未来のお話14-7
ぐったりするエリクスの襟首から慌てて手を離したユミカが涙を浮かべながらこちらを睨んでくる。
「お兄様! お義父様も! これは一体どういうことなの!?」
「知りたいか?」
「……っ! はい」
伯爵様の威厳を込めて尋ねた僕に対して、一瞬言葉を詰まらせながらも力強く頷いてみせる天使。
「男同士の秘密だ。っと待ちなさい。冗談だから大剣は拾わなくていい」
軽いヘッセリンクジョークを放った瞬間流れるような動きで大剣を拾おうとするんじゃありません。
我が家の天使も、いまやレプミア全土を席巻する新進気鋭の猛者だ。
その猛者の大剣なんか食らったら流石に召される。
「レックス様。あまり意地悪を仰ると、ユミカに嫌われてしまいますよ?」
やむを得ないのでネタバラシをするかと考えていると、ユミカを追ってきたらしい愛妻が音もなく僕の横に降り立つ。
「おお、エイミーも来たか。となると」
地下温泉で女子会だったはずだから、ああ、予想どおりのメンバーが来てるな。
「メアリ。森に出る時は教えるって約束でしょう? 私を不安にさせるなんて、まったく悪い人ね」
そう言いながらも満面の笑みを浮かべたクーデルが、メアリにバックハグを敢行する。
旦那に抵抗する隙を一切与えない、素晴らしい動きだった。
「結婚して何年経ったと思ってんだ! 今更不安なんかねえくせにくっつくなって! ガキどもの見てる前でやーめーろ! こちとら困った兄さん方のお目付け役だっつうの」
森に来てるメンバーのなかに息子のシャビエルもいるからいちゃいちゃするの恥ずかしいよね。
大丈夫、シャビエルは二人のやりとりに慣れ過ぎてていちいち反応しないから。
「実際、エリクス先生がお父様達に連れ去られたって聞いて急いで走ってきたんだけど、これなに?」
ステムの操るボークンから飛び降りたサクリが、心配そうにエリクスを覗き込む。
「……約束を果たしているところ、ですよ。サクリお嬢様」
「エリクス兄様! よかった。目を覚ましたのね!!」
ちょうど意識が戻ったらしいエリクスが掠れる声で答えると、ユミカが感極まったようにしがみつく。
「ユミ、ユミカちゃん! ちょっ、苦し」
あ、いけない。
あれ、ハグはハグでもベアハッグだ。
それに気付いた男性陣が止めに入ろうとしたのを手で制したのは、ステム。
ゆっくりとユミカに近づくと、その肩に触れながらこう言った。
「ユミカ。文官を旦那さんにするなら腕力差を考えないと。事故が起きる」
それを聞いた瞬間、一人の男に一斉に視線が集まった。
次席文官であり、ステムの旦那さん。
デミケルだ。
「流石に複数回事故を起こした先達の言葉の重みは違うなあ、ステム」
デミケルの皮肉を受けたステムの言い分はこうだ。
「事故の原因の大半はボークンがデミケルを好きすぎて手加減せず戯れちゃったこと。私は無実」
今も、ボークンが犬なの? と聞きたくなる動きでデミケルにすりすりしてるけど、ちゃんとステムがコントロールしてたらあれらの事故は起きなかったと思うなあ。
「ねえエリクス兄様。約束って?」
ステムの助言を受けてハグの力を緩めたユミカが尋ねると、エリクスがその髪を撫でながらこう答える。
「……ヘッセリンク紳士淑女協定の第十条三項。万が一協定に署名した者が天使を娶るなどという天に唾するような許されざる蛮行に及ぶ事態に陥った際は、その拳を以て正当性を証明すること」
それを聞いた中堅以上の家来衆からざわめきが起きた。
もちろんそれは僕やオドルスキ、ジャンジャックも例外じゃない。
親友のまさかの言葉に、メアリも呆れたように天を仰いでいる。
「あのふざけた条文作った時にその可能性を考えてなかったから文章ぐだぐだなやつだろ? え、お前本当にそれ、バカじゃねえの?」
メアリのひどい感想に、エリクスが倒れたまま苦笑いを浮かべる。
「あとは、この場で自分と伯爵様方が試合うことで、ユミカちゃんに対する虫除け効果も狙っていらっしゃるんだろうなと。その効果を最大限発揮するためには実際の戦闘が行われた方が好ましい。真実味が違いますからね」
やだ恥ずかしい。
こちらの思惑を全て綺麗に言い当てられました。
「それがわかっていて僕とオドルスキとの連戦に臨むのだから困ったものだ」
「主犯格が他人事みたいに。あと、オド兄が明らかに、え、そうなの? って顔してるからちゃんと共有しとけよな」
いいんだよ。
オドルスキには余計なこと考えずエリクスと相対してもらいたかったんだから。
男親と娘の旦那の対話だ。
政治の話なんて野暮なもの、いらないさ。
【対話の手法が殴り合いなことには触れないのですね?】
ヘッセリンクでは最もポピュラーな対話手法です。
さて、ここからは真面目な話をしようか。
「ユミカ。お前の夫はヘッセリンクの頭脳と呼ばれるレプミア有数の文官であると同時に、その気になればなんの躊躇いもなく僕を頭から地面に叩きつける猛者だ」
「え、頭から、え?」
「ユミカ。そこはさほど重要じゃないようだから流しなさい」
ナイスフォロー、クーデル。
「そんな男が可愛いユミカの夫になることを僕達家来衆一同、心強く思っている。これから先、何が起きようときっと」
そんな風にいい感じに締めようとした矢先。
ぼくの足元に立つマジュラスがはいはい! っと手を挙げた。
「主よ。もう終わりという雰囲気じゃが、まだ我はエリクス殿と試合っておらぬぞ?」
確かに最初の予定は兄父弟の三連戦だったけど、肝心の旦那が限界だ。
メアリも、不満げな表情のマジュラスを宥めるように膝をついて亡霊王と視線を合わせる。
「マジュラス。流石にあいつの体力が限界だ。あと、魔力少ねえのに何枚札使ったと思ってんだ。もう立ち上がれもしねえだろ」
安全装置なしの護呪符の乱用で、身体中バッキバキのはずだからね。
ここから脅威度Sとの模擬戦はいくら悪ノリ上等な僕でも推進できない。
「では、こうしようかのう」
メアリの言葉を受けたマジュラスが小さな手をぽんっと打ち合わせると、瘴気を操ってエリクスを空高く吊り上げた。
「マジュラスちゃん!?」
もちろんユミカが目を丸くして視線を向けるけど、亡霊王様はまあまあ落ち着けとばかりにハンドサインを送る。
「心配はいらぬよユミカ姉様。我は主と違って野蛮な手段は好まん」
お、誰が野蛮だって?
【マジュラスへの反論の余地なし。撤退をお勧めします】
撤退します。
「ヘッセリンクの頭脳殿。拘束を解いてほしくば、我の質問に答えてもらおうかのう」
なるほど。
身体が使えないなら問答勝負といこうじゃないかと。
「頭を使うことなら、自分にも勝ち目があるかもしれないね。ヘッセリンクの筆頭文官として、勝負を受けよう」
これにはエリクスも自信ありげに頷いた。
悠久の時を生きる亡霊王と、ヘッセリンクの頭脳の二つ名を与えられた筆頭文官の頭脳戦が、始まる。
「その意気やよし。では、いくぞ。まずは、ユミカ姉様の可愛いところを三つ挙げるのじゃ」
ん?
「……は? って、痛い痛い痛い!!」
僕だけでなく、エリクスも何を言われたのか処理できなかったみたいだけど、そんな彼を瘴気が容赦なく締め上げた。
「は? ではない。ユミカ姉様の可愛いところ、じゃよ頭脳殿。まさか、すっと出てこないことなど」
「え、えっと、素直なところ、笑顔、あと拗ねた時の反応!」
マジュラスの目が細まるのを見たエリクスが、焦ったように答えを口にする。
一瞬の静寂。
「正解じゃ」
正解らしい。
「正解とかないよ!? やめてマジュラスちゃん! 恥ずかしいから! エリクス兄様も答えなくていいよ!」
目の前で、愛する人が自分のどこが可愛いと思っているか聞かされたユミカが、顔を真っ赤にしてマジュラスに掴み掛かろうとする。
仕方ない、止めるか。
「クーデル。ユミカを拘束しておいてくれ」
【止めるのそっちですか!?】
ふっ。
歳をとっても、人の恋の話を聞くのはワクワクするものだな。
「御意。しかし、拗ねた時の反応を挙げてくるなんて、やるわねエリクス」
手早くユミカを取り押さえたクーデルが、有識者の一人として感心したように頷くと、マジュラスも同感じゃと笑みを浮かべた。
「次。ユミカ姉様の好きなところを一つ答えるのじゃ」
「幼い頃から厳しい訓練にも音を上げず、暑い日も寒い日も剣を振り続け、いまや立派なヘッセリンク伯爵家の家来衆の一人として欠かせない存在になった。その強い精神力と、在り方そのものをいぃぃい!?」
普段から思ってるであろうことをスラスラと述べるエリクスだったが、答え終わる前に瘴気の締め付けにより不正解が告げられる。
「それは人として尊敬している部分じゃろう? 我が問うたのは一人の女性としてどこが好きか、ということじゃ」
この弟さん厳しいな。
しかし、我が家の筆頭文官も負けてはいなかった。
「……とても一つだけは選べないから、全て」
これには見守っていた男性陣から大歓声が上がり、森の中層に野太いエリクスコールが響き渡った。
コールを率いるデミケルは感動で涙を流し、それをステムが拭いてあげている。
そして。
「ユミカ!?」
崩れ落ちるように膝をついたユミカ。
クーデルが心配そうに顔を覗き込むと、掠れる声でこう言う。
「ごめん、クー姉様。鼻血出そう」
そんなところはクーデルを見習わなくていいんだよ?
「まあ、答えとしては反則じゃが、ユミカ姉様が喜んでおるからおまけで正解としようか。他にも色々聞きたいことはあるが、エリクス殿の体調を鑑みて次を最後にするのじゃ」
瘴気に吊り上げられたまま、真剣な表情でマジュラスを見下ろすエリクス。
その顔を見て満足そうに微笑み、亡霊王が問う。
「これから先何が起きようと、ユミカ姉様を守り切ると誓えるかのう?」
「勿論。命果てるまで、ユミカちゃんは自分が守るよ」
一瞬の間もなく、まったく躊躇いのない答えを聞いたマジュラスは、回答を吟味するようにしばらく目を瞑り、やがて深く頷いた。
「……いいじゃろう。我からは以上じゃ。これからもよろしくのう、エリクス義兄様?」
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