第75話 王族の苦悩

 ────いつも胸中には劣等感が渦巻いていた。


 クロノス・クロノスタリアと言う男は中途半端な男であった。


 立場、才能、頭脳、武力、カリスマ……どれをとっても特筆すべきものはなく、兄である第一王子と比べると出涸らしのようにさえ思えた。


 それでも平凡な一市民からすれば、彼はとても恵まれた生まれ、血統の持ち主、輝かしい未来が待っている選ばれた人間であり、羨望の眼差しを向けられ、そして多大なる期待を向けられた。それが、クロノスのちっぽけな自意識に重く圧を掛けてのしかかった。


 ────本当に笑い話にもならない。


 そう感じいるたびに彼は自嘲的に笑うのだ。


 いつも目覚めは最悪で、未来なんてのは絶望しか待ち受けていない。それは何も持たない者からすれば贅沢な悩みに取られるだろう。けれども、持つべき者は────無意識に与えられた者はそれで、その人間にしか分からない苦悩と葛藤があるもので、その辛さは誰にも理解されることなく、そしてひけらかすこともできない。


 ただ、彼に許されたのは選ばれたものとして気丈に振る舞い、王族としての矜持を、ちっぽけな虚勢と張り付けた欺瞞でもって突き通すのみ。


 そんな朧気で不安定な、まるで綱渡りのような人生をクロノス・クロノスタリアは歩んできた。少し間違えれば、それこそボタンを一つ掛け違えただけで瞬く間に全てが崩れ落ちても可笑しくはない不安定さの中で彼は生きてきた。


 それは、この魔剣学院に来てからも変わらない。


 多くの才気溢れる少年少女しか入ることのできないここで、彼は王族として相応し成果を残せる気がしないでいた。兄と比べれば全てが中途半端、いつも二番手の彼には変な自意識が芽生え、負け癖のようなものが強く根付いていた。


 ────恐い、恐くてたまらない……。


 やはり不安が付きまとう。入学してすぐに執り行われた〈特進〉クラスの頭目決めでは、なんとかその地位を我が物にして見せたがそれは仮初であり、本当に名ばかりのモノであった。


 別にクラスメイトは彼の事を王族として受け入れ、そして王族として接した。当然と言えば当然な話だ、彼はそこで執り行われた決闘に参加せず、代役を立ててその座を勝ち取ったに過ぎない。誰も彼を一生徒の「クロノス」として見てはいなかった。


 そこまでしてクラスの頭目になりたかったのか、と聞かれれば答えは一つ。


 ────なりたかった。


 彼の兄がそうであった様に、彼もそうならなければ、また比べられて、駄目であればまた期待を裏切ってしまう。だから何が何でもその座を勝ち取りたかった。例えどんなに卑怯と言われようと、仮初の称号であろうと。


 ────そう思っていたのに……。


 それでも彼の空いた胸の内は満たされることはない。寧ろ、更に虚しくなり、元から無い自分の中の何かが無駄に無遠慮に消費されているような気さえした。


 それを自覚するたびに、彼は自分の事を更に嫌いになって────


「いいなぁ……」


 そして羨むのだ。


 この学院に来てからと言うもの、一人の少年に出会ってからと言うもの彼の醜い感情は肥大化するばかりだ。


 ────クレイム・ブラッドレイ。


 彼を見ていると兄を思い出した。


 圧倒的な武力、思慮深い知性に、身分に拘らない柔軟性、何よりも彼には周りを巻き込むカリスマ性……人望があった。正に才能の塊。本当に何もかもが似ている。そう思うたびに彼の胸中には醜い感情が渦巻く。


 ────きっとこんな感情をいつまでも、うじうじと抱え込んでいるから自分は二番手なのだ。


 そうと分かっていても、幼い頃から沁みついてしまった感覚を、孕んできた感情を忘れることなんてできない。


「それでも……!!」


 それでも、彼は変わりたいと願った。強く、今までの短い人生の中で一番、彼はこんな醜く不甲斐ない自分を変えたいと思った。


 理由は些細なものだ。本当に何でもない、少年の一貫した態度がクロノスを突き動かした。


『俺が殿下のお役に立てるとは思えないので────』


 ────彼に認められる強者に!


 それは偏に釣り合っていないと言われているようなもので────だから、今から始める決闘はその意思表示だ。初めての挑戦だ。クロノス・クロノスタリアは今日、今までの自分を更新する。


 ・

 ・

 ・


「どうしてこうなった???」


 最近は常にこう思っているような気がする。


 まだ日が昇り始めた学院の訓練場。そこで何故か俺はクロノス殿下と対峙して、決闘をすることになった。


 ────本当になんで???


 フリージアが〈派閥〉のメンバー候補を連れてきて、それが殿下とグラビテル嬢だったことまではまだいい。


 俺としては二人が【第四級】に昇級していたことは別に不思議ではないし。もしこの二人が俺の派閥に入ってくれるなら、願ってもない展開だった。けれど、話を聞いてみれば何故か思いつめた様子の殿下に決闘を申し込まれて、それを断ることもできない雰囲気。なし崩し的にここまで来たわけだが────


「ここまでしてもらって不躾な申し出をしてしまうが許してほしい」


「はい……」


「この決闘、一切の手加減をせずに全力で戦ってくれないか」


 理由を尋ねられる空気でもない。何やらクロノス殿下は並々ならぬ覚悟で以て、俺に挑んでくるようだが、そもそもがこんな決闘を申し込まれる覚えが俺にはなかった。


 ────何か嫌われるようなことしたかな?


 そうとしか思えないが、過去の記憶を思い出す限り彼の機嫌を損ねるようなことをした覚えはない。そもそもそういう事がないように俺は彼と極力関わり合いにならないように避け続けてきたのだ。


 だと言うのにこんなことが起きる始末だ。俺の努力は無駄だったと言うのか? やはり見え透いたゴマすりなんてのは、王族にもなれば簡単に見抜けてしまうのか? 本当にどうしてこうなった……。


 ────いや、一つだけあったな……。


 後悔する中で不意に脳裏に過るのは、いつしかの殿下の家臣への勧誘だ。俺は悉くそれらを断ってきたわけだが……まさかそれが原因でこうなっているとでも言うのだろうか? というかそれぐらいしか無礼を働いた記憶がマジでない。


 ────だとしたら詰んでない???


 ちょっと幸先が良すぎると思ったらこれである。


 やはり人生って言うのは上手くいかないことばかりだ。しかも、殿下は何故か本気の決闘をご所望。ここでもしその言葉通り本気で戦って、その結果として俺が殿下をぶっ飛ばしても処刑されないだろうな?


 ────結構、本気で心配なんだが……。


「頼む」


 答えあぐねる俺を見て、殿下は真剣な眼差しを向けてくる。


 やはり、ここで「無理です!!」なんて言える雰囲気ではないし。なんならもう勝手に始まる流れだし────


「……後で何かの────不敬を買った罪で何かしらの刑には処されないですよね?」


「勿論だとも」


 このまま始めるしか選択肢はない。


 せめてもの予防線を張って俺は〈血戦斬首剣ブラッドソード〉を顕現させる。本気で来いと言ったのだから、その通りに行かせてもらおう。


 ────殿下の使う魔法は厄介だが……今の俺なら対応ができるやもしれん。


 色々と疑問は尽きないが、それを抜きにすれば実は結構楽しみでもある。今の自分が殿下の血統魔法にどれだけ対応できるのか、気になっていたのも事実だ。


 ────やっぱり毒されているな。


 そんな戦闘狂な思考に思わず苦笑する。そんな俺を見て殿下は戦闘態勢に入った。


 既に準備は整っている。


「それじゃあ始め!」


 そうして、フリージアの合図で決闘は始まった。

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