第141話 龍伐(1)
妙な浮遊感。それは【瞬空魔法】を使った時よりも不安定で、何処まで融通の利かない理不尽の連続であった。空気を切る音が耳に鳴り響いて止まない。俺は今、自由落下をしている。
「ふっざけんなよ!クソトカゲっ!!」
かれこれ三十秒ほど、一体いつまでこの浮遊感が続くのかは俺を床から叩き落した龍のみぞ知ると言ったところで、俺はこの原因に恨み節を叫んだ。
何処を見渡せど視界に映るのは不定形の闇ばかり。やはりそこは影が支配していた。何処か、取っ掛かりや足場になるモノがあればそこに退避するのだが、どうにも壁と言う概念もないこの落とし穴は目的地に着くまで直通らしい。
そうして不承不承ながら自由落下に身を任せていると、明らかに物理法則を無視した地下空間が眼下に広がっていた。そうしてその地下空間で待ち構えていたのは漆黒の龍と影に囚われ気を失っている血の姫君であった。
「ッ────アリス!!」
落下時間の割になんの衝撃もなく、不自然に難なく地面へと降り立ったのと同時にク俺は苦し気なアリスの姿に眼を剥く。衝動のままに彼女の前へ駆け寄ろうとするが、その前に〈影龍〉が立ちふさがる。
『感動の再開のところ申し訳ないが、
「邪魔だクソトカゲ!アリスは返してもらうぞ!!」
『クハハッ!本体である
一気に視界を埋め尽くした黒い塊を睨みつけ怒鳴る。そんな俺の態度が気に入ったと言わんばかりに眼前の〈影龍〉はふざけた提案をしてくる。
『この姿で相まみえるのは初めてだな……どうだ?お互いに自己紹介でもするか?』
「おちょくるのってんじゃねぇ!今すぐその首叩き斬ってやるよッ!!」
余力は十全、貰い受けた血液もまだ三つある。問題は無い。ここで確実に眼前の龍を殺し切る。〈影龍〉も既に臨戦態勢だ。尋常ではない魔力と影で周囲を埋め尽くし、威圧感を放つ。
『クハハッ!そうだな!
「ッ────!!」
二つの魔力が衝突する。押し流されるように俺も全身を纏う魔力の量を跳ね上げる。〈血流操作〉は十全、先ほどの
「背中ががら空きだなぁ、オイ!!」
【瞬空魔法】で一瞬にして〈影龍〉の背後へと回る。一瞬、アリスの存在を確認するが、どうやら既に彼女はまた何処かへ幽閉されしまったみたいだ。
「チッ────!!」
用心深い〈影龍〉の対応に舌を打つ。そのままこのクソトカゲを無視してまずはアリスの奪取だけでもしておきたかったが、まあそんな上手く事が進むはずなどない。俺はそのまま龍殺剣を鋭く揮い、龍の首を叩き斬りに行く。
『解釈が違うな、敢えてガラ空きにしてるんだ』
それを無軌道に、不自然に影が伸びて阻んでくる。不定形な影、まるで空気の壁を斬っているような手ごたえの無さに攻撃を止めて再び空間を飛び越える。
────使い勝手が良すぎるな。
時間が経つにつれて今まで浅かった魔法への理解が深まっていく。それまでは発動過程を意識していた血統魔法が無意識に、反射的にできるようになってきた。
────問題はこの衝動だな……ッ!!
それと同時に急激な渇きと衝動が更に「血を取り込め」と促進してくる。歯噛みし、爪食いこむほど拳を握り込んで意識を無理やり別の方向へ反らす。それでも吸血衝動は収まりそうもなく、誤魔化すように俺は眼前の龍へと肉薄する。
「そこまでも人を馬鹿にしやがって……!お前ら龍はいつもそうだ!世界を見下し、自由気ままに他の誰かに迷惑をかけ続ける!なぜ彼女なんだ!どうして俺の妹をお前は欲している!!?」
無数に迫りくる影。不定形なそれらは刃や槍、鞭、針、棘……様々な形へと変貌し襲い来る。圧倒的な物量、致命傷は避けるが無傷とはいかない。身体に無数の切り傷を付けながら、それら全てを無意味だと断じて俺は前へ突き進む。
『何故?何故かって?理由は至って単純だ。
「なッ────」
言葉を失う。全身が不意に硬直して、攻撃の予備動作を止める。ただ、今しがた語られた龍の言葉を脳裏に反芻させ、考える。そんな俺を気にした様子もなく眼前の龍は言葉を続けた。
『あくまでこれは強さへの探求、その過程の実験と言ったところか……。仮に”血”の姫君の力で結果的に強くなれなくても、また別の方法を模索するだけの事だ。ハッキリ言って、それ以外はどうでもいい。
それに、今はそれよりもお前との死闘だ!死力を尽くして、死ぬ気で、殺ろう!!』
「ッ────ふざっ……ッ!!」
瞬間、俺の中に激しい情動が沸き起こる。
強くなる為? その為だけに彼女は数年、視力を魔力を奪われ、本来享受できるはずだった未来を理不尽に取り上げられ、間辛い思いをして、それでも負けじと強い意志でこの龍の悪意に立ち向かってきたと言うのに……なんなんだその理由は? それではあまりにも────
「人の────命を何だと思っていやがる!!?」
アリスが可哀想だ。龍とは往々にして何よりも自分勝手で、この世の理不尽の全てをに詰め合わせたようなクソみたいな存在だとは思っていたが、眼前のこのクソトカゲがその前提を上回るどうしようもない存在だとは思わなかった。
途端に激しい衝動によって全身が強張り、無意識に叫びだし、反射的に、無防備に〈影龍〉へと飛び出した。
「そんなことの為に!本当にそんなことの為に戦争を始めて、アリスや爺さんにノロイを掛けて!たくさんの人を不幸にしたって言うのかッ!!?」
〈血流操作〉によって爆発的な身体力を発揮し、俺は〈影龍〉のその巨躯へと斬りかかる。しかしそれは直前でやはり影に阻まれ、逆にその影は反撃とばかりに無数に枝分かれしてこちらを鋭く走ってくる。
『そうだと言っているだろう?』
回避は不可能。思考は冷静さを失い、その事実に気が付いた時点で詰んでいた。防御・迎撃は不可能ではないが、長くは持たない。それほどまでに状況は絶望的で、その致命的な隙を龍が見逃す道理もなく。
無数……否、無限と思えるほどその数を増やした影の斬撃が全身に襲い掛かり、俺を串刺しにする。
「ぅぐッ────が、ぁ……かはッ!!?」
異物が身体の肉を貫き、引き裂く感覚。抉り、潰し、拡販して、次から次へと激痛が走り、意識を失いかけてはまた新しい痛みによって意識が覚醒する。大量の血も身体から吐き散らし、血飛沫を上げて周囲の影を紅色に上塗りする。
────油断、していた。
理性を失い、怒りに身を任せて、我武者羅に身を投げ出してしまった。なんんら「油断」と言うにもお粗末すぎる始末だった。その事実に舌を打つ。
そこでまだ自分は調子に乗っていたのだと気が付く。あれほど気を付けて、あんな過ちは二度と犯さないと決意をしても、大事な場面ではこれだ。そりゃあ、こんな悲惨なことになっても不思議じゃあない。寧ろ、当然の結果だと言えた。
「はぁ…………調子に乗るな、絶対に乗るな────」
それはこの期に及んで自惚れていた自分への戒めだ。怠惰で、傲慢で、愚かなクレイム・ブラッドレイはこうでもしないと冷静にはなれず、自分を律することもできない愚図である。
「────乗るなって言ってんだろがッ!!」
喉が擦り切れんばかりに血を吐き出して、叫び、喚き、自分で自分を怒鳴りつける。
既に無限の影が俺の身体を突き刺し抉り、四肢は捥がれ、血は大量に失われている。瀕死も瀕死、いつ意識が途切れてあの世に行っても可笑しくはない。逆に言えば、こんな状況でさえ俺は息をして、眼前の龍をハッキリと見据えて、酷い有様ではありながらも存在していた。
どうしてか?
ひと疑問が浮かぶが、すぐに納得できた。
────きっと俺はもう……、
答えがハッキリした瞬間に俺は思考を途中で放り捨て、別の事を考える。これだけ身体をめった刺しにされても、大事に胸元に忍ばせた切札は無事だ。
『拍子抜けにもほどがある。まさか、これで終わりとは言うまいな?』
眼前の龍はこちらを睥睨し、心底失望したような、虚しさに苛まれた感情を孕ませながら煽ってくる。
「だったら、どうする?」
その龍らしからぬ幼稚な言動が滑稽に思えて、俺は血を吐き出しながら頬を歪に引き攣らせる。
まだだ、どれだけ身体に穴が開こうと、筋繊維を断裂されようと、高位の回復薬を以てしても癒せぬ深い傷だとしても、絶望的な状態でも頭と体が繋がっていれば、首が切断されていた無ければ無問題だ。俺からすればこんなのまだ致命傷ではない。かすり傷とまでは言わないが、割と想定の範囲内である。
だから、まだ諦めるには早すぎる。俺はまだ何も持ち得る全ての策を、力を、本気を、死ぬ気を賭してはいないのだから。
「安心しろよ!まだまだ遊んでやる、このクソトカゲッ!!」
際限なく溢れ出る血液を操作して疑似的な腕を作り出す。そうして俺は懐から無傷の硝子瓶を一つ取り出し、乱雑にそれを飲み下した。
「ッ────!!!!」
残り僅かな切札の一つ。フリージアの血液を血中に取り込み、全身が激しく疼く。
既に一度取り込んだことのある血なだけあってか、彼女の血は変に反発したり暴れることなどは無く、直ぐに身体に馴染んだ。そうして爆発的に魔力と血が回復し、漏れ出た血力の衝撃で俺を苛んでいた影を悉く霧散させる。欠損した四肢も元通りになり、人間では到底在り得ない……バケモノそのものの回復速度を目にした〈影龍〉は楽し気に声を上げた。
『懐かしいな!古ぶるしき時代を生きた吸血種のお家芸をまさかこの時分で目にできようとは!!』
しかし、そんな楽し気な声に反応できるほど俺には余裕がなかった。
「うぐッ────クソッ!気分悪ぃなぁッ!!」
短時間での吸血行為により全身を駆け巡る吸血衝動は拍車を掛ける。意識は朦朧として、ただ本能は血を渇望し、衝動のままに内包した力が脈動する。
〈魔〉に、吞まれようとしている。
果たして、その先に何が待ち受けているのかハッキリとしたことは分からないが、どうしようもないクソみたいなことが起きるだろうってことだけは分かる。
「んぐッ────!!」
舌を噛み、痛みでも苦痛でも、何でもいいから意識を別のモノへと反らし、不屈の意思で暴れ狂う〈魔〉を御し、ただ眼前に聳える龍を殺すことだけに意識を集中させる。
ただ我武者羅に、本能の赴くままに借り物の魔法と血の暴力で、俺は〈影龍〉へと攻めかかる。
「〈
それは血の暴力、はたまた血の嵐か。周辺一帯を飲み込む血の衝撃が俺の体内から溢れ出し、悠然とこちらを見下ろす龍を飲み込まんとした。
『あの時と同じ技か!いいだろう!お前はどれだけあの英雄に近づけた!!?』
雄々しい龍はその矜持とも興味本位ともいえる傲慢不遜な態度で俺の魔法を無防備に受け止め────そうして血の暴力、はたまた嵐はその巨躯を瞬く間に削り、抉り、穿ち、半壊させ、全てを終わらせに掛かる。しかし、その巨躯の半分以上を失ったところで影龍の傲慢不遜な態度は変わらない。それどころか、
『クハ────クハハ……クハハハハハハハハハッ!!!!』
よくぞここまでやってのけたと、まるで新しい玩具を見つけたかのように爛々とその黒い双眸を輝かせて、褒めるように彼の龍はにたりと頬を引き攣らせる。
そうして、眼前の龍は今まで城内の至る所に蔓延らせ、支配させていた影を全て己が身に帰結させていく……いや、その量は到底城内だけには留まらず、帝都全体、はたまた今も戦火の広がるザラーム平野にまで蔓延らせていた己の影を全て自身に帰結、集約させて行った。
『ここまでよくぞ試練を乗り越えた。やはり貴様は我の予想を超える強者へと成りあがった。なれば、我も本気でお前と戦おう!!』
雄叫びのように叫ぶ影の龍はしかして、その身を影の嵐で隠し、夥しい魔力と力の本流によってその身を変貌させていく。
『さあ、最終決戦だ』
そうして、影の嵐が晴れたその先には一人の漆黒の男が立っていた。
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