未来のお話10-2

「伯爵様。少しよろしいでしょうか」


 マルディが予定を繰り上げて国都に帰ったその夜。

 フィルミーが難しい顔をしながら部屋にやってきた。

 

「やあ、騎士爵殿。来ると思っていたぞ。まあ座れ。どうだ? 一杯」


 杯に美しい琥珀色の酒を注いで掲げてみせると、真面目なフィルミーには珍しく躊躇うことなくそれを受け取る。


「普段ならお断りするところですが、いただ

きます。今日はとても素面ではいられません」


 そう言って一気に飲み干しておかわりとばかりに空の杯を差し出してくる。

 この『男親之悲哀』は度数しか追い求めてないイカれた酒だから、一気飲みには適してないはずなんだけど。

 流石はレバーモンスターだ。

 

「そう苦い顔をするな。喜ばしいことじゃないか」


 素面でいられない理由はわかっている。

 今日の昼間、屋敷中に響き渡ったあの絶叫のことだろう。


「それは私も可愛い娘のことです。本来であれば両手を上げて喜んであげたい。ですが、あれはあまりにも」


 フィルミーの娘アドリアが、何を思ったか突然僕の息子マルディに対する思いの丈をぶちまけた。

 本人のいないところで、それはもう高らかに。


「マルディは自分のものだから他の女なんかに渡さない、か? いやあ、若いというのはいいことだなあ」


 年甲斐もなく、思わずfuuuu♪ って歓声を上げたね。

 子供世代であっても恋愛話っていうのはワクワクするものだ。

 

「笑いごとではありません。アドリアも貴族の娘ではありますが、私もイリナもヘッセリンクの家来衆なのです。その立場を忘れ、次期伯爵様を捕まえて自分のものだとは」

 

「あっはっは! 気持ちがいいほどの絶叫だった。エリクスもデミケルも笑っていたぞ。まあ、真面目な話。マルディがアドリアを選び、アドリアがそれを受け入れるならそれでいいと思っているよ」


 家来衆云々の前に、アドリアはセアニア男爵家の血を引く歴とした貴族の娘だ。

 二人の間に貴族の慣例に抵触するような身分差はないんだから、両想いなら付き合っちゃえばいいんですよ。


【軽すぎる親父は息子さんに嫌われますよ?】


 僕は軽いんじゃなくて柔軟なんだよ。

 それに、マルディとの親子関係は良好そのものだ。

 

【ではなぜそんな銘柄の酒を購入されたので?】


 最近サクリが冷たいからですけど?

 言わせるなよ恥ずかしい。


「よろしいのですか?」


「よろしくない理由がない。むしろ大歓迎だよ。恐らくだが、このままだと息子にはまともな相手が見つからないぞ。ヘッセリンクというだけでも恐れられているのに、マルディ自身が幼い頃から国都で母上や先々代ラスブラン侯の薫陶を受けて小狂人と呼ばれる曲者だ」


 昔々に元闇蛇の人間が整備し、先々代ラスブラン侯が乗っ取った裏街ネットワークを巧みに操り、情報戦でも他家と戦える新世代のヘッセリンク。

 そりゃあ怖いよね。


「心根の優しい好青年なのですがね」


「近づいてみなければわからないものだ。それを考えれば、アドリアは生まれた時からあれを最も近くで見ているからな」


 ゼロ距離でマルディを見つめ続けたアドリア。

 だけど、それはマルディも同じ距離でアドリアを見ていたことになる。

 

「サクリ以外に執着することのないマルディが、唯一それらしいものを見せているのがアドリアだとくれば、これはもうこちらから頭を下げるべき話だ」


 そう言って頭を下げると、フィルミーが慌てたように立ち上がる。


「おやめください! 頭を下げるべきはこちらです。わかりました。伯爵様、我が娘アドリアと、若様の婚姻を前向きに進めさせていただきたい。どうか、このとおりです」


「僕は問題ない。あとは、エイミーとイリナがどう言うかだが……」


 問題ないだろうと結論づけようとすると、仕事を終えたらしい弟分が、酒瓶を抱えて軽い足取りで乱入してきた。

 

「入るぜ兄貴。お、フィルミーの兄ちゃん。聞いたぜ? ついにアドリアがやったらしいじゃん」


「笑うなメアリ。頭が痛くて仕方ないのだから。お前が知ってるということは、もう全員が知ってると思った方がいいか」


 あまりそういうことに興味を示さないメアリが知ってるならみんな知ってるだろうという判断らしい。

 メアリも隠すことなく頷いてみせる。


「そういうこと。女性陣は今頃食堂でアドリア囲んで呑んでるはずだぜ? だからエリクスやらデミケルも呼んでおいた。こっちはこっちで呑もうや。ほい、ザロッタからつまみの差し入れ」


 どうやらうちの奥さんやイリナを含めた女子会が催されているらしい。

 聞いてみたいようなみたくないような。

 まあ、そんな飲み会が開かれてるくらいだから女性陣からの反対はないだろう。

 そう思ってフィルミーに目をやると、まだ表情が硬い。

 

「そんな難しい顔するなよ。だーいじょうぶだって。どんなことになってもエリクスとユミカ以上に揉めることねえんだからって、来たな」


「呼びましたか? メアリさん。ああ、フィルミーさん。このたびはおめでとうございます」


 噂をすれば、とはよく言ったもので、エリクスとデミケルの主席&次席文官コンビがそれぞれ酒瓶片手にやってきた。

 どれだけ呑むつもりだお前ら。


「まだありがとうと言える段階じゃないがね。今は慰められていたところさ。エリクスの時ほど苦労はしないだろうって」


 フィルミーの言葉を受けたエリクスは当時を思い出したのか苦い顔だ。

 何か嫌なことでも思い出したのかな?


「自分が苦労したのはそちらで首を傾げている伯爵様を始め、身内の皆さんの許可を得ることでしたからね? 伯爵様、オドルスキさん、マジュラス君の三連戦なんて、どんな悪夢ですか」


 懐かしいなあ。

 あのあとエイミーちゃんやユミカにみんなで叱られたっけ。


「な? それを考えればマル坊とアドリアの結婚なんて、だーれも反対しないどころか身内全員賛成なんだ。どーんと構えとけよ」


 メアリにばしばしと背中を叩かれたフィルミーは、『男親之悲哀』をぐいっぐいっぐいっと続け様に飲み干すと、何かを吹っ切るように杯をテーブルにターンッ! と叩きつけた。


「そうだな。よし。じゃあ私も義父として若様に試練を与えるとするか。一晩私と飲み交わし、朝まで起きていられたら娘との婚姻を認めるなんてどうだろうか」


「フィルミー、それをやったらアドリアは一生独り身だからな?」

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