第20話 婚約者の考え

「傲慢怠惰な悪童クレイム・ブラッドレイが更生した」


 ────と言う話はすぐに私の耳に届いた。グレイフロストの次女であり、家督は五つ上の姉が継ぐことが決まっている。そんな私に残された役割は貴族との横の繋がり、親密な関係を築くための仲介であり、五歳の頃には気が付けば許嫁ができていた。


 それが最近やけに大人しくなったと言う噂が絶えない侯爵家の嫡男────クレイム・ブラッドレイだった。


 最初こんな噂を聞いたとき、私は「そんなまさか」と鼻で笑い、噂を一蹴した。あの自己中心的で他人を思いやると言う感情を生まれるときに堕としてきたような男が変わるはずがないと思った。そんな否定的な態度を示し、すぐに化けの皮が剥がれるだろうと高を括ってみても、しかし耳に届くのは奴の更生話ばかりだ。


 やれ「真面目に鍛錬をするようになった」だとか、やれ「使用人に横暴な態度を取らなくなった」だとか「家族を大切にするようになった」だとか。


 本当にどれもこれも信じ難く、嘘としか思えないようなことばかり。しかし、何よりも私が気に入らなかったのはその全てがまるで誰にも成し遂げられえなかった偉業のように持て囃されていることの意味が分からなかった。


「鍛錬をするようになった?」


 そんなの当たり前だ。貴族として生まれたからにはその責務を果たすべく日々の研鑽など至極当然のことである。


「使用人に優しくなった?」


 これも当たり前だ。彼らのお陰で自分たちは何不自由なく日々を過ごせている。貴族である私たちを一番近く、根底から支えてくれているのは彼らであり敬うべき存在だ。


「家族を大切にするようになった?」


 こんなのもっとも当たり前のことだ。血のつながった肉親であり、大切に愛情を注いでくれて、無償の愛を与えてくれた存在だ。


 ────ふざけるな。


 奴の噂の数々を聞くたびに私は本当に腹立たしくて、吐き気がした。


 本当に当たり前のことなのだ、当然のことなのだ、それがどうして今まで自分の意思でしてこなかった奴が、急に態度を変えてやるようになったからと言って褒め称えられるのか? その意味が本当にわからなかった。


 だから確かめに行くことにした。


 どうせただの気まぐれ、何か裏があって始めたこと、そう信じて疑わずに私はクレイム・ブラッドレイを見定めるために約一年ぶりに奴の家を訪ねた。


「あれほど会いたくないと駄々を捏ねていたのにどういう風の吹き回しだ?」


「彼を、見極めてきます」


 父に「仕事の同行をしたい」と嘆願したときは酷く驚かれた。理由は勿論、行き先がブラッドレイの屋敷だからだ。


 本来ならば奴の家などには自ら進んで行きたくなかった。あの男には始めて会った時から嫌な目に遭わされていた。初対面で言われた言葉は今でも覚えている、忘れるはずがなかった。


「なんだこの白い女は、気味が悪い」


 本当に信じられなかった。生まれたときから他人よりも肌が白く、眼も白く、髪も白い。本当に病的に白くて、そんな見た目の所為か周りの人々から気味悪がられていた。同じ年代の子供たちにもこの見た目の所為で避けられていると分かっていたが、実際に本人の目の前で思ったことをなんの悪気もなく宣う奴は初めてだった。


 同時に私は直感した。「こいつとは相容れない」と。


 それからというものあの男は会うたびに私を嘲り、侮蔑し、とことん揶揄ってきた。最初はこれから半生を共にする相手なのだから仲良くしようと思っていたが、そんな殊勝な心も3回目の逢瀬の時には消え失せていた。


 そんなこの世の醜悪を詰め込んだような男が改心したと聞かされても信じられるはずがない。


「お久しぶりです、フリージア様。本日は我が家にお越しくださいまして、大変うれしく思います。どうぞごゆっくりいしていってください」


 しかし、実際に目にした奴は噂通り別人のように生まれ変わっていた。言動や所作は落ち着き払っていて、物腰も柔らか、熱心に取り組み始めた鍛錬の所為か身体つきも逞しくなったように感じる。本当に信じられなかった。


「お兄様!!」


「────ッ!!」


 何が一番信じられなかったって、奴は実の妹であるアリスとも仲睦まじくしていたのだ。あれだけ邪魔なものとして扱っていた妹をだ。お茶会でアリスが奴の隣を選んだときは夢か何かだと思った。


「最近のお気に入りの場所はお兄様の近くなのです!!」


「なっ!?」


 信じられなかった信じたくなかった。だから私はこの悪魔からアリスを助けようとした。善人を装うあの男を撃ち倒し、化けの皮を剥がすと。


「私と決闘をしなさい!」


 当然、勝てると思っていた。今まで大した努力もしてこなかった半端者に負けるなど思いもしなかった。


「まだ続けますか?」


 しかし、結果は惨敗だった。完膚なきまでに圧倒されて負けた。屈辱だった。けれどなにが一番屈辱だったかと言えば手加減をされたことだ。


「……参りました」


 あの男は私の体を気遣って木剣を使わずにデコピンで私を倒したのだ。怒りと同時に私は自分が情けなくなった。こんな男に気を使われるほど弱い自分に腹が立ったのだ。


 その瞬間に私は決めた。


 怒りは消えない、消す気もない。これまでの仕打ちを許す気はない、許せるはずがない。それでも何よりもまずは────この男よりも絶対に強くなってやる、と。


 ・

 ・

 ・


 そう思って、最近は自己研鑽に没頭し、それなりに強くなったと思っていた。けれど依然としてあの男レイには勝てず、勝つどころかどんどんと差を離されるばかりだ。


「なんで……!!」


 これに焦りを感じて、無理を言って参加させてもらった騎士の郊外訓練だったが……正直、私にはまだ荷が重すぎた。決して、この訓練を舐めていたわけではない、寧ろその苦行の噂は耳にしていた。


『毎回、ほとんどの騎士が死んだ目をして帰ってくる』


 それでもレイが連れていかれるくらいなのだから自分でも問題ないと、食らいついて見せると意気込んでいた。その結果がこれだ。


「はあ……はあ……ッ!!」


「下がれフリージア、邪魔だ!!」


 慣れない魔物との戦闘、普段とは違う環境とそれによる緊張、一言で言えば私は足手まといでお荷物以外のなにものでもなかった。


「くっ────!!」


 悔しかった、情けなかった。フェイド卿と一緒の部隊にいなければ私みたいな未熟者はすぐに死んでしまっていた。それほどまでに私はこの場に見合った実力を持ってはいなかった。


「だ、大丈夫ですかお姉様?」


「これぐらい、なんてこと……ないわ……」


 夕方になるころには私の自身は消失した。何よりも情けなったのは自分の実力を正確に測れず驕ってしまったことであり────


「これじゃアイツと一緒じゃない……」


 そのアイツもフェイド卿に認められるくらいの実力を付けて、一人だけ他の騎士と混ざって訓練に参加している。今も森の中でサバイバルを続行している。その事実が私を更に焦らせ、憤りを覚えさせた。


「焦る気持ちも分かるが、今フリージア嬢に必要なことは冷静に物事を俯瞰し、一度足を止めてみることだな」


 気が付けばすっかり陽は落ちて夜だ。疲れているいるはずなのに眠れなくて、一人で焚火を眺めていると不意にフェイド卿にそんなことを言われた。


「そんな暇は私には……」


「暇なんていくらでもあるさ。フリージア嬢はまだ若い、若すぎる。何を焦る必要があるだろうか?」


 反射的に言い返すと、更にフェイド卿は言葉を重ねる。ぐう音も出ず、口を噤んでいるとフェイド卿は懐かしそうに眼を細めた。


「焦る気持ちは分からないでもない、寧ろよく知っている……が、だからこそ言わせてもらうが少し生き急ぎ過ぎだ。張り合っている対象がアレだから猶のこと実力差を感じるだろうが、安心しろフリージア嬢は絶対にアイツに追いつけるようになる」


「……本当ですか?」


「ああ。今は無理でも遠くない未来……しっかりと鍛錬を続ければ数年で追いつける────なんなら追い越すかもな」


 彼の言葉は今まで焦っていたはずの私の胸の内に妙にスッと入ってくる。


「人にはそれぞれ個性がある。当たり前のことだな? ならば強くなる速さも人それぞれだ。アイツが少し規格外なだけで、フリージア嬢にも十分に才能がある」


 気が付けば私は夢中になっていた。一言一句、彼の言葉を聞き逃すまいと神経を研ぎ澄ませた。


「だから焦るな」


「は────」


 何せ、元〈比類なき七剣〉の言葉だ。私は無意識にフェイド卿に質問をしようとするが────


「奇襲です!魔物が急に現れました!!」


 それは不意に飛んできた怒号でかき消される。今日一日、一緒に行動していた騎士の一人が慌てた様子で私たちの元へ来た。


「なに!?魔除けの結界は張っていたはずだ────魔物の種類は!?」


 しかも事態は急を要するらしい。珍しく緊迫感のある声でフェイド卿が尋ねると、騎士は酷く言いづらそうに言葉を紡いだ。


「七龍の眷属────〈潜影の竜シャドウ・ドレイク〉です! 一緒にいたブラッドレイの御息女が奴らに連れ去られてしまいました!!」


「なんだと!?」


「え?」


 その夜、アリスは唐突に世界を見下ろす七龍の眷属に攫われた。

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