第144話 勇者の責務

『GRUAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!』


 龍の嘶きが城内に、帝都に、平野に、王国に────全世界に轟いた。それは新たな世界を見下す超越種が生まれ落ちたことを証明する咆哮、新たな龍が自分の存在を明らかにする行為であった。


「ッ────!!この声……!?」


 耳を劈くほどの咆哮に勇者は反射的に耳を塞ぎ、そうして眉間に皺を寄せた。


 既に勇者────ヴァイス達は半壊し、自壊を始めた帝城からは脱出していた。そうして外にて〈影龍〉ともう一体の深紅の龍人との死闘を見届け、勇者は覚悟を改める。


 ────覚悟はしていても、この役回りは辛いかな……。


 夜明けの朝陽に照らされた瓦礫の山の頂上、そこに悠然と龍人は立っていた。


 この光景を目の当たりにして、いったいどれほどの人があの龍人が元は人間であったと信じられるだろうか? それほどまでにそこに在る深紅の龍人は人の面影が消え失せ、完全な龍へ成り果てていた。


 事前にこんなことが起きるかもしれないとは聞かされたはいた。可能性は十分にあると……言ってしまえば十中八九こうなるであろうと、勇者が信頼し、尊敬する師匠は己の未来を断言していた。けれどもいざ、現実に起こると怯んでしまう。


「レ、イ…………!!」


 変わり果てた愛する者の姿を見て、氷の姫は言葉を失い、その蒼い双眸には雫が溢れ出そうとしてた。今にも絶望に噎び泣き、あの龍の元へと駆け出してしまいそうな彼女を勇者は咄嗟に引き留める。


「ダメだ、フリージア!!」


「イヤ!離してッ!今すぐレイを助けなくちゃ!!」


 身を捩り、抵抗する少女の気持ちを勇者は痛いほど理解してた。理解していたからこそ、彼女を引き留めて、勇者は冷静にそして覚悟を以て龍人を見遣る。


 今はまだ戦いの直後だからか龍人はその場から動く素振りは無い。しかし、それもいつまで続くかはわからない。既に彼の龍人には人間の頃に在った自我は消滅し、ただ力の限り、バケモノの様に暴れ狂うしか思考は残されていなかった。


「ッ────!!」


 非情な現実を拒みたくなる。悪い夢だと、質の悪い冗談だと一蹴したい。けれども目の前で起きていることが事実で、現実で、真実なのだ。だから、それを認めて勇者はやるしかない────彼に頼まれたのだから。


 ────もしもの時はお前が俺を────


 脳裏に過るのはこの〈龍伐大戦〉が始まる少し前、彼とした最後の個人的なやり取りだった。他の誰にもこれからやることの詳細に告げず、けれども彼にだけ────唯一の解決の鍵を握る勇者にのみ明かされ、任された頼み事だ。


 短い時間で、度重なる吸血行為によって龍人────クレイム・ブラッドレイの意識は完全に〈魔〉に呑まれた。今、龍人の行動理念はその全てが吸血衝動に支配され、血を吸う為ならどんな手段も問わず、本能のままに暴れ、奪い、破滅を齎すバケモノと成り代わった。前述した通り、今の彼は複数の血統魔法をその身に宿し、操り扱う。その姿は龍人であれど、在り方は古ぶるしき悪夢の再誕、伝説の存在として今も数多くの物語で語り継がれる〈魔の王〉であった。


「こんな未来、予想できた?」


『GURAAAA……』


 勇者が尋ねると、偶然か意図してか龍人は低く唸る。確実に深紅の龍人は勇者を頂上から見下ろし、その存在を認めていた。そうしてその真赤な双眸に射られて勇者は歩き出す。


「ヴァイ、ス……?」


「ここは俺に任せて、フリージアはアリスちゃんを探してくれる?」


「でも……!!」


「レイ君とのなんだ。だから……お願いします」


「ッ…………分かったわ」


 困惑する仲間にそう言って、勇者は儚げに微笑む。


〈魔の王〉となったクレイムを殺せるのは────殺すのは〈勇者〉であるヴァイスにしかできない。彼にのみ世界から与えられた役目だった。それは正しく伝承の再現。数々の童話や英雄譚には必ずと言っていいほど勇者と魔王、龍が登場し、悪の根源として扱われる魔王や龍は勇者に討たれて世界が平和になる……と言うのが物語の王道展開だ。それに倣うとすれば、この行動は必然であり、二人はこうなる運命だったと言える。


 現に、〈勇者〉には〈魔〉を払う特攻性質がある。希望の光の象徴である【輝明魔法】は禍々しく、世界を混沌に陥れ、破滅を呼ぶ黒い〈魔〉を払う唯一の弱点であり方法であった。


 眼前の魔王は〈勇者〉の末裔にしか扱えないはずの【輝明魔法】をその身に宿しているのだが……今、龍人の身体は直前の〈影龍〉との死闘で力の殆どを使い果たし、その身を支配するのは龍の力であった。つまり本来の魔法以外、龍人は先ほどの戦闘の消耗の所為で他の魔法が全く機能していない状況でもあった。


 加えて、前述の通り龍人は先の〈影龍〉との戦闘でかなり疲弊し、不意を突けば今の勇者にも十分な勝機はあった。


 ────けど、それじゃあ意味が無いんだ。


 しかし、件の勇者は強襲を仕掛けることは無く、堂々と龍人の眼前へと姿を晒し、ゆっくりとその距離を詰める。


 どうして勇者は絶好の好機を捨ててまで、龍に真正面から決闘を挑もうとしてるのか? その理由は至極単純であった。


「まさか、これがレイ君と初めての決闘になるなんてなぁ……」


 矜持。ただその一言に尽きる。どんな状況であろうとも、勇者にとって眼前の龍人に挑むと言うことは世界平和や、戦争を終わらせることよりも大きな意味を含んでいた。


 本当に人生、どんなことが起こるか分かったものではない。それは一度は実現しなかった憧れの存在との一騎打ち。それが今まさに、意図せぬ形で実現しようとしているのだ。今のヴァイス・ブライトネスは〈勇者〉でありながら、一人の平凡な少年であり、そうして彼の一番弟子としてそこに居た。


「けど、手加減は無しだよ?」


 そうして自我を崩壊させ、獣のように唸る龍人に勇者は尋ねた。それは最後の確認。彼の自我が本当に消え去ってしまったのか、もう残っていないのか、その確認作業だった。


 果たして、勇者の救いであり、尊敬であり、憧れの存在であるクレイム・ブラッドレイの返答は────


『GRUAAAAAAAAAAAAAAAAA!!』


「そっか────」


 龍のソレであり、既に彼は人間ではないのだと再認識させられる。悔し気に唇をかみしめて、勇者は剣を抜く。


「それじゃあ恨みっこなし、本気で殺り合おうッ!!」


 そうして光の〈勇者〉は龍伐へと身を投じる。

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