第142話 龍伐(2)

 ザラーム平野にて〈龍伐大戦〉の開戦が告げられてから丸一日が経過しようとしていた。


「〈影龍〉様に勝利を!!」


「「「うおぉおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!!」」」


「クロノスタリアに勝利を齎せッ!!」


「「「おっしゃああああああああああああああッ!!!!」」」


 両国の軍勢が入れ代わり立ち代わり、引きりなしに雄たけびを上げて武器を揮う。戦況は拮抗している。どちらの軍も消耗は激しく、決定打となる瞬間は未だ訪れていない。そんな状況に、〈比類なき七剣〉第三席ジルフレア・アッシュフレイムは困惑していた。


「おかしい……」


 ここまで彼は一歩も引くことなく兵士達と共に最前線に立ち、戦況をずっと見てきて分かったことは、帝国は万全な状態でこの平野の乱戦に挑んではいないと言うこと。


 帝国の最高戦力である五天剣が二人しかいないのだ。それも生ける伝説として名高い〈冥界破者〉の第一剣が不在で、第一剣と比べれば実力も経験も劣ってしまう第三剣と第五剣だけがこの平野の乱戦に身を投じていた。対してこちら、王国の主戦力である〈比類なき七剣〉は全員がこの平野に集結し、陣頭で指揮を揮っていた。


 ────いや、この場所に〈五天剣〉が全員いない理由なんてのは考えれば直ぐにわかるし、その理由を考えれば至極当然とも思える。


 王国側は平野へと攻め入り、帝国軍を退けて帝都へと進軍するのみ、反して帝国側は平野を決して超えられてはならない防衛線である。安全を期して、帝国の主戦力を帝都に残すことは不思議な事ではない。戦力を分散し、残しておくのも戦略の一つだ。


 だが、そうとはわかっていても戦力差は明らかである。すぐにでも戦況を王国側に引き寄せることは可能であると思えたし、〈比類なき七剣〉や王国兵たちもその算段であった。しかし、現実にはそれ起き得ず、こうして拮抗状態に陥っていた。


 何故か?


 理由は簡単だ。


「GRUGAAAA!!」


「クソッ!また新しい眷属竜だ!!」


「包囲して全員で一気に潰しに掛かれ!」


「ぅ、ぐぁあ!?む、無理だ!さっきより強くなっていやがる!!?」


〈影龍〉の残滓・眷属竜が帝国側には兵力としていたからだ。これが戦場の拮抗状態の原因。圧倒的優勢なはずの王国が攻めあぐねている最大の理由であった。


 倒せど倒せど新しく眷属竜は出現し、それは際限の無い死なぬ兵器であり、瞬く間に戦況を帝国側に引き寄せようとする。逆に時間が経つにつれて王国側の兵力は落ちていく一方であった。今は何とか均衡を保てているが、正直に言えばジリ貧で、これではそう長くないうちに戦況はひっくり返る。


「ッ────」


 焦燥感と絶望感が王国側に内在する。今まで何とか自身を鼓舞し、士気を保っていた兵士達であるがそれももう限界が近かった。各部隊長として主に指揮に注力していた〈比類なき七剣〉が今ではその殆どの眷属竜の相手を請け負い、何とか自軍の回復をさせようと時間稼ぎをしていた。


 やはり状況は芳しくない。〈比類なき七剣〉でも手を焼くほどの脅威を眷属竜は有し、そうして今まさに一瞬の隙によってジルフレアが眷属竜に頭から噛み砕かれようとした────


「GRUGAAAA!!!!」


「ク、ソ────」


 その瞬間であった。


「────え?」


 自身の死を覚悟し、次の瞬間に襲い来るであろう激痛に目を瞑った紅の騎士は、しかしてその最悪の結末を迎えることはなかった。


 不意に状況は変わった。


「これは……?」


 今まで無限に湧いてできた眷属竜たちが徐に、泥のようにその姿を霧散させ始めたのだ。その事実が帝国側も予想外だったのか、驚愕の色が見える。


 どうしていきなりこんなことが起きたのか、その理由は分からない。だが、ジルフレアは確信する。


 ────戦況の流れが王国側に来た!!


 この好機を見逃す道理はない。


「眷属竜が次々に消滅している!この好機を逃すな!!」


「「「おおッ!!!!」」」


〈比類なき七剣〉達の声で兵士たちの士気が再び白熱する。一気に勝負を決めに掛かる為であった。


 ・

 ・

 ・


 影の嵐が止み、今まで龍の巨躯によって埋め尽くされていた視界が一瞬で鮮明に広がる。


『この姿になるのは何百年ぶりだろうな?』


 そうして龍の居た筈の場所に現れたのは一人の男。漆黒の長髪に、そのスラリと伸びた細身には影色の法衣を纏っている。一見、龍の威厳を微塵も感じさせない凡夫だが、しかし実際はその双眸には獰猛な龍の力を宿し、その身体から漏れ出る魔力と影気は間違いなくあのクソトカゲのモノで相違なかった。


 龍の人化────差し詰め、「龍人」とでも言うべきだろうか────の姿をありありと俺は目に焼き付ける。


「チッ────」


 今まで際限なく解放していた血液や魔力を納め、俺は忌々しく目の前の光景を睨め付ける。


 覚えのある光景だ。現に、それは〈刻龍〉と対峙した時に既に経験していたものであり、だから特段、驚く必要はない。眼前の龍は確かにこう言った、「本気だ」と。それは虚飾でも、虚勢でもなく、確かにその言葉通りなのだろう。


 ────ただの気まぐれで本来の姿を捨てたわけじゃない。


 先ほどよりもその姿は小さくなったが、身にまとう魔力や覇気は比べ物にならないほどに飛躍している。禍々しく周囲を舞う影と魔力が漏れ出て、肌を撫ぜては痺れるような感覚を覚える。


『誇れ、クレイム・ブラッドレイ。貴様は人類で初めてこのオレの本気を引き出したのだ』


 言葉一つ唱えるだけで、眼前の生き物の異常性を実感する。空気が激しく震え、それだけで濃密な魔力の渦に晒される。そうして、少しでも気を抜けばすぐに眼前の龍に食い殺されてしまうだろう。


 ────ははっ……本当に、どうしてこうなっちまったかなぁ……。


 そんな威圧感プレッシャーを抜きにしても俺の身体は限界だ。今まで無理やり抑え込んでいた吸血衝動はもうほぼ堪えが聞いていない。……正確に言えば、クロノスの血を飲んだ時から抑えられてなどいなかったのだ。勝手にそう思い込んで、別の事に思考を割いて、誤魔化していたフリをしていただけだ。もう後、何時間も俺は戦っていられないだろう。


 ────それはいい。


 ここまで来てしまえば時間はあってないようなものだ。問題は結局のところ、この段階を数段も跳ね上げてきた龍を殺せるかどうかだ。


「借りるぞ、ヴァイス────」



 ほぼ無意識に、今まで押さえつけていた衝動を受け入れるように、俺は血液の入った瓶を叩き割り飲み砕く。


 それは勇者の血であり、喉にどろりとした血生臭い液体が通るのを感じ取ると格別の快楽と極楽が全身を押し寄せた。渇望と衝動が限界を迎えようとしている。もう抑え込むのは不可能であり、そもそも抑え込む気もなかった。


 残された時間は限られていた。〈魔〉に呑まれるのも時間の問題だ。それでも彼の龍を殺すにはこの方法しか俺は与えられていないし、それ以外の方法を知らない。これが最適解なのだ。


『次はどんな曲芸を見せてくれるんだ?』


「余裕をこいてんじゃねぇぞ、クソトカゲッ!!」


 眼前の龍から向けられる期待感を膨らませた無邪気な視線を無視して俺は駆け出した。距離は目測で十メートルも無い。龍は依然としてその場に立ち尽くし、こちらの動きを見逃すまいと楽し気に目を凝らしている。


 ────見てから反撃余裕ですってか!!


 預かっていた仲間の血は全て使い切った。これにより今の俺の身体には自前の魔法も数えれば五つの〈血統魔法〉が内在していた。ならばここからはその全てを駆使し、使い果たして龍を圧倒するまでだ。


「ッオ、ラァア────!!」


 時空を飛び越え、瞬き一つで龍へと肉薄する。その手にしっかりと握り込んだ龍殺剣を下段から、龍の細く華奢に思えてならない胸部を斬り上げる。龍はやはり俺の攻撃を見てから難なく躱そうと試みるが、それを許す道理はない。


『転移魔法の一つか、それにこれは────重力と凍りによる二重拘束か……』


 重力と氷結による拘束をその身に受けても龍の態度は微塵も変わらない。確かに揮った一振りは龍の胸部を裂き斬ろうとしたが、躱せないと分かるや否や龍は軽く腕を払って刃を弾き拒む。その人間離れした芸当に、驚く必要もない。


 ────表面は人でも中身は龍なんだから当たり前だ!!


 その構造は人間とは比べるのも阿保らしくなる理不尽の塊。


「だからなんだッ!!」


 一気に攻めかかる。全ての魔法を駆使して、怒涛の勢いで影なる龍へと肉薄する。


「ッ────!!!!」


『いいなぁ!楽しくなってきた!!』


 斬って、斬られて、防いで、防がれて────自然と身体の傷が増えて出血が増える。溢れ出た血を無駄にしない為にも〈龍滅血戦ドラゴンスレイ〉を起動させて、戦闘を少しでも有利に運び込む。


『この速度はついてこれるか!?』


「ぃ、ぎぃ────!!」


 しかし、それも付け焼刃だ。人型になったことで龍の戦い方はがらりと変わった。相変わらずの徒手空拳、しかしその全てが洗練されており、まるで極東から伝来した武術で以て的確に俺を殺しにかかってくる。


 追いつくどころか差は開いてばかり。無数に俺の周囲に展開した血の鎖は瞬く間に破壊され、攻撃と防御の手段が消されていく。加えて、時間が経つに連れて俺の自我は〈魔〉へと呑まれ崩壊していく。


「ドクドクとさっきからうるせぇなぁッ!!?」


 好き勝手に叫ぶ。もう自分が攻撃をしているのか、走っているのか、躱しているのか、それとも無防備にただ嬲り殺されいるのかもよく分かっていない。けれどきっと今も自分は叫べて、怒って、生きているのだからまだ何とかつなぎ留めていられている。


「血が昂って────」


 そんな不安定な確信や、なけなしの覚悟と決意なんかを振り絞って〈影龍〉へと斬りかかる。しかし限界は直ぐに訪れた。


『……所詮は、こんなものか』



 気が付けば、今まで好戦的で楽し気な笑みを浮かべていた龍は明らかに口数が減り、目に見えて落胆したような声を上げる。そうして、目の前まで来たソレは勢いよく黒い龍の鱗で覆われた拳を下から振り抜き、俺の顎をカチ上げた。


「は────ぅ、あがッ!!?」


 視界がぐらりと揺れて、釣りあげられるようにして身体は上空に吹き飛ばされた。その勢い余って俺は地下空間の天井をぶち抜き、果てには城外へと飛ばされていた。


 激しい衝撃と苦痛に溺れる最中、視界の端に薄らと消えかかった月が映る。気が付けば夜が明けようとしていた。


 ────あぁ?もう、そんな時間かぁ???


 そう思った矢先に空を飛んでいた身体は重力に従って落下し、瓦礫の山へとその身を埋める。


 意識が呆然とする、こんな滅茶苦茶な状況でも自分が生きているのはやはり可笑しな話だった。数秒、数時間、数十時間、数日、数十日、どれだけ時間が経ったのかも分からないけれどいつの間にか眼前には漆黒の龍が俺を見下していた。


『お前でもダメだったか……』


 見上げた龍はやはり悲し気な声で酷く落ち込んでいる様子だ。


 何をそんなに落ち込んでいるのか? 俺にはよく分からない。


 自我は霧散しかけていた。なのに意識はハッキリとして、さっきから脳裏に五月蠅く鳴り響いて鬱陶しい衝動に呑まれていく。


 ────血が、足りない。


 見上げる龍に疲れは見えない。汗一つかかず、呼吸で肩を揺らすことも無く、飄々としている。


 分かり切っていたことではあるが、やはり強い。死力を尽くし、仲間から借りた奥の手まで使っても俺の牙は眼前の龍に届きはしなかった。


 ────全くもって腹立たしい。


 その怒りは果たして誰に向けられたものか。


 眼前の龍へか?


 それとも不甲斐ない自分自身に対してか?


 もうその判断も区別も当の俺はできないでいた。それでも妙にすっきりとした、変に冷静さを取り戻して、落ち着き払っていた。


 勘違いをしていた。死力を尽くした。今の自分にできることは全てやった。しかし結果はこの様である。眼前にいるのは世界を見下す龍であり、生半可な犠牲、代償でこの超越種に勝つなんて到底不可能で、そもそもが思い上がりも甚だしい傲慢であった。


 もう思考は〈刻の霊峰〉で真実を知った直後のような負の感情ネガティブではない。自暴自棄に、身投げのような自己犠牲をする気はない。それでもこの戦いで死ぬ覚悟はしていたし、選択肢を最初から選ばなければいけなかった。


 けれども、結局のところ俺はこの局面で可愛い我が身なんかを優先してしまった。やっぱり人間、根っこの深い深いところはそうそう変わらない。どれだけ痛い目を見ようと、心を入れ替えても、自制しようとも、極限状態に陥れば本性が出てきてしまう。


 この龍を倒すには


 ────もう十分すぎるほど、たくさんのモノを貰った。


 正直に言えば、は使いたくなかった。だってこれを使えばクレイム・ブラッドレイは確実に死ぬことになるだろうし、仮に生きていたとしてももう二度と自分の思い描く未来は手に入らない。何よりも自分が二回目の人生で最も忌み嫌い、恨んでいるヤツの力を使うなんてのはとても癪だった。


 けれど現実問題、そんな我が儘をいつまでも言ってはいられない。愛しの妹の輝かしい未来を手に入れるためには、結局のところこの方法しか今の俺には残されてない。


 ────本当に十分だ。十分すぎるほどなんだ。


 一度目と比べれば天と地ほど俺の人生は色鮮やかで輝いていてた。クソトカゲ共の所為で幸福とは言えなかったが、それでも傲慢怠惰なクレイム・ブラッドレイが享受するには勿体なさすぎる代物だったではないか、全てが黄金に輝いていたではないか。


「目には目を、歯には歯を────」


 だから、この先に自分がいる必要はない。勘定から度外視していい。漸く、その覚悟ができた。


「────龍を殺すには龍の力を……てな」


 そこで俺は


「それは……貴様、まさか────!!」


 それを見て、初めて目の前の龍は動揺を見せる。


「さあ、ここで切札投入ワンアクションだ」


 そうして、俺はその身にを流し込んだ。

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