第8話 愚かで矮小な、塵芥に等しい





 時刻は、夜の七時過ぎ。

 少子高齢化が進みつつあるとはいえ、周辺地域の中では都会と言えるD町の駅前は、仕事帰りのサラリーマンや、これから夜遊びに繰り出すのであろう男女、夜職の人間が闊歩し、賑わいを見せている。

 そして、そんな華やかな人の群れから少し離れた所に造られた、小さな駅前公園。

 立地が悪い関係で人が近づかないその公園のベンチに、二人の男が並んで座っていた。


「うぃー……ヒック。どいつもこいつも、労働ご苦労さんどぇーす!」


 予算の関係でLEDに切り替えられない、時折明滅する街灯の光に照らされながら、ワンカップ酒を片手に顔を赤らめているのは、スーツ姿の中年男性。

 周囲にビールの空き缶が転がっていることから、既に相当な量のアルコールを摂取しているのだろう。ネクタイを鉢巻き代わりにするという『いかにも』な姿で管を巻いている。


「ほほっ、どの者も頑張っておるのぅ……ところで、お前さん。飲み過ぎは体に良くないぞ。健康が第一じゃ」


 そんな中年男性に優しげに声を掛けるのは、山高帽を目深にかぶり、白木の杖を手に持った、白く長い髭を湛えた老人。濃い茶色のコートを羽織ったその老人は、中年男性の愚痴に時折頷きながらも、アルコールの過剰摂取に苦言を呈している。


「ふひゃひゃ! いいんですよぅ! どうせ家族もいないし、仕事もクビになって明日から無職ですからねぇ!」

「それでもじゃよ。ワシは心配なんじゃ。もしも酒を飲み過ぎてお前さんの肝臓がダメにでもなってみよ。これからの人生困るじゃないか」

「んん? なんですかぁ、お爺さん、僕の心配してくれてるんですかぁ!? あなた良い人ですねぇ!」


 けれど、老人の忠告等どこ吹く風。礼を言いながら、中年男性は再度ワンカップを口にする。

 この中年男性と老人は全くの初対面であるが、中年男性が、酒を飲んでいる最中にベンチの横に座ってきた老人に絡んだところ、妙に話しやすくウマが合い、こうして無駄話に花を咲かせているという訳である。


「そういえば、僕は立派な無職になってしまいましたがぁ、お爺さんは何してる人なんですかー? さては、引退して年金生活の無職仲間かなぁ!?」

「うん? いや、ワシは組織の長のようなものをやっとるよ」

「はあ!? あなた社長さんだったんですかぁ! へー、それはそれは! そんなお偉いさんが、こんな時間から暇そうに僕みたいな無職と話してていいんですかぁ? お忙しいんでしょう?」

「ほほほ。働くよりも、お前さんのような健康で立派な若人と話す時間の方がよほど楽しいからの」

「んー? ん、んー……立派で楽しいか、へへっ、そうですかそうですか!」


 老人が組織の長であると述べた直後、面白くなさそうな表情をした中年男性であったが、自分と話す事が楽しいと言われた事であっという間に機嫌を良くし、笑みを浮かべた。

 そして、そのまま老人の肩に手を置くと、今しがた思いついた提案を深く考えもせずそのまま口にする。


「ああそうだ閃いた! 僕と話すのが楽しいなら、僕、お爺さんの会社に就職してあげますよ!」

「ふむ。ありがたい話じゃが……ワシの組織は昔ながらの上意下達じゃからのぅ」

「それなら大丈夫大丈夫────前の会社で上から下へのパワハラなんて日常茶飯事でしたからぁ! 慣れっこですよ! へへ!」


 赤ら顔のまま、力こぶを作ってみせる中年男性。それを見た老人は、中年男性をじっと見てから口を開く。


「……なるほどなるほど、それでは折角の申し出じゃし、働いて貰うとするかのぅ」

「いえーい! やったぜ!! 労せずして仕事ゲットだぜぃ!!」


 テンションを上げてゲラゲラと笑う中年男性であったが、ふと横を見ると、先程まで少し距離を取って座っていた老人が、いつの間にか中年男性の数センチ横にまで接近し、座っている事に気付く。


「……ん? どうしました? なんですお爺さん。そんなに近づいて老眼ですかぁ?」

「働いて貰おうかのぅ……丁度、家が狭くなって困ってたんじゃ」

「あー? 家? 家って何です? あと、顔が近いから離れ……あれ?」


 そこで、アルコールで思考力が落ちていた中年男性はようやく気付く。


(このお爺さん、この距離にいるのになんで顔が見えないんだ?)


 街灯の光で逆光になって見えないのだと思っていた。もしくは山高帽が作る影になっているのだとも思っていた。

 しかし、それはどちらも違っていたのだ。

 中年男性が目を細めてみると────老人の肌が、動いていた。

 いや、そもそもそれは肌ではなかった。



 肌に見えていたものは、全て……悍ましい数の、白色の芋虫であった。



「──―ヒィ!?!?」

「もらおうかのぅ わしら の あたらしい いえ になって もらおうかのぅ」


 声にならない悲鳴をあげ、逃げようとする中年男性だが、その腕は芋虫の老人により掴まれてしまっていた。


「ひぃ、いやだ! 嘘です! 働かない! 働かない! 僕は職安で仕事探す! ちゃんとした所で働く!」

「 もらおうかのぅ  もらおう  もらおう  」


 もはや、芋虫の老人に中年男性の言葉を聞く気は無いらしい

 その口を……成人男性の腕程に巨大な芋虫が舌替わりになっているその口を、中年男性の口へと近づけていき



「────逃げ切ったぜええええ!!!!!」



 だが、芋虫が無理矢理開かれた中年男性の口に入る直前。ベンチの斜め後ろに置かれていたダストボックスの蓋がいきなり開き、そこから勢い良く人影が飛び出してきた。


 両腕に巻かれた、途中で切れている数珠。

 首に掛けられた三日月型のペンダントと十字架。

 頭に巻いた、少し変な染みが憑いている鉢巻きと、其処に挟まれている経文と折れ目の付いた神道のお札。

 左手には水晶玉、右手には消臭スプレー。掌には、マジックで書かれた若干滲んだ蛇の目模様。

 おまけに、全身の所々に付着している、スナック菓子の空き袋やビニール袋といったゴミ。

 血走った目で声を上げている不審で不気味なその人影は────哀しいかな、どう見ても間宮二郷であった。


「……」

「……」

「……あ?」


 中年男性。芋虫の老人。間宮二郷。三名の視線が交差し、ようやくそれぞれの事を認識する。そのまま数秒の静寂が流れ


「ひああああああ!!!?」

 間宮二郷は、予想もしていなかった芋虫の化物との邂逅に、恐怖と驚愕で悲鳴を上げた。


「お、ああ? うおおおおおああああ!!?」

 芋虫の老人は、背後から急に不審者が現れ、その不審者にノータイムでアルコール配合消臭スプレーを吹きかけられた事で悲鳴を上げた。


「ひょいいっ!!! もうやだあああああ!!!!?」

 中年男性は、怪人物が2匹に増えてしまった事で蹲って悲鳴を上げた。


 そのまま暫く互いに向けて叫んでいた3人であったが、


「どあああああ!!!! くだばれやぁ!! バケモノ野郎があッ!!!!」

「ぶぐおっ!!?」


 真っ先に動いた二郷の踵落としが、芋虫の老人の脳天に炸裂する。

 そして、蹴った頭部を足場にして連続して繰り出される、側頭部への空中二段蹴り。

 更に、着地して直ぐに放つのは、水晶を掴んでいる左拳による、背骨に相当する箇所への中段正拳突き。

 体勢を崩したところで瞬時に前に回ると、掴もうと伸びてきた芋虫の老人の両腕を身を捩り躱してから、続けて脇腹への胴まわし回転蹴りを放つ。

 芋虫の老人は耐え切れず地面へと倒れ込む。二郷はそのまま追撃とばかりに、起き上がろうともがく腕を踏み潰し、膝を鳩尾の辺りに叩きこんでから、馬乗りになった。

 そして────芋虫の老人の口内に消臭スプレーを突っ込んで、何度も何度も噴霧し続ける。


 流れる様な連撃。

 格闘ゲームのキャラクターのような、人に対して使ってはいけない類のコンボ技。

 それは、僅か1分の間の出来事であった。





「……な、なんだ? どうした? 僕、助かったのか……?」


 少し時間が過ぎ、二郷が踵落としを放ったあたりから頭を抱え地に付していた中年男性が顔を上げると、先程までの騒乱が嘘のように周囲は静まり返っていた。

 怯えながらも、状況を把握すべく中年男性が周囲を見渡すと


「……おう、オッサン。怪我はねぇか?」

「うひいいい!!?」


 背後────ベンチに座っていた間宮二郷に声を掛けられ、小さく悲鳴を上げる事となった。

 だが、二郷が襲ってくる様子が無い事。そして、格好こそ怪しげな霊能グッズやビニールゴミ、緑色の粘液のようなもので不審者極まりないが……よくよく見れば、目も鼻も口も有る生きた人間である事に気付くと、恐る恐る声を掛ける。


「な、なあ君! さっきの化物はなんだったんだ!? それに、君は一体……」


 そんな中年男性の問いに対して、二郷は、手の中で弄んでいた豆粒程の半透明の石をポケットに入れると、夜空に赤く光る『腐れ月』を仰ぎ見て口を開く。


「この世には、目には見えない闇の住人達が居る────」

「や、闇の住人……?」


 二郷の言葉にゴクリと唾を呑む中年男性。


「……」

「……」

「……え? いや、その……闇の住人が居て……それで?」

「……ん? だから、危ねぇし怖ぇから、お互い気ィつけようなって」

「は……いやいやいや! そうじゃないよ!? 正体! さっきの化物の正体が知りたいの!」


 二郷の素っ頓狂な回答に、慌てふためいて二郷の肩を掴み揺する中年男性。先ほどあれだけ奇々怪々な目に逢ったのだ。自分に何が起こったのかを知りたいと思う彼を責める事は出来ないだろう。

 そんな中年男性に対し、二郷は面倒くさそうな様子で答える。


「俺だって知らねぇよ。多分、妖怪か幽霊か悪魔か怪異のどれかだよ……つか、正体知ってたらこんなにビビッてねぇよ」

「ビビッてって……」


 あれだけ勇敢に立ち向かっておいて────そう言おうとして、中年男性は、二郷の肩が小さく震えて居る事に気が付いた。その中年男性の手を肩から剥がしながら、二郷は溜息を吐く。


「畜生……ゴミ箱に隠れて何とか『アレ』から逃げ切れたと思ったら、なんで秒で別の化物にマッチングするんだよ。マジでこの世界は最悪だぜ。これだからオムニバスホラーは嫌いなんだ」


 ブツブツと呟く二郷。

 中年男性は、結局二郷から全うな回答を得られてはいない。

 だから、再度尋ねても良いのだが……彼は、今しがた触れた二郷の肩の震えを思いだし、それ以上、二郷に問い掛けられなくなってしまった。

 恐怖を感じつつも、逃げる事無く自分を助けるために立ち向かってくれた少年に対して、喚き騒いでいる今の自分の姿が急に恥ずかしくなったのだろう

 無職だろうと、酔っ払いだろうと、大人としての矜持は有る。これ以上恥ずかしい姿は見せられない。そう思った中年男性は、自分の両頬を引っ叩き酔いを完全に醒ますと、二郷に向けて頭を下げる。


「……よく分からないけど、僕は君に助けられたみたいだね。ありがとう。君のお蔭で助かった。お礼は出来る限りするから、何かあれば言ってくれ」


 中年男性に礼を言われた二郷は、一瞬驚いて目を大きく見開いてから、気恥ずかしそうに中年男性へ背を向ける。


「偶然だよ偶然。たまたま逃げた先にオッサンとバケモノが居て、たまたま初手で弱点を引けたってだけだ。狙って助けられた訳じゃねぇし、礼なんて要ら…………あ」


 そこで二郷は、何かに気が付いた様子を見せた後、気まずそうに中年男性の方へと振り返り、眉をハの字にした情けない表情で口を開く。


「その……お礼って言うなら……クリーニング代とシャワー代とか、出してくれねぇかなぁ?」


 見れば、乱戦で飛び散った芋虫の化物の体液と、潜んでいたダストボックスのゴミで、二郷の髪と服は凄い状態になってしまっていた。

 そして、怪しげな霊能グッズを買い集めた二郷の財布に、クリーニング代は残っていない。

 そんな二郷の願いを受けて、中年男性は笑顔で頷いた







 その後、漫画喫茶でシャワーを浴び、コインランドリーで出来るだけ制服を綺麗にしてから家に帰った二郷に対して待っていたのは、遅く帰ってきた事についての両親の叱責。それから、心配の言葉であった。

 一から十まで自分の行動が招いている現状に、言い訳の言葉を紡ぐ事が出来ない二郷であったが、いじめを心配した両親の言葉には、それは大丈夫だと言い切った。


 そして、深夜。

 電気が点いたままの自室で、布団の中に潜った二郷は思考を巡らす。


(やっぱ、漫画の設定通りだった。モリガミサマは、あの女の子が俺の顔と名前を知らない限りは、問答無用に祟り殺す真似は出来ねぇ。それを実際に確認出来たのはデケェぞ)


 東雲四乃に対して言葉を掛けた事で執念深く追いかけてきたモリガミサマ(+教師)であったが、しかしそれは、『さかさネジ』に描かれたように距離も場所も関係ない理不尽な祟りではなかった。

 あくまで追跡、追走の範疇。上手く逃げ隠れれば、撒ける程度のもの。

 持ち合わせていた知識が正しいものであったという事を確認出来て、二郷は安堵する。

 もしも、モリガミサマが二郷の知識を越え、問答無用に祟り殺せるような力を有している存在であったのならば、もはや二郷には手の打ち様がなかった。


(原作通りなら、あと一週間であの子はモリガミサマに殺される……なら、それまで対策を打って置かねぇと)


 対策……といっても、それはモリガミサマを直接倒す方法ではない。あくまで、布石を打つだけだ。モリガミサマはただでさえ恐ろしいバケモノなのだ。行き当たりばったりでどうにか出来る筈が無い。


(原作通りなら────3日後に、モリガミサマは罠を張る。底意地の悪ぃ、最低で悪辣な罠だ……俺はそれを利用して、あの子を逃がす)


 成功率は高く無い。だが、可能性はある。

 物語の主人公のように、必ず、少女をたすけ







 ────赤い地獄の光景が二郷の脳裏に蘇る。


 終わりの見えない、永劫に続いていく苦痛の記憶。

 肉体も精神も、魂さえも腐り溶け落ちていくような絶望の記憶が、自分が愚かで矮小な、塵芥に等しい存在である事を、二郷に再認させる。


「ぎ、ぐううううぅぅ……いやだ、もうバケモノとなんか関わりたくねぇよ……助けてくれ……頼む……頼む……主人公……」


 バケモノと関わる度に蘇るその記憶に、間宮二郷はその日も眠る事が出来なかった。

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