第46話 鍛錬開始

 明朝。陽はまだ上ったばかりで殆どの人間が当然のように寝ている時間帯。まだ少しばかり肌寒いこの時間帯は温い毛布にもう少し包まっていたいと思うのが普通であり……そもそもそうしているのが当然の頃であった。


 しかし、俺達にそんな甘ったれた常識は適用されず、今日からは鍛錬をする時間へと成り替わる。


「いつまで寝腐ってるんだヴァイスゴラぁああああ!!」


「んぶげ!!?」


 とりあえず、俺は今もベッドの上で毛布に包まれている怠け者ヴァイスをたたき起こす。もう既に寮の裏庭で剣を振り回していなければおかしい時間、だというのに呑気に寝ている勇者殿には怒りしか湧かない。


 ────こいつ、鍛錬を舐めてるな? 侮っているな? 呑気に寝ていられる余裕があると思っているな?


 要領はクソジジイが俺にしたみたいな感じだ。とりあえずベットの上から落として強制覚醒。


 一度、鍛錬をする、面倒を見ると決めたのならばこちらも本気で取り組まなければ誠意にかける。だから、優しく、甘ったれた指導をするつもりはなかった……と言うか、そんなやりかたを俺は知らなかった。あのクソジジイはいつもメチャクチャで、アホみたいに厳しかったがそのお陰で俺は強くなれた。


「く、クレイムくん……?」


 ベットからたたき落とされたヴァイスは状況をまだ理解できていないのか困惑気味だ。無防備に天井を仰いで困惑した瞳を俺に向ける。


「まだ寝ぼけてんのか!?」


「あいだ!!?」


 もう一発腹に木剣の剣先を突き刺す。俺は無駄な説明を省いてさっさと本題に入った。


「朝の鍛錬だ!まさか忘れたわけじゃあるまいな!!?」


「め、滅相もございません!!」


「ならさっさと準備しやがれ!朝飯までに素振り千回だ!!」


「せ、千!!?」


「返事は「はい」か「わかりました」だ!!」


「わ、わかりました!!」


 今は何よりも時間が惜しかった。最低限の準備を済ませて、飛び出すように裏庭へと行けばそこには既に他の寮生が朝の鍛錬に励んでいた。それを見て俺はキレ散らかす。


「ほら見てみろ!ヴァイスがいつまでも寝腐っているから出遅れた!罰として素振り五百本追加だ!!」


「ごひゃ────!?」


「返事は!!?」


「は、はい!!」


 朝の静謐な雰囲気の学生寮裏庭。突然その場にそぐわない罵声が響き、鍛錬をしていた寮生は様々な反応を見せる。


「なんだあれ?」


「あれって最近噂の首切り……?」


「怒号、罵声……鬼教官???」


 普通に驚く者や、何事かと興味を寄せる者、当たり前に不機嫌な者もいた。しかし、俺はそれを気にしない、気にする暇なんてのはやはりない。静かにお行儀よく鍛錬なんてクソくらえだ。それは俺のやり方────クソジジイのやり方ではない。


 ────周りを気にして強くなれるかってんだ。


「それじゃあ始めるぞ!!」


「はいぃいいいい!!」


 二人仲良く並んで素振り────なんかするはずない。互いに向かい合って、少しでもなめ腐った素振りをしようものなら俺はヴァイスの頭をぶっ叩けるように目を光らせる。それを最速で行うための陣形フォーメーションだ。


 基本的に爺さんの鍛錬は鍛錬の範囲ならば殴る蹴るは当たり前、罵声や怒号は環境音でしかない。今日が鍛錬初日であるヴァイスには過激かもしれないがこのノリに慣れてもらうしかない。


 別にやることは難しくない。寧ろ、鍛錬としては基礎の基礎、誰しもがやったことのある鍛錬だ。そこら辺の子供でもやろうと思えばできてしまう。


「常に魔力で身体強化!勿論、全力でだ!!」


「は、はい!!」


「最初の方は直ぐに魔力切れを起こしてぶっ倒れるが気にせず全力でやれ!まずは自分の限界値を確かめるんだ!!」


 素振りである。基本的にこれをしておけば間違いない。体力も付くし、身体強化を常に施すことで勝手に魔力総量も増える、あと剣を振ることが日常化する。いいこと尽くしだ。


「────素振りだ。素振りを信じろ……素振りは裏切らない、素振りは全てを超越し凌駕する、俺は素振りだけで龍をぶち殺す……」


「く、クレイムくん……?」


 呪文のように言葉を唱えながら俺も全力で素振りをこなしていく。鍛錬を始めたころは単純な素振りをしてなんの意味があるというのだ、とバカにしたこともあった。しかし、それは大きな間違いだと今ならよくわかる。素振りほど優れた鍛錬はない。


「ッ!今、手を抜いたな!!?」


「げふ!!?」


 単純が故に奥が深い。最初は納得できないかもしれないがそのうち身体が勝手に理解していく。理解できない奴はバカで、素振りが足りない。頭で理解できるか、本能で感じ取れるまでやってもらう。まずはその感覚をヴァイスの思考と身体に直接叩き込んでいく。傍から見れば気が狂っているように見えるだろうが、安心してほしい。


 ────俺は至って大まじめだ。


 その実、素振りが日常化すれば色々なことが分かる。その日の体調であったり、身体の微細な違和感、筋肉の動きから魔力の具合、血の流れなどなど。ただ木の棒を振るだけでこれだけのことが分かるのだから、「たかが素振り」と侮る奴らは全員バカだ、アホだ、死ぬべきだ。もう一度、ママの腹の中から人生をやり直せ────特に俺とかな。


「よし、よくやった!!」


「し、死ぬ……」


 そんなこんなでヴァイスはなんとか俺の課した素振りの量を熟し、朝の鍛錬を乗り切った。初日で目標回数をしっかりとこなせたのは重畳だ。鍛錬────素振りの才能がある。


「はあ……はあ……はあ……!!」


 この裏庭で誰よりも汗をかき、誰よりも汚れている。それは恥ずべきことではなく、努力者の勲章である。


「やりすぎたか……」


 しかし、途端に鬼教官から普通の思考に戻ると、少しやりすぎたかなとも思えてきてしまう。初日からこの量は頭がおかしい、強くなるためには必要だとしても少し狂っていると思えてきた。だから俺は地面に大の字で寝転がる勇者殿に尋ねる。


「悪い、鍛錬のことになるとどうにも手を抜けなくてな。キツかっただろ、やめるか?」


「う。ううん。やめないよ。せっかくクレイムくんが全力で手伝ってくれてるんだ。俺も本気でやるよ」


「そ、そうか……」


 結構、殴ったり蹴ったり怒鳴ったりで、昨日の貴族集団よりもひどいことをした自覚はあるのだが、本人はやる気に満ち溢れている。存外、根性は人一倍あるようだ。それならば俺ももう迷いはしない。


「よし、それじゃあ飯だ。朝が一番大事だからな、吐く直前まで腹に詰め込むぞ」


「────え???」


「食事も鍛錬だ」


「……」


 一気に顔を青ざめさせるヴァイスを引きずって俺は自室へと戻った。勇者鍛錬計画はまだ始まったばかりである。

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