2.覚醒 【7】――覚醒――

【7】              

 食事を済ませ、風呂から上がった拓也は、居間でテレビを見ていた。

 遙花は洗い物をしている。

 弛緩しかんした身体をソファに預け、テレビを見ながら背後を行き来する妻のスリッパが立てる音を聞く。そんな当たり前の家庭の風景に、拓也は幸せを覚えていた。

 昼間見た死体も、別世界の事のように思えた。

 軍事機密を盗んだスパイが追い詰められ、殺されるシーンがふと浮かぶ。

 ―──軍・・・・・・?―──

 自分が思い浮かべた言葉と、それから連想される結果に、拓也は脳裏に衝撃が走るのを覚えた。

 ―─小林が生み出した生物は、兵器として活用できる・・・・・・⁉―─

(いや・・・・・・まさか・・・・・・)

 自分が辿り着いた結論に、そのあまりの突飛とっぴさから、拓也はそれに自信を持つことが出来なかった。


 その時、突然視界を暗闇が襲った。

 テレビの音もキッチンで皿が立てる音も止み、静寂が家の中を包んだ。

 だが次の瞬間、けたたましく部屋のドアが開かれる音が響き、複数の凶漢が部屋の中に雪崩なだれこんできた。

「キャッ!!」

 背後で遙花が叫び声を上げ、途中でかき消された。

「遙花!?」

 網膜はまだこの暗闇に慣れておらず、何が起きているのか判断できない。

 遙花の方へと振り向き中腰になった拓也の周りを、人が取り囲む気配が感じられた。その人物達が立てる金属音に、背筋に冷たい物が走るのを覚えた。

(武器を持っている⁉)

 拓也は身動きを取ることが出来ない。

 次第に瞳が闇に慣れ、自分を取り囲む不審者達の姿が、朧気おぼろげながら確認できるようになった。

 とはいえ、男達は黒ずくめの格好で、闇に慣れた瞳にも影のようにしか映らなかった。その影の形から、銃を構えた突入部隊のような格好であることが解る。そして、目の辺りから突き出た筒のような物は暗視ゴーグルだろう。遙花はその男達の一人に、後ろから黒い手で口元を押さえられた格好で拘束されている。

「・・・・・・お前は知りすぎた・・・・・・」

 拓也の背後に立つ男が、低く、くぐもった声を発した。

 くぐもったように聞こえるのは、顔中をマスクで覆っているためだろう。

「貴様を拘束する」

 拓也は言葉が出なかった。自分が相手にしている者達の力を過小評価していたようだ。

 声をかける男の方を振り向き、ゆっくりと腰を浮かせる。

「動くな!」

 その言葉に、拓也の動きは止まった。

「その女がどうなっても知らんぞ」

 拓也は遙花の方を振り向いた。遙花の喉元に、鈍く光るアーミーナイフがあった。

 遙花が拘束され、相手は4人。この状況から抜け出すすべが見あたらなかった。

「二人とも大人しく来てもらおう」

 4人が一斉に銃を拓也の方に向けた。

「グッ!!」

 4人が銃口を上げた瞬間、拓也の背後に立つ男が、苦痛の呻き声を上げた。口を押さえていた男が銃を持ち上げた瞬間、遙花がナイフを持った手に噛みついたのだ。

「このあまぁ!」

「キャッ!」

 男が遙花を振り払った。

 男の力に遙花は宙へと放り出され、浮いた身体が居間へと飛ぶ。

 ゴッ!

 遙花は居間のテーブルに頭からぶつかり、鈍い音を立てた。

 拓也は遙花の頭部がテーブルの角にぶち当たり、跳ね上がって床に落ちていくのを見た瞬間、理性が吹き飛び、怒りの炎を立ち昇らせた。

 男達が銃を構えているのも忘れ、遙花を突き飛ばした男に飛びかかる。

「この野郎‼」

 怒りをまともに浴びたその男は、冷静に両腕を横に振った。頬に熱い衝撃が走り、顎の骨が軋む。男が持つ銃底が、拓也の顔を横から薙ぎ払っていた。

 拓也は斜めに仰け反り、遙花が横たわる床に倒れ込んだ。

 軽い脳震盪を起こした拓也の視界はかすみ、銃を自分に向ける男達の数が増減する。口の中に鉄の味がする液体が広がっていた。

 霞んだ視界に、横たわる遙花の姿を捕らえた。

「遙花!」

 拓也は床の上をにじり寄り、遙花を抱き起こした。

 妻の顔を上から覗き見る。抱き起こし名前を呼んでも何の反応もない。力無い身体の重みが、拓也の両腕にのしかかっていた。

 頭を支える拓也の手の平に、ぬめる物を感じた。

 自分の手の平が、黒く濡れている。遙花の髪は、血で濡れていた。

 その出血量に拓也は愕然がくぜんとし、遙花の顔を改めて覗き見た。 

 蒼く染まる部屋の壁と変わらぬ色をした妻の顔が、そこにあった。拓也はゆっくりと妻の身体を抱き寄せた。自分の頬を妻の頬に押し当て、息を詰まらせる。

 拓也は押し殺した嗚咽おえつを、喉から漏らした。

「大人しくしろ。我々は生死を問わず貴様達を連行しろ、との命令を受けている」

 男の冷静な声に、拓也の脳を怒りにたぎった血液が満たした。

 妻の身体を静かに床に降ろし、その場にゆっくりと立ち上がる。

 4人の照準が、拓也の動きを追従して上がる。

 立ち上がりながら拓也の口から漏れた吐息のような声は、この部屋の誰にも聞こえてはいなかった。

 ―──殺す―──

 拓也の身体に、どす黒い感情が充満していった。

 うつむき、黙ったまま立ちすくむ拓也の姿を、男達は暗視ゴーグルを通して見つめていた。

 この圧倒的有利な立場の中、拓也の行動に、どのような対応を取ればいいのか解らないのだ。・・・・・・いや、拓也の異常な雰囲気に、本能的に何かを感じていたのかも知れない。

 男達は拓也から視線を逸らさない。拓也が少しでも動けば、構えた銃のトリガーに掛けた指に力を込めることは、誰もが承知していた。男達は銃を肩に構えて照準の中に拓也を捕らえ、腰を落とし動きを静止させた。

 俯き、床を見つめる拓也の視界には、何も映っていなかった。

 憎い。

 ただこの感情だけが拓也の全身を支配し、理性を奪っていっていた。

 この身体に何発の銃弾を受けようとも、必ず全員を殴り殺してやる。

 銃を奪って撃ち殺すなんて事はしない。

 全員の顔を陥没させ、それから眼球をえぐり出してやる・・・・・・。

 全身に滾る血液が、内側から身体を焼いていた。

 脳を灼熱の炎が溶かし、沸騰させていた。

 理性が自分から消え去っていくのを感じた。

 この世界が、夢の中の出来事のように感じられた。


 パリン・・・

 居間の壁際に置かれていたガラス製の花瓶が、音を立てて割れた。

 頭をゆっくりともたげ、前方の男を睨み付ける。

 身体の中心にある凝縮された怒りの塊が爆発し、全身に広がった。


 ゴウッ!

 男達が最初に感じたのは熱風だった。全身に襲いかかってきた熱風に身体が宙に浮いたように感じた直後、「それ」が顔面めがけて襲ってきた。

 男達は最後まで拓也を見ていた。誰もそこから飛んで来る「モノ」など確認しなかった。しかし男達は、鉄塊のような物が顔面を襲い、ゴーグルが割れ鼻骨が砕かれるのを覚えた。

 その塊は顔面の骨を砕いても尚、男達を開放する事は許さず更に顔面にめり込み、身体毎宙に持ち上げた。

 トラックに衝突したように、男達の身体が猛烈な勢いで四散し―──。

 ドン!

 ある男は後頭部から壁にめり込み、ある男はガラスを突き破って庭の端まで放り出された。


 爆発のような衝撃が止み、静寂が戻ってきた。

 部屋の中には、拓也の荒い息だけが木霊している。

 部屋の壁が、拓也の目線の位置の高さで全周に渡り亀裂を生じてさせていた。

 その亀裂の一角に、兵士の頭部がめり込み、宙に身体を浮かせている。

 反対側の床では、男が前のめりで倒れ、眼球を床にこぼれさせていた。

 拓也にゆっくりと理性が戻ってきた。荒い息が収まらない。

(なんだ・・・・?)

 拓也は怒りに身を任せていったところまでしか覚えていない。

 しかし男達の肉と骨の感触が身体に残っていた。

(何が起きたんだ・・・・・?)

 床に倒れる男達を見渡しながら、拓也には何があったのか理解できなかった。

 全身から滝のような汗が流れ落ちる。

 ・・・ド・・ックン・・・

 突如、鼓動が停止し、体中から力が抜けていった。

 次第に意識が遠のいていく。


  ―───目覚めよ―───


 黒い闇が視界を覆う中、あの声がした。

 膝が床を叩き、身体が前方へと倒れていく中、拓也は意識を失った。

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