第140話 龍の試練

 そこは玉座と言うよりも薄暗くだだっ広い影の覆われた空間であった。


「……」


 気が付けばこの空間に入る為に潜った扉が消え去っている。灯りは無いのに何故か視界は鮮明に思えて、いくら周囲を見渡せどそこには玉座も中を彩る調度品も、照明も何もかも在りはしない。


 ────それよりも……。


 しかし、言ってしまえばそんなことはどうでもよくて、今気にするべきことはこの部屋に居ると思っていたはずの存在の姿が見受けられないことだった。


 玉座の間に足を不見れてから、今まで以上に濃密な影と龍の気配が全身を逆なでするように感じられる。反射的に警戒度が最高点まで引き上がり、ここまで絶やさず稼働させ続けていた〈血流操作〉もこの空気に当てられ一段その速度を跳ね上げた。しかし、いくら周囲に視界を巡らせても件の龍の姿はない。


「この期に及んでまだその姿は見せないってか……?」


 その事実にどこまでもふざけた龍だと怒りが募る。けれども心は至って冷徹。気を乱すことは無く、俺はゆっくりと玉座の間の中心へ進む。


 後数メートルの距離まで玉座に近づくと、今まで暗かった周囲に明かりが灯る。部屋は半円状をしており、その壁にぐるりと周囲を囲むようにして藍色の炎が沸き起こった。


 ────はッ、随分と雰囲気づくりに凝っていらっしゃるな。


 やはり気に食わない龍の歓待に内心で毒づいていると、不意に龍の声がした。


『よくぞここまで来たな、”血”の守護者よ。この〈影龍〉スカーシェイドは貴様を歓迎しよう!!』


「黙れ。姿も見せずに何が「歓迎しよう」だ。人を馬鹿にするのもいい加減にしろ。それとも何か、龍ってのはやっぱり礼儀も礼節も弁えない低能な生き物なのか?」


『クハハッ!威勢がいいな、やはりオレに歯向かう奴はそれぐらいじゃないと詰らん!それにまあそんなに事を急くな、じっくりとこの殺し合いを楽しもうではないか?』


「何が────!!」


 弾むような、どこかこちらを嘲笑したような愉し気な声。やはりその姿は見えず、俺は感情が昂るままに声を荒げようとして既でそれを堪える。こちらのペースを乱すのがクソトカゲの狙いなのだとしたら、それは成功しているのだろう。現に、俺はこの短い間でなんども揺さぶられているのだから。


 ────虚勢でもなんでもいい。今はただ冷静さを保つことが最優先だ。


 一つ呼吸をして間を置く、そうして龍の声がする虚空を睨んだ。


「アリスは何処だ、無事なんだろうな?」


『さあ、どうだろうな?もしかしたらもう貴様の愛する妹はもうこの世にいないかもしれないぞ?』


「ッ────こんのクソトカゲッ……!!」


『クハハ、やはりお前の逆鱗は其処か!今まで何とか堪えが聞いていたと言うのに一瞬で抑えていた殺気が漏れ出ているぞ?』


 どこまでも愉快気な〈影龍〉の声に俺は我慢ができ無くなる。いくら嘲られ、蔑まれ、馬鹿にされようと、確実にこの龍を殺せるのならば一時の不快感など我慢して見せよう。しかし、それが俺の人生の中で掛け替えのない大切な妹の安否なればその限りではない。


「黙れッ!お前みたいな身勝手で独りよがりな奴がいるから不幸が無くならない!大切な人が悲しく、苦しい思いをしなくちゃならない!アリスは絶対に幸せにならくちゃいけない子なんだ!だから俺はお前を殺して、当然の様に享受できるはずだった幸せを取り戻す!!」


 今ままで堪えていた内なる怒りはふつふつと煮え滾る。それに感化されるように眼前の龍は不敵に嗤い、宣言した。


『できるものならやって見せろ!貴様の今の言葉が戯言ではないことを証明して見せろ!オレは強者との殺し合いを何よりも尊び、そして渇望している!!

 ”血”の守護者────クレイム・ブラッドレイよ、これより〈龍の試練〉を始めようッ!!」


 途端に玉座の間を支配していた影が蠢きだす。藍色の炎は不気味に揺れ動き、地鳴りのような不穏な音と振動、目まぐるしく広間は蠢き、そうして────眼前に影の眷属竜が出現した。


「ッ────!!」


 その数は、物理法則を無視した異様な広さを誇る玉座の間を埋め尽くすほどの数。大きさはそれほどでもないが、確実に以前戦った眷属竜とは込められた影と魔力の密度が桁違いだ。


 ────ざっと数えて百は下らない……か。


 明らかにたかが一人の人間に向けるには過多に思える戦力。数秒と立たずに数の暴力、物量に押しつぶされて殺さることが目に見える状況。けれども、それは普通の人間だった場合であり、この日の為に弛まぬ研鑽と努力を続けてきた俺に何ら不安要素は存在しない。


『まずは改めて貴様がどれほど強くなったのか見極めよう。まさか、こんな小手調べで死ぬわけはないよな?』


「「「GRUAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!」」」


 そんな煽り文句と同時に眷属竜達は轟音のような咆哮を上げてこちらに襲い掛かる。


「舐めてんじゃねぇぞッ!!」


 そこで俺も我慢の限界が訪れた。腰に携えた龍殺剣〈断影〉を抜き放ち、俺は眼前から迫りくる眷属竜の群れに自らその身を投じた。今までため込んでいた憤り、怒りを爆発させて全て眷属たちにぶち撒ける。


「死ねや、ゴラァアッ!!」


〈血流操作〉の具合も完璧。ここまでじっくりと循環させ温め続けてきた血は煮え滾る速さまで加速して俺の身体能力を爆発的に引き延ばしてくれる。


「「「GRUAA!?」」」


「「「GRUGAAAA!!?」」」


 所狭しと視界を埋め尽くす黒い影。それを一息で何体も斬り伏せる。龍を殺すために造られた剣はその力を十全に発揮する。まるで牛酪バターを熱したナイフで切っているうな感覚を覚えるほど、刃の通りが良い。


「こんなもんか!?全然歯ごたえがねぇなぁあ!!」


 次から次へと眷属竜を屠っていく。一体、一体はどうと言うことはない、取るに足らない雑魚だ。


 それでも数が以上に多い。殺せど殺せど、次から次へと空間を支配している影から新しい眷属竜が湧き出て補充されていた。一方的な蹂躙はこの物量差では不可能であり、必然と身体に決して浅くはない傷が増え始めている。


 お世辞にも消耗は激しくないとは言えなかった。【紅血魔法】の特性上、傷が増えて出血量が激しくなるほどに俺の戦闘能力は底上げされるが、まだ本命である〈影龍〉を前にして無駄な負傷は論外だ。力は温存しておきたい。


「借りるぞ、グラビテル嬢────!!」


 だからここで俺は限りある切札の一つを切ることにした。取り出したのは一見何の変哲もない硝子瓶。しかしその中身を見ればあのクソトカゲも不信感を抱いた。


『……?なんだその瓶の中身は────』


「素直に教えるとでも?」


 それらを適当に流して、俺は戦闘が深まるにつれて増していた衝動を解き放つ。硝子瓶の中に入っているのは赤い液体はもちろん人の血液。それは事前に仲間から採らせてもらった血の一つで相違なく、俺は一息に硝子瓶の血液を飲み込んだ。


「んぐ────あ、ぁがッ!!?」


 粘土の高い、どろりとした液体が喉を通る感覚。細胞の一つ一つがその血生臭い液体を渇望していたようで、一気に疼き沸き立つ。同時に意識を飲み込まれそうなほどの衝動が全身を駆け巡る。


「はぁ……はぁ……はぁ────!!」


 それを歯を食いしばり、無理やり抑え込んで理性と自我を保つ。血を取り込み、一気に魔力と身体の傷、序でに血液までも回復。その代償として全身を駆け巡る衝動に身を焦がしながら俺はまた〈魔〉へとまた近づいた。


 ────今は何も考えるな!!


 無駄な思考を振り払い、俺は新しく手に入れた魔法を行使する。


過重檻グラジェイル!!」


 詠唱と共にそれは事象として世界の規則を捻じ曲げた。途端に俺の周囲に群がり、圧し潰そうとしてきた眷属竜たちが床に平伏す。


「「「GRUAAAAA!!?」」」


 俺が今使った【重力魔法】は指定した範囲にいる生命・物体に任意の重力負荷を与える魔法だ。そうして俺が指定した範囲はこの広場全域であり、与える負荷は百倍。これだけの負荷を掛ければいくら眷属竜と言えども一撃で圧殺することが可能だ。


 その予想正しく、この玉座の間を埋め尽くすほどいた眷属竜は全て見るも無残に圧し潰され、音もなく空間の影に沈んだ。


「────おい、もう終わりか?」


 呼吸を整えながら俺は虚空を睨み、煽るように言った。すると愉し気な声が空気を震わせて、この試練とやらを傍観していた〈影龍〉は満足げに言葉を続けた。


『ああ、合格だ。第二の試練と行こうじゃないか』


 不快な声に顔を顰めていると、


「何が合格────は?」


 玉座の間の床が唐突に抜けて俺は誘われるままに地下へ自由落下した。


 それがクソトカゲの言う第二の試練の合図であった。

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