第3話
西に沈む夕日が橙色に燃え上がる。夕日の光は空を侵食し、世界を赤色へと包み込む。しかし、空は広大であり、夕日から少し上を見上げれば、青色の世界が浮かび上がる。夕日が浸透した赤と空の青が混ざった境界線は綺麗な紫色に輝いていた。
そんな幻想的な光景に俺は瞳を奪われた。あまり気にして見ることはなかったが、世界はこんなにも綺麗なんだな。
「おーい、何を現実逃避しているの」
その声とともに俺の頬に激痛が走る。見るとヘクトさんがこちらに手をやり、頬を思いっきり引っ張っていた。
「ヒタヒです……」
「なら、ちゃんと見ていなさい。心苦しいのはわかるけど、調査は最後までしなくちゃね」
心苦しすぎるんですよ。声には出さないものの、心の中で愚痴を言う。
太陽が天辺にある頃から西へと移り変わるまで、俺は沙織と相山のラブラブの様子を見せつけられた。
相山と腕組みをして、体をくっつける沙織。ゲームセンターで景品を取った時に喜びのあまり相山に抱きつく沙織。そして、公園のベンチで湖に映る夕日に想いを馳せ、何だか良い感じになっている相山と沙織。それら全てを目の当たりにして、心はすっかりズタボロ状態になっていた。
「ねえ、飯塚さんって、辻くんと付き合っていた時もあんなにスキンシップ激しかったの?」
「いえ、俺と付き合っていた時はスキンシップは手を繋いでいたくらいです。沙織はそう言うのあまり好きじゃなさそうだったので」
俺たちは公園の木陰に隠れながらベンチに座る二人の様子を観察していた。二人は背を向けた状態のため話しているのか、黄昏ているのかすら分からない。今の沙織は一体どんな表情をしているのだろうか。
「なるほど。そうなると脳内ハッキングの可能性は高くなるわね。まあ、ただ単に辻くんの前だけではそんな風に振る舞っていただけかもしれないけれど」
「やめてくださいよ。そんなこと言うの」
「ごめんごめん。お、動きがあったみたいよ」
ヘクトさんの声につられるまでもなく俺は二人が顔を向かい合わせる瞬間を見ていた。さっきまであんなに現実逃避するように逸らしていたのに、今は釘付けになったように視線が離れない。
相山と沙織の二人ともおっとりとした表情を見せる。
相山がゆっくりと沙織の肩へと手を伸ばす。沙織は特に嫌がる様子もなくただただ相山の目に自分の目を向けていた。
「いや、こんなの我慢できるわけないだろ!!」
この後の予想が難なく脳裏によぎった俺は、いてもたってもいられず木陰から出ると二人のところまで歩いていった。幸い、ヘクトさんに止められることはなかった。
「おい、相山!!」
大声で相山の名前を呼ぶ。こちらへと顔を向けたのは沙織や相山だけではない。俺の視界に映る人全員が俺を覗いていた。どうやら、ここにいる全員が、今この場所が修羅場と化したことを悟った様子だ。
「辻……なぜここに……」
二人の座るベンチの横に立つと相山が俺を見る。きょどった様子の彼を睨みつけると俺は構うことなく、沙織の両腕を握りしめた。
「沙織っ! 何でこんなやつと……一体どうしちまったんだよ……」
今にも泣き出しそうな声をあげながら俺は彼女の体を必死に揺らす。沙織は黙ったままで返事をしない。俯いた彼女はその表情を俺に見せない。
目を覚ましてくれと勢いよく体を揺らす。
「帰ってきてくよ、戻ってきてくれよ」
声にならない声をあげる。目から溢れた涙がベンチを濡らしていく。
刹那、沙織が俺の手を握る。俺はハッと眉をあげる。すると、腹部に激痛が走った。
見ると、沙織は前の如く俺の腹に正拳突きを食らわせていた。
「せっかく良いムードだったのに、よくも邪魔してくれたわね」
そのセリフがさらに俺の心をも抉る。心身ともに大きな損傷を負った俺はその場に崩れ落ちた。
「行こっ、亮大くん」
沙織は立ち上がると相山の手を持つ。つられるように相山も立ち上がった。
「残念だったな、辻。彼女は僕を選んだんだ。別れても追ってくるとは束縛が激しすぎるよ。嫌われたんだからさっさと失せな」
そう言うと、二人して公園を後にした。
俺は相山の罵声を聞いても反撃する気力がなかった。それだけ、沙織に言われた一言が俺の心に傷をつけたのだ。俺は彼女にとって、大層な邪魔者だったんだな。
「お疲れ、辻くん」
少ししてヘクトさんがやってくる。俺は泣きながら彼女に乞うように視線をあげた。
「ヘクトさん、俺を消してください……」
「何でよ……飯塚さんと復縁できるチャンスが巡ってきたのに、どうしてそんなことを言うの?」
「はあ……さっきのあれ、見てましたか? どう考えても、終わりでしょ」
「そんなことはないさ。ミッション完了よ。辻くん」
ヘクトさんは笑みを浮かべるとしゃがんで俺の額に人差し指をつけた。
「脳内ハッキングの処理はおそらく完了したわ。あとは時間の問題よ」
俺は思わず、目を大きくした。
今のどこに処理をした要素があったのだろうか。
****
それから、数日の時が過ぎた。
俺は緊張のためか扉の前で口に溜まった唾をごっくんと飲む。
最後にあったのは正拳突きを喰らった時。あの時の彼女の敵意に満ちた表情は今でも悪夢として出てくるくらい俺にとっては恐怖だった。
「よしっ」
ひとりでに気合を入れるように声をあげるとノックする。
「はい、どうぞ」
部屋から声が響く。部屋の中の彼女もまた緊張しているのか声は震えていた。
恐る恐る扉をあけ、中を覗く。部屋は最後に来た時と同じような雰囲気だった。
ピンクを着飾った勉強机にぬいぐるみだらけのベッド。彼女はぬいぐるみに囲まれながら頭だけ布団から出して、こちらを見ていた。
額に熱冷ましシートをつけ、頬は熱のためか、それとも照れているのか赤く染まっていた。瞳がキラキラしており、前に会った時の敵意を持った視線は完全に消え失せている。別れを告げたときの冷めた表情はすっかりとなくなっていた。
「健人……」
仄かに呼ばれた俺の名前に心が揺れる。ベッドのそばまで寄ると脱力したように座り、彼女の顔を見た。
「ごめんね。すごく迷惑かけたと思う」
第一声は謝罪だった。俺は首を横に振って、彼女の布団からはみ出した手を握った。
恭司の言うとおり、沙織は脳内ハッキングを受けて相山を溺愛するようにプログラムされたようだった。
なぜ、脳内ハッキングされたと分かったのか、それは彼女が発熱を起こし、『身体検査』を受けたからに他ならない。今の医療では、発熱の原因が『ニューラルリンクによる影響』か『人が本来持つ免疫による影響』かが分からない。
そのため、発熱時には二つの観点から診断を行なっていく。
沙織の発熱は『人が本来持つ免疫による影響』だった。しかし、診断を行なった際にニューラルリンクに異常が見られ、急遽別の診断を受けることとなった。
その際に、最近流行している『脳内ハッキング』の被害に遭っていることが分かったのだ。沙織は無事に治療を受け、ハッキングを処置してもらうことができた。
奇跡のように思われるかもしれないが、これは意図的に仕組まれたものだった。
ヘクトさんと俺が調査をした際、彼女は俺の手を握りしめて、『人工蚊』を付着させた。それを持ったまま今度は俺が沙織の腕を握り、沙織の腕に付着。そして、ヘクトさんが『人工蚊』を操作し、針を注入。それによって発熱反応を起こし、検査を受けることになった。
全てはヘクトさんが仕組んだことだったのだ。
調査の後、種明かしをされ、一時期は疑ったものの、今の沙織からの謝罪によって本当であることが分かった。
「熱、すぐ治ると良いね」
「うん……ねえ、健人。熱が治ったらさ、またデートしよ」
「もちろん。あ、そういえば、沙織ってスキンシップとか好きだったの?」
俺の質問に彼女は目を大きくする。相山と一緒にいた時のことが彼女の本来の気持ちなのか、それだけは聞いておきたかった。
「はあ……何でこんな時にそんなことを聞くのかな……」
「ごめんごめん。いや、本心はどうなのかちょっと気になって。別に言わなくても……」
すると、沙織はふと起き上がり、俺の頬に向けて唇を当てた。突然の行動に思わず、時が止まる感覚に襲われた。触れた唇は離れると暖かい吐息を頬にかける。
「好きな人とだったら、好きかも」
俺は思わずぽかんとした表情を見せる。沙織は「してやったり」というように憎たらしい表情を見せた。いつもなら腹を立てているところだが、あの件の後にそれを言われるとなると、何だかとても嬉しく感じてしまった。
これで一件落着。その安堵もあってか、後日俺は発熱で寝込むこととなった。
沙織からは再び謝罪のメッセージが飛んでくることとなった。
【短編】脳内ハッキング 結城 刹那 @Saikyo-braster7
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます