第21話 緊急事態

「起きてレイくん!!」


「んえ!?」


 深い眠りの中、急に体を揺さぶられて俺の意識は飛び起きた。同じように休息を取っていたゴードンさんとリルさんも火の番と見張りをしていたルイドさんに叩き起こされている。


 夜の間は誰か必ず一人が起きて周囲の警戒に努める。それが野営の鉄則であり、本来ならばまだルイドさんが見張り番だ。順番的にまだ俺の見張り番ではないはずだが、他の二人も叩き起こされているところを見るにどうやら緊急事態らしい。


 ────いったい何が……。


 即座に意識を覚醒させて状況の把握に努めようとするが、不意に上空に閃光が迸った。


「っ!?あれは……!」


 視線が引き寄せられる。同じく空を見上げていたゴードンさんが素早く支持を出した。


「緊急信号だ! どうやらフェイド様の部隊で異常事態が起こったらしい……すぐに閃光弾の上がった場所に急行する!!」


「「了解!!」」


 火をもみ消して、必要最低限の荷物を持って飛び出す。拠点の撤去は後回しだ。事は一刻を争う。


 爺さん率いる今回の訓練で最も安全な本隊が救難信号を上げた。その意味が理解できないものは誰一人としていないだろう。今、このベイラレルの森で非常事態が起きている。しかも人命にかかわるほどのだ。同時に俺の中で一つの焦りが生じる。


 ────アリスは大丈夫か!?


 それは流れで今回の訓練に着いてきた妹の安否だ。あのクソジジイのことだ、まだ戦うことのできないアリスのことは身を挺して守ると思うが────


「仮に何かあったとしたら絶対にぶん殴る……!」


 何が起きてもおかしくはないこの状況だ。それは決定事項であった。


 暗闇が支配する森の中を走り抜けるには明かりなしでは想像以上に危険だった。幸い、明かりを灯す魔道具は支給されたいたが、明かりは本当に必要最低限の視界を照らすばかり。ちっぽけな光では簡単に森の闇に飲まれてしまう。


「……チッ!」


 不確かな足場に加えて、さらに注意すべきは魔物の強襲だ。夜は人と同じように大抵の魔物は眠りにつくが、ベイラレルの森には夜行性の魔物も多く潜んでいる。それこそこんな闇の中を当然のように見通す魔物だってだ。


「ッ!!」


 信号弾の発信源へ向かう最中、不意に生物の気配を感じ取る。足を止めて辺りを警戒、臨戦態勢を取るがどうやら近づいてきたのは魔物ではないらしい。


「ゴードンの部隊か! 俺だ、メーベルだ!」


「メーベルか!?」


 同じように森での訓練に参加していた他の部隊の騎士たちが両手を挙げて姿を現す。彼らも救難信号を見て爺さんの部隊へと合流するために移動中だったらしい。


「時間が惜しい。行くぞ」


「ああ」


 お互いの存在を確かめられたのならあとは無駄な問答は不要だ。状況の確認なんてのはあの信号弾で充分であった。そのまま一つの部隊として目的地まで再び走り出す。そうして閃光弾が打ちあがった地点に近づくにつれて森の中で聞くには不自然な音が微かに聞こえてくる。


「これは……」


 一つは緊急事態に瀕し、対応を余儀なくされている騎士たちの声。もう一つは緊急事態の原因────魔物の鳴き声……いや、これは周りの木が倒壊する音か。どちらにせよ状況はやはり芳しくない。


「先に行きます!」


「あ、おいレイ!!」


 無意識に俺は加速して他の騎士たちを追い越す。ゴードンさんに呼び止められるが我慢できない。本来ならば場の輪を乱すのなんてのは懲罰ものだが、知ったことではない。そもそも俺は騎士ではないし、規律なんかより家族が最優先だ。


「は、速ぇ……」


 ちょうど〈血流操作〉で全身に血が循環し始めて温まってきた。音のする方へと到着する頃には最高の具合になっているだろう。ゴードンさん達に悪いとは思いつつも先行し、いち早く爺さんの部隊がいた地点までたどり着く。


 瞬間、眼前に飛び込んできたその悲惨な光景に俺は絶句した。


「何だよこれ……」


 無数の倒木によってキャンプ地は半壊、地面には複数の騎士たちが血濡れになって転り、血の香りが充満している。


「────」


 初めて目の当たりにする死体。一度目の人生では死ぬ機会はあれど、他人のそれを見る機会は訪れなかった。それが幸か不幸か、今はどうでもいいと思えて、それでもその衝撃に思考が止まりそうになる。


 しかしそんな腑抜けた俺の意識をぶん殴るように一つの声が飛んできた。


「何を呑気に呆けてやがる! そんな暇があるなこっちを手伝え、レイ!!」


 我に返る。


「ッ……!!わかってるわいクソジジイ!!」


 その怒号一つで身体はすんなり動き出して、腰に携えたいつもの剣を抜き放つ。その場にまだ満足に立てているのは二人の騎士と爺さんの計三人だけ。たった三人で二体の巨躯な魔物と対峙していた。


「この魔物は────なんだ?」


 一度目の人生でも遭遇したことのないその魔物はとても巨大で、全身が影のように気迫で、そして生命の活力が全くもって感じられなかった。まるで地面に揺らぐ影そのものであり、俺の疑問に答えたのは横に並び立った爺さんであった。


「七龍が一体、〈影龍〉の眷属────〈潜影の竜シャドウ・ドレイク〉だ。心して掛かれ、こいつは今まで戦ってきたどの魔物よりも強いぞ」


「七龍……!?」


 その名には聞き覚えがあった。いや、この世界に生きる誰もがその存在を実際に見たことがなくても知っている。いつの日かアリスと呼んだ絵本にも出てくる、正に御伽噺のような幻の存在────〈七龍〉。それは世界を見下す、七体の〈超越種〉に類される生命体の名称だ。


「アリスとついでにフリージアは!?」


 たった一体で大国を一夜で滅ぼせうる龍のが目の前にいる。それはとても現実感がなくて、しかし同時に尋常ではない焦燥感が襲い掛かってくる。


「フリージア嬢は無事だ、今は身を隠してもらっている。しかしアリスは……」


 俺の質問に対して爺さんの歯切れが悪い。流れる視線を無意識に追うとそこには目を疑う光景があった。


「ッ────アリス!!」


 二体の片割れ、一回り大きな体躯をした潜影の竜シャドウ・ドレイクがとても大切そうにアリスの小さな身を長い尾で拘束している。その光景を見ればすべてを聞かずとも分かる────アリスの身が今一番危ないということに。


「どうしてアリスが龍の眷属に?」


「それは……分からない。だがあいつらの目的は確かにアリスだ。本当にすまない」


 珍しく素直に謝る爺さん。その表情は本当に責任を感じているらしく苦し気だ。しかしそんなこと俺には関係ない。


「俺は爺さんが一緒にいると思ったからアリスの同行を許した、それは父様も同じこと……これが終わったら絶対に一発殴る」


「……」


「だがその前に、アリスを絶対に助ける」


「────ああ……!!」


 眼前には確実に人生最大の難敵、強敵。正直、勝てるかは分からないし、アリスを助ける前に俺は死ぬかもしれない。それでも「逃げる」なんて選択肢は俺にはない。覚悟はもうできていた。


 そうして、七龍の眷属との戦闘が始まった。

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