの悍ましい気配は離れていても伝わり、先ほどまでアレと対峙していたのだという事を改めて認識した二郷は、恐怖で胃の中の物を全て吐き出したい衝動に襲われる。


「お、落ち着け……落ち着け俺……まだ大丈夫だ。知ってんだ。今のモリガミサマは、あの子と知覚を共有してる筈。だから、あの子が俺が俺である事を認識しねェ内は、呪いも祟りも出来やしねェんだ」


 声に出して呟く事で、自分に言い聞かせている二郷のその言葉の通り、モリガミサマという化物は四乃と知覚を共有している。

 それは、四乃に向けられる好意や悪意にいち早く気づき、それらを誰よりも早く排除する事で四乃を孤独に落とし絶望させる為である。

 故に、一度でも四乃に強い感情を向け……モリガミサマに排除の対象として認識されてしまえば最期、逃げる事は叶わない。

 どれだけ逃げようと四乃が知る相手の『名前と容貌』という強い縁を辿って補足され、襲われてしまう。

 その運命から逃れるには、モリガミサマの思惑通りに四乃を無いものとして扱う事しかない。


 ……だが、そうであるが故に二郷は逃げる事が出来る。

 それは、東雲四乃が、間宮二郷の名前や顔など覚えていないからだ。

 自身に向けられる感情がバケモノを動かす事を経験から感じ取っている四乃には、意識的に他人を視界から外す癖がある。

 そして、二郷はこの半年不登校状態であり、四乃と邂逅したのは今日が初めてなのである。

 他人を意識的に視界から外す人間が、不登校であり顔も見たことが無かった人間の事など、憶えている訳がない。

 無論、先程教室で僅かの間邂逅があったが……そもそもインパクトが有り過ぎる衣装が顔の大半を隠しており、二郷の容貌に目を向ける余裕は四乃には無かった。


 つまるところ、息をひそめ、余計な事は何もせず立ち去れば、二郷の安全は約束されているのである。

 その事を認識し、大きく息を吐いて安堵する二郷。彼は、今後の戦略を練るべく今一度校舎を眺め見て────


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