1.復活 【3】異なる種
【3】
波の音が、緩やかに響いている。
静かな入り江は、5年前と何も変わっていなかった。
伊吹は波際に立ち、素足に波を受けながら、海を見つめている。その後ろ姿は、静かに、何かを待っているようにも見えた。拓也は伊吹の後ろ姿を、黙って見つめている。
辺りには人影もなく、暗く、静かだった。
日が沈む頃に車内で会話をして以降、二人は何も言葉を交わしていなかった。
数分前、二人が乗る車は、静かに高台の草原に止まった。
車がこの入り江に近づいたことに気付いたのか、伊吹は拓也が声を掛ける前に目を覚まし、停車して間もなく拓也より先に車を降りた。車のドアを閉じる音が、二つ続いた。
海からの潮風を受けながら、暗い広がりを見つめていた伊吹は、暫くしてゆっくりと海へ向かって歩き出した。伊吹の後を、拓也も追った。
入り江へと向かう階段状の坂を降りながらも、二人に言葉はない。しかし、無言で歩く拓也の頭の中は、先程の伊吹の言葉が先刻からずっと繰り返されていた。
永遠の生―──。それは地球上の生命全ての者が切望する願望であろう。
死を恐れることのない生。限りあるとされた時間の束縛からの解放。過ぎ去る時間に寂しさを覚えずにすむ人生。それは、全ての悩みから解放される幸福を
自分以外の者は、全て過ぎ去ってしまう。時間の感覚を無くした者にとって、それは瞬く間に過ぎ去って行くだろう。自分が愛する人も、自分を残して去って行ってしまうのだ。その時、残された者の寂しさを
二人は、自然が
眼前には、蒼い海原が広がっている。あの時と同じ満月が、天空に浮かんでいた。
伊吹は岩場でヒールを脱ぐと、そのまま波際へと歩み寄った。拓也はその岩場に立ち止まり、後ろから、歩いていく伊吹を見つめていた。暗い海へと歩んでいく伊吹を見つめながら、拓也は自分が伊吹の願望に答えることが出来るのかを考え続けていた。
この海無くしては存在できない、
出来ることなら、伊吹を孤独から救ってやりたかった。だがそれは、自分の愛する人を裏切る行為であった。
拓也の脳裏に、遙花の笑顔が浮かんだ。続いて病室に横たわる妻の姿―──。
どうして自分の愛する人を置き去りにすることが出来よう。
どうして自分が愛する者と離れる事が出来よう。
伊吹の願望を叶えてやり、その後も自分の愛する人と暮らしてゆくにしても、愛する人の死を目の当たりにし、自分が置き去られる運命が待ち受けている。あたかも自分の愛する人を裏切った代償として、残された自分は、愛する人を失った喪失感と孤独感に永遠に
拓也の中に、葛藤と疑問が渦巻いた。何故、自分なのか。伊吹を助ける事が出来る存在が、何故自分であったのか。自分は一度として永遠の命を望んだことはない。その自分に、何故このような選択を迫られる運命が待ち受けていたのだろうか。
長い二人の沈黙を破ったのは拓也だった。
「―─伊吹」
伊吹は潮風に髪を靡かせながら、蒼い海を見続けていた。
拓也は伊吹の返事を待つこともなく、自分に問いかけるように言葉を続けた。
「何故君は僕を選んだ。5年前、何故この場所で俺と出逢うことが出来たんだ」
地球上にいる数十億の人間の中から、何故自分を捜し出せたのか。何故自分が伊吹にとっての同族と解るのか。全ての疑問を、今発した言葉に込めて、拓也は伊吹の答えを待った。
伊吹の声は、潮風に乗って、拓也の元に届いてきた。
「・・・・・・海には、地上の記憶が流れ込んでくるの。地球上の出来事、全ての人の資質―─。海の中の記憶を読むことが出来れば、私に解らない事は無いわ・・・・・・」
伊吹はまるで、海に向かって語りかけているようだった。
「貴方が生まれたことも、あの日貴方がこの入り江に現れることも全て、私には解るのよ・・・・・・」
伊吹の言葉が途切れると、この場所に再び静けさが戻ってきた。
長い刻が二人の間で流れていった。
長い時間が過ぎ去った後、伊吹は服のボタンに指を掛けた。伊吹に“その時”が来たらしい。静かに身につけた物を脱ぎ去っていく。間もなく、暗闇に、白く輝く裸身が現れた。そして一歩、海へと踏み出す。
伊吹が歩を一足進める毎に、伊吹の身体が海中へと没していく。
拓也は暫く、海へと前進する伊吹を見つめていたが、先程から決めかねていた結論を言葉にした。
「待ってくれ、伊吹」
伊吹は、腰の辺りまで海水に浸かったところで、前進を止めた。
「伊吹・・・・・・。君がさっき言ったことは受け入れられない。俺には妻がいるんだ。遙花を残して永遠の命など得ることは出来ない」
伊吹は立ち止まったまま、
その横顔は、髪に隠れて口元しか見えなかった。
「無理よ。あなた達夫婦は、幸せにはなれないわ」
潮風に運ばれてきた伊吹の言葉は、
「―──何故だ」
拓也には到底受け入れることの出来る
しかし次の伊吹の言葉に、拓也は体中の力が抜け落ちるほどの衝撃を受けた。
「二人には子供が出来ないの―──」
拓也はその言葉に、世界が遠くなる感覚を覚えた。
伊吹は拓也の気持ちなど意に介さないかの如く、話し続けた。
「最初に此処で貴方に会ったとき、私との融合が可能になるように、眠っていた貴方の遺伝子を活性化させたわ。既に二人は、『種』が異なっているのよ」
「そんな・・・・・・馬鹿な・・・・・・。そんな証拠が何処にある!」
「貴方の遺伝子を分析してみるといいわ。その配列は、貴方のプログラムに残してきたから・・・・・・」
そう言うと、伊吹は前方を見据え、前進を再開させた。伊吹の言葉に
伊吹が消えた蒼い海を見つめながら、伊吹の言葉に奪われた身体の力が、自らの体重を支えることが出来ず、拓也の身体がゆっくりと崩れてゆく。
静かに波打つ岩場の上に
空には、丸い月が
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