1.復活 【2】湾岸線で語られる真実

【2】

 拓也は湾岸線に沿って車を走らせていた。

 夕日が辺りを朱色一色に染め上げ、道路の脇に立つ木々の長い影が車道に伸びていた。

 きらめく水面が、水平線に沈もうとする太陽に向かって、黄金色の道を形作っている。

 助手席には、眠りに落ちたかのような伊吹が、瞳を閉じたまま静かに座っていた。車に乗せたときにはまだ収まっていなかった苦しげな荒い呼吸が、今では通常の呼吸に戻っている。

 車が風を切る音しか聞こえてこない静かな車内で、拓也の脳裏には、これまでのことが次々と映像となってよみがえっていた。

 研究室の開いた扉に、深緑の光を背負ってたたずむ伊吹の姿。初めて伊吹と出会った時、研究室の扉を開けた瞬間に浮かんだイメージは、間違っていなかった。

 拓也の脳裏には、5年前の入り江での出来事が、先程から何度も鮮明に蘇っていた。

 あの時の女神と見まがう女性が、伊吹だったのだ。

 そして今、その女性とあの入り江へ向かっている。5年前の夜に起きた出来事は、夢では無かった。拓也はハンドルを握りながら、静かな高揚感に包まれていた。あの夜から離れなかった、身体の何処かに漂っていた非現実感が、今夜晴れる予感がしていた。

 全てはあの入り江から始まった。あの場所に行けば、何かが解るかも知れない。

 あの時の女性―─伊吹に話を聞けば、少なくともあの夜の出来事の意味が掴めるかも知れない。

 思いを巡らせながら車を走らせる拓也の鼓膜に、助手席に座る伊吹の吐息が漏れるのが聞こえた。長い吐息の後、それに伊吹の声が混じった。

「・・・・・・ごめんなさいね・・・・・・」

 拓也は、助手席の伊吹が寝言を発したのかと思った。その声はそれほど小さく、弱々しかった。だが、言葉は続けて伊吹の口から漏れ始めた。

貴方あなただますような事をして・・・・・・。でも、貴方に初めから私を素直に受け入れられて貰えるとは思えなかった・・・・・・」

 拓也は黙ったまま伊吹の声に耳を傾けた。

 車は、渋滞のない海岸沿いの道を、滑らかに走り続けていた。

「5年前・・・・・・貴方に逢ってから、私は伊吹という女性になりすました。世間の中で動き回るには、元のままじゃ目立ちすぎるから。・・・・・・容姿を変え・・・・・・、伊吹という人間を世間の中に溶け込ませなければならなかった・・・・・・。時間が掛かったけど、貴方の近くに来る事が出来、ようやくこうして貴方の側にまで辿り着くことが出来たわ・・・・・・」

「俺の所に?」

「・・・・・・そう・・・・・・。貴方の所に・・・・・・」

「何故、君がそんなことをする必要があるんだ?」

「それは・・・・・・」

 伊吹はそこで言葉を切り、瞳をゆっくりと開いた。

「それは、貴方が私の同族だからよ」

「同族・・・・・・?」

 意外な言葉に、拓也は戸惑った。頭の中をその言葉が駆けめぐり、それが意味するモノを探したが、自分と伊吹を関連づけるものは見つからなかった。

「・・・・・・同族ってなんのことだ?」

「詳しいことはまだ言えないわ・・・・・・。でも・・・・・・」

 伊吹が顔を拓也の方へ向けた。

「貴方、最近自分自身に何か、変化が起きなかった?」

 拓也の脳裏に、昨夜のことが思い出された。伊吹が言っているのは昨夜のことなのか・・・・・・? それに、突然自分を襲った意識混濁。あれも関係があるというのだろうか。

 伊吹は拓也の反応を読みとったのか、視線を前方へと戻した。

「私たちは、自分が望むことを具現化ぐげんかさせる能力を持っているのよ。通常の人間には無い力が・・・・・・。貴方も私の力を見たでしょう? ―──同じ事が、貴方が強く望めば出来るはず・・・・・・。初めて貴方にったとき、貴方はそのことに全く気付いてなかった。・・・・・・いえ、忘れてしまっていた。あの日私は貴方にきっかけを与え、貴方の能力が発現するのを待っていたの・・・・・・」

 拓也は視線を前方に向けたまま、混乱した思考を整理しようとしていた。

 伊吹の話しは、何もかも現実離れしていた。しかし今日見た伊吹の能力、昨夜起こった出来事を経験している以上、否定することも出来なかった。

「・・・・・・でも、君は何故俺を必要とするんだ。俺がいなくても、君は十分な力を持っているじゃないか」

「私はまだ完全じゃ無いの・・・・・・」

 伊吹は静かに言葉を発した。

 車は、波の音に包まれながら疾走していた。海に消えようとしている太陽は、辺りを朱色から紫色へと風景を染め直していた。

「今日のような強い力を使ってしまうと、私はこの身体を維持することが出来ないの・・・・・・。海中で身体を再構築させるしかないのよ。・・・・・・あと数時間で私の身体は細胞の結合が崩れ始め、最終的には原子に分解されてしまうわ。地上でそうなってしまうと、身体を再生するのに、数十年の歳月がかかるの。・・・・・・雨が降り、私を構成していた主物質が海に辿り着くまで。・・・・・・私の能力は諸刃もろはの剣なのよ。力を使えば身体を失う。でも、貴方の力を受けることが出来れば、私は完全体へとなれるの」

「俺の力・・・を受ける? ・・・・・・どういうことだ?」

「貴方と私の融合―──」

「・・・・・・融合?」

「そう、貴方は力を使っても身体を失うことはない。融合を行えば私もそうなれるのよ。結果、二人とも永遠の命を持つことが出来るわ」

「永遠・・・・・・」

「貴方は力を使う度に身体を失うことはないけれども、身体に大きな負担をかけ、寿命を縮めているのよ・・・・・・。私は身体を維持する能力が安定していない代わりに、身体を再生させることで、永遠に近い記憶と身体の維持が可能なの。―──私達は融合することで、二人の能力を分かち合うことが出来るのよ」

「ちょっと待ってくれ、・・・永遠って・・・・・・君は一体・・・・・・」

 拓也は言葉が続かなかった。伊吹が話す内容が真実であれば、伊吹は再生を繰り返していることになる。

 伊吹は、拓也の気付いた事実を自ら語りだした。

「そう・・・・・・私は既に数百年に渡り、この地球に存在しているの・・・・・・」

 拓也には、その言葉が意味することが、暫く理解できなかった。

 ―─数百年に渡りこの地球に存在している―─。隣の助手席に座る女性は、静かながらも確かにそう言った。つまりそれは、既に数百年生きているということではないか。

「そして、数百年に渡り、貴方を捜していたのよ・・・・・・。何時か生誕する貴方を・・・・・・」

 静かな車内には、伊吹の声だけが流れていた。

「・・・・・・やっと巡り逢えた・・・・・・」

 伊吹は、最後に安堵の声を漏らすと、再び目を閉じた。

 目を閉じた伊吹は、静かに眠りへと落ちていった。話している間はそう意識していなかったが、話すだけでも、今の伊吹には大きな負担だったようだ。

 拓也は、静かな車内でハンドルを握りながら、今伊吹が話した話の内容を思い返していた。

 海で再生し、海に記憶を持つ女性―──。

 身近に感じ始めていたこの女性が、遙か遠い存在に感じられていた。それも、この宇宙の遙かさをも感じさせる遠い存在だ。人を越えた能力を持ち、事実上「死」というものが無縁な存在。それは、はたして人と呼べる存在なのであろうか。

 そして、その“人”を超越した存在と、自分は同族であるという。

 拓也には、自分がそのような存在であるとは、とても信じられなかった。これまで拓也は、他の人々と変わらぬ生活をし、他人と同じように生きてきた。そのような存在と同族であるということを、すんなり理解し受け入れることの方が困難だった。

 また、拓也が望めば、伊吹のような再生能力を得るという。まさにそれは、人と異なる高次の「種」へ生まれ変わる事となるだろう。それが可能なのも、伊吹と同種の能力を持つからだと伊吹は言う。その能力を持つ人間は、数百年に一人だと伊吹は言う。

 信じがたい話しではあるが、拓也は昨夜、その能力を使った自分を見た。

 そしてそれは、伊吹によりきっかけを与えられたというのだ。拓也に自分の本当の姿を思い出させるため、伊吹はあの入り江に現れた。5年前、伊吹と出逢った事に、そのような事実が隠されていたとは思いもよらなかった。

 拓也は、知らぬ間に自分が現実と懸け離れた世界へと足を踏み入れていたことに愕然としながらも、入り江に向かい、車を走らせ続けた。他に車の姿のない道を、拓也が運転する車は静かに進んでいった。

 夕日が沈んだ空には、いつしか星が瞬き始めていた。

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