未来のお話11
もうそろそろ天からのお迎え……、いや、地獄からかもしれないが、とにかくだいぶ年老いた私に愛娘マーシャから依頼されたのは、ひ孫であるマルディへの指導だった。
侯爵業を退いて暇を持て余している身としては断る理由もないということで、久しぶりに国都のヘッセリンク伯爵邸に足を運んだ。
「初めまして。マルディ・ヘッセリンクと申します」
聞いた話では九つになる歳だとか。
歳を考えれば満点をあげてもいい素晴らしい礼を見せたひ孫に、思わず拍手を送ってしまった。
きっとたくさん練習したんだろうね。
「前に会った時、お前は生まれたばかりだったからね。初めまして、マルディ。私はバート・ラスブラン。君の曾祖父だ」
「はい。お祖母様や父上から伺っております。レプミアの裏を知り尽くした、狂った風見鶏の方ですよね?」
……、うん。
久しぶりに言われたことと、それを幼いひ孫の口から聞いたことに柄にもなく動揺してしまった。
「それを本人に伝えてくるところが最新のヘッセリンクたる所以か。しかし、マルディはレックスにそっくりだね」
私の言葉に、マルディは眉ひとつ動かさずにこくりとうなずいた。
「父上をご存知の方にはほぼ確実にそう言われます。あと、ヘッセリンクのひいおじいさまをご存知の方には、炎狂いに似ているとも」
我が孫レックスはプラティ・ヘッセリンクに似ている。
そのレックスに似ているということは、このひ孫もあの炎狂いに似ているということになるのだが。
「それをお前に伝えた者達はもぐりだね。あのプラティ・ヘッセリンクがこんなに可愛いわけがないだろう」
プラティ・ヘッセリンクに可愛げなどない。
あるのは悪辣さと狂気だけだ。
「お祖母様だけは、笑った顔がラスブランのひいおじいさまに似ていると仰いますよ?」
私に似ている?
それは可哀想に。
「お前にとっては最悪の評価だ。外ではあまり言わないことをお勧めする」
私に似ているは、未来ある若者にとって枷でしかないのではないだろうか。
そもそも、プラティ・ヘッセリンクに似つつ、私にも似てるということがあり得るのか。
そんなことを考えていると、マルディがわからないと言うように小首を傾げた。
「そうでしょうか。私は今、お祖母様のもとで外交を学んでいるのですが、そのお祖母様が、顔を精一杯歪めながらも外交といえばラスブランをおいて右に出る家はいないと仰います。そのなかでもひいおじいさまはあの父上が苦手とする最上位の方なのですよね? そんな方に似ていると言われるのはとてもいいことだと思うのですが」
父親が苦手としている人間に似ていると言われて、それを良しとするとは。
「一応確認するが、父上のことは好きかい?」
「はい。尊敬しています」
躊躇うことなく、笑顔で頷くその顔に疑義を挟む余地はない。
そもそも十にもなっていない子供が教えられもせず腹芸などしないだろう。
「それなのに、レックスが苦手とする私に似ていることを前向きに捉えるのはおかしな話だと思うが」
「父上に仕える家来衆達から言われているのです。何かあればレックス・ヘッセリンクを止めるのは私だと。ならば、時間をかけて父上の苦手なものに近づくのは無駄ではありません」
レックス・ヘッセリンクを止める責務を幼い子供に負わせることに思うところはあるが、あの曲者揃いの家来衆達がそれだけこの子を買っているということだろう。
私の目から見ても、これはこれで完成しているように見える。
「本当に十やそこらの子供かい? 子供らしさがなさすぎてさしもの私も心配になるが……。いや、小さいながらも生粋の狂人か。面白い。それでこそ私の血を引くヘッセリンクだ」
ヘッセリンク、というか、プラティ・ヘッセリンクに憧れを持ち続けて生きてきた者としては、この変わり種のひ孫の在り方にワクワクが止まらない。
「これから私の命が尽きるまで、お前というヘッセリンクにラスブランの生き方を叩き込む。ついて来れなくなったら手を挙げなさい。授業はそこで終わりだ」
「はい。真性のヘッセリンクとしては、既に姉がおります。狂人は二人もいらない。私は、ヘッセリンクとラスブランの良いところを学びたいと思います」
幼子の言葉に驚かされるのは今日何度目だろうか。
マルディの姉、サクリは確かにヘッセリンクらしさを色濃く継いでいる。
レックスと同じ召喚士としての才に恵まれていることからもそれは明らかだ。
しかし、ここまでのやりとりでマルディもまた、私が憧れた男や可愛い孫の血を引いていることを確信する。
「では早速授業だ。狂人を御す役目を果たしたいなら、ヘッセリンクとラスブランの悪い部分も学ぶべきだね。具体的には、重要な場面でなんとなく面白そうな方向に舵を切るところさ」
「両家とも悪癖が同じなのですか?」
世間的には水と油として語られているヘッセリンクとラスブランに共通点があることが不思議だったのか、マルディが目を丸くした。
「ああ、そうだ。ヘッセリンクはその研ぎ澄まされた野生で、ラスブランは積み重ねた理性をもって、それぞれ面白い方向に向かう」
悪癖は同じ。
ただ、何に基づいてそれを為すか。
そこに大きな違いがあるから片や狂人、片や風見鶏として名を馳せているわけだ。
「マルディ。お前は野生を理性で制御する、新しいヘッセリンクを目指しなさい。そうすればきっと、将来面白いことになる」
「なるほど。今ひいおじいさまは、私の指導において理性をもって面白い方向に向かわれたわけですね?」
聡明なひ孫が納得いったというように深く頷いてみせるが、私はその言葉を笑い飛ばす。
「まさか! 今の私は吹けば飛ぶようななけなしの野生を総動員したのさ」
本来なら野生など排して情報を集めて取捨選択し、ただひたすらに確率の高い方に進む術を教えるべきだが、この最も新しいヘッセリンクには、野生と理性を両立させられる可能性がある。
ならば、その方が面白いし、見てみたいじゃないか。
「難しい……」
「私と違って、お前には時間がある。ゆっくり学べばいい」
不満げに唇を歪め、ようやく年相応の反応を見せてくれたマルディの頭を撫でてやると、思いもよらない言葉が返ってきた。
「はい。師匠」
そう呼ばれた時、私はさぞかし間抜けな顔をしていただろう。
少なくともプラティ・ヘッセリンクがオーレナングの地下で生き続けていると知ったあの時以来の衝撃だったことは間違いない。
「し……? くっ、ははっ! これは傑作だ! ひ孫が私を師匠なんて呼んでいると知ったら、プラティ・ヘッセリンクはさぞかし嫌な顔をするだろう!」
体力的に西の果てに向かうのはままならないのが惜しい。
もう少し若ければ、すぐにこの愉快すぎる出来事を報告しにいったものを。
「こんなに笑ったのは久しぶりだが、笑わせてもらったついでに一つ聞いておこう。マルディ、お前の望みはなんだい? 間違えてほしくないのは、貴族としてではない、お前個人としての望みだよ?」
笑わせてくれた礼に欲しいものやしたいことがあれば、それとなく叶えてやろう。
そのくらいの軽い気持ちで尋ねたのだけど、当のマルディはなぜか今日一番の動揺を見せたあと、首を振る。
「……ありません」
感情の制御はおいおい教えていくとして。
「その顔でありませんと言われてはい、わかりましたと言えるほど人は良くないんだ。いいから言ってみるといい。私とお前だけの秘密にしておこう」
「貴族同士の間で、その秘密が守られた試しがあるのでしょうか」
「今の時点で若い頃のレックスよりよほど貴族らしいじゃないか。では、曾祖父とひ孫の約束ではどうだい?」
ひ孫の切り返しに感心しながらそう提案すると、それでも踏ん切りがつかないようにもじもじして見せるマルディ。
ふむ、ひ孫も可愛いものだ。
「む、それなら、いや、でも。本当に秘密にしていただけますか?」
「ああ、神に誓おう。というか、私は娘や孫に嫌われているからね。それでひ孫にまで嫌われたら悲しすぎるだろう?」
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